労働者の民主主義的権利と国鉄労働者の闘争 長谷川 浩

労働者の民主主義的権利と国鉄労働者の闘争

 

長谷川

労働運動研究所代表理事

 赤い鉄路13

労働者の民主主義的権利の今日的意義

 

 

  ポーランドに於ける苦渋にみちた事態の進行

は、今日の国際共産主義運動、従ってまた日本

の共産主義運動にも深刻な問題をつきつけて

いる。グダニスクの二一ケ条が、世界に向かって

今日の時代、労働組合・大衆組織の自主牲と、

労働者の民主主義的権利の問題がもつ意味のい

ままでにもまして重いことを劇的に提起したか

らである。そして、労働基本権を含め、民主主

義を徹底し、質的にも発展させる闘いは、資

本主義を変革する闘争の最も重要な基本問題で

あるとともに、社会主義を共産主義に進めるう

えでも中心的な政治課題であるからである。

 国際労働署階級の解放闘争は、一九一七年の

ロシア革命と一九四〇年――四五年の第二次世界

大戦・反ファショ戦争の勝利を経て、帝国主

義の世界支配に重大な打撃を与え深刻な危機に

追いこんで、世界史に新しい激動の時代をもた

らした。帝国主義は、いま、その固有の侵略性

から彪大な核戦力をつくりあげたが、にもかか

わらず、もはや戦争と世界市場の再分割によっ

て自らの経済危機を克服し、収奪と支配の体制

を維持し強化する力を失いつつある。むしろ、

その彪大な軍備の蓄積と肥大化した軍事生産そ

のものが、彼らの経済を根底から蝕み、社会的

矛盾を劇成している。

 経済的社会的に最も遅れた環境にある諸民族

までを含めて、世界のすみずみからあらゆる民

族が目由と独立を求めて帝国主義の支配に抗し

て立ち上り、中米の小国・エルサルバドルやニ

カラグアの革命運動が大アメリカ帝国をゆさぶ

る。広汎な反レーガンのデモがアメリカでもヨ

ーロッパでも渦巻く。先進諸国労働者階級の闘

争も、ますまず下部・生産点の大衆とランク・

アンド・ファイル(活動家)の創意と自主的行

動を原勤力としてたかまり、運動の質をたかめ、

組織の民主主義を強固にしている。

 

 まさにそうした現状勢のなかで、社会主義と

国際共産主義運動は、自らがつくり出してきた

この新しい世界の激動に的確に対応し、広汎な

諸階層の自由と民主主義的権利の闘いに主体的

に連帯する体制をとって、立ち遅れてはならぬ

ことを警告されたのである。ポーランド労働者

が提起した問題の重要性はそこにあるといって

も過言ではなかろう。

 帝国主義の包囲下におかれた一国社会主義そ

してそれにつぐ核武装した帝国王義の軍事同盟

に対抗することを余儀なくされている社会主義

共同体が、その政治的諸条件のもとで、軍事力

をも含めて強固な国家体制をつくり、とくに革

命を指導した労働者の前衛の党が国家権力と国

家体制の指導中軸となることは、必然的な発展

であった。しかし、そのこととそこから生れた

党と国家の一体的な癒着とは全く別の問題であ

る。たとえ避け難い諸事情があったとしても、

党と国家の一体化は正い在り方として背定す

ることは許されない、国家は党とではなく、大

衆と一体化してこそ真に強力であろう。プロレ

タリア独裁は即ち党の独裁ではなく、労働者階

級の支配である。党の任務は、大衆のなかにあ

って大衆とともにこの階級としての労働者の積

極性と支配を正しく発展させるよう指導し保証

することにある。そしてすべての階級と階級支

配を消滅させる労働者階級の歴史的使命を達成

せしめることにある。

 本来、コムミューンといい、またソヴイエッ

トという、この組織は労・農・兵の大衆的同盟

の組織・統一戦線の大衆組織であり、革命的蜂

起の機関であった。それは支配階級に対し断固

として人民の権利を要求するとともに、自らの

内部においてに徹底した民主主義的組織原則を

貫いた。組織に参加するすべての成員は、何時

でも適格を欠くと思われる指導部を批判し、罷

免を要求する権利を保証されていた。まさに、

この組織内の民主主義が大衆の意志を統一し、

敵権利の狂気の攻撃をバネ返えし粉砕する力の

源泉となったのであり、そして権力を大衆の手

に奪取したとき、国家体制としてのコムミュー

ンないしソヴエットの在り方を決定した。

 これをこそ、マルクスはブルジョア民主主義

・議会制民主主義を止揚したプロレタリアート

の民主主義と指摘し評価したのであり、また、

いま、激動の世界のなかで広汎な労働者と人民

が求めて闘っている民主主義の本質的なもので

ある。

 しかし、歴史釣に発展してきた現実の社会主

義に於ける党と国家の一体化は、多かれ少なか

れ、党をも国家をも大衆から遊離し大衆の上に

立つ存在にしている。必然的にそこにはエリー

トの指導者意識・独善主義そして官僚主義が生

れる。注意深く大衆の要求に耳を傾けようとせ

ず、大衆のデリーケートな感情を理解しない。上

から大衆を指揮、指導しようとする。そして従

わないものに対しては権力を背景に統制するこ

とも辞さない。本来のコムミューン、ソヴイエッ

トの本質的に民主主義的な性格は全く失われた

かと見えるまで覆われてしまう。しかも、こ

うして大衆から浮き上がった党が、いかに国家

権力を握っていても、何ごとも正しく解決しえ

ないことは、ポーランドの事態が余りにも無惨

に立証しているところである。

 だが、問題を真に解決するものは、依然とて

て大衆であり、労働者階級である。労働者の党

が機能を喪失し、従って再建の過程は困難と苦

渋にみちている、たとえそうであっても、労働

者は必ずや現状を打開し、コムミューン或いは

ソビエトの本来の性格を取戻すであろう。そ

こに社会主義に於ける階級闘争の法則、プロレ

タリアートが階級を止揚し国家を死滅に導く長

期の複雑にして困難な闘いの法則がある。

 

われわれのなかにあるポーランド問題

 

 わたしはこれ以上ポーランドについて述べよ

うとは思わない。しかし、ここに提起されてい

る問題については真剣にうけ止めねばならない。

なぜなら、ポーランド問題はポーランドだけの

問題ではなく、われわれの問題でもあるからで

ある。われわれはここに現われているような誤

り、或いは政治的思想的偏向と本質に同じ誤り

をいままで何度も犯してきたし、また同じよう

な傾向は目本の左翼運動・共産主義運勤のなか

にまだまだ根深く残っているからである。

 独占資本との闘いの過程で、われわれは職場

の労働者の支持によって労働組合の執行部に選

出され、指導的立場にたたされる。するとえて

して自己の能力におぼれ、大衆の支持を過信し

て、われわれの思い通りに組合を動かせると思

いこむ、いや、そもそも大衆を指導するとは労

働組合・大衆団体の執行機関を握ってそこから

指令することだと考えて執行機関を握ろうとす

る。そしてわれわれの主観的判断、或いは党派

的決定・方針をそのまま執行機関の決定そして

大衆に押しつける。自らの党派を大衆の上にお

き、大衆の組織・労働組合を党派の従属物にし

ようとする。反対者が出ると、「あれは右翼分子

だ」と叩き、組織の統制を厳しくして大衆を押

え、文句を云わせないようにする。だが、大衆

を縛ることはできない、やがて足元が崩れ、執

行部を投げ出すはめに陥る。

 戦後、日本共産党が産別会議を組織し、労働

運動の主導権を握りながら、組織を分裂させら

れ、敵権力の攻撃に屈せざるをえなくなった主

要な原因の一つが、こうした労働組合に対する

「指導」にあった。労働組合を大衆自身の組織と

して尊重し、その組織内民主主義を徹底して意

志を統一するとともに、労働者の階級的自覚を

たかめ大衆の革命的エネルギーを引きだす運動

の原則を逸脱したのである。

 今日、共産主義諸党派は殆ど有力な労働組合

ないし大衆的組織の指導部に参加していない。

むしろ、右翼的幹部の支配のもとに、何とか大

衆を結集して労働運動の戦闘的再生を図ろうと

苦闘している。その限りこのような偏向は表に

現われない。「それどころじゃない、右翼的指導

部の締めつけをどう突破するかが問題だ」と

いうのが一般であろう。

 確かその通りである。労働者の民主的権利

の問題も組織内民主主義の問題も、経営者の力

を背景とする右翼的幹部の指導・支配との闘い

に集約されているのが現状である。しかし、そ

の闘いのなかに、やはり同じ思想的偏向がひそ

んでいないだろうか、自分ひとりを正しとする

思想、同じような考え方のものだけで小さく固

まる傾向、そして小さく固まれば固まるほど、

ことさらに自らを他と区別し、何か左翼的戦闘

的なものを誇示して大衆を蔑視する態度、そう

したものが労働者の大衆的な結集を妨げてはい

ないだろうか、右翼的戦線再編成の攻撃に対抗

しての第三、第四の左翼的ナショナルセンター

結成論、その基盤にある少数派組合ないし左翼

赤色労働組合主義など、このような傾向につい

て、いま一度厳密に自己点検することが要求さ

れているのではなかろうか。

 しかし、日本の共産主養運動のなかでわれわ

れがかつて犯した誤りのなかでより重要だった

問題は、自らの主観主義と政治的未熟のために

戦後日本の労働者階級が幾多の犠牲を払って独

占資本と政府に対し激闘を繰りかえした階級闘

争の本質を明確に理解することができなかった

ことにある。過去の共産主義運動の既成の概念

に思想的に縛られ、急速に発展する情勢を的確

に展望しえなかったと同時に、やはり自らを大

衆の上におく指導者意識から、大衆の行動のう

ちにある階級の意志を読みとることができなか

ったのである。

 いままでも何度か書きもし話もしたことでは

あるが、生産管理闘争から出発した日本の戦後

労働運動は殆どすべての産業と企業において労

働者の基本的権利を闘い取り、これを武器に職

場を民主化して、資本の一方的な経営権・管理

権・人事件を制約――規制する労働腸約上の諸

権利を確立した。少なからぬ重要企業で経営者

は労働者と労働組合の承認なしには生産計画を

たて、進めえないという状況が生れた。その上

に立って、労働者は「生産復興はわれらの手で」

のスローガンを掲げ、経済復興に於ける労働者

階級の指導権確立を指向した。この民主主義的

権利確立の闘いは、労働者階級が国の組織建設

の指導性を掌握する社会主義を目指し、それへ

の一歩を現実に進める大衆的な闘いであった。

それとともに、それは戦後の政治課題すなわち

占領の早期終結、公正な全面講和、国家主権の

完全回復と侵略的軍事同盟締結の阻止など一連

の問題を労働者階級の主導のもとに解決する大

衆闘争の土台をなす生産点での闘いであった。

すなわち、これら経済的政治的な闘いのすべて

の基礎が職場における労働者の基本的権利の確

立にあった。

 誠に口惜しいことながら、われわれはその闘

いの現場にありながら、闘いの意識を見極めえ

なかった。生産点における労働者の民主主義的

諸権利の確立・確保の闘いがいかに重要か、そ

れは単に労働者の生活・労働条件の防衛・向上

に欠くことができないだけでなく、一般的民主

主義をより高いものに進めるうえでどんなに決

定的な意義をもつか、それ故にまた、この権利

の問題が今日の労資の階級闘争においてどんな

に鋭い事実になっているかを深く理解すること

が出来なかった。

 一九四九年のドッジ・ラインによる全産業に

わたる合理化攻勢とくに定員法による国鉄、全

逓の労働者の大量首切りから五〇年のレッド・

パージにいたる米日反動勢力の攻勢は、一方で

アメリカ帝国王義の朝鮮侵略と関連しつつ、他

方で日本の労働者階級の既得の権利を根こそぎ

奪い返えし、戦後の戦闘的労働運動と革命運動

の息の根をとめようとするものだった。だが、

資本の攻勢の本質を明確にしえぬままに、或い

は民族主義に陥り或いは極左主義に走って大衆

から浮きあがり、われわれは完全に敗北した。

 その傷痕は今日の労働運動にもなお深く残っ

ている。しかし、日本の労働者の民主主義的権

利に対する要求は決しておとろえない、その後

も幾多の激しい闘争となって燃え上った。

 いま、独占資本とその政府は、資本主義世界

体制のかつてない深刻な危機のなかで、労働者

と勤労人民に対する経済的政治的攻勢をますま

す露骨にしている。とくに労働者の権利に対し

ては、ブルジョア民主主義の通念とも云える慣

行、形骸化したとも見えるいささかの権利まで

完全に抹殺しようとしている。

 こうして、民主主義の問題は、今日の危機に

於ける階級闘争の最も尖鋭な争点となる。その

なかで、労働者の基本的権利の確立の闘いは、

自らの組織内民主主義の貫徹を不可分の前提と

しつつ、政治的社会的民主主義全般を擁護する

原動力であり、さらにそれをコムミューンの企

図したより高いものにまで発展させる推進力と

なる。その決定的な闘いが準備されねばならな

いのである。

 

国鉄労働者の既得権に対する新たな攻撃

 

 国鉄の労働者諸君、御承知のように、いま日

本の労働運動は、独占資本にバック・アップさ

れた労働官僚どもの右翼的戦線再編成の画策に

よって、最悪の状態にある。それは職場の労働

者の抵抗がなければもっと悪い状態に落ちこむ

おそれさえある。そうしたなかで、国鉄労働者

はとりわけ集中攻撃の的となっている。行政改

革の名のもとに三五万人体制をさらに二〇万名

までに切り詰める人員整理は、二〇二億の損害

賠償裁判の脅迫によるスト権への攻撃と結びつ

けられ、まさに、一九四九年の定員法による大

量人員整理、労働者と労働組合の既得権の剥奪、

戦闘的労働者の追放、組織破壊・弱体化の歴史

的な攻撃に匹敵するといっても過言ではない。

とくに、最近のマスコミによる国鉄労働者の

「タルミ」「ヤミ給与」「ヤミ休暇」の誇大宣伝に

乗っての攻勢、運輸大臣の国鉄総裁に対する

「悪慣行の調査、総点検」の指示、これに基く総

裁から各地方管理部長等に対する通達、管理局

より国鉄労倒者の各組合地方組織に発せられた

通告、これらはいずれも現場の国鉄労働者がい

ままでの闘いによって獲得してきた労働条件、

職場の権利或いは慣行を「ヤミ」の悪慣行とレ

ッテルを貼り、抹殺しよようとするものである。

なかでも見逃すことのできない重要な問題は、

現在すべての職場に定着している現場協議制を

歪曲し、これを職場管理・労働者支配の機関に

変質させようとしていることである。本来、現

場協議制は、不充分なものとはいえ、職場の労

働者の団体交渉権に基いて成立しえたものであ

り、実際に、また、職場の闘いにおける団交権

行使の場として機能してきた。それを「現場協

議の本旨に反する」「職場規律の乱れ」とし、「円

滑な労使関係のもとの円滑な業務遂行」の機関

にせよという(三月五日付、総裁通達)。従って

従来の現場協議による協定はすべて「ヤミ協定」

というわけで「厳正に措置する」対象とする。

重大な権利の侵害である。

 こうした既得の権利ないし慣行の多くは、従

来の組合の労資協調主義的方針のもとで、必ず

しも明確な権利として協定化されず、「合意事

項」「了解事項」というような形で暖昧な点を残

しているものが少なくない。その弱点をついて

いまや当局は容赦なく攻撃を加えてくる。その

ことは、今日の時代、問題をしかく玉虫色に糊

塗することが許ざれなくなっていることを示す。

危機はそれほど深く、階級対立はそれほど厳し

いのである。力を以って正面から対決し、どん

なにささいなことでも、権利は権利として明確

に確認させねばならないのである。ここ何年か、

労資間の折衝はまず中央の幹部が個々に当局側

と話し合ってその意向を打診し、それを前提に

「団交」ということで何となく合意を取りつける、

それを地方の幹部に伝え予め根廻してから中央

委員会を開き、正式決定にしてしまう。現場に

どんなに不満があっても容易にこの決定の枠か

ら出られない。結果は当局の意志への屈服以外

の何ものでもない、これでは労働者の既得権を

守ることも出来ないし、ましてや基本的権利を

回復することもできない、こうした慣行こそ、

「ヤミ取引き」「ヤミ協定」であり、断固として

克服しなければならないのである。

 

国鉄労働者の権利の闘い

 

 国鉄の労働者は日本の労働者階級のなかで最

も闘争経験を積んだ労働者である。国鉄労働者

は、二・一闘争が示すように、ゼネストの中軸

を担うべく使命づけられた労働者である。そし

て国鉄労働者は一貫して労働者の基本的権利確

立のために闘ってきた。国鉄労働者の民主的権

利のための闘いは、全産業の労働者の権利の闘

いを集中的に表現し、その帰趨は日本の政治・

社会に於ける民主主義の内容を質的に決定した。

国鉄労働者のスト権が奪われたとき、すべての

労働者が、たとえ法的にスト権を認められてい

ても、その行使を抑圧された、国鉄労働者のス

ト権奪還闘争が勝利するとき、総ての産業の労

働者のスト権も強力にものを云い、政治的社会

的反動を吹きとばすであろう。

 その国鉄労働者の民主的権利の闘いは、つね

に下部、職場の労働者の決起から始まった。

一九四六年二月、東京の国電一三電車区の

「安全運行」闘争は、青年部のアピールと決起に

よって火蓋を切られた戦後最初の国鉄労働者の

闘いであり、最低生活の保証と闘う権利を要求

し、摩耗したレール、車輪という条件の下に運

転の絶対安全を確保するダイヤを自主的に組ん

で運行管理を決行した。それは当時の生産管理

闘争の強力な一翼をなすとともに、その後の国

鉄労働者の順法闘争の皮切りとなった。

四八年八月の新得、追分両機関区の労働者の

職場放棄、それがアメリカ占領軍の石炭輸送の

ための過重ダイヤ過重労働に対する抵抗から始

まり、政令二〇一号による国鉄労働者のスト権

剥奪に対する決死の抗議として全国の労働者に

衝撃を与えたことは今日なお記憶に新しいとい

えよう。この闘いも当局に抗議して自殺した新

得分会柚原委員長の墓前に闘いを誓った青年た

ち、機関助手が民族独立青年行動隊を組織して

火蓋を切った。

 四九年六月の東神奈川、蒲田車掌区を中心と

する東京国電車掌区電車区の「新交番制」反対

闘争と「人民電車」の運行、これは定員法の大

量人員整理に先立ち、それを前提とする交番制

に反対して闘われ、行政整理に抗議する最も強

力な闘争であった。ここでは行政整理による首

切り、勤務制度の変更を団体交渉の対象とする

かどうかが最も重要な争点で、政府・当局はこ

れを経営権に属する事項として一切交渉を拒否

し、東神奈川車掌区の井E委員長を懲戒解雇と

した。これに憤激した京北・東北中央・山手の

各線にわたる現場労働者のストライキから大衆

的決議による「人民電軍」の連行には、「労働

者こそ生産の主人公」との生産管理闘争の思想

が脈々と流れていた。

 そして五七年七月の国鉄新潟の闘争。五〇年

のレッド・パージ以後、国鉄新潟地本の幹部、

活動家は営々として職場に労働組合組織を再建

し、悪質職制を追放して活動の自由を取り戻し

てきた。そして闘いは五七年春闘の処分反対闘

争に始まる。新潟地本の神谷副委員長、中村・

佐藤の両幹部の懲戒解雇に抗議して地本参加の

殆ど全職場で三時間の職場天会が行われ、長岡

操車場に警官隊が侵入し労働者が一斉に職場放棄

するのを契機に、新潟県の国鉄全線がストップ

する。四九年の定員法の大量首切り以来、鎮圧

されたかに見えた国鉄労働者の戦闘精神は再び

火となって燃え上がった。

 国鉄労働者のスト権を始め職場における民主

主義的権利確立の闘いは、いずれも権力との激

突となった、多くの活動家が闘いの犠牲となっ

て職場を追われた。しかし、叩かれようと踏み

つけられようと、労働者は再び立ち上った。そ

れは七〇年代に入っても、頑強なマル生反対闘

争となり、七五年十一月二十六目から十二月六

日にかけての八日間のスト権ストを決行する原

動力を形成した。

国鉄労働者のこの戦闘精神と革命的エネルギ

ーはいまも死んではいない。政府。当局の弾圧

がいかに厳しかろうと、また組織の指導部がど

んなに右翼化し腐敗しようと、職場には脈々と

して闘いの伝統が生きている。生きて新しいカ

を再生する。

 国鉄労働者の闘争の全過程は、戦後の日本の

労働者階級の闘争全体を集中的に表現する。そ

の闘いの経験は日本の階級闘争の問題のすべて

を包括し集約して、勝利のための展望を示唆す

るところが少なくない。そこに提起されている

労働者の民主主義的権利の確立と組織内民主主

義の貫徹の問題は、とりわけ今日の時代に於け

る国際的労働運動の発展と密接に関連する。

国鉄の労働者諸君、伝統の新しき発展と創造

を期し、確信をもって前進されんことを!

 

三月二十六日


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