原爆の図丸木美術館存続への支援のお願い

<丸木夫妻と美術館>

原爆の図丸木美術館は1967年、広島出身の画家丸木位里・丸木俊夫妻が共同制作した『原爆の図』を常設展示する美術館として設立しました。

丸木夫妻は原爆投下直後に広島にたどり着き、広島や長崎の惨状を30年以上かけて全15部の『原爆の図』に作り上げ、絵を携えて国内各地を巡り、さらに、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニ ア、アメリカなど世界23ヵ国でも巡回展を実施しました。

また、この美術館は『アウシュビッツ』『水俣の図』など、大量虐殺の歴史や公害、人権などテーマとした丸木夫妻の共同制作なども展示し、折々にシンポジウムやイベントを行ってきました。美術館にはこれまでに多くの人たちが集まってきました。こどもたちが夫妻の話に聞き入り、美術を志す若者が巣立ち、さまざまな人たちが語り合い、そして、全国に散っていきました。反戦・反核の画家として常にメッセージを発信し続けた丸木夫妻の功績は、世界的に高く評価され、1995年にはノーベル平和賞の候補に挙がりましたが、その年に位里氏、2000年に俊氏が他界しました。
その後も、美術館に心を寄せる人たちに支えられて、変わらぬ姿勢で運営し、公的関与のない美術館として、平和へのメッセージを発信してきました。

被爆60年の今年、核兵器廃絶へのヒロシマ・ナガサキの願いとは逆に、米国は使える核兵器を目指し、未臨界核実験を繰り返しています。イラクでは劣化ウラン弾を大量に使用し、深刻な放射能被害を生みだしています。原子爆弾がもたらした惨状の中で人々の苦しみ、悲しみ、そして希望を描いた『原爆の図』は、今日進んでいるこのような現実を根本的に問い直す力を持っています。

<丸木美術館は存続の危機にあります>

しかし、丸木美術館はいま存続の危機にさらされています。近年の美術館離れの携行は当館も例外ではなく、入館者の減少による赤字と施設の維持改修で、内部留保が本年度で底をつく事態になりました。現在、この危機を打開すべく、「丸木美術館再生プロジェクト」で、美術館の在り方を検討しており、来年には、「丸木美術館支援芸術祭」も予定していますが、切迫する現状の打開にはなりません。

そこで、皆様に緊急の支援カンパをおねがいしたいのです。ひとりでも多くの人にかかわっていただき、皆様の力で支えていただきたいのです。
どうか、この現状をご理解頂き、これからも丸木美術館が存続し続けるために、力をお貸し頂きますよう、お願いいたします。また、原爆の図をひとりでも多くの方に見ていただくため、貸し出しも行っておりますので、ご尽力いただけると幸いです。
そして、せせらぎの音と緑に囲まれた当美術館にお越しいただき、ご意見や感想を寄せてくださることを願っております。

2005年7月

原爆の図丸木美術館