ポーランドの事態から学ぶこと

―現代社会主義の諸問題―

 

労働運動研究 19824月 150号 

 

 松江 澄(統一労働者党全国委員会議長)

 

 これは去る二月十四日、統一労働者党の全国党員学習会においておこなった松江澄議長の講演に若干の補正をほどこしたものである。

 

 今度のポーランド問題は実に重大な問題です。今までも「チェコ問題」などがありました。しかし、今回ほど重大な課題を国際共産主義運動に投げかけたことはありません。それは今までとはちがって、労働者の自立的組織的運動からはじまったからであるとともに、それを受けとる国際的な労働運動や共産主義運動の発展があるからだと思います。そういう意味でこれは、現代革命のもっとも重大な課題を提起しているとわたしは思っています。したがってこの問題を避けずに、しかも学習会議という形で十分討論することが必要だと

考えます。そうして重要なことは、結論として「軍政是か非か」ということでなく、ここに至る過捏を事実に即して分析し、その教訓を汲みとるなかで、わたしたちの革命はいかにあるべきか、われわれは社会主義をどのような方法で追求すべきかを学ぶべきだと思います。

 したがって日本の社会主義革命の問題と別にではなしに、日本の社会主義をめざして闘うという立場からいくつかの問題を提起したいと思います。

 

ポーランド問題の討論をすすめる立場

 

 まず最初に言っておきたいのは、わたしたちが物事をとらえる場合に例えば、社会主義は間違うはずがない、問題が起きたのはかならず帝国主義が介入しているからだ、というような先験的なイデオロギー図式から逆に事実を見るという傾向がわれわれわれ自身のなかにもある。もちろんそれに反対する傾向もある。ですからわたしたちは、そういう先験的なイデオロギー図式を自分で画いてそこから事実を見るのでなく、事実の探求から研究するということ、これが必要であると思います。

 

 帝国主義がポーランド問題を利用し、隙あらば介入しようとし、いろいろな形での圧力を加えていることは事実です。したがって大きな階級的革命的な視点に立った場合に、現代帝国主義との闘い、アメリカを中心にした帝国主義のポーランドに対する介入、干渉、あるいは直接間接の圧力に対して断固闘うという基本的な姿勢をけっして崩してはならな

い。これはまず第一の大前提です。

同時に大事なことは、だからといってポーランドにおける諸問題をそこに帰納してしまうということは、わたしは間違いだと思います。わたしたちはポーランドにおける内部の問

題について十分な検討と分析をおこない、必要な探求と批判を明らかにするなかでこそ、現代帝国主義の介入に対して闘うという立場がいっそう深められるのではないかと思います。

 ソ連とポーランでの関係についてですが、もしソ連が何らのか形で一定の圧力む何にも加えていないとしたら、これはわたしはおかしいと思う。社会主義諸国が日本共産党のいうように、ブルジョア的な民族自決という段階にとどまっているべきだというのはわたしは間違いだと思います。社会主義国同士の、ブルジョア的なものとは違った意味の階級的革命的連帯というものが当然あるべきだと思う。したがって社会主義諸国が一つの国の誤ちとその対策に対して、一定の政治的な批判あるいは支持をあたえるということは当然のことであります。ただその揚合に、当該社会主義国の内部における問題は何か。それを当該社会主義国の党や労働者階級がどう解決するか。そこに基本がなければ、その批判や支持は間違った「連帯」になる。したがって重要なことは、「民族自決」ではなく、その国の労働者階級の自主的自立的指導性ということです。

今回の場合に主要なのは外因ではなくて内因です。ポーランドの内部です。決定的にはポーランド内部において、事態はどうなっていたのか、どこに問題があったのか、それがどう変化していったのか、今後どのように進むのか、ここのところが一番中心的な課題であると考えます。

 以上の点を最初に申し上げて、今からいくつかの問題について提起したいと思います。

 

ポーランドの歴史的発展と問題点

 ポーランド民族の歴史

 

 第一に、ポーランド民族の歴史について概括的にでもつかんでおく必要があると思います。といって、わたしは詳しく述べている余裕はありません。ただ、社会主義になる以前

からポーランドは、諸列強のなかに位置してしばしば分割されたり、民族的な独立を失ったりしたことは、皆さんもよく知っているとおりです。ポーランド国民が、そういう数度の民族的な危機とそれに対する国民的な闘争から生まれた高い民族的な感情を持っていることは、どんな場合にもわたしたちは十分知っておかなければなりません。

 二つ目には、ポーランドは早くから知的、文化的な、そして宗教的な伝統を持っていたということです。

おそらく若い人が誰でも知っている三人の有名な人がいます。物理学者のコペルニクス。コペルニクス的転回というのは現代物理学を切り開いた基礎になっている重要な理論です。そうしてキューリー夫人。もう一人は音楽好きなら誰でも知っているショパン。これらはいずれもポーランド人です。それから有名なピアニストで後に大統領になったパデレフスキーなど、すぐれた物理学者、音楽家、科学者を生んでいます。そぅいう点ではポーランドにおける知的文化的伝統は長い歴史をもっている。現在でもポーランドの文学は非常にすぐれたものがあります。わたしは音楽が好きですが、ポーランドでは他の東欧諸国に比べて新しい音楽的創造がたえずおこなわれています。演劇もそうです。そういう点もわたしたちは十分知っておく必要がある。それからポーランドでは九十数パーセントがカトリック信者である。これは日本における仏教とは違った意味で、重視しなければなりません。日本の仏教は生活を律するようなことはありませんが、ここでは少なくとも生活の規範の一つになっている。そのカトリック教徒が共産党員も含めて国民の九十数パーセントにおよんでいる。また革命運動についていうならば、ポーランドで生れドイツで活動した不屈の革命家でありすぐれた理論家でもあるローザ・ルクセンブルグらがいたが、このすぐれた伝統はかならずしも戦後の党には蓄積されていなかった。

 三つ目にこうしたすぐれた知的文化的伝統にもかかわらず、社会的経済的発展が非常に遅れていた。とくに農業は小経営の個人農が圧倒的な多数です。現在でも、集団化されたのはごく一部分にしかすぎません。ほとんどの農業生産を荷なっているのは零細な個人農です。とくに北部では、こうした農民の息子たちが若い労働者として、職後急速に発展した工揚で働いている。だから労働者の階級形成においてもおくれています。南部においては鉱山その他の、かなり古くからの労働者が多かったが、北部の、今回の事件の中心になったところでは青年労働者の三割ぐらいの父親は今でも畑仕事をしている個人農です。重い個人農の存在とあわせて労働者形成のおくれ。そして工業的にいえば弱い遅れた工業。

グダニスクはかつてのダンチッヒだが、ドイツが敗北と同時に施設をひき上げてから後、急速に造船部門に大投資をすることになり、世界でも有数の造船国になったが、歴史的にいえば十分な成長を遂げていないという弱さがあります。

 

 ポーランドの社会主義革命

 

 戦後におけるポーランドの社会主義革命ですが、これは皆もよく知っているように第二次大戦末期における国内レジスタンスの闘い、『地下水道』の映画でも見られたような闘いと赤軍の直接的な支援、とりわけ赤軍の圧倒的な援助のなかで戦後最初の労働者人民を中心にした政府ができました。そして、当初の革命の性格は人民民主主義革命です。人民の手によって封建的な地主制度を壊し、民族を完全に解放する、人民の手によって民主主義を実現するという人民民主主義革命です。これは東ヨーロッパ諸国では同じような過程をたどったが、ポーランドもこの人民民主主義革命を経て一九四〇年代の終りに社会主義に到達しました。

 その後、いくつかの重要な問題でいろいろな停滞を重ねなければならなかったのです。四〇年代から五〇年代にかけて、東ヨーロッパ全体、とくにポーランドは隣国ということもあってスターリン主義の影響が非常に強かった。そして、それに対するいろいろな抵抗があり、六〇年代にはゴムルカの復帰によって、一時期は自立的な社会主義への道を歩みはじめるが、またもやゴムルカの誤った指導のもとで、それに対する抵抗運動が起り、ゴムルカ退陣後代わったギエレクの七〇年代についてもいくたびか暴動化した労働者デモが起こった。このように、社会主義になってからも間違った指導とそれに対する自然発生的な抵抗が、他の東欧諸国以上に何度もくり返されたということをわたしたちは重要な過程としてとらえておく必要があると思います。

 それ以後の問題について、経過は新聞・雑誌・書籍などで読んでおられるだろうから、わたしは詳しく言いません。ただわたしは、八○年夏以後について節目ごとに三つの問題を提起したいのです。

 

一九八○年夏以後のポーランド

 

 第一は、「グダニスク政労合意」とは何であるか。わたしはこれを社会主義と前衛党という形でとらえて提起したい。第二は、労組「連帯」とストライキの問題、これをわたしは社会主義と労働組合という視点から見てみたい。第三は、救国軍事評議会による「軍政」と戒厳令、この問題を社会主義と軍隊、あるいは社会主義と国家という視点からとらえてみたい。この三つを重要な節としてとらえていくことが重要な課題ではないかと考えます。

 

 グダニクスの政労合意

 

 第一の問題は、グダニスクで二一項目の協定が政府と「連帯」 の間で結ばれた。そうしてこの協定からすべてが出発したと思います。これは政府とストライキ委員会とが協定を結んだだけだ、ということで簡単に片づけるべきでないと、わたしは思います。ポーランドにおける労働者階級の目的意識的な運動の組織は統一労働者党です。しかしそれが、ポーランドにおける自然発生的な労働者の運動の組織としての連合ストライキ委員会と公然と対立し、公然と和解して、いわば社会的な契約を結んだ。社会自衛委員会、クーロンなどの影響もあったでしょう。しかし八○年からはじまるいろいろな「連帯」の諸問題を、クーロンらの指導に塗りつぶして、ひきまわされたと見るのは誤っていると思います。思しかに彼らの存在があったことは周違いないし、それが影響を持っていることも事実です。しかし、一〇〇○万の労働者をひきまわすカは持っていなかったのです。そういう意味で、労働者階級の自然発生的な運動の組織である連合ストライキ委員会と、政府とはいいながら事実上は労働者階級の目的意識的な運動の組織である統一労働者党、これが公然と対立し、公然と和解して協定を結んだ。向うでは暗黙のうちに社会契約と呼ばれていた。これは重要なことだと思います。指導的前衛党としてのポーランド統一労働者党にたいして批判や抵抗は今まで何回もあったわけです。しかしこの度、唯一絶対で先験的に無謬な前衛党「神話」とでもいうべきものが、公然と崩壊した。そして労働者階級の前衛党が、労働者階級の自然発生的な運動の組織とある種の約束をしなければならないという事態が生まれた。今までいろいろ下からの抵抗はありましたが、こうした公然とした約束を認しあう、しかもそれが協定という形であらわれるということは、社会主義国でかつてなかったことだとわたしは思います。

 本来ならそれは、すべて「前衛党」が先取りをしてその計画を実行すべきものであった「はず」です。労働者階級の自然発生性と目的意識性は党において統一されている「はず」であった。それがここでは公然と対立し、公然と和解し、公然と協定を結んだ。そこにわたしは重要な問題があると思います。マルクス主義としていえば、前衛党は先験的に無謬であるはずがない。むしろしばしば誤ちを犯す、政策の失敗もやる。それは当然です。そうした接合に、それを正していくフイードバック装置が必要なのです。それは党と大衆との結合以外にはないとわたしは思います。しかもそれは、いつも結合しているものではなく、絶えず結合の努力をしながらも常に離れがちである。そうして離れるたびに開かれた批判と自己批判を通じて、再び結びつけていくような、そういうフイードバック装置がなけれぼならないのです。党が主人公なのではなく、労働者階級それ自体が主人公でなくてはなりません。党あっての労働者ではなく、労働者があっての党なのです。

 若い諸君は読んでいるかどうか知りませんが、レーニンは『左翼小児病』のなかで、革命的規律はいかにして守られるか、という問題について、有名な三つの定義をしています。その一つは、革命的な忠誠心。

二つ目には、いつでも大衆と結合できる能力ということを強調しています。意志だけではない能力、わたしはこれは非常に重要ではないかと思います。根性だとか党派性ということも大事ですが、それだけではない。そうして根性や党派性をつくりあげるのにも能力というものが非常に重要である。能力がない場合にしばしばセクト主義におちいり、しばしば官僚主義におちいる。十分な能力のない者が高い部署につくと官僚主義になりがちだし、敵と闘う場合でも大衆と結合しうる能力がない場合にセクト主義になり、敵でない者を敵にまわしたりすることがある。

したがって大衆と結合できる能力を持つことを、レーニンが二番目にあげているのは重要な指摘だと思います。

三つ目に彼があげているのは、正確な方針です。以上の三点は前衛党の原則的な資質ではないかと思います。しかもそれは先験的に、マルクス・レーニン主義の党だから自然に備わってくるものではない。現実の運動の過程のなかで、しばしば誤ちを犯しながら、開かれた批判と自己批判を通じて創られていくという基本的には大衆との結合のなかではじめて実現される。そういうことを忘れて、おれは前衛党だからおれの言うことは正しいのだというふうに独善的で閉鎖的になってしまった時に、取返しのつかない大きな誤ちを犯すことになるのです。

 われわれは日本の社会主義革命の場合、とくに発達した資本主義国における革命として、労働者階級が主人公になるという立場から、職場における労働者のヘゲモニーをかちとるために闘いつつ、それを基礎にして権力を奪取し、以後、この闘いの継続的発展によって労働者階級が主人公として革命後の政治と経済に対する指導的で決定的なカを持つという展望を提起しました。

 その湯合に、労働者階級とほ何を指すかということが大切です。労働者階級といってしまうと、本質をいっているのだけれども非常に抽象的です。こうして抽象化してしまうと抽象的な労働者階級を代表しているのはわが党しかない、という形のなかで、無謬の「前衛党」が合理化される。わたしは、労働者階級というものは、分節したいろいろな運動、いろいろな組織の複合的な総体であり、それを前衛党が結合しながら、いっしょにどう作りあげていくかというところにこそ、労働者階級のへゲモニーという問題があると思います。その場合、党は絶対的な指揮者ではなく、その調節者であり組織者でなければなりません。例えば労働組合もその一つで、すべてではない。社会主義になった場合に、労働組合も当然あるだろうし、青年組織もあればいろいろな組織がある。こうした具体的な諸団体、諸運動からさまざまな意見が提起されて相互に討論され、それが大衆と不断に結合した党を中心に練りあわされるなかで、本当の労働者階級自身の意志というものが結実してくる。そこに労働者階級のヘゲモニーが生まれる。

そういうものをみな無視して、抽象的な労働者楷級という概念におきかえてしまうと、それを体現するのはわが党だけであるという過信、無謬性の過信におちいるのだと思います。

 そういう意味で、「グダニスク政労合意」という問題の提起のなかでわれわれ自身の教訓もふくめて十分学ぶ必要があるのではないかと思います。

 

 労組「連帯」とストライキ

 

 第二点は、労働組合「連帯」とストライキの問題です。

 社会主義における労働組合の役割は何かという問題は、いつか『労働者新聞』に東京の同志がレーニンを引用して書いていました。レーニンは「労働組合は共産主義の学校だ」といっています。これを資本主義のなかでも「共産主義の学校だ」という間違ったとらえ方が一部にあります。そこから労働組合を共産主義運動のための組織にしてしまった赤色労働組合主義的な傾向も生まれたわけですが、レーニンはプロレタリア裁下の労働組合は「共産主義の学校」だといったのです。そこで重要なことは、これは党の側から目的意識的に提起しているのであって、労働組合に参加している労働者は、共産主義の学校と思って参加しているわけではない。事実と運動のなかから共産主義の学校にしなければならぬ、しかし、そこに集まっている労働者は、決して共産主義者ばかりでもないし、ある場合には古い思想を持った労働者もいるわけです。社会主義下の労働組合だからといって、全部が社会主義を理解し共産主義を理解し、そのために囲うという思想で組織されているわけではない。たくさんそうでない労働者はいる。ましてポーランドの場合、戦後生れ、戦後育ちの若い労働者が圧倒的に多い。したがってそれを「共産主義の学校」にしていくためには、不断の大変な努力がなければならない。これは日本の場合だってそうです。日本で権力を取って社会主義に移行していった場合に、労働組合員に「君たちは社会主義下の労働組合なんだから、共産主義の学校のメンバーであるべきだ」といくら頭からきめつけてもどうなるものでもない。まさにそうなるように、党員が大衆とともに活動しながら事実と運動のなかで変えていかなければならないと、わたしは思います。レーニンはそういう意味で提起しているのだと思います。しかし、スターリンは言葉の上ではそうではないが、事実上は労働組合を党の道具にしてしまった。レーニンが厳しく批判していたのとは反対に、スターリンは労働組合に党の決定の承認を上から迫った。労働組合を党の外郭組織としてあつかった。それは、東欧諸国にも悪い影響をあたえています。

 この項でとくに強調したいのは、党と労働組合の関係です。資本主義=ブルジョア独裁から、社会主義=プロレタリア独裁に転化していった場合に、社会の質は根本的に変わるわけです。にもかかわらず、党と労働組合との関係は基本的には変らないと思います。資本主義下の労働組合の湯合には、階級闘争の学校として党が労働組合のなかで組合員と結びついて不断の活動をしながら、権力の奪取から革命に向う自立的な意志と力を汲み出し組織していかなければならないと同じように、社会主義下の労働組合のなかで党員は、大衆と結合して労働者の権利を守りながら不断に社会主義革命の成功と共産主義への発展のために労働者とともに運動をすすめなければなりません。「連帯」の労働者のなかの一割に近い一〇〇万人の労働者が党員だった。この人びとが「連帯」のなかでどのように発言していたのか、活動をしていたのか、これは非常に問題であると思います。そうしてとくにそれを指導したはずの党指導部が問題です。

 そのように、党と労働組合の関係は、資本主義と社会主義とでは質は違うけれども基本的な党と大衆組織の関係としては同じであり、われわれとしても教訓を学びとる必要があると思います。

 それから、ストライキはたしかに行き過ぎた面があったと思いますがはじめてストライキという権利を獲得した若い未熟な労働者、とくに青年労働者がストライキという武器をやたらとふりまわしたことは事実です。しかし、あれを社会自衛委員会のクーロンたちが煽動してやらせたとかいうとらえ方は間違っていると思います。むしろ逆で、クーロンたち社会自衛委員会のメンバーは、非常にたくみに戦術的に対応して、あまりストライキをふりまわすな、やりすぎるとやられてしまうぞと警告をしていた。むしろ、ストライキをあおりあげ、最後には政府の支持を国民投票に問う、そういう先まですすんでいったのは、誰か特定のメンバーがフラクションをやって動かしたというよりも、たとえそういうことがあったとしても、そのエネルギーは未熟な、しかし真剣な青年労働者大衆の自然発生的な高まりのなかから生まれたのです。それは革命後三五年経った今なお一〇〇〇万の労働者が、国の経済をつぶすほどのストライキの連発をしてでも批判しなければならなかった党と政府への不信があるということです。ここで責任を問うとすれば、それは「連帯」や労働者ではなく、まさに党であり、政府でなければなりません。

 

 戒鹿令と軍政−   社会主義と軍隊

 

 それから第三番目は戒厳令下の「軍政」の問題です。ここで改めてわたしが確認しなければならないと思うのは、資本主義の国家でも社会主義の国家でも、国家においては変わりはないという、あたり前な原則であります。国家と軍隊はどんな場合にも支配する階級の支配の道具であり、装置である。資本主義の場合にはブルジョアジーがプロレタリアートや人民を支配し、おさえつけるための道具でありその装置である。

社会主義の場合にはプロレタリアートがブルジョアジーまたはその影響下にある者に対して弾圧を加え、支配し、あるいはたくみに同意を組織するための装置であり、もう一つは帝国主義に対する社会主義防衛のための闘いの武器である、というふうにわたしは考えています。したがって、社会主義の国家が本来死滅に向うという点を除いては、国家というものに変わりはない。しかしまたもう一つの側面を見おとしてはならないと思います。それは、国家というものはレーニンもいっているように階級のなかから生まれ、ますます階級から自らを疎外していくものであります。だから国家は、外見的には一定の中立性を持っているように見える。この疎外はけっして幻想でもないし、また単なる観念でもなく、しばしば現実のものとなる。それは権力の危機あるいは権力の交替に際してあらわれることを歴史は教えています。しかし本質は階級独裁の武器である。この階級的本質と階級疎外形態とは本質と形態として常に国家に内包されている矛盾であり、そこに国家としての存在があると私は思います。その国家のもっとも国家的なものが軍隊です。資本主義の場合には、いろいろな緻密な文化的な手段をふくめて網の目のような組織で被い、強制だけでなく同意を組織しつつ支配をしているが、最後的にブルジョア国家が危殆に瀕した時に出てくるのはやはり軍隊であり、警察であります。これは武装装置であり、まさに国家の国家である本質的なものは、そこにあります。

 今回のポーランドの場合、それが出てきている。これをどう理解すべきであるか。わたしは、さっきいったように、国家は階級のなかから本来生まれている、例えば、ポーランドの国家と軍隊は、ポーランドにおけるプロレタリアート独裁の武器であった。しかし、階級のなかから生まれながら、ますます自己を階級から疎外する。まさにこうした疎外形態として出てきているのが、今度の「軍政」ではないかと、わたしは思います。労働者階級の自然発生的な運動と目的意識的な運動、「連帯」と党が対立している。党自身が崩壊の危機にある。といって「連帯」はたとえ政治運動化しても政治組織ではない。基本的には党の立場に立ちながら、事実上は党と「連帯」のいずれに対しても相対的な独立性を持った権力。本来は階級のなかから生まれてきたけれども、階級から自己疎外している国家そのもののもっとも国家的なものとして出てきた権力。したがってこれはきわめて臨時的で例外的な権力であると思います。

 社会主義としては本来そういうことはあるべきではない。社会主義の軍隊の銃は労働者や民衆に向けられるべきではない。あるべきではないが、事実こういう事態が生まれてきている。それは、片や「連帯」に対して「連帯」 の左派を弾圧すると同時に、党の右派も弾圧するということのなかに示されている。わたしは今のヤルゼルスキ「軍政」を、単純に彼が第一書記であるから、党自身の指導にもとづいたものというふうにとらえるべきではないと思います。党自身が大衆から不信を買い、組織的には崩壊とはいかないまでもそれに近い状態にある党に対して、また青年労働者の自然発生的な高まりによる、しばしば行き過ぎた行動に対して、両者に対して支配力を持った臨時的で緊急な権力、ある種の階級の疎外形態として突き出ているのが、現在のヤルゼルスキの「軍政」ではないかと思います。

 したがって、こうした事態は一日も早くなくされるべきだとわたしは思うが、これをなくすことは大変な仕事です。そこにはまず、本当の意味で大衆と結合しうる党を再建しなければならないし、また今の経済危機を切り抜けるために正確な方針も持たなければならない。そうして重要なのは「連帯」が突き出した課題を、どうして社会主義再生のエネルギーにしていくのかということです。

 ただここで、残念に思うのは、一九八○年夏以来ふき出した労働者の運動、おしきせではない自然発生的なエネルギーがおさえつけられたことです。改革はつづける、八○年夏から昔に戻ることはない、といいながら、それを突き出してきた主体的で自立的な運動、そこには多くの誤ちをふくみながら社会主義の再生に向うもっとも大切なものをはらんでいたのに、それ自体が挫折させられた傷み、傷の探さというものは簡単に回復はできないであろうと思います。それが今後の一番の問題ではなかろうかと思います。大切なことはどれだけ改革したかという結果ではなく、どんな方法でどんな過程でそれを進めるのかということなのです。そこに「労働者階級が主人公」というなかみがあり、それが現代社会主義に問われているのです。したがって伝えられるように、簡単に軍政の解消というわけにはいかないのではないか。いまの事態のなかにはあまりにもたくさんの問題がふくまれていると思います。

 

事態を生んだ原因はどこにあるか

 

 以上、三つの問題にかぎってわたしなりの問題提起をしましたが、こうした事態を生んだ原因はどこにあったかについて、簡単にわたしの見解をお話したい。

 

 社会的歴史的条件

 

一つは、客観的歴史的な条件です。日本のように資本主義が高度に発達して国家独占資本主義の極点にまで達している資本主義の発展と成熟は、客観的には社会主義の前夜である。経済的には社会主義に移行する物質的基礎を客観的に準備しているそれだけではなく、爛熟したブルジョア民主主義、しかもこれがふたたび奪い返されようとすることに対する闘い、民主主義を守りさらに徹底しょうとする労働者人民の闘争を通じる訓練のなかで、社会主義へ移行する社会的思想的な基礎を準備するものだとわたしは思っています。

 しかし、ポーランドをふくめて、かならずしも社会的経済的に資本主義が十分発展していないところ、そういうところでしばしば社会主義革命が起こつたことも事実であります。これはわたしは当然だと思う。

なぜならば、社会主義革命は経済革命ではなく、まず政治的な闘争として権力の奪取からはじまる。発達した資本主義国の塘合には、非常に緻密な文化的なものをふくめた支配の網の目に被われて、容易に反乱を許さない。完全に上から同意を取りつけつつ、いざという場合には強権のカで抑えていく。しかし、中進もしくは後進的な、資本主義の十分成熟していないところでは、支配もまた今日の日本ほど緻密ではない。そこには荒々しい矛盾が表面化しやすい条件のなかで、政治的な対立がいっそう激化する。そういうなかで資本主義が成熟していないからといって革命を待ってはいられない。当然そこでは権力奪取の闘いがはじまる。

そして社会主義に移行する。そういう場合には、ひゆ的にいえば、資本主義が準備をし残した問題と社会主義建設の問題という二重の任務をあわせて解決しなければならないという、非常に困難な任務をその国の労働者階級は背負うことになる、とわたしは思います。それは、経済的な基盤だけでなく、十分に成熟したブルジョア民主主義のなかで、民主主義というものを知り、同時に民主主義を守るために支配階級と闘い、さらに民主主義を徹底する闘いの過程で権力を奪取していくという経験を持たないままで、社会主義を準備することになるからです。社会主義とは、ある意味で″徹底した民主主義″だと思う。そういう意味で、民主主義の訓練と闘争で社会主義への思想的・社会的準備をし切らないままで社会主義=労働者権力と生産手段の国有化にすすんだ場合、そこにしばしば誤りを犯しがちないろいろな問題が出てくると、わたしは思います。例えば、物質的基礎のおくれを急いでとりもどすために生産力の引き上げに集中して、計画と管理、生産と労働における民主主義をないがしろにすることです。「自主管理」の要求とはこのことだと思います。

 こうした諸問題は世界革命の世界史的な発展過程における過波期と不可分に結びついた一国における社会主義革命の過濠期が生んだ課題であると思います。

 大きな意味でいえば、一方で、日本のような独占資本主義が十分に成熟し、客観的には社会主義の準備はできすぎるくらいできていながらそれを生み出すことができず、そのためにも民主主義の徹底をめざして闘っている。他方では、客観的諸条件はまだ十分成熟してはいなかったけれども、実際には社会主義が人民の力で生み出され、その社会主義のなかで民主主義の徹底をどう実現するのかを苦労している。いずれも大きな歴史の流れからいえば、資本主義から社会主義、社会主義から共産主義にいたる世界的な革命の発展過程のなかで、おそかれ早かれ避けることのできない民主主義の徹底を通じる真の社会主義の実現という課題がいまわれわれの前に大きく提起されてきているのではないか。

 

東欧におけるスターリン主義

 

 もう一つ、今回のような問題を生みだす主体的な条件―もちろんそういう条件があるからいつも必ずそうなるとはかぎりませんが―としてスターリン主義の影響は非常に強かったと思います。このことを避けて語るとしたら、わたしは間違いだと思います。スターリン主義とは官僚主義から生まれるが、個々の官僚主義の問題ではない。いわばイデオロギーとしてのスターリン主義です。生産力が十分発展していない状態のなかで、急いで生産力をひき上げようとするため集中管理と中央集権を強化しなければならないというところから、たしかに官僚主義が生まれてきますが、同時にそれは、十分成熟していない労働者級階を代行する「党」として無謬の「前衛党」がつくり上げられ、それが絶対化される。こうした党の絶対化とでもいうようなイデオロギーです。それはまた絶対化された党への「同化」によってのみ分与される絶対的な権威とそのヒエラルキーでもあるのです。

それはさきに述べた労働者階級の抽象的概念化によって生まれるエリート代行主義でもあります。これがはたした役割というものは非常に大きな問題がある。ポーランドの揚合にもそれは例外ではない。今日のポーランドにおけるかつての四〇年代の終りから五〇年代にかけてのスターリン主義の残した諸問題、その爪跡、その克服がしばしば行き過ぎた克服になることもありうるし、それをまた依然として温存していこうとする党官僚も残っている。そういう状態が今回の問題に大きな影をおとしていることを、忘れてはならないと思います。それはある意味で、スターリン主義克服の過程における曲折であり、その成功と挫折の過程ともいえるのではないでしょうか。

 最後に申し上げたいのは、最初に帝国主義との闘いが大前提であるが同時にそれにすべてを解消してはならないといいましたが、スターリン主義の問題が論ぜられて、すべてをそこに帰してしまうことも間違いです。スターリンの時代にも帝国主義と闘って第二次大戦に勝利した。あの時にスターリンが、ナチが攻めてくることを容易に信じないで、そのためにまずかったという批判もあります。が、一方において残虐な断罪をしながら、同時に帝国主義に対して願って勝利をおさめたのは、矛盾ではあるが、矛盾なしに世界の歴史は進行するわけではない。帝国主義に対する闘いとその勝利という問題と、にもかかわらず内部に持っていたスターリン主義という重大な誤ちの問題を、相互に解消することは間違いだと思います。わたしたちは、帝国主義と闘いながらスターリン主義の残したものを、社会主義をめざして闘っていくなかで克服しなければならないと思います。

 わたしは、ポーランド問題をめぐるいくつかの教訓をのべましたが、前衛党とは一体いかなるものか、労働者階級が主人公というのはどういうものであるのか、あるいは社会主義下の労働組合とはいかにあるべきか、とくに党と労働組合の関係はプロレタリア独裁下においてどうなければならないか。あるいは国家本来の役割について若干ですが提起しました。これを今日の日本共産党の出している考え方と重ねあわせて見た時に、彼らの誤りは明確になるでしよう。彼らは資本主義の今日において、階級闘争と革命闘争のなかで依然として前衛党は無謬なりという態度を変えていません。そしてわが党こそは労働者階級のすべてである、と称しています。そして労働組合は党のいいつけを聞くのがもっともよい労働組合であるといっているのです。これは、ポーランドから学ぶ場合に重要な反面教師であると思います。わたしたちはそれを目の前にみながら、それを他山の石としてポーランドの今回の問題から教訓を学ぶことが重要であると思います。これから先どうなるかは、ポーランドの労働者階級と党が責任をもって解決すべき問題です。わたしたちはポーランドにおける社会主義の再生と発展を支持しなければならないし、これに介入するどんな帝国主義的な攻撃に対しても断固闘わなければなりません。

 しかし、どうするかという問題はポーランドの労働者階級と党が決定する問題です。彼らはおそらくポーランド人のやり方で解決するに違いないが、こういう事態になったことは解決の時間を長びかせることになるのではないかと懸念するのであります。しかし恐らく間違いないことは、ポーランドの労働者階級は、たとえ時間がかかってもきっと見事にやり直すだろうということです。そうしなければ真の社会主義−共産主義の道に進み入ることはできないからです。