"荒廃“の現場から臨教審を考える

―千葉県松戸市六実中の場合を例に

千葉住男

 

 

 労働運動研究198411月 No.181

 

 臨時教育審議会設置法が国会で成立し、九月五日には第一回の総会を開いて、中曽根首相から諮問を受けた。諮問内容は、きわめて抽象的で、具体的にどのような項目を設定して審議を進めるかは、一〇月中旬ごろに開かれる第四回総会できまるようである。

 ただ、中曽根首相や森文部大臣が「希望」を述べているので、だいたいは推測できる。

 それはまず、「わが国固有の伝統的文化を発展させる」「日本人としての自覚に立って、国際社会に貢献する国民を育成する」ような改革ということである。すなわち、六〇年代の「人材開発」論に適合した「追いつき追いこせ」型の人間から、世界的に広がった国益を守るふさわ

しい国家意識をもったエリートの育成ということであろう。これが基本的目標である。

 そして、当面の課題として、@校内暴力や青少年非行の増加、A学歴を過度に重視する社会的状況、B学校制度の画一的性格、などを克服する改革ということである。

 森文相は、より具体的に、学校教育の多様化・弾力化、学歴社会の是正、多様な生涯学習の形成などを目標に、教員の資質向上、学校・家庭・社会の教育的機能の活性化をはかる改革を求めている。

 七一年の中教審答申は、「教育投資論」と「人材開発論」がもたらした、いわば教育における「乱開発」――高度成長における教育環境の変化と相まっての――の是正を目指して「第三の教育改革」を提唱した。

臨教審改革も基本的方向については同じことになるだろう。

 学制改革など国政レベルの問題を別にすれば、これらの「改革」は、この間、地域において、子どもと親と教員と地方の教育行政担当者のせめぎあいに必ず顔を出すテーマである。以下は、千葉県での一連の典型的なケースをとりあげて、教育改革の背景となる現実のスケッチを試みたものである。

 

六実中の"実態報告"から

 

 「それは〔昭和〕五六年度赴任したばかりの四月二十四目よりの二泊三日にわたる修学旅行の折の出来事でした。特に三年生の実態から、学級三名計二一名ぐらいの保護者の参加を求めたのでありますが、結果はPTA会長以下四名にとどまり、予期するところとはいうものこれ

らの方々を含めて文字通り徹夜の生徒指導を余儀なくされたのであります。

  第二日日の夜、既に就寝時刻を過ぎて大分経った頃(煩わしさを避けて細かなイキサツハ全て省略)数十名の女子生徒が巡回中の私をとりまき、猛烈な抗議をして参りました。

 『男の子と寝るのがなぜ悪いんです。大人のすることを私たちがしてなぜいけないんですか』

 それは第一日目の夜、室内電話を使い男子生徒と連絡をとり、『監視されて出られないの、私たちのところへ何とかして来てよ』、と誘いかけたり、猥談をしかけたり……男子生徒の中には、女子生徒の部屋にもぐり込もうと、危険を犯して立樋を伝わったり、職員のすきをうかがい、非常口から出ようと数回の突撃を試みたり……。

 深夜の三時三〇分、私は遂に目に余る男子三名に厳しい制裁を加えたのであります。PTA役員、教師、生徒達の見守る中で、私はこの三名を思い切り殴ったのであります。集団暴力がいつ爆発するか判らないこうした時に、私たち教師はいったいどうすればよいのでしょうか。生徒から殴られても蹴られても、ただ説得にこれ努める……。

 バックを始めたトラックの直後に遊ぶ幼児を救うべく突きとばすことはいけないのでしょうか……現職の校長ともあろうものがこの始末では……と、中には鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる者の存在などに右顧左べんしている暇などなかったのであります。私は周囲にわあっーという喚声があがり、袋たたきの状態を覚悟しながら……しかし、予想外の私のこの行為にド肝を抜かれたのか、周囲はただシンと静まりかえっているだけでした。

 

 

 この頃漸く父親を主力とした六九名から成る特別委員会が結成され、学区内を始め、市内のデパート、各種遊戯場、商店、公園等をパトロールして、善行の発見、非行の防止、交通指導に当る等の活動が開始されてました。更に夜間、土曜の午後、目曜等に、教頭と同道、地元消防団長、民生委員、連合町会長、交通安全協会地区指導員、防犯協会会長、保護司、青少年相談員等の自宅を数回にわたって訪問し、学校の実状を報告して協力方を依頼して歩きました。

 一方、学区内各小中学校長、教頭、教務主任、生徒指導主任との会合を頻繁に持ち、しだいに隣接の市内各中学校、隣接市町立中学校等との連携を加え、PTA校外補導員の合同会へと発展して参ったのであります。

 なお、当時新築工事が継続中で、校庭の使用不能のため、六月上旬に学校近辺の地主さんとPTA会長さんから、校庭の半分程の面積の土地を二年間無償で拝借し、市教委の整地、防ネット設置等の協力により第ニグランドとして使用しています。

 さて、校内では、ひとりひとりに解る教科指導、道徳教育、学級指導、学級会、生徒会の充実、心技一体の部活指導、生徒指導の徹底を図るべく研修を重ねました。

 PTAの前記の活動等と相まって会長以下全会員が一体となり、更には会員外の地元の方々多数もこれに加わって協力するという、ほぼ完壁に近い体制が出来上ってきたのであります」

 これは、千葉県松戸市立六実中学校元校長の小林春光氏が、一九八三年三月に「総理大臣始め全閣僚、各野党党首、各国立大学始め大学の学長、千葉県知事、県教育長、松戸市長、教育長、千葉県議、県選出国会議員、松戸市会議員、県下家庭裁判所長、児童相談所長、松戸市警察署長、県下小中学校長等各方面に壱降八百通、六実中学校全保護者に壱降通」を送りつけたパンフレット『楽しく生き生きとした学校生活を願って(校内暴力・非行問題等に対する抜本的提言)』の一節である。彼は、このパンフレットを出すと同時に退職しており、その後、校内暴力・非行問題専門の講演等でたいへんに繁盛しているそうである。

 引用したのは、パンフレットの第三節、「出発の一里塚――修学旅行――」である。第一節では、「怒濤渦巻く六実中――五五年校内暴力発生――」と題して、九月頃から校内暴力、非行、学校の器物破壊の〃実態〃が列挙してある。関係者の話によると、相当オーバーに描かれているという。それと、引用文中でも明らかであるが、生徒の側の言動はことこまかに描写されているのに比して、教師の側のそれは、(煩わしさを避けて細かなイキサツは全て省略)されている。

 職員に対しては「あばれている生徒の悩み、悲しみ、苦しみを知る努力をし、絶対に白眼視することなく、愛情をもって臨むこと」と訓辞し、生徒には「真の友情とはどうあるべきかをよく考え、非行生徒を決して白眼視してはならない。かといって非行を見て見ぬふりをすることなく、勇気をもって忠告すること」と教え諭す。だが父母に対しては「総体的に『崩れ』が見られるとはいうものの、特に非行、暴力等を重ねている生徒は二、三年共に男女それぞれ三十名ぐらいで、むしろ、普通の生徒、しっかりした生徒の方が数の上ではるかに彼らをしのいでいるという事実を見逃してはならない。とはいえ、全体として落ちつきを失い、顔をしかめつつも、これら少数精鋭?の為すがままに揺れ動き、荒廃の渕に更に沈み込もうとする学校という大きな組織体を、いかに圧到的多数とはいえ、いわゆるノンポリ的生徒の群れに果して何ができるでありましょう。残念ながら専門職である教師集団にすら、ほとんど手の施しようがなくなっているものを……」と、実態報告をしている。

 

暴力・非行撲滅の完全体制

 

 一九七〇年代の後半から今日まで、〃校内暴力〃や〃非行〃が頻発して、〃教育の荒廃"ということが喧しく言われてきた。〃教育の荒廃〃ぶりについての報道、ルポ、調査、研究、評論、体験記などは、霧しい量が流通している。東京都の町田市立忠生中学校の教師による生徒刺傷事件や戸塚ヨットスクールのシゴキ殺人事件は、その頂点であった。

 日常的な経験――自分の子どもたちを通じて自分なりに見た学校――と、それらの情報を直結させて、“教育の荒廃〃の累がわが子に及んできたらたいへんだ、という親の不安はピークに達していた。

 一昨年千葉県教組で、組合員に〃校内暴力〃や〃非行"の原因はどこにあると思うかというアンケート調査を実施したが、七割以上の回答が「家庭のしつけ」にあるというもので、執行部溺大きなショックを受けたという。せめて四〇人学級の実現や大規模校の解消、教員の多忙化からの解放などの〃要求”に結びつけられる回答が欲しかったのではなかろうか。教員の責任回避的な意識には、問題があるというコメントをせざるをえなくなっている。

 しかし、このアンケート結果から、教員の意識についての批判だけを導き出すわけにはいかない現実がある。個人的な体験であるが、四年前に当時千葉市立の中学校二年生であった娘のPTA学年総会に出席したことがあるが、そこで学年主任に、校内暴力は家庭の教育が原因であるという話を延々とやられた。家へ帰って娘にその話をすると、「親の方は、家庭内暴力の原因は学校にあると考えているんじゃない。いい勝負じゃない」といって、ケラケラ笑っているのである。

 その三年後、つまり昨年のことであるが、小学校二年生の父親参観日に授業参観のあとの懇談会に出席したら、一〇人以上の参加者のうち父親は二人で、あとは母親ばかりであった。そこで出てきた話は、先生に対する「学校で厳しく躾をして欲しい」という母親からの注文と、母親に「落ちこぼれないように勉強を見てやって欲しい」という教師からの注文であった。

 既成の観念でみれば、学校と家庭の役割が逆転しているといわざるをえない。しかし、これは、教員や親が頭を切り換えればすむことではない。現実の学校教育のあり方と、家庭のあり方が生み出した意識である。その原因については、後でふれることにする。

 ちょうどその間の年に、つまり一昨年の暮のことであるが、従来は一中学校・一小学校で学区が編成されていたのが、他の中学校区から一小学校がこちらの中学校区に翌年四月から組み入れられることになった。

そのとき、シンナーを吸った乏見られるビニール袋が公園に散乱している(捨てられているビニール袋を見て、シンナーを吸うために使ったものかどうかなど判断できるわけがないのだが)とか、あちらの小学校には補導歴のある子が五人もいて、その子たちがこちらの中学校に進学してくるからたいへんだという噂が流され、地区の青少年育成委員会が中心となって、例の環境浄化のパトロールを始めた。実物は入手できなかったが、そのパトロールの実施マニュアルは警察からまわってきたという。そのマニュアルのなかには、おかしいと思う子を見つけたら自分たちで声をかけずに、交番に通報しようという項目渉あったという。

 千葉市では「子どもに話しかける運動」が行われているはずであり、その実施要領によれば、「わが子はもとより、他人の子どもに対しても、積極的に話しかけることを手はじめとして、子どもとともに考え、ともに悩み、〃子どもとともに、強く、明るく、生きぬいていこうとするものです」ということが運動の趣旨とされている。しかし、現実の〃運動〃は、「見つけたら一一〇番」式の監視・取締りとして展開されている。八千代市では、昨年教育委員会が、非行を見つけたら一一0番しようという「非行密告運動」を市民に呼びかけている。

 小林春光氏が、得々として述べている〃校内暴力〃〃非行〃撲滅への「完壁に近い体制」というのは、彼の発明ではない。総理府に置かれた青少年問題協議会で練り上げられた〃校内暴力〃〃非行〃対策が県の青少年問題協議会から、さらに県内各市町村の青少年問題協議会へと下りてきて、小林氏はその実践の先頭に立ったということなのである。たまたま六実中学校では、〃校内暴力〃〃非行〃が現実にあり、その鎮圧の過程を通じて、先導的役割を果す〃幸運〃に恵まれた。そのような条件のなかった私の住んでいる地区では、メチャクチャな噂を流し、警察主導で、迫力はだいぶ違うが、同じような「体制」をつくり上げている。

 六〇年代の後半に、「全国学園闘争」とか「全共闘連」とか呼ばれる大学生・高校生の〃反乱〃を経験した政府は、それまで勤労青少年に社会教育における青少年対策の重点を置いていたが、その後は「在学青少年」に重点を移してきた。高度成長による急速な都市化、労働力の流動化、資本の労働力の質に対する要求の変化、核家族化による家庭の、また地域社会における人間関係の変容などへの対応もふくめ、国の社会教育政策は、教育政策というよりは、コミュニティ攻策などの総合的な地域政策に包摂されるようになった。

すなわち、地域社会における〃教育秩序〃をいかにして確立するか、そこに在学青少年をいかにとりこんでいくかが、社会教育政策の重要な柱の一本となっていった。その結果、学校教育は地域におけるさまざまな官製〃運動〃によって包囲された。

それと同時に、PTAは、学校教育内部に根拠をもつ唯一の社会教育運動の座からすべり落ちて、現在ではほとんどの揚合、学校との関係では父兄化・後援会化し、社会的には青少年育成委員会やその他官製〃運動〃体の一構成組織になりさがっている。

 

どうして非行は撲滅された

 

 もう一度、小林春光氏が得々として語った〃非行“〃校内暴力〃撲滅「体制」を思い起していただきたい。「特に非行、暴力等を重ねている……二、三年共に男女それぞれ三十名くらい」の生徒たちに対しては、何をしたのであろうか。

 「四月早々各クラスのリーダーと問題生徒について、ひとりひとり個人調査票を提出させ、三年生から逐次個人面接を始め、全学年実施し、その後の行動の記録を、調査票に追加していきました。

 問題生徒との面接対話は、同一生徒と数十回にも及び、夜間はそれらの生徒の保護者と、校長・教頭・生徒指導主任・学年主任・担任が面談を重ねました。

学校に来られない場合は、教頭・生徒指導主任・学年主任・担任と同行し、家庭を訪問して面談を重ねました」

 ところが、その面談の内容や効果については、いくら。ハンフレットをひっくり返しても、「何も書かれていない。しかし、ルポライターの鎌田慧氏が『世界』(一九八三年四月号)に「日の丸とコンピューター松戸市の教育現場を歩くー」というルポを書いているが、それによれば、小林春光氏は〃問題生徒汐の親から「生徒(氏名)が六実中学校の校則を守れなかったり、教師及び生徒に暴力を振う行動やそれに準ずる行動をした揚合、保護者として、学校及び諸先生方のいかなる指導にも従うことを誓約いたします」という誓約書をとっていたという。

 「この誓約書を提出させられた母親はこう憤慨している。『誓約書をもらってきたので、子供に話を聞いたら、自分のいっていることを信じてもらえず、〃うそをつくな〃といって校長になぐられたといってました。これでは、教師が、子どもを力ずくで抑えつけようとしているのと同じです』(『毎日新聞』千葉版、八二年五月一五日)。」

 さらに『教育を狙う黒い潮流』(篠原裕司著・汐文社・一九八三年)によれば、〃校内暴力〃の中心的な存在は三人だったという。かれらは、八一年一〇月には、もう六実中学校にはいなかったという。「一人は、転校。もう一人は、働いている。そしてもう一人は、学校にこなくなった。……『台風の眼がいなくなった』『厄介払いが行われたようです』と、六実中の教師(非組合員)は平然というのだった。つまり、三人の生徒は完全に切り捨てられたのである」。(二八頁)

 もう一つ気になることは、校長以外の教員のことである。「ある青年教師は、小林校長をして『救世主的存在』としみじみ語ったのである。

この青年教師は、松戸市教職員組合の組合員でもあり、子どもの〃生活指導〃に熱心な教師だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小林校長は就任にあたって、『全職員が一体となること』『子どもに対して毅然たる態度をとること』を強調した。そして六実中の教師に対して『先生方は、自分の方からどんなことがあっても生徒に手を出してはいけない。手を出すときには、私がやります』といったのであった。

 そして、小林氏が、校内暴力に対して最前線に立ったのである。まず、これから教師たちは驚いた。

『前の校長は、校内暴力に対して〃先生、しっかりしてください!!と後ろから尻をたたくことしかしなかったんです。しかし小林校長は一番前に出たんですから』……」(二四頁)

 小林校長のいう全職員一体となることというのは、無条件に一体となることであって、お互いの考え方をつき合せて話し合ったりしながらということではない。主任制度のもとで、校長をはじめとする幹部教員のいうとおりに平教員が動くということである。

 この小林春光氏は、着任後三ヵ月で〃校内暴力〃を平定すると、二学期から職員会議の頭ごしに生徒会に「日の丸」を掲揚させ、同時に「君が代」を流させる。そして、朝礼のとき「君が代が流れたら直立不動の姿勢をとるように」と生徒に指示を出す。かれ.は、前任校でも生徒の前で好戦的演説をぶって組合の分会と衝突し、新聞にスッパ抜かれるなど、〃日の丸〃校長として有名であったという。

 

進度別学級編成とは何か

 

 小林春光氏は、〃校内暴力〃や〃非行〃の原因を「学習についていけない」ことにもとめる。

 学力テスト十段階の評価で@からCまでの成績の生徒に〃問題傾向生徒〃が集中しているという表をかかげ、さらに、

「現在、特殊学級に在籍する生徒は、養護学校対象の者が多く、特殊学級の数も少ないため、公立小・中学校にはそれらの対象児童生徒も在籍しており、学力の遅れが非行の原因になっている揚合が多い」と障害児は、普通学級にいることが、〃非行〃の原因となるという。

 「更に学習の進んでいる児童生徒の中にも、保護者の考えを反映して、エゴイズムで学級の中に溶け込めず、非行を犯す者もおります」と、親にまで〃道徳教育〃をやりたといような口ぶりで語る。

 「明治五年学制発布以来、特に昭和二二年、新制中学発足後、学習についていけない児童生徒がいたのは事実でありますが、家庭内暴力、校内暴力、非行が社会問題となったのは昭和四〇年代からであります。

 これはテレビ、雑誌を始め、社会事象の影響も大であるが、共働き、特に夜間勤務の母親が増加したこと等、又中学校では小・中学校で学習の遅れている子が高校入学という厚い壁に立塞がれて、不安感、劣等感にさいなまれ、毎日苦しんでいる実態から起きてくるものが多いと考えられます」

 そこで進度別学級編成を始めるのである。〃進んだ子〃と〃遅れた子〃の抱き合せ学級を全学年に三学級ずつ編成し、一学級内でニグループの指導を行なう。他の学級でも遅れる子どもが出ると予想されるので、二グループ指導を考えておく、というものである。

 「五月中旬、この教育方針について三十人程度の保護者から話し合いたい旨の申入れがあり、会合をもったが、そのいわんとするところは、この編制が差別教育ではないのか、ということであった。

 さてこの結果を持ちより、二回にわたって職員会議を開き、長時間検討した末、『今まで理解できず、退屈と不安にどうにもならなかった学習時間が、理解できるようになって張りあいが出てきた」という多くの生徒達の声を、我々は天の声と聞くべきである。『始めたからには結果がわかるまでやるべきだ』『ひと握りの保護者意見に左右されてはなちない』と、全員一致で、このまま続行することが決められたのであった。

 そこで、更に多くの保護者に理解協力を求めることの必要を痛感し、五月十三日、夜七時より、この件につき保護者会を開催したのであるが、反対意見の多くは、うちの子の成績が落ちる。差別だ……である。 生徒たちもまた、『私たちは差別されているのではない。差別されているという生徒は極く少数で、それは私たちが必ず説得する。それはむしろ、その親たちがそう言っているのではないか……。というのも、これまでの二年間、学習の妨害をしてきた友だちが、今は喜んで学習しているからだ……私たちのことは私たちが一番よく知っている。できるならば、この件について全校生徒会を開き、私たちの意見を保護者会に出させてほしい』との申入れがあったが、市教委の指導もあり、マスコミの報道も加わり、これ以上の動揺を生徒たちに与えることはこの際好ましくないという判断から、せっかくの苦心の編成を従前どおりに戻し、ひとりひとりを高める学習指導をめざして苦難の道を歩き始め、今日に至った……」

 〃校内暴力〃平定のときは、親を味方につけて子どもに勝ったが、今回は子どもが味方につくといったが、諸般の事情から矛を収めたということであろうか。だが、前出の鎌田慧氏のルポによると、だいぶ事情は違う。

 「新学期から一、二年を対象に、主要課目の成績によって生徒を1から5にランク付けして、15の生徒を組み合せたクラスを一クラス、24の生徒のクラスをニクラス、3だけのクラスを六クラス編成したのだった。

 それからどうなったか」については、『松P研』(松戸市PTA問題研究会機関紙)に詳報されている。

始業式のころから、子どもたちは『今年のクラス編成はおかしいよ』と親たちに話していた。入学当初から、4または5の生徒を廊下側に、1または2の生徒を窓際に座らせ、課題、テスト、宿題までもちがう授業をはじめていた。

 四月一五日の授業参観のあと懇談会がはじまるとき、一年一組の担任教師が「自分のお子さんの席へお座りください」と教室の後ろに立っている父母たちに声をかけた。5の生徒の親はほとんど残ったが、1の席に座っている子どもの親で残ったのはふたりだけで、それもひとりは途中で帰った。二年生の懇談会では父母たちの質問がこの問題に集中したが、『新学期が始まるまで知らなかった』という教師も出たりした。職員会議で論議されても、校長の提案にたいして積極的に反対した教師はいなかった。

 四月二五日、日曜参観のあとの全

 

(表 1)

1年@の段階  4.5% 

           10.8

  Aの段階  6.3%     合計33.8

  Bの段階  8.0

           23.0

  Cの段階  15.0

この内の問題傾向生徒34.2%

2年@の段階  1.1% 

           8.6

  Aの段階  7.5%     合計29.8

  Bの段階  8.9

           21.2

  Cの段階  12.3

この内の問題傾向生徒48.6%

3年@の段階  2.0% 

           8.0

  Aの段階  6.0%     合計41.4

  Bの段階  13.3

           33.4

  Cの段階  20.1

この内の問題傾向生徒33.8%

全学年の@の段階からCの段階までの生徒は34.4%,この内問題傾向生徒は33.8%

以上は文部省が5段階評価の分配曲線で示す

@の段階遅れている  7%

学力テスト10段階の@とA

Aの段階やや遅れている24%

学力テスト10段階のBとC

5段階評価の分配曲線を上回っているのが13年生である。

 

 

体説明会で、校長は『〃学校教育法〃にもとついたもので、落ちこぼれをなくすためだ』と説明した。生徒の差別観を助長する、との母親たちの批判にたいして、校長は『あなたのおっしゃるのは正論だ。しかし、学校教育への介入はしないでほしい」と発言した。その二目後、二年生の残っていたクラスでも席替えがおこなわれた。『なぜこんなクラスにするのか』と抗議する子どもたちに、担任は『仕方ないんだ』というだけだった。泣き出したり、教室をとびだす生徒もいた。『バカ席はどこだ』と覗きにくる生徒もいた。教室の中は優越感と劣等感に二分された。学校に行きた溺らない子や、校長の似顔絵を描いて踏みつける子どももあらわれた」

 「松P研」のレポートは、親(たぶん母親であろう)が、子どもの成績にたいへん敏感であることがよく出ている。それに対して、学校側の発想は〃落ちこぼれ〃は〃非行〃予備軍だから困るという発想に徹している。言い方を変えれば、成績の良い悪いは親や生徒個人の利害に関することであり、〃非行〃は学校の体面にかかわることであると考えられているということであろう。学校が、生徒たちを一定の秩序の中に組み入れておかないと、学習過程の効率化は図れないと考えるのは昔からである。今日のように学校が秩序の崩壊に直面したり、受験競争が激化すれば、学校と家庭の役割は簡単に逆転した方向へ動き出そうとする。

 

臨教審への大きな危惧

 

 小林春光氏は、かつて日教連という反日教組組織の県組織である千教連のメンバーだったという。〃目の丸〃〃君が代〃校長である。かれは、たいへん闘争的であることを除けば、千葉県の教育会で、それほど特異な存在ではない。個性の違いはあっても、小林氏的な校長、教頭、主任、教育委員会関係者は千葉県に多い。西の愛知と並び称される〃千葉の管理教育〃は、これらの人びとに担われている。

 臨教審も、小林氏と似たような人びとが委員になっている。したがって、そこで答申される改革・案も、小林氏が〃校内暴力〃鎮圧や進度別学級編成で示したような発想-それらの改革が学校現場におろされてくれば、必ず同じような発想で受けとめられるだろうという意味もふくめて――が出てくるであろう。

表紙へ