占領の性格と日本の国家権力

    「前衛」臨時増刊号 団結と前進 第五号 1957年?

松江 澄

 

           

「あらゆる革命のもっとも主要な問題は、うたがいもなく、国家権力の問題である。権力がどの階級の手にあるかということ、このことが万事を決定する。」(レーニン、「革命の根本問題」)

 綱領問題の意見の主要な相異も、つきとめればこの問題、とくにアメリカ帝国主義の支配との関係の問題につきると思う。そこで私は、とくにこの問題について意見をのべて見たいと思う。

 そのために、まず第一に明らかにしなくてはならないのは、論争につかわれるいろいろの概念である。概念が本来ものごとの本質を示すものであるからというだけではなしに、今日の綱領論争が、経験した諸事実を理論化するに当っての相違が主要なものとなっている上からも、とくに重要であると思う。

 たとえば「権力」と「主権」ということについていろいろな見解がある。下司同志は、「権力」と「主権」との区別が必要であることを強調して、「権力とは、支配階級とその支配の道具(国家機構)とを意味する。主権とは、権力がその国の本来の領土と人民の全体にたいして完全に作用している状態をいう。」(団結と前進 第二号)といっている。

 しかし、「主権」とは歴史的な概念である。それがある程度定式化されたのは、十六世紀ヨーロッパの絶対君主の絶対権力をさし、対外的にはローマ法皇の宗教的権威からの独立を、対内的には宣戦布告、講和権、最高裁判権、官使任命権、恩赦権、貨幣鋳造権などを内容とする地方領主にたいする最高支配を意味したことにはじまる。これは絶対主義の近代的統一国家の「権力」を積極的に定式化したものであった。しかし、各国によって異なった経過をたどったにせよ、「市民階級」の「主権」を要求してたたかったブルジョア革命によって「権力」がブルジョアジーの手に移り、次第に「主権」の権力的本質、政治的性格がかくされて、ブルジョア国家の正当性を理由づける法的な側面が前面に押し出された。その結果、「国民主権」「人民主権」という抽象的な概念によって、ブルジョア独裁を美化する役割を果たすようになっていった。ここからその政治的性格と法的側面は分離され、法学的な形式概念としてつかわれるようになった。ところが第二次大戦の戦中戦後を通じての人民民主主義の発展は、この法学的・抽象的な概念としての「人民主権」に、権力的本質と政治的性格をあたえ、その法的な側面と権力的本質は、プロレタリアートの指導する人民独裁のもとでふたたび統一され、さらにプロレタリア独裁の確立は、その権力的本質を前面に押し出すことによって、「主権」それ自身を止揚した。こうして「主権」概念は、絶対主義からブルジョア独裁の成立、発展、衰滅、人民独裁からプロ独裁への発展と確立の全過程に照応しつつ変化し、発展し自らを止揚した。その意味で、第二次大戦後多かれス少なかれ民主的な勢力の発展を反映した資本主義諸国、独立諸国の新憲法の中の「人民主権」「国民主権」について、そのブルジョア的本質を暴露するとともに、法的・形式的「人民主権」に、労働者階級の組織と意識の発展、ならびに広範な勤労人民と統一戦線の発展に依拠し、具体的実体と権力的本質を要求する闘争は、民主主義的社会主義的革命を目ざす運動の一環として位置づけられるべきであろう。

 このように「主権」を階級的歴史的に「権力」と統一してとらえるならば、下司同志のいうように「日本の独占資本が日本の国家権力をにぎっていること(このことは正しい)の日本の主権をにぎっているかどうかということを混同してはならない」という平面的なとらえ方は適切でないと思う。むしろ今日憲法でうたわれている「主権在民」の体内的な具体的な実現と、サンフランシスコ条約の廃棄による対外的な主権制限の排除、すなわち憲法を積極的に守る闘争を、権力獲得に従属させてたたかうことは新しい情勢と条件のもとできわめて重要である。

 また、「権力」一般と「国家=国家権力」とを同一視する見解があるは、これは革命的変革の対象をあいまいにする点であやまっていると思う。最高の支配または支配者を意味する「権力」という概念は、けっしてマルクス主義によって生み出されたものではなくて、マルクス主義の発生よりはるか以前からあったものである。「権力」についてのマルクス・レーニン主義がもたらした新しい発展は、「社会から生まれながら社会の上に立ち、社会にたいしてますます外的なものになってゆく権力としての国家」(レーニン「国家と革命」)、すなわち、「特殊な権力」としての「国家=国家権力」の本質を明らかにした点にある。この「国家=国家権力=階級抑圧のための特殊な武装した部隊」こそ革命にとって「最も主要な問題である。」われわれにとって問題なのは、「権力」一般ではなしに、「国家権力」なのである。したがって、階級支配の道具としての「国家権力」の本質と、その実態としての軍隊、警察などの武装装置を分離してとらえることは基本的に誤まっていると思う。

 現在、表現はどうあろうとも、基地、駐留軍=武装装置を理由として、アメリカ帝国主義と日本独占資本がブロックで権力を握っているという同志があるが、これは正しくない。「国家=国家権力」は民族的には不可分の単一「権力」である。植民地国家はどんな形態にせよ、外国帝国主義者が支配階級としてその国の生産手段を基本的に支配している国家であり、その「国家権力」はその国の買弁階級の支持と協力はあろうとも、単一に外国帝国主義者のものである。またすくなくとも民族国家として形成された国家にあっては、単一の「国家権力」の支配者はその民族国家の支配階級であり、それが外国帝国主義者の支配下にあるならば、それは「国家権力」と帝国主義支配との関係の問題である。たとえどんなに「疎外され」ようとも、それはけっしてその民族の階級「社会から生まれながら社会の上に立つ」という関係から分離された抽象的な「権力」ではないということである。これを混同すると、変革の課題としての「国家権力」の問題が「権力」一般にすりかえられ、革命的変革の対象が不確定になる。したがって「国家権力」変革の課題と、帝国主義支配排除の課題とは本来同一のものではない。帝国主義支配排除の課題は、そのおかれた具体的歴史的条件を考慮しつつ革命的に定式化し、革命への過程をつうじて解決されることが必要であるが、それをけっしてこの二つの課題を単純に混同することをゆるすことであってはならない。

 今日の日本の権力問題を明らかにするためには、今日の発展の基礎である占領体制下の権力問題を明らかにすることが必要である。そうして占領下の権力問題で重要なことは、だれに「権力」があったということではなしに、だれが「国家権力」をにぎっていたかということである。戦後の日本が、敗戦と占領のもとにおかれようとも、民族国家として存続していたことをみとめるならば、その武装装置の重要な部分が「ポツダム宣言」と、これを利用した占領者によって解体させられようとも、「国家権力」は日本支配階級の手中にあった。もちろんこれは占領管理によってアメリカ帝国主義者の全面的な制約と支配をうけていたが、それは「国家権力」変革の課題としてではなくて、アメリカ帝国主義の支配をいかにして排除するかという課題をわれわれの前に提出するものである。これが占領体制下における独立の課題である。

 

              二

 

 宮本同志は、一月四日づけアカハタ論文で、「民族問題をプロレタリアートの利害に従属させて提起するということ」や「プロレタリアートの権力獲得に従属させて提起するという一般的に正当な命題」をみとめつつ、「その国の社会的歴史的条件によっては、直ちに社会主義革命にとりくみ、その過程で戦術的任務として解決される場合も当然あるが、異なった条件のもとでは民族(解放)民主革命として解決しつつ、社会主義革命に発展させるという展望がとられることも、歴史のしめすところである」といっている。私もまた一般的にはこの二つの場合があると思う。同論文も指摘しているように、第二次大戦後の東欧では若干の相違はありながらも、一般的に、「民族民主革命」として解決しつつ「社会主義革命に発展させるという展望がとられ」たし、また歴史的な事実はこのような過程をたどった。そうして綱領草案も宮本同志も、一様に日本の場合もまた、このような展望をもつものとして規定されていると思う。そこでこのような当面する革命の性格を規定する「歴史的社会的条件」を検討してみたいと思う。

 この検討にあたって、われわれがすどおりすることができないのは、五一年綱領である。なぜならば、今日の綱領は、経験と事実をとおして、五一年綱領の批判と検討のうえにこそ、きずかれるべきものだからである。「綱領草案について」は、五一年綱領がアメリカ帝国主義との闘争について「重要な定式化をあたえ」「重要な役割りを果たし」たと積極的に評価している。同時に、「しかし戦後内外情勢の変化、日本資本主義の現段階および農村の生産関係の変化およびそれと関連した日本の反動勢力の実体を正しくとらえることができなかった」ことをみとめている。しかし、このような「歴史的社会的条件」と無関係に、アメリカ帝国主義の支配、したがってまたこれとのたたかいはありえたであろうか。これが果たして、「分析的な」「弁証法的な評価の仕方であろうか。われわれにとって重要なことは、けっしてアメリカ帝国主義との闘争一般ではなしに、戦後日本のおかれた具体的条件のもとでどうたたかうかということである。

 農地改革の評価を誤まったばかりでなく、絶対主義的天皇制――寄生的土地所有制をアメリカ帝国主義支配の基礎とし、戦後日本の独占資本がおちいった「政治的強制による従属」を単純に「買弁化」と規定する見方こそ、「アメリカ占領軍と吉田政府は一つの固いブロックをなしている権力である」(五全協)という権力規定を生み出した。そうしてこの権力を人民の手に移す以外には民族の独立はないという民族民主革命論が成立していた。したがって戦後の経済・政治構造の評価に誤りがあるならば、当然その革命の性格についても、独立の課題についても再検討しなくはなるまい。

 しかし、戦後日本の社会経済の発展段階を正しく評価したとしても、それだけでは占領体制下にあった独立の課題を明らかにすることはできないであろう。チェスロバキアのように農業プロレタアートを有し、日本ほどではないにしても資本主義の発達した国においても、「民族民主革命」を社会主義の序幕的段階としている。それが社会主義革命の発端としての局面を強調するかしないかはさておいても、「なぜチェスロバキア革命の場合も歴史的には『民族民主革命』の旗のもとに開始されたかをもっと深く知」(前掲宮本論文)る必要がある。チェスロバキアと日本のいろいろな相違を考慮に入れたうえでも、占領体制下の資本主義国としての共通な点について、その「歴史的社会的条件」を対比して検討することは一つの重要な手がかりとなるであろう。

 

              三

 

 チェコスロバキアとの対比にさいして、とくに重要なことは、占領をめぐる国際的条件――と占領者とその時期――と占領の目的と性格および占領体制下の政治経済と占領の実態についてのつぎの諸点である。

(1)占領者とその時期

 チェスロバキアの場合は、第二次大戦の最初の時期に、その侵略者ドイツ帝国主義=ナチ・ファシストによって行なわれた。日本の場合は、平和回復後、ファシスト日本に対する戦後処理として、反ファシスト連合国管理というたてまえのもとにアメリカ帝国主義によって行なわれた。

(2)占領の目的と性格

 チェスロバキア占領の目的は、ファシストによる侵略戦争を有利に続行拡大するために行なわれ、したがって無条件、絶対のものであった。日本の占領は、ポツダム宣言その他民主連合国のとりきめた非軍事化と民主化をはじめとする諸条項の実施を監視することを目的としていた。(極東委員会「日本に対する基本方針」)、もちろんこの占領を事実上独占的に担当したアメリカ帝国主義者は、すでに戦後世界の征服計画をもっており、とくに占領の後期にはポツダム宣言のじゅうりんははなはだしかったが、それでも宣言を全く無視することはできなかった。その意味で、日本の占領は条件付、相対的一時的)なものであった。

(3)経済構造

 チェコの場合は「経済の領域ではチェコスロバキア大資本の支配は、チェコの金融、工業、農業大資本たちに、従属的、奉仕的役割をふりあてたドイツ大資本の専制的権力にとってかえられた。・・・・・・チェコおよびスロバキアの巨大企業はドイツ・コンツエルンの一構成部分に転化し、ドイツ諸銀行は、もっとも強力なチェコ金融資本グループをふくむ金融資本の大部分を併合した。」(イ・ブイストルジナ「チェコ革命の性質について」)

 戦後日本の独占資本は占領体制下、その政治的強制とくに貿易と通貨が管理されることによってその支配下におかれた。また財閥解体、独占禁止法、賠償指定によって直接その力を弱められたが、まもなくこの政策は修正され、主としてアメリカ国家資本の投資による援助によってその立ち直りを促進された。こうした状況は、一方では独占資本の強化、発展をうながすとともに、他方とくに従属的貿易構造と通貨管理を中心として日本経済の再生産過程を通じて、アメリカ帝国主義の支配下においた。しかし、本来、外国資本の個別資本への浸透の弱い日本独占資本が特徴的にチェコスロバキアと異なる点は、個別資本への投資による支配は全体としてきわめて弱かったことである。

(4)政治構造

 「政治の領域では、チェコスロバキア情勢における本質的変化は、民族的自由と国家的独立を失ったことに、政治権力が占領者の手に移ったことにあらわれた。」(前同)占領者は、ファシスト的、反動ブルジョアジーと官僚に、「国家統合へのきわめてかぎられた参加をゆるした。」ここでは形のうえでは民族的国家機構がのこされたが、実際の権力は全一的にナチ・占領者の手にあったブルガリアの場合とも異なり、形式的にも民族的国家機構の維持はゆるされず、直接の軍事占領下におかれた。

 これとくらべると日本の場合ははるかに事情が異なっている。たしかに一切は最高指令官の支配下にあり、それはしばしば直接的な支配と干渉となってあらわれた。しかし、国会と、国会を通じての政府、軍隊をのぞく一切の官僚機構は民族的国家機構として存続し、占領者の全一的な制約のもとでも、かなりの範囲の相対的独自性をもっていたことは、今日となって見れば否定のできない事実であろう。これはしばしば日本の支配階級の占領政策に対する合法的な抵抗となってあらわれた(予算の編成、憲法の制定、農地改革等)。もちろんこれは一定の限度内であり、それも最終的には一方的なGHQのさまざまな形による実際上の「指令」によって左右されたが、これをもって「間接管理」をたんなる「擬制」と見ることは正しくないと思う。とくに占領下でも新憲法によって政府の選択をはじめ、戦前と比べれば比較にならない民主的権利がみとめられたことをわすれてはならない。重要なことはチェコスロバキアの場合と異なって、直接占領者による人民の支配が主要な側面であり、これはたんなる形式ではなかったということである。

(5)占領の実態

 チェコスロバキアの場合には、占領者による無条件、絶対の命令と、それを保障する銃剣のテロ体制下におかれ、平和と独立、民主主義と占領者へのほんの僅かな批判も死を意味するものであった。こういう状態と日本の場合は非常に異なったものがあった。もちろん、平和運動、民主主義運動、労働運動に対して直接・間接の数知れない程多くの弾圧が行なわれたことや、占領者の軍事法廷があったことは忘れてはなるまい。しかしこれがチェコスロバキアのように、戦時下侵略者による無条件の暴力によるものではなく、「ポツダム勅令」という形態をとったことは特徴的である。とくに重要なことは、一定の限度内とはいえチェコスロバキアと異なって「民主主義運動」が存続し得たことと、占領の実態が国民の意識に与えた影響の相違である。

 以上のことから、どのような任務がプロレタリアートと人民にとって必要となるだろうか。

 チェコスロバキア―― 一般的には東欧――の場合、祖国の独立を達成するためには、占領者の手から人民の手に権力を移すこと以外には道はなかった。「一九四五年春、チェコスロバキア・ブルジョアジーは、自己の階級支配と自己の国家機関の廃墟の上に立っていた。彼らはミュウヘン降伏以前のただ一つの国家機関や法機関をも拠りどころとすることができず、亡命から何一つ重要なものをもたらさず、占領者と裏切り者がつくった全国家機構と機関を本質的に変え、これを下から新たに建設するための道具となった民族委員会がつくられた。」(前同)。このような具体的な条件は、それがどのような革命の発端になろうとも、当面の革命段階を民族民主革命と規定するものであり、それはまた占領の実態がもたらした人民の意識に無条件に適合するものであった。それは人民の手による破壊された国家の再建であった。

 日本の場合はどうであろうか。サンフランス講和による従属下にある今日でさえ、独占ブルジョアジーは「自己の階級支配と自己の国家機関の廃墟の上に」ではなく、その強化された基礎の上に立って、激しい階級闘争の一切の民主主義運動を圧迫するために、占領下からひきつづく今日の「全国家機関のどれをも本質的に利用」している。

 同じように占領下にあった資本主義国にこのような質的な相異をもたらしたものは何であったろうか。それは単なる国内的諸条件の相異だけではなく、むしろ決定的には、すでにあげたような((1)、(2))占領をめぐる国際的条件とそれにもとづく占領それ自身の相異にあると思う。

 それではどうしたらアメリカ帝国主義者の占領体制から脱することができたであろうか。一般的にいえば、日本人民は非軍事化と民主化を中心とする占領管理を無条件に否定すべきではなかった。それはむしろ歓迎され、その忠実な実施を通じて、将来の社会的変革への道をはききよめるものであった。問題は敗戦とポツダム管理を利用して自己の野望を果たそうとした、アメリカ帝国主義占領者の意図と政策、強制にこそあったのではあるまいか。もしそうだとうするならば、われわれに課されているのは、ポツダム宣言を厳正に実施し、その保障の下に一日も早く「全面講和」によって占領の終了を要求することではなかったか。「ポツダム宣言の厳正実施」と「全面講和」、これこそが将来の社会的な変革の途上に横たわる障害をとりのぞき、そのための有利な条件をつくりあげ、国の独立を達成する道であった。またこの課題が完全な実現を見ない場合でも、帝国主義占領者の無条件、絶対永久の占領をつづけることを許さない国際的情勢と条件によって保障されていることを忘れてはならない。それは決して「国際情勢待ち」ではない、それとも占領体制から脱し、国の独立を達成するためには「民族民主革命」という「最大限確実な道」を用意しなくてはならないのだろうか。それは一切の具体的な「歴史的、社会的条件」を考慮しない、「民族的特殊性」を無視することはではあるまいか。

 ともあれ日本の独立を「民族民主革命」によってのみ可能だとした五一年綱領は、ただ国内の諸関係を正しくとらえることができなかっただけでなく、このような国際情勢と条件を過小評価し、占領の具体的な条件と性格を正しく評価することができなかった。このあやまちの克服は、ただ「民主」の内容を「反独占民主主義」とおきかえることによっては決してできるものではない。それは占領下、帝国主義支配をいかにして排除するかという課題を、事実と経験に照らして再検討することによってのみ可能である。この道をさけてどうして今日の綱領ができるだろうか。少しでも立派な綱領をつくることができるとすれば、それは過去の綱領と意見、分裂時のそれぞれの行動綱領と実践した運動を事実とその変化に照らして総括しつつ、経験と理解の統一と前進をはかることによってのみ保障されるだろう。これこそが「分析的」「弁証法的」な方法ではるまいか。

〔補足〕

「従属国」の国家権力と日本の独立

            一

 私は前文で、国家権力および「植民地国家」と「民族国家」の国家権力についての見解をのべた。しかし、「金融資本とそれに照応する国際政策は、国家的従属の幾多の過渡的形態を作り出す」(レーニン「帝国主義論」)、したがって、ひとくちに「従属国」とよばれる諸国家の国家権力を明らかにすることが必要であると思う。

 「従属国」はすでに知られているように、植民地ないし「植民地国家」から独立した「民族国家」への過渡形態である。植民地ないし「植民地国家」においてはその主要な生産手段は外国帝国主義者に所有され、原住民ないし植民地人民は外国帝国主義者によって直接搾取されている。(これをかりに植民地的生産関係と呼ぶ)。独立した「民族国家」においては、その社会の生産手段はその国の支配階級に所有され、その国の人民は国内支配階級によって直接搾取されている(これをかりに民族的生産関係と呼ぶ。)

 「従属国」は、このような植民地ないし「植民地国家」から独立した「民族国家」への過渡的形態として、その土台に幾多の過渡的形態を作り出すが、それは歴史的、社会的条件に応じて、「植民地的生産関係」と「民族的生産関係」の競合関係と交替を生みだす。しかし、土台におけるこのような過渡的形態――競合関係から単純に、国家権力内部の競合関係ないし比重関係を引き出すならば、それは適切ではないと思う。すでに前文でのべたように、国家権力は「社会に対してますます外的なものになってゆく」権力として単一不可分のものである。かつての日本の支配体制が、天皇制官僚、寄生的大地主、独占資本をその構成要素としていた場合にも、国家権力それ自体としては、単一であったと思う。国家権力は下部構造の単純な反映でもないし、また下部構造から分離した特殊な権力としての国家=国家権力もありえない。むしろそこにこそ、「社会から生まれながら社会のうえに立ち、社会に対してますます外的なものになってゆき」ながら、支配階級の支配と抑圧の道具になっている国家=国家権力の弁証法的な把握があるのではなかろうか。

 もしそうだするならば、「従属国」がさまざまの過渡的土台をもっているからといって国家権力がブロックで構成され、その土台に応じて内部の比重が変化するというとらえ方は正しくないと思う。土台の過度的諸形態にもかかわらず、「植民地的生産関係」が支配的な生産関係であるならば、その国家権力は単一に外国帝国主義者の手中にあり、「民族的生産関係」が支配的であるならば、国家権力は単一にその国の支配階級の手中にある。従ってひとくちに「従属国」と呼ばれる国家にあっても、その歴史的、社会的条件の相異によって、国家権力の担い手は異なっており決して一般化できないと思う。そうしてこのような国家権力の担い手の単一性にもかかわらず、その土台に応じた外国帝国主義者の支配は、「国家的従属の幾多の過渡的形態をつくり出す」のではなかろうか。従って、同じ「従属国」と呼ばれる国においても、革命の基本問題としては、民族革命を主要な課題とする場合もあるし、これを必ずしも革命的な変革の課題としない場合もあると思う。

        二

 しかし、以上のような「従属国」の権力問題を今日の日本の権力問題に直ちに当てはめることは正しくないと思う。民族問題の解決にあたってとくに重要なことは、その提出される時代の国際情勢と、その国の歴史的、社会的条件である。すでにのべたような古典的な「従属国」の諸問題は、帝国主義による植民地、従属国の支配が民族問題の主要な位置を占める時代に、基本的に民族問題を解決していない国で提起されたものである。今日の日本の従属問題は、植民地体制が崩壊しつつあり、かつ社会主義が世界体制になった時代に、基本的には民族問題をすでに解決したばかりでなく、帝国主義国として他民族を抑圧していた日本が、敗戦と戦後処理を契機に受けるようになったアメリカ帝国主義の支配である。従って、宮本同志のいう(ハタ論文)「従属国家」が、すでにのべたような「古典的な「従属国」と同じような意味を持つものならば賛成できない。

 宮本同志は、日米合同委員会を一例として「国家機構的にもアメリカ帝国主義の支配を日本の国家がうけいれるような仕組みが加えられている」といっている。しかし、この一例から直ちに、日本の国家機構を部分的にせと従属的国家機構と見るならば、それは事実に照らして正しくないと思う。また宮本同志は「日本における権力問題の特徴は、独占資本が国家権力をにぎっているというだけでなく、すでにみてきたようにアメリカの権力が直接に軍事占領や基地所有によって日本人民を支配し、領土を占有する側面をもっていることである。」(一月四日ハタ論文、太字筆者)といっている。しかし、「砂川」に見られるように、今日の基地闘争の主要な方向が、直接にアメリカ帝国主義へむかわずに、反政府闘争として闘われているのは何故だろうか。これは今日のアメリカ帝国主義の基地支配が部分的にも「植民地、従属国」における直接支配とは異なっていることを示すものではあるまいか。それはあくまで、条約による従属を前提としており、従ってその闘争は政府による自主独立の対外政策――サ条約の改定・廃棄の実現にむかわざるをえない。

 宮本同志は同論文で、一応独占資本のにぎっている国家権力とアメリカ帝国主義とを区別しながらも、「革命によって人民に移行すべき権力は、外国帝国主義の支配と、それに従属的に同盟している日本の独占資本の権力」であるとのべている。これはすでに区別したはずの国家権力と外国帝国主義支配権力を再び混同しているか、さもなくば、革命によって人民の手に移行すべき日本の国家権力と、排除されるべきアメリカ帝国主義支配との闘争を一般化し、あいまいにするものである。一応日本権力の「機能的統一」を認めるとしても、それは決して「機構的統一」を意味するものでもない。しかし、革命的変革にとって重要なのは、正に権力の「本質」であり、その具体的形態としての「機構」であって「機能」ではない。それどころか、その「機能的統一」を切断することによって、日本国家権力の「機能的な独自性」を確立する闘争=内外政策の転換のための闘争を、「本質的・機能的な変革」に従属させて提起し、解決することが重要であると思う。

 講和は、そのための諸条件を国民の側に有利に変化させた。ポツダム宣言という国際民主勢力の民主的な制約は実質的に排除されたが、同時に「管理」による国家機構の反動的な制約も排除され、発達した世界の社会主義・民主主義・平和勢力との提携の下に、従属問題を日本の決意によって解決する条件が生まれたことである。アメリカ帝国主義支配の排除が、条約の廃棄によって簡単にできるはずがない。必ず実力によるアメリカ帝国主義の反撃と干渉がるという意見がある。もちろんそれは簡単どころか困難でさえある。しかし、日本の決意によってサ条約を廃棄した場合、実力による反撃=干渉戦争をそのまま許すほど内外民主平和勢力の力は弱いだろうか、今日、戦争を一時的にくいとめるだけではなしに、恒久平和の道を切りひらくことさえ可能にしている「平和共存」は、「一国革命」にとって単なる外的条件ではない。平和運動を第一義的に推し進めると共に、内外路線転換のための政治闘争と正しく統一し、国民の政治的経験をとおして、この力を反独占、権力変革の方向に組織することによってこそ、日本の社会主義への道はひらかれるであろう。

 この場合、日本の完全な独立が、権力獲得以前に達成されるか、あるいは権力獲得の過程で達成されるか、それとも権力獲得の後に達成されるかは、内外情勢と力関係によるだろう。しかし、いずれにしても、これは独立の達成を直接革命的変革によって行なう「従属国」の民族革命ないし民族解放闘争を意味するものではない。それどころかわれわれは、権力獲得以前に日本の国家的独立の課題を提起すべきであるし、それはますます可能でさえある。(広島県委書記)

 

あとがき

 本論文は第四集所載よていであったが、紙数の関係から本集にのせたもの―編集部―(前衛編集部のこと)

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占領の性格と日本の国家権力

    「前衛」臨時増刊号 団結と前進 第五号 松江 澄