タイトル:自然とのかかわり体験豊かな子供の国づくり
執筆者 :耿 鳳英・李 宜欣
一 自然な顔との出会い〜奥会津〜
私達は、初めて奥会津と出会った時、只見川の美しさに驚いた。というのは、台湾の川は短くて急流で、しかも普通は川底が見えるくらい浅いからである。時間が止まったような只見川の静かな水面を初めて見た時に、湖のようだと思った。もう一つの視点から見ると、ゆっくりとながれる只見川の水は資源として利用され、また、その豊かな自然のめぐみが奥会津で緩く万物を育成している。二回目に奥会津に行った時は秋で、只見川の水面と接する植物の葉は赤や黄色に変わっていた。こんなにも美しい風景は、台湾では葉書やカレンダーでしか見ることができない。
このような豊かな自然に育まれた奥会津の人々は、都会の人と違って素朴な情熱に溢れているように感じられる。例えば、三島町で新鮮なアケビを食べていた時、一緒に食事をしていた小柴さんが「アケビは味噌煮にしてもおいしいですよ」と言って、翌日わざわざ他の用があるのにもかかわらずに、宿に持ってきてくれた。素直な心に出会うことができるのも、今や山村に限られているかもしれない。
(奥会津の宝庫)
只見川に沿って三島町、柳津町、金山町、昭和村、南郷村、伊南村、館岩村、檜枝岐村、只見町九ヶ町村がある。この九ヶ町村で構成されている奥会津は地理の上ではちょうど寒帯森林と温帯森林が交差する地点なので、動・植物の種類はとても豊富である。奥会津の自然に刻まれた風景は沢山あって、その中で一番知られているのは檜枝岐村の尾瀬ヶ原である。その他にも、美坂高原(三島町)・沼沢湖(金山町)・屏風岩(伊南村)・田代山(館岩村)・会津高原(伊南村・館岩村)・浅草岳(只見川)・宮床湿原(南郷村)などが魅力ある場所である。
このような美しい大自然からは、モノ作りの素材となる桐・ネズコ(黒檜)や山ブドウ・アケビ・クゾ・マタタビ・モワダ・ヒロロ・ガマなどの蔓が取れる。また、川には鮎・ます・岩魚などの魚もたくさんいる。さらに、柳津町西山には、地熱を利用した発電所があり、各町村ごとに水質の異なる温泉がある。奥会津はまるで宝の山である。
(奥会津の誇り)
奥会津各地域がそれぞれの個性をもち、それを子孫に伝えるのは、住民の誇りの根源であり、地域文化の発展や新たな創造に重要なことである。特に、地域特有の伝統文化、生活文化の振興には、高齢者の積極的な参加を促しながら、子供達の郷土愛と生きがいを育てることが必要である。歴史上では、三〇〇〇年前の縄文遺跡があり、そのことからもこの地域で遠い昔から脈々と手仕事が受け継がれてきたことがわかる。これは自信、誇りの創出につながるものであり、もこれらの手仕事を受け継ぐことが必要である。
冬の奥会津は豪雪地帯で、半年近くの間雪に埋もれる。昔、奥会津の人は冬の農閑期に自然素材を使って生活の必要な道具を作っていた。今の子供はたぶん桐がどんな木か知らないだろう。そして、都会の子供が自然とふれあえる機会が少なくなっていることが、いじめや自殺や非行という問題につながっているのだろう。このような問題を引き起こさないためにも、おじいさん・おばあさんが子供にモノ作りをおしえ伝えて、自然に添うことの本当の意味を体得させることが求められる。
二 従来から現在までのメッセージ
近年、「地域イメージ」というものが、各地域において力をかけて作り出されている。地域のイメージが形成されることによって、地域の人々は自らの生活の仕方を決め、町の景観もそれに著しく反しないような工夫がなされてきた。そして、地域のイメージを生かして、活性化施策のさまざまな活動が行われてきた。
しかし、ほとんどの活動が効果をもたらさなかった。この背景には、奥会津が交通の不便な場所にあることの他にも大きな原因があるようである。
その一つとして、大都市指向がある。若者は、「大都市への憧れ」を抱き、就職や就学を契機に、東京へ移動していく。
このような人口移動を、東京と地方との賃金格差などの経済的要因だけで説明し尽くすことはできない。むしろ、過疎地域が超高齢社会の中でどうあるべきかというビジョンが見えない不安感によるものが、大きいのではないか。そして、このような課題が顕著な奥会津においては、過疎地域における活性化戦略の基本は「自立」であるという認識に基づき、地域資源を活用した汎用的で戦略的な地域活性化プログラムを再作成するとともに、そのモデル地域としての展開を試みることとが求められよう。
(高齢少子過疎社会化の波を超える)
過疎とは、急激な人口の流失によって、ある地域が防災、教育、保健など地域共同体の基礎条件の維持が難しくなる状態である。それが進行すると、地域共同体が崩壊し、耕作地は放棄され挙家離村で集落が消滅する。奥会津も過疎化のまっただ中にある。三島町は昭和四二年に過疎化地域の指定を受け、平成二年の若年者比率は一〇・三%で、高齢者比率は二〇・四%であった。さらに、平成七年に高齢化率は三三・四%になった。このような現状は、一九六〇年代における日本の急速な高度経済成長に伴い社会現象化した。高齢過疎地では人口流出により労働力資源が枯渇しつつある。そのため、従来のような工場誘致戦略は限界となった。
新しい世紀を前にして世界の潮流は大きく変わりつつある。具体的には、資源・エネルギー・環境が制約される中での経済成長基調の変化、情報化の急速な進展を背景にした産業や金融のグローバル化、国内外の人的交流の拡大、家族の在り方の変容と世代間の生活意識の乖離、加速する人口の高齢化と地域人口の偏在傾向などが挙げられる。さらに、バブル経済期に自然が豊かに残る過疎地域へ観光リゾート関連の大規模投資が進められたこともあり、日本の国民の意識・価値観も変化し、物の豊かさよりも心の豊かさを充足しようとする、生活のゆとりとバランスを目指した行動が目立ってきている。自由時間の増大や生活時間の変化に伴い、生涯学習など「時間の充足」への欲求が高まる反面で、一人一人が「個」の実現を図りつつ他人との接触・交流を行う新たな絆を求めるようになっている。
このような、とどめ難いすう勢に即して、過疎地域に対する政策の在り方についても、従来の理念を超えた新たな視点とあり方が模索されている。
(地域の個性化をめざし)
高度経済成長の時代には、ライフスタイルの画一化が進んだ。その結果、それまで存在していた「風土に根ざした」暮らし方が急速に消滅し、人は「どこで暮らしていても同一のライフスタイルで暮らす」ことを追求してきた。行政の側も、そうした人々の要求に応えるべく環境整備に努力してきた。かくして、日本全国どこに行っても、同じ暮らし方が見られるようになった。
だが、一九八〇年代以降、価値観とライフスタイルの多様化が進んできた。このような傾向に応じるように、地域の多様化が進んでいる。そして今、消えてしまった「風土に根ざした」暮らし方が再評価されつつある。こうした意味で、現在、画一的な地域イメージから多様な地域イメージが作り出される段階にさしかかっていると考えられる。この過程においては、地域の個性が重要となる。今まで「格差」と見えてきたものは「個性差」と考えるべきなのである。多くの地域で、再生、活性化の方策として住んでよし、訪ねてよしの町づくりが目指されている。
地域イメージづくりとは、地域のプラスの個性を発見し、それを利用してゆくプロセスである。「地域イメージづくり」とは、自分の地域の「隠れたよさ」の発掘であり、地域の個性の発見である。これは、地域の自然環境に「イメージ」を与え、地域住民のアイデンティティを確立することである。その結果として地域差が生ずるとしても、それは尊重されるべきである。また、地域間・地方公共団体間の相違を格差と捉え、従来のようにその是正措置を直ちに国などの支援に求める態度については再考すべきではなかろうか。
また、地域ビジョンも地域ごとに違ったモノになって当然である。地域ビジョンが地域の個性を表現するものである限り、他地域との差異化、特に周辺地域との違いを明確にすべきである。たとえば、温泉が数多い地方では、「温泉の町、出湯の町」という地域ビジョンは周辺の地域との違いを表現できない。地域ビジョンは、地域住民に認知されるだけではなく、地域外の人々によって認知されることが必要である。「外からのイメージ」と「内からのイメージ」が出会う中で、地域ビジョンはより安定したものになる。そのためには、新しい戦略が必要となる。
三 山村の知恵から生かす
奥会津には手仕事をやっている人が大勢いる。例えば伊南村の木地師大桃ハクさん、檜枝岐阜の曲げ輪職人星寛さん、ヤマブドウ蔓細工をしている三島町の長郷千代喜さん、只見町アケビ細工の職人目黒俊衛さん、南郷村マタタビ細工の名人平野森一さん、ヒロロとモワタを組み合わせて編み組みして鞄を作っている三島町の久保田節子さん、からむし織りの達人五十嵐カヨ子さん、只見町の横山スミエさんは手鞠が作れる。
地域ビジョンには、このような地域の「良さ」・遺産の継承が求められることはいうまでもない。さらに、地域ビジョンが地域の暮らしと接点をもっていることが必要である。地域住民の生活との接点がない場合、地域ビジョンだけが浮き上がってしまう。そのため、この連関の欠如を補うための地域的な努力が求められる。生活との接点をもたない地域ビジョンの多くは過去の地域像に関連したものであるが、こうした過去の遺産の扱い方は難しい。
(町の高齢者のいる家庭での家族の味)
家制度が堅固に存在していた頃には、家は人々を地域社会に「引き留める」力をもっていた。家を媒介に、人々は地域につなぎ止められていた。しかしながら、高度経済成長期を通じて家制度が衰退し、家は人々を地域に引き留める力を急速に喪失していった。家制度の衰退に続いて、社会保障制度の整備により、両親の扶養という義務を軽減されたことが、この傾向に一層拍車をかけた。
一方、奥会津の山村の多くでは、高齢者達が生きがいをもって自立的な生活を営み社会的活動に参加している例も少なくない。高齢者がいる家庭では、伝統的な家制度の家族の味は十分に発揮することができる。これからは過疎地域の新しい役割として、子供から高齢者まで多彩な人々がその経験を生かして活躍できる場と機会を豊富に創出する工夫を重ね、高齢者からの知恵の継承を支援することが重要となる。それは地域の自立を実現するために不可欠であるばかりでなく、今後ますます貴重になると思われる高齢者の生きがいづくりの観点からも極めて重要な意味をもつものである。
過疎地域の豊かな自然も、伝統的な町並みと同様に、意図的な努力を重ねなければ維持・保全することはできない。その意味で、人為的な景観の美しさの維持・創出とともに豊かな自然の意識的な維持も、過疎対策としてこれからの重要な施策の方向である。
全国に先駆けた長寿高齢社会のモデル地域として、生産、居住その他住民の生活のあらゆる場面において、高齢者が自らの持つ経験と能力を発揮して生きがいある生活をおくることができること、ソフト・ハード両面にわたって一段の充実を図り、自然のままで快適に過ごせる地域社会を実現することが大切である。
(語り継ぐさまざまな山村の伝承に触れる)
各国の経済社会が成熟する中で、各種基盤の整備の進展とはうらはらに過疎地域住民の誇りや意欲が減退し、「心の過疎」が問題となった。こうした新たな過疎問題の克服をも念頭に、伝統文化や自然環境などの地域資源を有する潜在的可能性の具現化による地域の活性化を支援する施策が講じられることとなった。
しかし、このことは同時に、いま・ここに自分があることへの自分自身による検証の必要性も強まったことを意味している。「他の地域ではなく、なぜ、ここで暮らすのか」を自分自身に対しても誇りを持って説明ができることが求められるようになった。
このように大きく変化しつつある時代潮流の中で、語り継がれるべきさまざまな山村の知恵があることは、自らの誇りとしての奥会津の最大の宝物である。
(遊べる、学べる、自然の王国)
自然からの贈り物、それは厳しさと暖かさである。現在の子供たちは、自然の貴重さ、大切さを理解しているとはいえない。そこで、子供たちに、自然の素材を用いたものづくりや、郷土料理、山仕事や年中行事を通して、山村で生きるための知恵、地域にある文化の素晴らしさを感じてもらうことが大切である。例えば、私は子供の頃体が弱く、よく病気になっていた。病気のたびに、祖母や母は郊外(山奥)へ薬草を取りに行き、私のために特製のスープをつくってくれた。そのおかげで、私は今でも元気でいる。
このような自然の素晴らしさに着目し、優れた自然と、その自然環境の中で歴史的に作りあげられてきた自然と人間との関わり、すなわち「自然環境文化」を手がかりとして、自然保護とくらしの豊かさをあわせて実現することが求められる。
このため、自然環境学習・研究施設の整備、環境形成の展開を柱に揚げ、奥会津は自然態のままで、子供達が遊べる、学べる、触れる、作れる自然の王国でありたい。
四 もし、それができれば
地域間格差の是正、過疎地域の住民の生活基盤の整備充実に対する配慮は、今日でも重要な政策課題である。しかしそれとともに豊かで広い自然環境の中で真にゆとりある多様な生活を楽しみたいと、各国の希求はますます高まるであろうから、それを実現する場としての過疎地域への期待は大きい。
そのため、過疎地域の生活条件の整備は、単に地域住民のためばかりでなく、都市地域に居住する人々にとっても、新しいライフスタイルを確立する上で必要なことである。その意味で、過疎地域を新たな生活空間として整え、地域利用の多様性とバランスを維持しつつ、人々の健全で安定した社会を創造するよう、その実現に努めなければならない。それによって情報化等新しい社会資本の整備も進み、様々な産業も誘発されて地域経済の自立への可能性も高まる。今や地域自立への新たな挑戦をすべき時が来ている。
新たな挑戦は地域の問題点から引き出すことができる。すなわち、奥会津の文化などの伝承には、お年寄りの知恵を生かすべきと考えられるが、現在はお年寄りと子供がふれあえる場が少ない。そこで、子供がおじいちゃんやおばあちゃんと話をする機会・場をつくるとともに、奥会津各地域の子供たちが交流できる活動を行うことが求められる。さらに、外から子供達にも奥会津を認識する機会を作ることなども有効となろう。以下は、そのような視点からの提言である。
(雪の子供祭)
奥会津には厳しい冬が一年の中で三分の一を占めている。大自然から与えられて来たものは、厳寒というだけではなくて、精一杯生きている暖かさもある。縄文時代から自然と向き合って生きてきた歴史を背景に、我々南国の人間には想像できないくらい神秘的な生活の知恵がたくさんある。
これが最も実感されるのが、雪の世界である。降り積もった雪から伝わる喜びや涙から、生きていてよかったと思える。
このような視点から、山村の人々から子供に対する成長の祈りと神に感謝の気持ちでの祭を作ることを提案したい。これにより、雪国のメッセージ、山村のもてなしのまごころが、再確認・発信されるのではないだろうか。
(奥会津子供のホ-ムステイ)
過疎地域の住民、とりわけ若い世代が都会に憧れ、都会の魅力を味わおうとするニーズをもつことは自然なことである。逆に、都市の住民は老若男女を問わず豊かな自然や落ち着いた生活に憧れることも少なからずあり、過疎地域においても、気軽に滞在・居住できるような魅力づくりと受け入れ態勢を整えることが肝心である。
インターネットで奥会津の資料を探しているとき、金山町のホームページに以下のような文章を見つけた。「『エー、ここ何もない』『お父さんの田舎にきたみたい』『空気がすっごくおいしい』バスに揺られて8時間あまり、夕闇近い金山に来て、生徒の口から出た言葉です。只見川の雄大な流れ、ゆっくりとした時の流れの中で見つけた心と心のふれあい、『何もない』金山で学んだことを、大切にしていきたいと思っています。」
金山町だけではなく、都会の子供にとっての奥会津とは、「何もない」心と心をふれあいことができる場所である。都会の子供と奥会津の子供がホームステイで交流すれば、自分の町の良さがわっかてくると思う。既に、都市地域の小学生等を一定期間過疎地域に受け入れ、良好な自然環境のもとで心身の健全性を回復するとともに、過疎地域の子供達にも多様な刺激を与えることを目的とする、いわゆる「子供のホ-ムステイ」等の試みを行い、成果をあげている地域も見られる。
都市地域住民を受け入れていく上で、相談窓口の設置やワーキングホリデー等、一時滞在による地域での生活を体験する仕組みの充実を図り、希望者にとって最初の情報案内をするような機能を、地域単位で整備することも、一つの方向として考えられてよい。さらに、国際的な子供のホ-ムステイに交流機会を設ける等ソフト面の工夫を充実させることも有効である。
(親の故郷を訪ねるコース)
私のおじさんは若い頃、台湾から日本に留学して、博士学位を取って、そして結婚、子供を育ててきた。日本にいる時間はもう三〇年を越えて、自分の故郷にいる時間より長い。ある夏、このおじさんは、日本で育てきた台湾語が話せない子供たちを連れて自分の故郷に帰ってきた。おじさんは、自分が小さい時にどうやって故郷の山・川・町で遊んだかを、子供に教えたかったようだ。
私は、国から出た人だけではなく、日本国内でも故郷から離れている多くの人がおじさんと同じ願いを持っていると思う。
そこで、「親の故郷を訪ねるコース」を奥会津から都会へ出ていった人、故郷を持たない人を対象に展開することを提案したい。また、親だけではなく、祖父母、先生知人の田舎故郷を訪ねることも考えられる。
このようなコースは、ただ故郷の自然や風景を紹介するだけではなく、親あるいは祖父母がどうやって自然を守って暮らしてきたかを人々が知る場ともなり得る。これが大切なことであろう。
五 まとめに
過疎地のシンボルを生かし、交流人口の増大による観光などの産業を振興すると同時に、「地域のアイデンティティ」や「地域の誇り」を高め定住を促進することが必要である。過疎地域ではさまざまな活性化の試みが真剣に行われている。奥会津の活性化の進行状況を調査し、過疎地の活性化の動きに都市がいかなる役割を果たしうるのかを検討するのが、本研究の目的である。
過疎地域の活性化にはその地域の内発的な発展の取り組みが求められる。この点に関連して、「地域イメージを梃子とする地域の活性化戦略」を提唱した。こうした活性化戦略では、過疎地域の側から高齢化をどう活用するか、過疎化という条件をどう有利に利用するかが検討されなければならない。
以上の結果をふまえれば、過疎地域の活性化には、高齢化そのものを生かして、高齢化と過疎地域との新たな関係性の構築が必要であることが明示されよう。
二一世紀の成熟した社会づくりを目指して、日本が美しく風格のある国土を創るためには、機能的な地域が整備されるとともに、過疎であっても豊かな自然や多様な文化をもつ地域が、それぞれの地域の生活観に根ざした豊かな地域社会を健全に維持するとともに、新しい文化などの価値を創出して、発展するための努力が重要である。
さらに、都市と過疎地域が機能的にも相互に補完し合い、交流を深めていくことが不可欠である。とりわけ、自然環境保全整備の問題は、多くの過疎地域が各国の中で果たすべき極めて重要な役割であることから、過疎対策としても、地域の美しい環境の保全や景観の維持・創生に努めることが重要である。こうした地域整備は、地域住民のみならず広く国民一般にもその恩恵が及ぶと考えられるので、必要に応じて都市とも連携しつつ、施策を推進することが求められる。
各地の過疎地域活性化の取組の事例など、過疎地域全体として役立つ手法の「工夫」、「知恵」、施設の有効活用法などの情報や手引きを共有できる仕組みを充実するとともに、地域の個性化・自立化へ向けた斬新な発想で、戦略的な思い切った施策に取り組む積極的な姿勢の地域に対し、重点的な支援を行うことが望ましい。
さらに、このような取り組みを促すには、先進的、モデル的な取組に対し支援することも求められる。この結果、これまでにない新しい事業への取組が容易になるとともに、その成果が他地域に情報として周知されることとなろう。
参考文献
・奥会津書房 森に育まれた手仕事 1999/9/15
・日本デザイン学会 斎藤 佳奈子高齢者と地域づくり 1997/3/31
・国土庁地方振興局過疎対策室 これからの過疎対策について 1999/6/1