「市民会議」の結成と新しい住民運動の展開

    労働運動研究 昭和47年51日 No.31号

松江 澄

 広島ではここ十年来、住民運動の新たな展開について追求し、とくに住民自治の運動論と組織論について探求してきた。最近結成された「市民会議」もその試みの一つであり、すでに活動も開始しているので、その実態と経過、性格と展望について紹介しながら住民運動の新しい展開について検討したい。

 

一 広島における住民運動の現状――とくに「市民会議」参加の諸組織について――

 

 このたび「市民会議」結成を決めた諸組織は、地域別、要求別の運動体十数組織と、その他の小規模運動グループおよび個人である。そこで、「市民会議」の中心になっている諸組織の運動の状況がどんなものかを明らかにすることは、「市民会議」が決してこれら諸組織の上部ではなく連帯機関である上からも重要である。

(1)広島市土地区画整理民主化同盟

 原爆によって破壊された広島市の再建を、零細土地所有者から土地とり上げでまかなおうとした広島市の区画整理と都市計画に反対して立ち上がった人々の集団で、市長と数度にわたるマンモス団交を行なうとともに、三〇〇人の書名で自治法による監査請求を行ない、広島市ではじめて監査委員の公開審理を行なわせた。この請求が却下されると直ちに住民訴訟をおこし現在法廷闘争中で、また市長団交でかちとった不正・不合理の調査委員会をひらかせて鋭く追求したが、これを恐れた市当局は、この三月中旬、今までの約束を反古にしてこの委員会の開催拒否を通告し、同盟の烈しい怒りを買っている。

(2)大久野島毒ガス障害徴用者協議会

 戦時中、広島県竹原市沖の大久野島でひそかに行なっていた毒ガス製造の工場に、当時十七―十八歳で徴用され憲兵の監視下で働かされ今なお毒ガス症になやむ人々の集団で、四年前から全県被害者の先頭に立って被爆者並みの援護を要求して、国、県と闘ってきた。その結果昨年ようやく呼吸器症患にのみ適用する医療手帖が交付されることになったが、併発症があるため無料にならず、その後も国と交渉したがラチが明かないので、現在、広島青法協弁護団と協議して行政訴訟の準備をすすめている。

(3)基町地区住宅建設促進同盟連合会

 いわゆる「原爆スラム」と呼ばれている地区で、水は悪く、度重なる火災で危険にさらされていた中で、九年前から組織づくりと調査をはじめ、住宅建設を要求して国、県、市と集団交渉、公開集会等で運動してきた三〇〇世帯の組織である。こうした長年の運動の結果、県市はようやく要求を入れ一昨年から住宅建設を開始し、現在では基町全域を含む三千戸の高層アパートを五ヵ年計画で建設中である。(労研「地歩自治か住民自治か」)

 昨年最初の入居がはじまったが、七、八千円の家賃に反対し、実力拒否の闘いをかけた交渉の後、エレべーター代等についての再検討を確約させて第一陣が入居し、ひきつづいて家賃、店舗について交渉中である。

(4)森永砒素ミルク中毒の子供を守る会

 全国に問題となった「守る会」の中で、岡山とともに二〇〇〇人という全国最大の被害児を持つ広島県の組織として、森永と闘うとともに、ここ数年来県に対して精密な追跡調査の実施を要求しつづけてきた。その結果、県は四十七年当初予算でようやく二〇〇万円の準備費を組み、今年七月実施を目標に検診の予算化と準備体制をすすめているが、これは、国の指定した岡山県を除けば、京都、大阪につづいて全国で第三番目の検診となる。しかし、「誰が、どんな方法で」検診を行なうかは今からであり、現在、最も重大な局面に直面している。

5)知恩保育園存続対策委員会

 市内の私立知恩保育園の廃園に対して立ち上がった若い母親、父親の組織で、六千名の署名を背景に市と数度にわたる集団交渉を行い、この二月、ついに四十七年度から前例のない公立移営を決定させ、四十八年度には新園舎の建設をすることを約束させた。これは婦人労働が進む中で、戦後公立の肩代わりをさせられながら公私の財政格差がはげしく、園舎が老朽化する私立保育園、および僅かの補助で依然としてお茶をにごそうとする保育行政の矛盾をついた母親パワーの闘いとして大きな影響をあたえた。

 現在、ひきつづいて園舎の整備と新園舎の建設を監視するため、建設促進委員会と名称をかえて運動を継続している。

6)草津漁民組合

 十年前、大闘争になった太田川改修補償闘争で中心となった零細漁民の集団で、その後漁協ボスから漁協加入を拒否され、別に漁民組合として組織し今日に至ったもので、今回の草津沖埋め立ての補償からもはずされたため、現在、正当な権利の補償を要求して闘っている。

(7)草津漁業補償公正配分同盟

 草津沖七〇万坪埋め立てのため昨年一月約二〇〇名の単協組合員に対して二〇億三千万円の補償(全額で約百億円)が決まったが、これには市長選前の政治的取引の疑惑が強く、配分に当たっても市と結托した漁協幹部が強引に勝手な配分を押しつけて利益をはかっていた。これに対して批判的な活動家が結集し、約半数の書名をもって同盟を組織し、総会で闘うとともに市を追求し、起工式に対する実力阻止の闘いによって同盟を含む構成配分の委員会設置を約束させた。

 この間、配分委員長が逮捕され、現在検察庁によって六三〇〇万円の背任と不正配分が認定され、二〇億円の再配分が問題となっている。一方市議会では山口議員(労働者党)によって二〇億円の支払内訳が追求されたが、市がこれを拒否したので、同盟や市民会議グループが中心となって、三月二十五日市当局に自治法にもとづく監査請求を提出している。

8)生活と権利を守る市民の会己斐支部

 伊藤忠の団地造成にからみ、住民不在の危険な高架道路をしかも違法に取りつけようとしたのを摘発し、県に迫って工事中止命令を出させるとともに、県、市、伊藤忠を呼んで公開住民集会をひらき、住民の同意なしに工事の再開をさせぬことを確約させた。また民間ディベロッパー無政府的な団地開発と、通学路さえ奪われている道路との矛盾をついて資本負担による新道路建設と団地開発の取締りをきびしく要求した。

 その後、大衆運動を土台に県、市両面に対する行政闘争を進めた結果、新道路計画の約束をとりつけるとともに、二月下旬取付位置の変更と危険家屋の移転補償を伊藤忠に認めさせ、約半年間つづいた工事中止の後ようやく解決した。また県高架道路建設に伴う家屋の破壊を住民要求で補償させるなど幅広い活動を進めながら、己斐住民の先頭に立って闘っている。

(9)庚午市民会議

 この十年間、国道を中心とした区画整理闘争、洪水予防闘争、学校建設闘争、バス料金値上反対闘争等の連続闘争(労研第九号「地方自治か住民自治か」)を闘ってきた庚午の活動家を中心にした集団で、こんど町内会とは別に庚午地区の市民会議を結成し、町民集会にひきつづいて現空港への大型ジェット機乗り入れ反対闘争などをすすめている。

10)魚カス公害対策協議会

 草津南町にある魚カス工場から出る異常な悪臭公害に対し、すでに三年にわたって闘いつづけ、その間会社と公害防止協定を結んで撤去を確約させた。しかし、撤去に要する営業補償に県・市が応ぜず、市が告発した裁判のこともあって数回にわたる県・市を相手にした交渉も進展せず、やがて迎える悪臭「夏の陣」を前に大胆な大衆闘争の準備をすすめている。この問題は、大資本に甘く零細企業に冷淡な県・市の公害防止政策に対する住民と零細企業の共同の闘いとして注目されている。

11)広島地区公共料金対策協議会

 一昨年、バス料金の一斉値上げに反対して立ち上がった庚午、新庄、温品など各地域の人々で組織されたもので、公共料金値上げ冷淡な県に迫り、広島ではじめて県の主催する料金値上げ公聴会を開かせた。その後、料金値上について国と交渉したが、公聴会主義をとりながら利用者は利害関係人でないとつっぱねる国・運輸省の態度に怒り、昨年運輸大臣を相手に行政訴訟をおこし現在法廷闘争中である。

 昨年はまた、再度の料金値上げに反対して立ち上がった消費者協会、主婦協、「府中町広電に反省を求める会」等にも呼びかけ、共同で公聴会をひらかせ、運輸局、各バス会社代表と公開で対決し、今後の公聴会開催を定着させることに成功し、ひきつづいて今年の一斉値上げに反対する運動を準備中である。

12)管理理容師制度対策協議会

 一昨年議員立法で理美容師法を改悪し、従来国家試験のみでとれた営業資格を、知事の指定した講習会に出席した者が得る管理理容師の資格がなければ常時二人以上働く店はひらけず、この資格の無い店に対しては四十六年十二月末日限りで営業閉鎖命令を出すということになった。これを憲法違反として現在法廷闘争をすすめている全国対策協議会の一環として広島でも活動家によって対策協議会が組織されたが、昨年県の指導する講習会をめぐって徹夜の集団交渉をつづけた後ハンストに入り、連日の大衆動員で警察の介入にも負けずに闘い、ついにハンスト四日目に要求を貫徹し、県美容組合を講習会主催団体から脱退させ、すでにとっていた講習会費を県から返還させ、全国の先頭に立って闘った。

 その後、昨年末、この悪法はついに無条件に一年延期され、現在ひきつづいてこの悪法の最終的な粉砕と組合の民主化のために闘っている。

 以上の諸組織に見られるように、その階層は労働者、魚民、零細商工業者等の諸階層にわたっており、運動の強弱はあるが、いずれも次のような点で共通の特長をもっている。

(1)どの組織も、同一の地域あるいは同一の職業の要求にもとづいた自立的な運動組織であること。

(2)何れも国、県、市に対する要求と運動であり、しかもカンパニア的でなく、かなり長期にわたっていること。

(3)既存の特定党派、イデオロギーから出発したものではなく、全くの無党派で、しいていえば運動から生まれた反権力、反イデオロギーの立場にあること。

 

二 「市民会議」の結成と運動

 数ヶ月におよぶ討論を経た後、松江・山口両名の名前で運動相互間の連帯を討議する集会の提案を、まず重だった組織に呼びかけた。その結果昨年十二月中旬、呼びかけたすべての組織の代表四〇名が集まり、これが第一回の準備会となった。

 今回議では、各組織とも基本的には積極的な賛意を表しながら、とくに次の点が主要な討論の対象となった。

 それは、ある代表から、「趣旨はわかるが、皆、自分たちのことが精一杯で、とてもひとのことまでかまってはおれない。口だけでキレイなことをいっても実際の運動にはならない。ほんとうのことをいうべきだ。」という率直な意見が発表されたのが端緒だった。この意見は直ちに他の代表たちから反論された。「自分のことを考えるからこそ他の人々のことも考えるのだ。今日の会合で、こんなに多くの問題が共通の対象(国、県、市)に対してそれぞれ闘ってきたとは知らなかった。もっとも多くのことが知りたいし、また協力し合いたい。」と。討論は完全な討論の中で烈しくたたかわれたが、皆を結成にふみ切らせたのは、結局言葉ではなく、自立的な運動相互の事実にもとづく共鳴と連帯感であった。

 また討論の過程では、次の県市会選挙のためという意見もでたが、それは直ちに全員のきびしい批判にあって引き下がった。どんな意見でも率直にのべる自由と、どんな意見への批判の自由もともに完全に確保されていた。

 第二回の準備会までに、選出された十名の準備委員によって会則と名称の原案が討議された。「広島」という肩書きをつけるかつけないかもかなり議論されたが、結局、地域的な限定はしないというたて前から、唯の「市民会議」となり、会則については長時間の討論の末、「とりきめ」という簡単な申し合わせを「会議」の拠り所にすることになった。

 第二回準備会は一月中旬、同じように前回の代表四〇名がすべて参加してひらかれた。この会議で「とりきめ」案をめぐって重要なテーマとなり討論がかわされたのは、指導と自発性との関係であった。

 中でも「代表も、会長もない組織では指導の中心が不明確だ」という意見が出されたが、「代表をだせばボスができるし、また代表まかせになりやすい。この組織は本来われわれの運動自身が主体であって代表は必要ない。」ときびしく批判された。しかし、この「市民会議」は単に内部連帯やサロンに終ってはならず、対外的に強力な活動を行なうべきだという意見が強く主張され、対外的な活動の場合にはその都度必要な代表をきめて活動し、常時の代表は置かないということで一致した。

 運営については一致して形式民主主義=多数決原理が否定され、徹底的に討論して全組織が一致すれば「市民会議」として活動し、一組織でも反対があれば、一致組織だけで行動することも決められた。会費についての討論ではしつようにカンパ方式が主張されたが、ニュースの発行、会場費、連絡費等最小限度の必要経費をまかなうための、能力に応じて負担するという原則を確認した上で、一組織一月五〇〇円― 一〇〇〇円、個人会費一月一〇〇円、ただしできるだけグループとして参加するということも確認された。

 こうして二月七日の結成大会には一〇〇名の主要な代表たちが集まり、必要な討論の後、「とりきめ」と活動方向が決定され、十名の運営委員が選出された。議長は、「この組織は、他の組織が皆もっている『役員』と『多数決』と『金』はないが、他の組織がもっていない『生きた運動』と『自発性』『固い連帯』がある。」と結んだ。

 この会合ではそれぞれの運動がすべて報告されたが、とくに森永問題の報告にもとづいて森永製品の不買運動が最初の活動として提案された。しかし、これについては森永に対する批判は一致しながらもまだ十分問題点の認識が一致せず、また運動としてボイコットが果たして適切であるかどうかについても二,三の反対があり、結局、森永製品を見るたびに被害児を思い出すという意味を含めてそれぞれ不買申し合わせにとどめ、運動としては森永に対して抗議と要請を申し入れることを満場一致で決めた。また庚午市民会議からは、現空港への大型ジェット機乗り入れ反対の提案が出され、これは誰も異議なく一致して決定された。

 このジェット機問題は申し入れと前後して、観音、庚午をはじめとした住民運動が成功して知事は当初予定されていた四月乗り入れはことわるという形で一応延期になったが、今後近い将来ふたたび問題が再燃することは必至なので、引きつづき警戒しながら運動を準備することになった。また森永への抗議と要請については、森永が、まだ「守る会」以外についてはどこでも会ったことがないということで難色を示したが、交渉の結果、本部問い合わせて会見することになり、全国ではじめての経験となった。

 当日は「守る会」からのオブザーバー十名を含めて六、七〇人が参加し、「市民会議」結成以来はじめての連帯運動となった。この会合では森永の弁明に対して各代表が鋭く批判し、約二時間半のやりとりの後、「市民会議」の要求を含めた要請書に対し三月中に文書で回答し、今後もこうした会合をひらくことを確約させた。この日さっそく会場で「守る会」へのカンパが六〇〇〇円近く集められ、こうした「市民会議」の運動の中につつまれて、「守る会」も確信をもって闘いを進めている。

 またかねてから草津公正配分同盟が指導して闘ってきた漁業補償の不正配分が検察庁で認定されたが、市民の血税二〇億円の内訳をあくまでかくしとおそうとする市当局に対し、「市民会議」として監査請求と公開質問状を出すことを決め、まず監査請求を三月二十五日提出し、その成り行きが注目されている。

※「市民会議」の「取り決め」

一、市民会議は、誰でも参加できる市民運動の自由な集まりで、ボスのいない円卓会議である。

二、市民会議は、活発な討論を通じて、相互に理解し合い、できる所から、できる人々で、協力し合って活動する。

三、市民会議は、お互いの状況と運動を知らせ合うためニュースを発行する。

四、市民会議は、連絡と運営のため事務局をもうけ、必要に応じてそと都度代表をえらぶ。

五、市民会議は、みんなで運営し、必要な経費は、それぞれの能力に応じてみんなで負担する。

三 市民会議の性質と住民運動の展望――住民自治とは何か――

 すでに述べたように「市民会議」は、単位運動体の恒常的な連帯機関であって、上部機関でもなく、また一時的な共同闘争組織でもない。またその運営に当たっては、形式民主主義=多数決原理が否定され、自由な連合体としての内部自治の原則が決められている。

 住民運動は都市内の一定地域で組織されており、自然的には閉鎖的な性質をもつている。また具体的な要求運動である限り、その期間は長短はあるにせよ、カンパ二ア的性質をもっている。したがって要求が達成されるかもしくは要求の実現が不可能であることが確定すれば、自然的には運動は終わり組織は消滅する。この点では「市民会議」を構成する組織も単一の運動だけであれば、自然的にはやがてそうなるだろう。

 しかし、こんどんの「市民会議」の特長は、それぞれの具体的な経験を通じて、閉鎖的なものから連帯へ、カンパニア的なものから恒常的なものへの発展を意識的に追求したことにある。それは、それぞれの運動にすべて単一の中心軸=党があったことが重要な根拠になったが、それだけではない。今一つの重要なことは、意識的に追求できる客観的な土台が都市化と資本進出、行政の強引な地域計画の押し付けが地域住民を否応なく接近させ、数多くの住民運動を成立させているだけでなく、それぞれの運動の共同防衛=共同攻撃の必要から相互に接近させ、孤立した運動から連帯の運動へ、閉ざされた運動から開かれた運動へと発展させる基盤があるということである。そうでなければ直接的には無関係な大久野島の運動と草津の運動が連帯するはずもないし、「自分のことも大切だからひとのことも大切だ」という管理理美容師制度対策協議会の発言もなかったであろう。

 それではこうした連帯の協力の発展は、消極的な意味での「住民」を積極的な意味での「市民」――都市形成の主体――へ転化させる契機となるであろうか。そうではない。

 西欧においては歴史的に、防衛的な共同体(コムミュニティ)が資本主義の発展の中で近代都市に転化し、「市民」はまた単なる「住民」ではなく、歴史的には都市形成の主体でもあった。しかし、日本の場合は早くから地方共同体は支配体制にくみこまれ、とくに国家独占資本主義下ではかつての共同体的なものはすっかり押しつぶされ、戦後の度重なる合併等の下では完全に権力によって再編成されている。

 広島市との合併を強引に決定した可部町のマンモス団地虹ヶ丘に最近住みついた労働者は、「やっと広島から抜け出したと思ったら、今度は広島市が追っかけてきた。」と嘆いている。住民は都市形成の主体としてではなく、上からつくり上げられた行政区画の中に職業その他の理由で住んでいるというだけで、職業上の集団はあっても居住地孤立し、「隣は何をする人ぞ」という状況は大都市だけでなく次第に地方の中小都市まで及んでいる。しかし、前述したように、近代化の放はこうした「ひとりボッチ」の住民をふたたび次第に接近させ、共同して権力への反発を余儀なくさせている。こうした中で支配の用意をとりつける形式としての欺瞞的な戦後「地方自治」は、半ば空洞化されながら今なお生きつづけている。

 したがってこのような強権的な都市支配下では住民運動の発展がもたらす自覚と連帯は、決して都市形成の主体としての「市民」をつくり出すものではない。住民運動はどこまでも権力の支配に対する具体的な抵抗運動として、権力との対抗関係の中でのみ発展し、その発展の中でこそ権力との対抗関係は一層きびしく進むであろう。

 そこにこそ、権力の間接民主主義=議会民主主義を武器にした「地方自治」に対決して、直接民主主義=大衆闘争を武器とした「住民自治」の闘いの必要性がある。したがって「住民自治」は「地方自治」にとってかわるものでもない。それはどこまでも欺瞞的な「地方自治」に対決する闘いの必要から生まれた闘争の武器であり、「地方自治」への対立概念である。またしたがって、闘争で裏付けされた拒否権をタテに一点を突破し、それを線から面へ拡大発展させない限り「住民自治」は容易に「地方自治」に吸収され体制内化されるだろう。その意味で「住民自治」は闘いの過程そのものであり、闘争と運動を通じて「住民」は「市民」へ転化するのではなく、「支配される者」から「支配する者」への転化をめざすものでなければなるまい。

 そこで問題になるのは、よくいわれるプロレタリアートの指導とヘゲモニーのことである。最近の「左翼的」な議論の中では、しばしば住民運動の「地域エゴ」が指摘され、労働者階級の指導による統一と運動の階級的次元への前進が強調されている。しかし、事実は観念だけで変えられるものではない。

広島での経験は、「地域エゴ」と「要求エゴ」こそ運動の戦闘性の根拠であることを証明している。森永は森永だけ、基町は基町だけのことを徹底追求することによってこそ運動は発展したし、公共料金反対運動は、しばしば運輸関係労働者と対立しながら発展した。もちろんプロレタリアートの指導こそ変革の必須要件であり、それによってのみ住民運動が変革をめざす運動として発展することは当然である。しかしそれは、労働運動と住民運動を観念的もしくは戦術的にくっつけたり、「地域エゴ」の観念的な克服によって得られるものではない。それでは結局、労働者を住民に解消したり、せいぜい今の労働運動の弱さを弁解するための「手間仕事」になるだけであり、またそれは「地域エゴ」の「角を矯めて牛を殺す」ことになるだけである。

 必要なことは「地域エゴ」の観念的な克服ではなく、その徹底であり、労働運動と住民運動との観念的な結合ではなく、その対立を恐れることなく明らかにすることである。そうしてこそ労働者階級の指導性が問われ、闘いの中から新しく高い統一が生まれるだろう。そうして何より労働運動それ自体の階級的発展によってのみ、真に労働者が住民に対して指導階級としてのヘゲモニーを確立することができるだろう。住民運動との一時的な対立と「地域エゴ」から生まれる矛盾は、それを側面から刺激する重要な契機となるだろう。

 現に闘われている住民運動は、労働運動の階級的な前進を手をこまねいて待っているわけにはいかない。それはそれ自体として追求されなければならぬし、またそれは一定の限度内ですばらしい発展をとげるだろう。広島における「市民会議」の結成とこれからの運動は、実践を通じてそれを探求しようとしている。

 そうしてそれは、労働運動の新しい展開というもう一つの、そして最も重要な課題をわれわれに一層深く自覚させずにはおかない。(一九七二・三・三〇)


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