「政策の転換」か「思想の転換」か

―日本共産党と原水禁運動の統一

松江 澄

労働運動研究 19738月 後に「ヒロシマから」青弓社 19847月 に収録

 

はじめに

 今年の八・六大会は新しい情勢の下でひらかれようとしている。カンボジアの新しい動きをはじめ、米ソ核戦争防止協定の締結、フランス・中国の核実験等の国際的な諸問題とともに、核実験反対の国会決議にからんで都議選の激しい終盤戦の中で発表された「劇的」な日本共産党の核政策「転換」等がそれである。また日本共産党はすでに六月二十五日、社会党に対し原水禁運動の組織統一について公式申し入れを行なっているが、その政策の「転換」ともあいまって原水禁運動の統一が改めて重要な問題になっている。

 今年の大会はこうした新しい内外の動きの中で、ベトナム平和協定締結後はじめての大規模な平和集会として、「ベトナム以後」の平和運動と原水爆禁止運動のあり方が問われることになるだろう。

ここ数年来の運動の総括の上に立って新しい展望をきりひらくことは、今日の日本の平和運動にとって最も重要な課題である。

 私はこうした諸問題の中で、とくにこの運動に良かれ悪しかれ大きな役割りを果してきた日本共産党の核政策「転換」と原水禁運動の統一について論じたい。

日本共産党の政策「転換」

 日本共産党が核政策を「転換」したとすれば、原水禁運動分裂の主要な責任者であったということからも、また分裂の原因は正にその核政策にあったということからも、充分検討すべき重大な問題である。しかし、果して「転換」したのかどうか、もし「転換」したとすればどの点でどんなに転換したのかを充分つきとめることは是非とも必要である。何故ならば、それは伝えられているように原水禁運動の統一について重大なかかわり合いがあるだけでなく、「共産主義」運動の「転換」として私たち共産主義者にとって簡単に見すごすごとのできない問題であるからだ。

 この「転換」の内容を明らかにするためには、「転換」前の核政策はどうであったのかを改めて明らかにしなければなるまい。少なくとも分裂当時、また分裂以後、日本共産党がとりつづけてきた核政策の内容を明らかにしてこそ、今後の「転換」がどんな内容と意味をもつのかが正確になるだろう。

 (1) 「転換」前の核政策

 すでに知られているように、原水禁運動の分裂原因は「いかなる国」問題にある。組織論として社共いずれに責任があるかということを追求することはたしかに重要ではあるが、非生産的な不毛の労力を費やすことになる。政策はどうであろうと、割ったのが悪いといって、いつも政策をゴマ化すのが宮本流の常套手段ではあるが、少なくとも原水禁運動に関するかぎり、いわばその成立理念と不可分に結びついているスローガンをめぐって争われた以上、組織論は別として「いかなる国」問題を改めて検討しなければなるまい。

 この問題について、当時上田耕一郎(現在日本共産党第一政策委員長)が日本共産党の立場を理論化して、「『いかなる国』問題と原水禁運動の統一」というテーマで書いた文章が今でも公刊されている(上田耕一郎『マルクス主義と平和運動』七一年四版、二一一頁)。これは「いかなる国」問題について当時の日本共産党の立場を理論化しているばかりでなく、「転換」前の衆院本会議における金子同党議員の反対討論とも、また「転換」を発表した当の宮本委員長談話の前段とも基本的には一致している。

したがってこの問題に関しては、日本共産党の過去および現在にわたる理論的立場を最もよく代弁している点で充分批判の対象になると思う。

 上田は日高氏との論争の形で、結局、「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンが、帝国主義と社会主義の核実験を「同列視」していることを批判しながら、「すべての国の核実験と核兵器の禁止」というスローガンを対置する。彼は「『反対』と『禁止』のちがいは、けっしてどうでもよい言葉の区別立ての問題ではなく、思想と行動における決定的な相違を表現している」とのべて、「わかりやすくするために」ということで戦争と軍備の例を引いている。

「『いかなる戦争にも反対』とか『いかなる国の軍備にも反対』というスローガンは、帝国主義戦争や植民地戦争などの不正義の戦争と、民族解放、社会主義の防衛戦争、革命戦争などの正義の戦争とを同列視し帝国主義の反動的な軍備も、民族民主国家や社会主義の防衛的な軍備も同列視して、すべての戦争や軍備を否定する絶対平和主義的な、あるいは中立主義的なスローガンであることは証明の必要がないであろう。それは一面では帝国主義的軍備拡張や帝国主義戦争に反対する人民の意志を反映しうるとともに、他面では帝国主義の脅迫に屈服して正義の戦争や軍備をも全面否定する危険をもっている。絶対平和主義者からマルクス主義者までも含む広範な平和運動を統一するためには、このスローガンを採用することはできないし、また採用すべきでないことは明らかである。同様な理由から、マルクス主義の立場、あるいは民族解放の立場から正しくはあっても、『帝国主義戦争反対、民族解放戦争支持』あるいは『帝国主義の軍備反対、社会主義の軍備賛成』というスローガンを広範な平和運動の統一スローガンとして採用することはできないし、またすべきではない。現在の平和運動の一翼をになうことのできる絶対平和主義者や中立主義者はこのスローガンをおそらく支持できないであろうからである」(前掲二二三頁)

 そこで上田は、統一を実現するための二つの方法をあげる。その一つは、分裂当時から今日まで日本共産党がくりかえしてきた「一致できる点について行動を統一する方法」であり、他の一つは「基本目標に関する一定の思想的統一を探求する方法」であるとして、「いかなる戦争にも反対」「すべての軍備に反対」のかわりに、「すべての戦争の廃止」「すべての軍備の撤廃」というスローガンを対置する。そうしてこのスローガンは、「不正義の戦争と正義の戦争を同列視しない認識の上に立脚しながら、なおかつそれを同列視する人々をも結集しうる正しい統一綱領たり得るであろう」といい、「核実験と核兵器においても本質的事態に変りはない」と結論する。

 したがって核実験についていえば正義の核実験と不正義の核実験があるのに、「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンはこれを「同列視」している絶対平和主義、中立主義のスローカンであってまちがっており、統一スローガンにはなり得ない。それにひきかえ「すべての核実験の禁止」というスローガンは正しいものであり、また絶対平和主義、中立主義の立場の人々をも結集しうる唯一の統一綱領であるということになる。

 しかし、ここには極めて重大なすりかえとゴマ化しがある。その一つは、目標スローガンと行動スローガンのすりかえによる行動の放棄であり、他の一つは部分と全体のすりかえによる硬直した逆立ちである。

 戦争にはたしかに正義の戦争と不正義の戦争がある。私もまた共産主義者として正義の戦争は支持し、不正義の戦争には反対する。しかし上田も指摘しているように、「これらの戦争は、現実には全く独立したものでなく、一つの戦争が一方の側では帝国主義の植民地戦争であり、他方の側では民族解放戦争であることもあるし、帝国主義戦争と民族解放戦争がからみあったり転化しあったりすることもあるし、かぎりなく複雑な相互関係をもっている」(前掲一七頁)

 そこで抽象的な定義ではなく、「かぎりなく複雑な相互関係をもっている」一例としてのベトナム戦争について検討しよう。原水禁国民会議も国内の多くの平和運動も、「ベトナム民族解放戦争支持」というスローガンではなく、「ベトナム戦争反対」あるいは「ベトナムに平和を」というスローガンをかかげたが、それはけっして中立主義でも絶対平和主義の立場からでもなかった。それは、「いかなる戦争にも反対」する契機を含みながらも、内実は「アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争反対」と全く同義語として使用され、この戦争のもう一つの側面であるベトナム民族解放戦争「支持」のスローガンのかわりに、「ベトナムはベトナム人の手で」と民族自決のスローガンをかかげて闘ったが、それは全く正しかった。しかも重要なことは、その運動が共産主義者や階級闘争の集団であるからでなく、アメリカ帝国主義による残虐な皆殺し戦争に発展する中でー必然的にそうなるのだがー戦争一般に反対しながらもその犯罪者が誰であるかをはっきり見抜いているからであり、原水禁運動(原水禁国民会議)に関していえぽ、「今日のベトナム」に「明日の広島」を見たからなのだ。

 上田は、こうしたスローガンはすべてまちがっており、幅広い運動の統一のためには、「すべての戦争の廃止」というスローガンにおきかえるべきだとでもいうのだろうか。それが平和主義者をも含めた唯一の統一綱領だというのだろうか。彼は目標のスローガンと行動のスローガンをすりかえ、複雑な現実を単純な観念で、歴史的発展を硬直した「理論」でおきかえている。

 それでは核実験についてはどうだろうか。上田は「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンは、「すべての核実験と核兵器の禁止」のスローガンに変えられるべきだというが、果してこの二つのスローガンは対立ないし対置されるべきスローガンだろうか。全くそうではない。「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンが問題となった時の日本原水協、あるいはその時このスローガンをかかげとおした被爆三県連、原水禁国民会議は、「すべての国の核実験と核兵器の禁止」のスローガンに反対したことがあったであろうか。それどころか、分裂以前の日本原水協も分裂以後の原水禁国民会議も、このスローガンとそのための「核兵器禁止協定の締結」のスローガンをかかげて闘ってきたし、それは今でも変りはない。

 結局、「すべての核実験と核兵器の禁止」は目標スローガンであり、「いかなる国の核実験にも反対」は目標をめざして闘う行動の一般スローガンであって、けっして対置すべきスロ!ガンではない。「いかなる国の核実験にも反対」という行動の一般スローガンのかわりに、「すべての国の核実験の禁止」という目標スローガンを対置するならば、そこから出てくるものは将来に対する願望と決意だけであって、具体的な個々の核実験に対する行動は何一つ生れてこない。ここには行動の願望へのおきかえ、具体の抽象へのすりかえがあるだけだ。たしかに上田がいうように、「『反対』と『禁止』のちがいは、けっしてどうでもよい言葉の区別立ての問題ではなく、思想と行動における決定的な相違を表現している」。

 (2) 「いかなる国」問題と共産主義者

 それでは、「いかなる国の核実験にも反対」は絶対平和主義、中立主義のスローガソであり、共産主義者の支持できないものであろうか。

 たしかに、核実験にも正義と不正義の区別があることは事実である。帝国主義の核実験はアメリカをはじめとして侵略とそのための脅迫の手段であり、社会主義のそれは侵略と脅迫への防衛と対抗の手段であるということができる。それでは「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンは、こうした質的に異なる二つの体制の核実験を「同列視」することになるだろうか。けっしてそうではない。

 共産主義者がこの「スローガン」を支持するのは、ビキニ以来の自然発生的大衆的運動への「追従」でもないし、一部でいわれている汎人類論や唯武器論の故でもない。もちろん共産主義者は大衆的自然発生的な運動に依拠し、これを尊重してこそ正しい運動の発展を追求することができる。しかし場合によっては、大衆と運動から一時的に孤立してでも敢然と共産主義者の正しいスローガンを対置しなければならない時がしばしばある。また共産主義者は事態の新しい発展の追求をさけて十年一日のような教条主義にしがみつき、核兵器と核戦争を今までの軍備と戦争の単純な延長とのみとらえるべきではない。しかしそのことによって核兵器のもたらした新しい軍備と戦争の形態変化に目を奪われて、その本質を見失う超階級的な戦争論におちいってはならない。

 共産主義者が「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンを支持するのは、核兵器の製造、貯蔵、開発等が持つ階級的革命的な対立と区別を自明の前提として確認した上で、なおかつこのスローガンが主要には帝国主義への攻撃のスローガンであるからだ。いみじくも上田が書いているように・最初のソ連核実験によってアメリカ帝国主義の核独占が打ち破られた時、「平和の名において当時ソ連の最初の核実験に反対すべきであったろうか」。そうではない。われわれは共産主義者としてこれを積極的に支持すべきであったし、また歓迎し、支持した。しかし「いかなる国」の問題が争われた時―アメリカの核独占が打ち破られて以後、核開発競争は次第に激化しアメリカ以外の帝国主義国も新しい核開発を急いだ時―世界労働者階級の任務は、何よりもまず新しい核開発を即時停止させ、ひきつづいて完全かつ全面的な核廃棄のために闘うことであった。―そうして今日もそうである。

 こうした時期に帝国主義の核開発に対する最も鋭い攻撃は、各国人民が自国政府にその開発の停止を迫るとともに、アメリカ帝国主義によって唯一の核被害を経験した日本の原水禁運動が「すべての核兵器の禁止」という願望にとどまらず、個々の核実験に停止を迫りつつその最も主要な張本人であるアメリカ帝国主義にその道義的な世論と行動で集中的に迫ることであった。それは「いかなる国」という形態でその普遍的な倫理性を公示しながら、内実は帝国主義とりわけアメリカ帝国主義の核政策への最もきびしい対立物となるからである。それは社会主義の核実験に関してのみいえば、たしかに共産主義者の矛盾ではあるが、このスローガンは、そうした矛盾を含みながらもなお、社会主義に対してではなく帝国主義に対する攻撃的性格をもつだろう。何故ならば、社会主義は核開発の停止―核兵器の全面禁止と廃棄を要求しており、帝国主義は核開発の続行―核兵器の保有を望んでいるからだ。ここでは社会主義国と「いかなる国の核実験にも反対」する日本人民の要求は完全に一致しており、反対に帝国主義の核政策とは完全に対立する。スローガンとして重要なことは、全体から分離した個々の局面に矛盾があるかどうかではなく、その時々の情勢の具体的な分析の中で、総体として「何のために、誰を攻撃するための」スローガンか、またどんなスローガンが最も広くその中心目的に向って大衆の行動を動員することができるか否かで選択されるべきである。それとも上田や日本共産党は、「すべての国の核実験と核兵器の禁止」という一般的な目的の提示にとどまるのか、それともたしかにいっそう鋭い性格をもつ「帝国主義の核実験反対、社会主義の核実験支持」というスローガンが選択されるべきだったというのだろうか。

 われわれ共産主義者は、汎人類的な「新平和主義」や、また「絶対平和主義、中立主義」の立場からではなく、共産主義者の階級的、革命的立場からこのスローガンを支持したのだ。それではこのスローガンに「共産主義者」の立場から反対した日本共産党は、どんな見地と立場からどんな「転換」をしたのだろうか。

 (3) 日共は何を「転換」したのか

「転換」の内容を明らかにするためには、まず七月五口の記者会見で発表された宮本委員長の談話(七月七日付『赤旗』)をよく検討する必要がある。

 宮本はまず、中央委員会が五日、「世界の五つの核保有国に対し一連の要求を盛り込んだ書簡を送った」と、遅ればせに、強調した後、「日本共産党は、中国、 フランスの核実験に賛成しないが、米ソがあれだけ膨大な核兵器を保有しており、保有を続けるという姿勢をとり続ける限り、中仏だけが開発をやめるということにはなかなかならない。いまの世界の核問題は、原点に帰って核兵器を禁止することを、すべての核保有国、すべての平和運動が重視すべき新しい時期に来ている。これが根本の出発点であり」といい、つづいて社会主義国の核実験にふれながらアメリカの最初の核開発以来、今日の核競争にいたるまでの経過をのべた後で、二つの段階に分けて日本共産党の政策を説明している。すなわち、「われわれは初期のあいだは、アメリカがその侵略政策のもとで、核兵器を背景に第一にはソ連、第二には中国にたいして封じこめ政策をやった。この段階では、社会主義国の核実験には賛成はしないが、よぎなくされたもの、防衛的なものという見方をしてきた。これには根拠があった。アメリカは核を背景にして朝鮮やベトナムで侵略戦争をおこない、実際に核を使うという脅迫もやっていたからだ」と。

「しかし、この数年間重要な変化がおこった。社会主義国であるソ連と中国自体が互いに対立し合うようになった。今度の中国の核実験にかんするコミュニケでも、『超大国の核独占を打破する』ためといっており、この『超大国』にはアメリカだけでなくソ連もふくまれている。中ソの国境では武力衝突もおこなわれた。またソ連のチェコスロバキア侵略という、われわれが非難した事態、残念ながら、社会主義国の大義に反した侵略行動がおこっている。このように中ソの国際政治における立場には変化が生じている。/そういう段階で初期のように、中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは、簡単にいえなくなってきている」と。そうして結論として「今日は、はっきりこれらすべての核保有国にたいし、核開発競争の悪循環からぬけでるべきであると率直に求める。同時に、根本的には核兵器の全面禁止を求めるという態度である」といって、暗に「いかなる国の核実験にも反対」するかのようなポーズをとっている。そうしてその理由が情勢とくにソ中の「重要な変化」にあるとすれば、それは共産主義者によって極めて重大な問題だといわなければなるまい。

 宮本によれば、初期の段階には社会主義国の核実験はよぎなくされた「防衛的」なものであったが、「ここ数年来の重要な変化」の下では、中ソの核実験は「すべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは簡単にいえなくなった」ので「今日は、はっきりこれらすべての核保有国に対し、核開発競争の悪循環からぬけでるべきであると率直に求める」というのだ。つまり彼は、ソ中の核実験が無条件に防衛的なものとはいえなくなったー無条件に侵略的でないとはいえなくなった!ーから帝国主義国と同列に反対するというのだ。しかも中ソ対立とチェコ進入は今から何年前だというのだろうか。

 われわれ共産主義者は、中ソ対立を国際共産主義運動内部の、しかし解決のための正確な方法論を欠いた思想的、政治的対立と見ているし、ソ連のチェロ進入を社会主義陣営内部におけるまちがった政治干渉と見なしている。したがってわれわれはそのいずれに対しても批判してきたが、だからといってそれを帝国主義国と同じように単なる国益的対立とも、また「侵略行動」とも見なしたことは一度もない。それはいずれも世界史的発展に対応する共産主義運動の新たな探究と追求の立ちおくれから生れた過渡的な矛盾であり対立であって、けっして帝国主義と社会主義を「同列視」した一般的な国家対立とは見なしていない。われわれは共産主義者として、ここ数年間中ソのとってきた行動に対して批判しながらも、なお中ソの核実験は依然として、また当然にも社会主義と諸国人民の「防衛」のためであることを認識した上で、あえて帝国主義への攻撃的なスローガンとして「いかなる国の核実験にも反対」を支持してきたし、また現に支持している。

 しかし宮本と日本共産党は、中ソがその「本来のあり方からはずれ」「社会主義国の大義に反した侵略行動」をとっているという理由でこのスローガンに歩みよっている。彼らは社会主義と共産主義運動の思想的政治的対立を、もっぱら「社会主義国同士が国境で武力衝突したり、他国を侵略する」という一般的軍事的国家対立にすりかえることによって帝国主義とソ中を「同列視」しだ上で核政策を「転換」しようというのだ。

 ここに日本共産党の、革命的立場と国際主義を放棄した救い難い民族主義があり、帝国主義と社会主義とを問わず核保有国と核被害国日本とを対立させる超階級的な自主独立論がある。ここに「政策の転換」ではなく「思想の転換」がある。ここにこそわれわれとの決定的相違がある。

原水禁運動の統一について

 日共「統一」論の批判と統一への道

 それでは、こうした日本共産党の「転換」によって原水禁運動統一への道はひらかれるであろうか。

 宮本は原水禁運動の統一問題にふれて、「われわれはアメリカが核競争の起動力という観点はいつでもはっきり主張する。その点でいまの原水禁と認識はちがう」とのベている。それでは今の原水禁国民会議はアメリカが核競争の起動力ではなくソ連が起動力だとでもいっているのだろうか。国民会議が多くの弱点や欠陥をもちながら、かつても、そして今も、核競争の起動力がアメリカ帝国主義の側にあることを主張しつづけていることは、今さらいうまでもあるまい。今日の問題は唯それだけでなく、宮本も認めるように、「際限のない核兵器開発競争にならざるを得」なくなっていることである。

 アメリカ帝国主義が依然として世界最大最強の帝国主義であり、侵略と反動の主要な拠点となっていると指摘することは、何も宮本や日本共産党の「専売特許」ではない。ただわれわれや平和と解放のために闘っている多くの人びとが宮本や日本共産党と違うのは、アメリカ帝国主義からの解放こそ革命の主要な課題だという日本共産党の民族主義綱領にけっして賛成しないという点にあり、また自己の政治的立場を大衆運動に無理矢理押しつけたりすることはけっしてしないという点なのだ。しかし原水禁運動の統一に関していえばただアメリカ帝国主義の位置つげだけの問題ではない。たとえ日本共産党が民族主義の持ち込みをやめ、「いかなる国の核実験にも反対」のスローガンを支持したとしてもーいずれもけっして簡単ではないがーなおそれで万事めでたしということにはならぬ。

 昨年の八.六大会を前に、日本共産党は津金統一戦線部長の署名入りで、「原水禁運動の統一」という文章を『赤旗』に発表し、いわゆる「統一三原則」なるものを提起した。それは第一に、一致できる点で統一して、「いかなる国」問題のように一致できない問題を棚上げすることであり、第二に、この運動に対する国際干渉を排して運動の自主性をまもることであり、第三には、彼らのいわゆる「反党分子、分裂主義者」を排除することであった。当時われわれは、この「統一」という名の分裂主義「三原則」をきびしく批判したが(『労働者新聞』No.二六号、七二・九・一「原水禁運動の発展のために―日共の統一論批判と今後の課題」)、彼らの考え方は今にいたるも変ってはいない。すなわち最近発表された「原水禁運動の統一的発展のために」(『赤旗』七三・六・二四)の主張がそれである。

 日本原水協は六月十二日第十九回原水爆禁止世界大会へ向けて「よびかけ」を発表したが、その中で原水禁運動の統一について、「当面一致する共通の課題で団結し、運動の自主性を尊重し、妨害勢力の介入をゆるさないという原則的立場」を主張しているが、『赤旗』の主張もそれと全く変りはない。「『よびかけ』にある統一の三つの原則―すなわち@一致点で団結し、A運動の自主性をまもり、B妨害勢力の介入をゆるさないという立場こそが、原水禁運動の分裂を克服する共通の土俵となるものであることを確信をもって指摘することができます」と。この「三原則」が先にあげた津金論文と全く同一であることは明らかである。

 まず第一に、彼らは部分的な統一行動と組織統一を故意にすりかえている。おれわれは固有の組織をもつ諸団体が、「一致できる点で統一」して行動し、一致しない部分は棚上げすることに賛成だし、また現に原水禁運動の地域分野ではこうした統一行動は前進している。しかし、たとえその内容が統一行動的なものにせよ、一つの組織内部でその最も中心的な課題について不一致な点を棚上げしたり、組織統一に際して最も重要な課題について不一致の点を棚上げするならば、それは最早一つの組織ではなく、たとえ一つの組織であっても行動性を欠いた思想団体になる外はあるまい。彼らは「原理の統一」を「統一の原理」ですりかえている。すでにのべたように、核実験についての問題はその典型的な一例である。

 第二に、日本共産党のいわゆる「自主性」とは、先の津金論文が指摘しているように、「不当な国際干渉の排除」に外ならない。たしかに「不当な国際干渉」は排除されるべきである。しかし重要なことは、歴史的にも現在でも「不当な国際干渉」があったのか、また現にあるのかという事実の問題である。しかし事実に関していえば、日本平和運動も日本原水禁運動も、過去、現在を通じて「不当な国際干渉」を受けたことはない。もしあるとすれば日本共産党の「不当な政治干渉と介入」である。

党の方針にしたがって「二つの敵」論を持ち込み、「いかなる国の核実験にも反対」スローガンに反対し、党の方針にもとついて彼らのいわゆる「反党分子、分裂主義者」を排除するという、これほどはなはだしい「政治干渉と介入」はない。そうして何よりも大衆的歴史的な日本原水禁運動の統一を共社の「談合」で進めようという態度の中にそれは明らかである。

 宮本は、「共社両党、両団体間などでも高い立場から歩みよれば統一は可能だと考える」というが、その「高い立場」がこの運動を分裂させたのだ。原水爆禁止運動は、たとえこの中で政党とその活動家が重要な役割りを占めようとも、ビキニ以来ただひたすらに原水爆の禁止と被爆者の救援をめざして闘ってきたのは被爆者をはじめとする幾十万幾百万の人びとの運動であって、この運動はけっして政党の私有物でもなければ附属物でもない。かつて上から政党によって分裂させられたこの組織が、今度もまた同じように上からノリとハサミで接合されるとすれば、それはもはや人びとによる運動の大衆的な統一ではなく、ただの政治的野合にすぎぬ。

 また「国際干渉の排除」という口実で国際連帯を切断しようとするならば、これは全く論外である。

国際連帯を無視した平和運動はすでに平和運動の名に値しないとさえいえる。結局ありもしない「国際干渉」を排除して運動の「自主性」をまもるということは、国際干渉の「亡霊」にかこつけて日本共産党の「自主独立論」をもちこむ以外の何物でもない。

 第三に、この運動はその基調に賛同するすべての人を積極的に受け入れその人の思想的、政治的、宗教的立場で区別したり差別したりすべきものではない。この運動の発展性と有効性の基礎は、その非セクト的大衆性にこそある。もしたとえ一人でも、この運動がその人の固有の考え方を理由に参加を拒むなら、それは自らこの運動の道徳的品位―それはいっそう多くの人びとを運動に組織する上で決定的に重要であるーを自らなげうつことになるだろう。その意味で、「妨害勢力の介入をゆるさない」というもっともらしいスローガンで、実は日本共産党のいわゆる「反党分子、分裂主義者」

を締め出そうとするならば、ただそれだけで彼らは「統一―を語る資格を自ら放棄して分裂主義者に転落することになるだろう。

 真に原水禁運動の統一を進めようとするなら、それは次のような方針の下でこそ可能であろう。

(一) この運動は「すべての核兵器の禁止」をめざして「いかなる国の核実験と核兵器にも反対」し、

 被爆者の援護を闘いとることを基調とすること。

(二) この運動は、思想、政治的立場と宗教、世界観の如何にかかわらず、この運動に参加するすべて の人を積極的に受け入れて、誰をも排除、差別せず、外部からのどんな政治干渉と介入も許さぬこと。

(三) この運動の統一は、地域的な統一行動の拡大から始め、それぞれの地域と分野での統一について の徹底的な討議を基礎とした全国的な大衆討論によって決定すること。

 情勢は日本原水禁運動の統一を求めている。一切のセクト主義を排してこそ、その統一は成就するであろう。その意味で統一は寛容でなくてはならぬ。しかし「寛容の精神」は「寛容」を認めない者に対してだけは、けっして「寛容」であってはならない。 (一九七三・.七・一〇)
表紙へ