山中明著作リスト

No. 1
標題:佐野稔著『昭和史のなかの社会政策』(書評)/副標題:河合栄治郎と二・二六事件/No:
著者:山中明/誌名:労働運動研究
巻号:283/刊年:1993.5/頁:44/標題関連:


No. 2
標題:高橋衛著『「科学的管理法」と日本企業』(書評)/副標題:No:
著者:山中明/誌名:労働運動研究
巻号:293/刊年:1994.3/頁:45/標題関連:


No. 3
標題:嶺学著「労働の人間化の展開過程」/副標題:No:
著者:山中明/誌名:労働運動研究
巻号:310/刊年:1995.8/頁:44/標題関連:


No. 4
標題:梅本浩志著 わが心の『時事通信』闘争史 日本マスコミの内幕的一断面/副標題:No:
著者:山中明/誌名:労働運動研究
巻号:318/刊年:1996.4/頁:44/標題関連:


No. 5
標題:山田宏二編・著「どうなる?これからの賃金と人事管理 日経連『労問研報告』22年の分析と批判」(書評)/副標題:No:
著者:山中明/誌名:労働運動研究
巻号:328/刊年:1997.2/頁:44〜45/標題関連:


No. 6
標題:航空労働研究会編『規制緩和と航空リストラ』(書評)/副標題:No:
著者:山中明/誌名:社会評論
巻号:114/刊年:1998.9/頁:108〜109/標題関連:


No. 7
標題:徳住堅治著『私は辞めません』(書評)/副標題:No:
著者:山中明/誌名:社会評論
巻号:119/刊年:1999.10/頁:136〜137/標題関連:


No. 8
標題:泳がせ論と統一懇談会の批判によせて/副標題:日共四中総の議会主義/No:
著者:山中明/誌名:季刊労働運動
巻号:18/刊年:1978.9/頁:175〜181/標題関連:


No. 9
標題:八〇年代の左派の戦略を問う(討論)/副標題:No:
著者:樋口篤三 村上明夫 山中明 横山好夫 渡辺勉/誌名:季刊労働運動
巻号:22/刊年:1980.1/頁:131〜157/標題関連:


No. 10
標題:総評「労働戦線統一綱領」を批判する/副標題:「基本構想」に対する敗北的理念の打破を/No:
著者:山中明/誌名:季刊労働運動
巻号:32/刊年:1982.11/頁:86〜96/標題関連:


No. 11
標題:重包囲下で闘った武蔵野市職(座談会)/副標題:地域社会の再組織化をめざして/No:
著者:岩井勝正 水野要 山中明/誌名:季刊労働運動
巻号:35/刊年:1983.7/頁:84〜98/標題関連:


追悼 飯島侑氏

  新たな社会を求め続けて    

 山中 明

       労働運動研究 19972

 

 飯島侑氏がさる一九六年二月二九日正午、急逝された。肺がんで一ヵ月ほど入院した 後だった。生れは二九年二月 七日で、享年六七歳は早すぎる。つい最近まで元気だった姿とその声が想い出され、その急逝が惜しまれてならない。

  戦後五〇余年を経るなかで 一貫して社会変革の未来をめざす運動の側にあり、またそ の先頭に立って活躍された。

敗戦後、軍国主義体制を突き 壊す民主化運動の全国的高揚のなかで、学園の民主化と旧体制打破の運動に自らを投入した。

 氏は海軍兵学校最後の生徒として敗戦を迎えた。江田島で広島の原爆を授業中に体験したと語っていた。侵略戦争の虚妄の正義が打ち砕かれたことを敗戦によって体験したのであろう、旧制水戸高校(現茨城大)に入学して学生運動に参加、教育大学(現筑波大)に進み、文学部自治会委員長として全学連の五〇年反レッド・パージ闘争を遂行した。戦後初の反動攻勢となったレッド・パージは労働運動を始めとして全分野に及んだ。学園での闘争は勝利し、学生運動における反帝平和の歴史的伝統が確立された。

 やがて朝鮮戦争が勃発し、反動攻勢が強まるなかで、国際共産主義運動の誤りが日本を直撃した。学生運動もその例外ではなく、「五一年綱領」の押し付けに対する抵抗が闘い抜かれた。当時、反戦学生同盟は反帝平和の全学連の伝統を守り、その先端を担っていた。全学連第五回大会(5262627)では反戦学生同盟系の代議員が一室に拉致されテロ、リンチを受ける事件」

が起こった。氏は同盟系代議員を指揮して、この暴挙に打ち勝った。六全協後、日共中央はこの事件で正式に自己批判した(『アカハタ』551226)

 氏は学生運動の再建と歴史的伝統の復活を、日共中央の青年学生対策部員として闘った。六〇年反安保闘争の最中、ハガチー米大統領補佐官の来日を、氏は六月一〇日、羽田空港で労働者沸学生デモを組織して迎え打った。ハガチーは、ヘリで脱出し、この事件は六・一五闘争と重なり、アイゼンハワー大統領の訪日は中止された。このことで氏は逮捕され、法廷闘争を闘い抜いた。  やがて国際社会主義陣営の分裂に際しては、眞の社会主 義の確立を求め、その情熱の火は絶えることがなかった。

 氏は津島薫の筆名で活躍し、 『資料戦後学生運動』三一書房、全八巻、一九七〇年)の編集にたずさわり、当時の学生運動を歴史的に位置付けるうえで大きな貢献をされた。また最後まで労働運動研究所の理事として、労働運動の新たな発展に寄与された。
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