核戦争阻止の闘いと

 社会主義への平和的移行

  ―批判者への批判によせて―

松 江 澄

 私は一昨年の労研九月号に、「世界平和の前進のための提案」を書いたのを契機に、昨年の一月号から五月号、九月号と、現代社会主義の諸問題について書きつづけてきた。それはただ、ソ連をはじめとした現代社会主義およびその規範的文書についての批判というだけでなく、日本における社会主義的展望という課題が常に念頭にあったからである。

 日本の社会主義革命というとき、私たちは眼前にある現代社会主義から眼をそらすことはできない。そうして日本における社会主義的展望を探り日本の社会主義革命をめざすとき、私にはどうしてもその予備作業として、戦後来私を金縛りにしてきた共産主義運動の「古い掟」から自らを解放しつつ、もう一度原点から探求し直すことが必要であった。ところが、それは思った以上に若干の人々からきびしい批判を受けるところとなった。そこで、その批判に答えつつ、ひきつづき新しい課題の追求を急がなければならなかった。しかし新しい課題について改めて追求し直そうとするとき、そこに立ちはだかっているのはすでに二十五年にもなる旧い諸命題であった。したがってその研究も、こうした諸命題の批判的検討から始めなければならなかった。

 

批判者への批判

 柴山・水沢両君への反批判

 

 まず最初に両君とも私の「声明」批判の態度について批判する。柴山君は私の「清算主義」を批判し、水沢君は「客観的法則性を無視して主観的願望を対置」していると、きびしく批判する。二人の相違は「声明」の評価と見合っている。柴山君は現在でも基本的な点で有効性をもっているといい、水沢君は部分的な誤ちや曲折はあるにせよ、「声明」が予見したとおり、世界革命は画期的な発展をとげたという。水沢君は私の論文を読みとつて、「そもそもはじめから問題であったといっているに等しい」、と指摘する。実はそのとおりである。題名の「いまでも有効か」というのは、当時は「有効」だと思っていた私の心情が、つい出たからだと後で気がついた。改めていえば、水沢君のいうとおり、そもそもはじめから問題であったといまでは思っている。水沢君は「当時の情勢のこのような分析に異論をさしはさむ者はまずいまい」というが、実はそこが問題なのだ。いまでは異論をさしはさまない者はまずいまい。それは個々の部分的分析もさることながら、「声明」をつらぬく方法論に問題があるからである。意見の相違はともかく、こうした事実については是非とも考え直してほしい。

 柴山君はソ党ニ○回大会でのスターリン批判を強調し、スターリン体制下でもなお進められた理論戦線の発展と、この大会を端緒に始まったスターリン批判の成果を私が無視しているという。果してそうであろうか。

 スターリン体制下でどんなに多くの学者、芸術家、文学者などが弾圧され追放されたかはすでに広く知られているところである。皆無とはいえないまでも、この時代が思想の自由を完全に圧殺した「理論的不毛」の時代であったことは、ソ連史研究のなかで誰しも認めるところである。

 柴山君の挙げたヴアルガにしても、三〇年代における資本主義の恐慌分析とその予測まではよかったが、その後の現代資本主義国家の分析など、のちの国家独占資本主義論争の先駆ともなったいわゆる″ヴアルガ論争″では改良主義として批判され自己批判を強いられた。彼が再び旧命題を復活して国家独占資本主義の研究に大普く寄与した「帝国主義の政治と経済の基本的諸問題」を刊行したのは、スターリン批判後の一九五七年であった。

 またニ○回大会で、フルシチョフ報告は松江の指摘したレーニンのテーゼに言及しているし、松江がいうように「資本主義の腐朽と衰退」のひとことでこの「声明」をスターリン的だというのはきわめて乱暴だ。と柴山君はいう。しかし私が主張しているのはこの一句だけでなく、この「声明」金体をつらぬいている傾向の一つの集中的表現として指摘したのだ。たしかにフルシチョフ報告では、レーニンのテーゼを引用して、帝国主義の腐朽化にかんするレーニンの命題を単純にうけとってはならないといいながら、強調しているのは資本主義の科学・技術を社会主義がとり入れるための研究であって、″現代資本主義分析″のためではない。フルシチョフ報告によれば、「資本主義経済の見とおしはだいたい資本主義世界市場の情勢によってきまる。……あらたなますます拡大する社会主義世界市場ができた結果、資本主義世界市場の限界がいよいよちぢこまっていることからも市場の問題はいっそう深刻になっている」と強調している。これがスターリンの二つの世界市場論そのままであろうことはいうまでもない。そのうえ報告は、資本主義諸国の情勢分析からどんな結論がひきだされるだろうか? と問い、「資本主義はひたむきにあたらしい経済的社会的動揺にむかってすすんでいるのである」と結ぶ。これは「声明」の情勢分析と基本的には軌を一にしている。これが柴山君のいう「資本主義の現状分析におけるスターリン批判の成果」であろうか。ニ○回大会の「スターリン批判」は個人崇拝を問題にしたが、「その起源の問題とそれがどうして可能になったのかという問題は、まだ解決されていないと見なされる。すべてをスターリンの個人的な由々しい欠縮だけで説明するのは受け入れがたい」(一九六四年「ヤルタ・メモ」)というトリアッチの生前最後の指摘は、ちょうどこの年フルシチョフに替ったプレジネフによって、「スターリン批判」が事実上中止させられたときだけに千金の重みがある。彼が指摘するように、崇拝を生むのに力のあった政治的誤謬とはなんであったかを追求することこそ重要なのだ。

 水沢君は私の批判に関して別の問題を提起している。彼は「声明」が資本主義における大衆の窮乏化を指摘しているのに、松江はまさにこの時期から技術革新が疾風のように発展したというが、松江は資本主義のもとで窮乏がなくなりつつあると見ているのであろうか、と批判し、「声明」のいうように「経済的におくれた地域がさらに拡大しつつあるがゆえに、とくにそれが集中的にあらわれたらわれた地域で民族解放闘争が燃え上ってきたのではないのか。事情は発達した資本主義国であっても同じである」と主張する。

 「声明」でいう「経済的におくれた地域」が、その文脈からいって資本主義におけるおくれた地域――農村――を指していることは明らかである。水沢君はそれを拡大して、国際的な後進地域――民族解放運動の発展ととらえているようだが、それはさておき、問題なのは「事情は発達した資本主義国であっても同じである」というとらえ方である。国際的な後進地域と発達した資本主義国内のおくれた地域を、資本主義のもたらす窮乏ということで同じような位置でとらえることは適切ではない。この二つの後進地域の質は異なっている。帝国主義の未開発諸国や発展途上国にたいする凶暴な搾取と不等価交換による収奪とがつくり出す貧困化と窮乏化の問題を、こうした帝国主義的経済侵略による「繁栄」のおこぼれにあずかりながら、独占資本によってきびしい搾取と収奪を受けている帝国主義本国の労働者・農民の「窮乏」と同じように見てはならないし、また事実として比ぶべくもない。それは民族問題が階級問題と違うほどに違い、民族解放運動と階級闘争が固く連帯しなければならぬほどに反帝闘争と反独占闘争とを結びつける。

 また、現代帝国主義の発展は、私もすでに指摘しているように、危機をいささかでも救済するものではなく、危機はまたけっして発展を排除するものではない。それどころか、資本主義は一方で搾取と収奪の血をしたたらせ、彪大な失業群をはじめとした腐朽と腐敗を毎日毎日生み出しつつ、他方では新しい技術による新しい生産条件のもとで昨日以上に急速に発展し、それはいっそう資本主義の危機を深める。腐朽と発展、発展と危機の深化は、二者択一ではなく弁証法的な矛盾として存在する。

 また水沢君は、私の「不正確なレーニンの引用」として、ロシア共産党第七回大会(一九一八年)でのレーニンの綱領改正についての報告をあげている。引用や理解での論争はあまり生産的ではないのでくわしいことは省略するが、私の指摘した個所の直接の前後を読めば、それがけっしてロシア革命だけのことではなく、報告のテーマである党綱領にかかわる世界革命の過渡段階の問題であることは一目瞭然であろう。しかし重要なことは、レーニンがどういったかということより、われわれがいまどうとらえるのかということである。水沢君は、先進資本主義国の革命が世界革命過程でもつ「画期的な意味」を認めつつ、松江がいうように、それが「死滅に至る資本主義の危機の深化の質を決定する最大の指標」ということになると、「世界革命におけるプロレタリア国家の役割、民族解放闘争のもつ革命的意義が、まるで後方におしやられることになる」といって、私の世界革命論における根本的誤りがここにあると批判する。

 しかし世界革命の役割について前方も後方もない。世界革命の発展にとって、帝国主義の心臓部にとどめをさすことが決定的なことは水沢君も誰も異存はないはずだ。もちろんソ連をはじめ社会主義諸国や民族解放運動はこの闘いで大きな役割を果すであろう。だが、こうした力と闘いに支えられ励まされ助けられながら、直接的に帝国主義の心臓部をつきさして倒すのは、まさにその国における労働者階級の革命的な闘いではないのか。

 

  再び会般的危機と平和共存について

 

 柴山君は私の全般的危機の理解について、「全般的危機の本質は資本主義に内在する諸矛盾の尖鋭化であり、体制間矛盾は単なる外在要因であって、それは内在的要因を通してのみ作用するということになるが、私はこのような全般的危機の理解は、根本的に誤っていると思う。これでは全般的危機論は、単なる資本主義の危機の深化論になってしまう」といっている。

 どうやら柴山君は、私の全般的危機論批判と内外原因関係論とをいっしょにしているようだ。たしかにそれは関係があるが、一応別の問題として論じよう。いわゆる全般的危機に関していえば、前論文でのべたように、柴山君の定義と少しも違っていない。だから同じように考えている水沢君は、私の全般的危機についての認識を、全くそのとおりであると認めている。ただ水沢君が私とどうしても違うのは、「声明」が規定する今日の時代にあっては、「資本主義国はすでに社会主義へ移行した国から影響を受けざるを得ない。この影響の下で社会主義へ移行する物質的、主体的条件が拡大していく」という点なのだ。この問題については後にふれることにする。

 柴山君は水沢君と同じように、全般的危機の段階論を擁護する。彼はコミンテルン第六回大会のテーゼにもとづき、ロシア革命以来の十年間を三期に分けて分析した実例を引いて、段階論がコミンテルン時代から使われていることを主張する。しかしそれはおかど違いではなかろうか。国際労働運動の発展局面を明らかにしつつ、情勢を分析することは極めて重要なことである。おそらく戦後日本の労働運動(革命運動)を分析する場合には、われわれもきっとこのようにするに違いない。しかし、それが全般的危機の諸局面を反映しているとしても、なおそれは「段階」ではない。いま問題にしているのは段階論一般ではなく、特別な概念としての全般的危機の「段階」なのだ。同じコミンテルンで全般的危機を問題にするのなら、テーゼよりも、この第六回大会の中心議題であった「共産主義インターナショナル綱領」をとりあげる方がよかった。何故ならば、コミンテルンとしては、この綱領ではじめて全般的危機の規定を行ったからである。(「U 資本主義の全般的危機と世界革命の第一局面」)

 もちろんそれは記録に残っているように、ソ連共産党中央委員会が中心になって起草したものであり、それがスターリンによって指導されたものであることはいうまでもない。しかしスターリンがその前年(一九二七年)のソ党第一五回大会報告で、はじめて「資本主義の全般的な根本的危機」と使ったときも、またコミンテルン綱領の場合でも、必ずしも今日いわれているような内容を含めた概念としては使われていない。その後コミンテルン第七回大会(一九三五年)のデイミトロフ報告でも、「資本主義の全般的危機の激化はするどく……」と、資本主義の危機の激化と同じような意味でのべられている。全般的危機の内容が、今日のように豊富な内容をこめて定式化されたのは、むしろ戦後に属する。

 スターリンはすでに戦後早く(一九四六年)モスクワの選挙人集会の演説で、資本主義の第一の危機による第一次世界戦争、第二の危機による第二次世界戦争とのべてその端緒的な提起をしているが、もっと明確に規定したのは一九五二年、「ソ同盟における社会主義の経済的諸問題」に関連してノートキンへの答として書いたもののなかであった。

 「世界資本主義体制の全般的危機は、第一次世界戦争の時期に、とくにソビエト同盟が資本主義体制から離脱した結果としてはじまった。これは全般的危機の第一段階であった。第二次世界戦争の時期に、とくにヨーロッパとアジアにおける人民民主主義諸国が資本主義体制から離脱したのちに、全般的危機の第二段階が展開した。第一次世界戦争の時期における第一の危機と、第二次世界戦争の時期における第二の危機とは、個々別々の、たがいに切り離された、独立した危機と見るべきではなく、世界資本主義体制の全般的危機の発展の諸段階と見ることが必要である」と。

 これが第二段階――したがって段階論の最初の規定であり、またそれは全般的危機論の最初の包括的な定式化でもあった。以後、ソ連および社会主義国の党と学界では、それをいっそう豊かな内容にするための解釈学的な研究がすすんで今日に至っている。

 だが、この概念については、世界でも日本でもマルクス主義学界のなかでいまだに論争が続いている。私は、とくに全般的危機ということばそのものにとりたてて異議をとなえるものではないが、スターリン理論を継承しつつ、その特徴の一つである割り切った数学的な定式化をもとに解釈を深め拡げてレーニンの名で権威づけ、まるで「打出の小槌」の

ように振り回すことに反対なのである。

 レーニンの帝国主義論は、それ自体としてわれわれのもっとも重要な宝庫の一つである。帝国主義を単なる資本主義の最後の段階としてだけでなく、社会主義の前夜として、危機の深化=移行ととらえていることは、すでに前論文でふれたはずである。柴山君の主張している第三段階論についても画期がきわめて不明確である。「声明」が発表されたとき(一九六〇年)すでに入っているとされている「新しい段階」すなわち第三段階の具体的な指標については、ソ連はじめ社会主義諸国の文書によっても、まだ説得性のある説明をきかされたことはない。

 また柴山君は、「平和共存論と全般的危機論とは相互補完してソ連第一主義を『理論』化している同腹の双生児である」と書いた私を批判して、その根拠を問う。

 それはソ連の代表的な理論家の一人でもあるクラシンの「レーニン主義と現代革命」(一九六七年)が分り易く絵解きして見せてくれる。まずクラシンは、「社会制度の異なる諸国家間の平和共存は社会主義と資本主義の階級闘争の一形態である」という「声明」の規定について、次のようにいう。「社会主義国家は国家的に組織されたプロレタリアート」であり、「資本主義国家は国家的に組織された独占ブルジョアジー」である。したがって二つの体制の対立は、プロレタリアートと独占ブルジョアジーの国際的な階級闘争である、と。

 そもそも「社会主義と資本主義の階級闘争」というものがあるだろうか。また「国家的に組織されたプロレタリアート」とはいったい何のことであろうか。

 レーニンは、マルクスが「共産党宣言」のなかで、「国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」 といっていることについて、「マルクスのこの理論は、プロレタリアートが歴史上はたす革命的役割についての彼の全学説と不可分にむすびついている。この役割を仕上げるものがプロレタリア独裁であり、プロレタリアートの政治的支配である」と指摘している。(「国家と革命」)つまり、それは「支配階級として組織されたプロレタリアート」=プロレタリア独裁のことであって、「国家的に組織されたプロレタリアート」とは全く似て非なるものである。それは国家とプロレタリアートの安易な結合である。

 クラシンはつづけて主張する。平和共存とは二つの体制の闘争と実務的協力の矛盾的統一であり、この重点は経済に移動して平和的経済競争となる。そうして経済の分野における二つの体制の闘争は、世界革命過程の重要な一面として資本主義の全般的危機を深める。さらにクラシンは、世界的発展の基本矛盾は国内の資本主義矛盾のダイナミズムに巨大な影響を与え、その緊張をつよめ、その形態を変化させ限定する、といぅ。彼によれば、革命的エネルギーを集中的に充填している社会主義世界体制こそ世界的基本矛盾の主導者であり、世界革命の原動力である。そうであれば、その中心であるソ連をまもり、その政策を支持することこそ、世界革命に忠実な道となる。私があえて「ソ連第一主義」という所以であり、それを相互補完して「理論」化しているのが、全般的危機論と平和共存論だと書いた理由がそこにある。

 

 内部矛盾(原因)と外部矛盾(原因)

 

 そこで残された重要な問題は、内部矛盾(原因)と外部矛盾(原因)との関係である。これはただ唯物弁証法一般の問題というだけでなく、いま論争になっている情勢の見方ということに深くかかわる認識の根底の問題でもある。(以下、矛盾ということばに統一する。)

 『知識と労働』三四号の高柳論文(「日和見主義批判と日本共産党の再建」)では私を批判して、「われわれの理解によれば、内在的矛盾は外在的矛盾との相互作用を通じてのみ事物の変化、発展の要因となり得る。この両者を切り離すことはできず、どちらが一義的か二義的かと問うてもはじまらない」と主張する。また水沢君は私の世界革命論を批判しつつ、このような考え方の根底には事物の発展に対する松江の独得の認識論がある、といい、「この認識論こそ重大な誤りである。内部的原因と外部的原因は統一してとらえるべきであって、どちらが第一義かなどとはいえないはずだ。たとえば卵がひなにかえるのは、その卵の内部的原因によるものである。しかし卵がかえるにはそれにふさわしい環境(外部的原因)が必要だ。それなしには卵は死んでしまう。そのようなことは小学生にでもわかる真理である」と教示する。

 しかしここにこそ問題がある。両君の主張はほとんど同じだが、そのなかには私と同じとらえ方の部分と私と異なったとらえ方の部分がある。まず同じ点からいえば、両君はともに、内部矛盾と外部矛盾とは、その相互作用によって事物の変化・発展の原因となるのであって、けっして切り離すことはできず、統一してとらえるべきである、という。私も全くそう思っている。相互作用というとらえ方は、弁証法を形而上学から区別する重要な方法論の一つである。世界には何一つ孤立して存在するものはない。それでは、「どちらが第一義かなどとはいえない」のだろうか。二つの矛盾の区別は「問うてもはじまらない」のだろうか。そうではない。

 この二つの矛盾を区別することは極めて重要である。何故ならば、まず何よりもこの二つの矛盾の性質は異なっているからである。内部矛盾は一つの過程(有機体、構造)の構成要素による矛盾であり、外部矛盾は一つの過程とその環境あるいは乗件(周囲の世界の横合体)との矛盾である。例えば、労働者階級と資本家階級は日本の資本主義社会の構成

要素であり、対立物の統一としてその過程を規定する。これが内部矛盾である。また日本をとりまく国際情勢――一体制間対立を中心とした国際諸関係と日本の社会とは、相互に深くかかわり合い過程にとっての条件となる。それは外部矛盾である。そこには同じ矛盾とはいっても、その事物と過程の運動と発展への関わりかたの相違がある。

 そこで重要なことはレーニンがいうように、「世界のすべての過程を、その″自己運動″において、その自発的な発展において、その生きいきとした生命において認識する条件は、それらを対立物の統一として認識することである。発展は対立物の″闘争″である。・・・おもな注意はまさに『自己』運動の源泉にむけられる」ということなのだ。(弁証法の問題について「哲学ノート」)

 ことのついでにいえば、「資本主義と社会主義」の対立は、「資本家階級と労働者階級」の対立とは質が異なっている。それは労働者階級と資本家階級のように相互に依存しつつ相互に対立する統一体ではない。その意味では、体制間対立と階級対立とを弁証法的矛盾として同位におくことは適当ではない。それは政治的評価の問題ではなく、哲学的範疇の問題である。レーニンのいうように、世界革命過程を生きいきとした生命において認識する条件は、それを国際労働者階級・抑圧された諸民族と帝国主義ブルジョアジーとの対立として認識することである。この対立物の闘争が自己運動としての世界革命過程を決定する。それはこの過程の必然の所産である社会主義諸国の位置と役割をいささかでも過小評価するものではない。その労働者・人民は国際労働者階級のもっとも先進的な部隊であり、その国は国際労働者階級の闘いと民族解放運動のとりでとなるはずだからである。

 結局、内部矛盾は「対立物の統一」としてその過程の運動と発展を基本的に決定する推進力であり、この過程の内的必然性である。外部矛盾としての環境ないし条件は、内部矛盾に作用することによって発展のしかたに影響を与える。

 その意味で両者は不可分である。それが内部矛盾と外部矛盾の相互作用である。かくして両君と私の異なっている点が明らかとなる。重要なことは、つねに過程の発展を対立物の統一=対立物の闘争として認識することであり、自己運動の源泉を明らかにすることである。まさに内部矛盾こそ自己運動の第一義的な原因である。

 水沢君は、環境との相互作用がなければ 「卵は死んでしまう」という。たしかに一定の温度や環境がなければ成長が妨げられたり、成長しても未成熟なために死んでしまうか殺されてしまう。こうしたいろいろな事例は、われわれがさまざまな生物の誕生を観察する場合に見ることができる。しかし人間の社会は一定の環境(一定の「政治的」温度など)がなくとも、死ぬこともないし停止することもない。環境の政泊的社会的影響がきわめて弱いか、あるいはほとんどない湯合でも、内的必然性によって必ず発展する。社会の発展は不可避である。卵がひなにかえるためには親鶏があたためるか、それと同じような温度と環境(卵工場)が不可欠であるが、卵細胞はその影響のもとで自己運動として成長し幼鶏となる。卵がひなにかえる過程を決定する原動力は環境ではなく、まさに親鶏の産んだ卵そのものの中にある。自己運動と相互作用はけっして矛盾せず、第一義的な推進力を明らかにすることは環境を無視することではない。唯物弁証法はけっしてむつかしい哲学ではなく、自然の発展過程の思惟への反映である。自然のうちにこそ真理はある。水沢君にならっていえば、石でつくったニセの卵を親鶏に抱かせても、けっしてひなにはかえらぬということは、わかりきった「真理」であろう。

 

革命をめざして闘うもののなかで、たれひとりその国の階級対立と階級闘争を軽視したり、たれひとり今日の両体制の対立と闘争による影響を無視したりする者はいないし、またこの二つの力の相互作用を認めぬ者もいないだろう。しかしだからといって、この二つの原因と力を統一してとらえるだけではきわめて不充分であり、実践的ではない。重要なことは、日本の革命にとって何れが決定的な推進力なのか、われわれがおもな注意を向けなければならないのはどこなのか、ということである。答はおのずから明らかではないか。

 この問題について、あるいは両君に異論があるかも知れない。もしそうであれば、これ以上哲学めいた論争を続けるよりも、しばらくお互いに保留して事実と実践の検証を待とうではないか。そうしてわれわれもその実践に加わってともに闘かおうではないか。その方がいっそう生産的であるばかりでなく、回答に近づくもっとも近い道ではないか。そうしてそれ以外の論点についても、私もそうだったが、レーニンやスターリンの言葉や概念の問題としてではなく、課題を日本の社会主義革命の展望にひきつけた具体的で身近な論争として発展させようではないか。それはきっとわれわれだけでなく、もっと多くの人々とも共同で探求できるテーマになるだろう。私はそれを提案する。

新たな追求をめざして

 核戦争阻止と社会主義への平和的移行は、ソ党第二〇回大会と「八一カ国声明」が新しく打ちだした重要な展開であった。この提起が発表されておよそ二十五年、それはすでに古典のように篋底深くしまいこまれているのではないか。しかし、いま核戦争の危機を前に平和をまもりつつ日本の社会主義革命を追求しようとするとき、改めて検討すべき諸問題を含んでいるように思う。そこで旧命題を批判的に研究することは、新しい課題に近づく手がかりになる。

 

 核戦争阻止の闘い

 

 柴山君は、ソ党二〇回大会はスターリンの命題――帝国主義戦争は帝国主義を絶滅しないかぎり不可避である――を批判して、帝国主義間の戦争も不可避ではなく防止する可能性があることを明らかにし、平和擁護闘争の意義を正しく規定したと強調する。

 しかし戦争の不可避性の命題は、スターリンのテーゼではなくレーニンのテーゼであり、マルクス・レーニン主義の命題である。レーニンは周知のように、「生産手段にたいする私的所有が存在しているかぎり、このような経済的基礎のうえでは、帝国主義戦争は絶対的に不可避であるということをしめしている」(「帝国主義論」序言) と規定した。だが経済構造(下部構造)としての独占資本主義(帝国主義)は、理論的にはただそれだけでは戦争として発現しない。フルシチョフが報告でいうように、戦争は経済現象ではないからである。それは政拍構造(上部構造)を規定して帝国主義政治体制をつくりだし、こうした政治過程はその特殊な延長として帝国主義戦争に転化発呪する。「声明」はいまででは「戦争の宿命的な不可避性は存在しない」というが、そもそも宿命的な戦争不可避論はマルクス主義とは縁がない。理論的には政治構造(上部構造)のなかに戦争を阻止する力が存在すれば、たとえ帝国主義経済構造のもとでもその政治過程が戦争という形態に転化発現することを防ぐことができる。

 しかしこの理論的可能性を現実的可能性に転化するためには――戦争を一時的にせよ阻止する力が生れるまでには―― 一世紀におよぶ労働者・人民の闘いが必要であった。(松江「平和のための闘いと革命闘争」労研八一号)結局、戦争阻止の可能性の問題は、一般的には国内的国際的階級関係および戦争勢力と平和勢力の力関係が決定する。レーニンの生きた時代は、戦争を阻止するカがまだ極めて弱かったので事実上戦争が避けられなかったのだ。

 これに関してスターリンは、「平和をまもり新しい世界戦争に反対している強力な人民勢力が成長したいまでは、(レーニンの命題は)古くなったものと考えるべきだ、というものがいる。これは正しくない」と批判し、当面の戦争を阻止し、当面の平和を一時的に維持することはできるが、戦争の不可避性をとりのぞくためには帝国主義を絶滅しなければならない、と強調する。

 

これにたいして 「声明」は、レーニンのテーゼで確認しつつ、「すべての平和愛好勢力が共同で努力すれば世界戦争を防止することができ」、さらに「近い将来、社会主義と平和勢力の優位」が絶対的なものになれば、社会主義が全世界で完全な勝利をおさめる以前に、「社会生活から世界戦争をなくす現実的可能性」が生れ、ひきつづき全世界における社会主義の勝利は「あらゆる戦争のおきる社会的民族的原因を最終的にとりのぞく」と、三段階に分けて展望をのべている。(太字筆者)

 「声明」がスターリンと違うところは、当面の戦争阻止の現実的可能性から一歩すすんで、帝国主義は残っていても戦争をなくす現実的可能性を展望していることである。ここでいう「絶対的」優位がどういう意味なのか、「近い将来」がいつ頃のことを指すのかは分らない。だが、この「声明」で、すでに社会主義体制の優位を確認しつつ三大革命勢力

による世界過程の決定力を強調しているが、その後二〇年以上もひきつづき着実に発展しているとすれば、あまり遠いことではなさそうだ。

 しかし現実はそれほど甘くはない。いま何より重要なことは、戦争をなくする段階論ではなく、目前の核戦争の危機から当面の平和をまもることである。われわれはいま、戦争の概念がすっかり変り始めている時代に生きている。かつてコミンテルン第七回大会で、迫りくるファシズムと戦争を前にしたトリアッチ報告は、予想される戦争(第二次世界大戦)について次のように語っている。

 「最も完成された兵器が大規模に実戦に使われたら、どのようなことが起こるかをわれわれは予見することができない。われわれが知っているのは、次の戦争が国をあげての戦争、戦線と銃後の区別がなくなる戦争であり、現代的・文化的な国民生活を可能にしているすべてのものを破壊する戦争であるだろうということである」と。いまから半世妃前のこの先見的な見とおしを第二次大戦は事実で証明した。

 だが、それは終りではなく始まりであった。終結のためと称して使用された核兵器が、いまでは戦争と兵器の前面におどり出て、戦争の性格をすっかり変えてしまった。いま予想される新たな世界的戦争は、戦線と銃後だけでなく、戦時と平時、戦闘員と非戦闘員、交戦国と非交戦国の区別を全くなくする全人類的な戦争であり、一国の現代的・文化的な国民生活ばかりでなく、全世界の、人類そのものの生存と生活を可能にしているすべてのものを根底から破壊する戦争となるだろう。そこでは、他国を支配し略奪するための手段としての戦争の古典的な概念は、包括的な放射能汚染という事実によって葬りさられた。それは全人類を犠牲にしてでも帝国主義の敵を破滅させることだけが目的となり、そこにあるのはむき出しの不信と憎悪以外の何物でもない。

 しかも、この 「絶滅兵器」は、その意図にもかかわらず攻撃と防御の区別さえなくし、防衛という概念の本来の意味を奮って「報復」という概念に変えてしまう。それは社会主義と帝国主義という厳然たる階級的革命的対立と闘争にもかかわらず、兵器の相互浸透を通じて、その軍事的対立を同質化する傾向を絶えず生み出す。ここに核軍拡競争の特殊な性格があり、多くの人々がその危険性を指摘する理由がある。それは絶えず拡大する均衡のワクが、このままでは縮小に向う見とおしがないからである。そこに私があえて「一方的核軍縮」を提案した理由がある。

 この 「一方的核軍縮」―それは米ソの立場を考慮して「独立の主導インディペンデントのイニシャチブ」と言い換えられることもあったが――は、「非核地帯の設置」「対衛星兵器の禁止協定」とともに、米ソ科学者が相対的に数多く参加しているバグウォツシュ会議の第三四回会議(入四年七月スウェーデン)でも重要な問題点になったという。(豊田利幸「核軍備競争の激化と科学者の役割」 『世界』入四年十一月号)いま「一方的核軍縮」は、ゆきづまった核軍縮交渉の凍結をとく有力なイニシアチープの一つと見なされようとしている。それはまた、平和を愛する世界の人民にも喜んで受け入れられる提案でもあると、私は確信する。

 ところが前掲高柳論文は私の提案を批判して、「松江論文を読むかぎり、ソ連は反核運動を信頼せよといっているにすぎない。この『担保』は松江氏の願望でしかない」と批判する。しかし社会主義が世界人民の闘いに信頼をおかないで、どうしようというのであろうか。結局、彼が主張したいのは、レーガンの限定核戦争構想の発動を阻止しているのは、「ただ単に反核運動が起きているからだけではない。ソ連をはじめとする社会主義共同体諸国の核兵器をふくむ軍事力と平和共存政策が、帝国主義の手足を押えているのである」ということなのだ。さらに「力の均衡論」批判にたいしては、「戦後の今日までの経過をふり返るなら、帝国主義の軍事的優位に対して、社会主義がようやく『均衡』といえるところまで軍事力を強化してきたのではないか。このことの意義を正しく評価すべきである」と強調し、「力の均衡論」なにが悪い、とひらき直る。

 それにしても、核兵器の均衡論が説かれようとは思いもよらなかった。これは感傷の問題ではなく、社会主義本来の重要な問題である。戦後はじめ、アメリカ帝国主義による核独占と一方的な核恫喝は、ソ連の核開発によって打ち破られた。たしかにこの時期のソ連の「核」は、帝国主義の核恫喝を相対化して核使用を躊躇させるうえで一定の役割を果した。しかしこの場合でも、五億のストックホルム・アピールに示されるような、世界各国人民の反核反戦の世論と運動のカこそが、朝鮮戦争でアメリカ軍の核兵器使用を阻止したのではなかったか。またベトナム戦争で戦術核兵器の使用をくいとめ、ついに停戦に追いこんだのは、ソ中の軍事援助の力もあるが、何よりもベトナム人民の不屈の闘いと全世界に拡がるベトナム反戦の運動ではなかったか。

 いまの情勢は、こうした時期とはまた違った意味できびしい。レーガンの冒険的な核戦略は、地球の東でも西でも核戦争の危機をつくり出し、それはとくに中距離核ミサイルの開発によって、いちだんと深められている。もしそれを阻止する主要な力が「ただ単に反核運動」だけでなく、ソ連の「核兵器をふくむ軍事力」とそれを背景にした平和共存政策にあるとすれば、それこそ「唯武器論」以外の何物でもない。結局、核兵器には核兵器を、と、ソ連核兵器の優位をめざしてアメリカの核に「追いつき追いこせ」ということになれば、拡軍拡競争に拍車をかけることになるのは明らかである。

 いま全世界の人々が真剣な危惧をいだいているのは、核戦争が核戦争のそなえから生れることなのだ。だからこそ、幾千万幾億の人々がヨーロッパからアジアまで、「いかなる国」の核兵器にも反対して立ち上っているのではないか。それは世界戦争が避けられる現実的可能性があるからではなく「人類絶滅の現実的危険性があるからである。

 

  社会主義への平和的移行

 

 「声明」は、また、社会主義への平和的移行について新たに画期的な提起を行なっている。すなわち、「現在の条件のもとでは、一連の資本主義諸国で前衛にみちびかれる労働者階級は、労働者の統一戦線および人民戦線、その他のあらゆる形態のいろいろの政党や社会団体の協定や政治的協力にもとづいて人民の大多数を統一し、内戦なしに国家権力をにぎり、基本的な生産手段を人民の手にうつすことのできる可能性をもっている。・・・労働者楷級は反動的反人民的勢力を敗北させ、議会で安定した過半数をかちとり、ブルジョアジーの階級的利益に奉仕する道具である議会を勤労人民に奉仕する道具にかえ、議会外のひろい大衆闘争をくりひろげ、反動勢力の抵抗を粉砕して社会主義革命を平和のうちに実現するために必要な条件をつくりだす可能性をもっている」と。

 ここでいう現在の条件とは、すでにふれたような「声明」の規定する現代の特徴――社会主義の優位と平和共存であることはいうまでもない。しかし同時に「声明」は、「社会主義革命の形態と発展の方向は、それぞれの国の階級勢力の具体的な力関係、労働者階級とその前衛の組織性と成熟の程度、支配階級の抵抗の度合いに左右される」と指摘する。

 社会主義への平和的移行の問題については、労研九月号で佐和慶太郎氏がプロレタリア独裁との関係でいくつかの問題を提起し、それにたいして十一月号では柴山君が批判論文を書いている。何れも主題はプロレタリア独裁である。私もすでにこの問題では労研誌上でふれたこともあって意見もあるが、次の機会にゆずり、ここでは「平和的移行」そのものについて検討することにした。

 ここで問題になるのは、いわゆる「敵の出方論」である。二〇回大会の報告では、「闘争がどの程度にはげしくなるか、社会主義への移行に暴力をつかうかつかわないかは、プロレタリアートの態度できまるのではなくて、むしろ搾取者がどの程度に抵抗するか、搾取者階級自身が暴力をつかうかどうかによってきまるのである」と指摘している。そうであれば、移行が平和的か非平和的かについては、他のすべての条件が満たされても、結局は支配階級の出方によって左右されることになる。平和的移行は、労働的階級の主体的選択の問題ではなく、もっぱら相手次第ということである。

 もちろん、どんな場合にも血が一滴も流れぬ革命はないし、たとえどんなに激しい内戦による場合でも、時として革命の平和的発展の時期がある。レーニンにひきいられたロシア革命の闘いは、周到に準備された戦略にもとづく革命の平和的発展と非平和的発展のたぐいまれな結合であり、統一であった。チリ革命については、チリ共産党の指導的幹部がのちに自己批判しているように、「急流のなかで馬を乗りかえる」訓練と準備ができていなかったことが、反革命に敗北した重要な理由の一つとされた。

 しかしなお問題なのは、革命の平和的移行か否かが支配階級の出方、にょるのか、それとも労働者階級と人民のイニシアチ―ブによって平和的な移行が可能なのか、ということである。「声明」では、「搾取階級が人民にたいして暴力にうったえてくる湯合には、べつの可能性すなわち社会主義への非平和的移行の可能性を考えに入れなければならない」とのべ、二〇回大会の報告では、「資本主義がまだ強く巨大な軍事的警察的機関を資本家が握っている国々では、反動勢力はもちろん激しく抵抗するに違いない。そこでは社会主義への移行は激しい階級闘争、革命闘争を伴うであろう」といっている。文脈からいって、これが非平和的移行ないし内戦を意妹することは明らかである。だがいったい、いざという時に暴力を使おうとしない搾取階級がいるだろうか、巨大な軍事的警察的機関を支配階級=独占ブルジョアジーが握っていない帝国主義国があるであろうか。この定式化からいえば、少くとも日本では平和的移行の可能性はまずないということになる。

 しかし問題は全く逆なのだ。独占ブルジョアジーが巨大な軍事的警察的機関を握っている資本主義国の革命だからこそ、「敵の出方」にまかせるわけにはゆかないのだ。だからこそ、平和的移行の意識的追求が必要なのである。移行が平和的か非平和的かということについて、重要な問題点の第一は軍事的な条件である。マルクスが一九世紀後半に、アメリカとイギリスでは権力の平和的移行の可能性があるといったとき、彼はこれらの国のブルジョアジーの手中に大きな軍事的警察的機関がないことを考慮に入れていた。また晩年のエンゲルスが「フランスの階級闘争」の序文で、「国民間の戦争の条件も変化したが、それにおとらず階級闘争の諸条件も変化した。奇襲の時代は過ぎさった」と指摘したとき、彼の念頭にあったのは市街戦とバリケードの役割の変化であり、兵力と兵器の発展についての科学的な考察であった。

 今日のように軍事技術が発達している条件のもとでは、軍隊をほとんど全面的に味方に引き入れるか、軍隊がほぼ完全に身動きできない条件をつくりだすのでなければ、内戦で支配階級を打倒することはほとんど不可能であろう。したがってそれにすべてを賭けることは冒険である。そのうえ発達した資本主義国では、政治的組織的文化的に幾重にも掘りめぐらされた縦深の深い塹壕でまもられている権力の中枢は、ひとときの武力決戦でいっきょに粉砕することはほとんど不可能である。議会の道はたしかに反革命を反乱の反徒にすることで平和的移行への有力な布石となるが、そのことだけでこの道が無条件に平和的な道に連結するというわけにはゆかない。

エンゲルスが指摘し、その後の革命の歴史が証明しているように、議会の温度計が沸騰点に達したとき、闘いは多数を争う舞台から権力を争う革命の舞台に移行するからである。チリの革命と反革命の教訓はそれを示している。もちろん問題は権力の奪取であり、平和的か否かといぅことは、その目的からいえば従属的な問題であろう。しかし、発達した資本主義国における社会主義革命の移行過程が平和的か非平和的であるかということは、その革命が成功するか否かということとはとんど別ではない。

 どんな場合にも、想定される部分的な非平和的対決に備えを欠いてはならないが、支配階級が強力で新鋭な武器と軍事力をもっている集件のもとで革命を成功させるためには、主要な過程として是非とも非軍事的な権力獲得の道を追求しなければならぬ。

 そこで問題は移行過程が平和的か否かという問題から、移行形態それ自体――権力獲得の方法と形態――の問題に移る。そこでは、ロシア革命をはじめとした歴史的な諸革命の対象と条件――資本主義が充分発達せず、近代的な市民社会が成熟していない状況と構造、あるいは革命をとりまく特務な情勢と条件――とは大きく異なり、経済的政治的また社

会的文化的に発達した支配構造に立ち向う方法の研究と追求が必要となる。

 この点で、レーニンの生きた社会と時代の制約から解放されながら、レーニンが果せなかったテーマの追求を継承発展させたグラムシの理論と方法は、日本の社会主義革命を追求するうえでわれわれの有益な手がかりとなるだろう。それは少なくとも「声明」が提起しているような統一戦線戦術の発展的な追求や、議会を利用するということだけでは答えられない問題を解く重要なカギとなる。私はかつてグラムシの「陣地戦」を統一戦線戦術と比較して書いたことがあるが(労研五六号「新しい革命と新しい党」(三))、それはどこでも適用可能な方法論としての統一戦線戦術とは異なって、発達した資本主義国それぞれの社会経済の構造に対応する国民的な革命論としてであった。それは大衆的な純一戦線戦術の延長線上の追求ではあったが、明らかにレーニンの意図していたものとは異なった性質のものであった。

 それは、いままでのマルクス主義の範疇からは突出した提起であり、変革以前に構造と上部構造の新たな「歴史的ブロック」を準備するという魅力的で探求的な課題である。それは発達した資本主義国一般に通ずる新たな提起であるとともに、すぐれて特殊イタリア的な追求でもある。何れにしても問題の核心は、平和的か非平和的かというところにではなく、平和的もしくは非軍事的移行に充分耐え得る資本主義国の革命論それ自体である。

 日本でいままで多く語られ説かれてきたのは、革命論一般あるいは資本主義国の革命一般ではなかったか。しかしわれわれが日本の社会主義革命を追求しようとするならば、ただそれのみにとどまらず、日本の経済と社会、意識と文化を改めて研究する必要があるのではないか。とくに日本資本主義の歴史的性格とともに、その強靭さと脆弱さがどこにあるのか、また日本型市民社会と文化的生活様式の特質などについての研究が必要であろう。

 また重要なことは、近代以後の大衆運動と大衆意識の諸形態、なかでも戦後労働・農民・市民運動の総括的分析が欠かせないであろう。日本の歴史と社会の研究なくして、日本の社会主義革命はない。もちろん、すでにその試みはいくたびか行なわれた。しかし、そうした研究が、直接的にも日本社会主義革命の方法論的追求と結合して検討された例をあまり聞かない。われわれはそれぞれの分野の人々の協力によってその準備にとりかかる必要がある。

   (一九八四・一一・二九)

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