吉 津:奥会津との関わりを話して下さい。
足 立: 取材で二、三度。奥会津というのは名前がいいと思うんですよ。奥には何かがあるんじゃないかと・・・。奥飛騨・奥会津、山の中なんだけれど、その又ひとつ山の奥に、そこにはやはり何かがあるんじゃないかと。山国の原点を想像させるような言葉の響きがありますね。ロマンチシズムですけど。それによって実際に訪れ、書いてみようかと思わせるようなものは確かにあると思います。会津というと、浜通りよりは山の方にかき立てられるものがあります。吉津さんのように厳しい人がいたり・・・(笑)
三 浦: 私は郡山に来て二年半ぐらい経ちましたけれども、あまり足をのばすことはなかったですね。やはり遠いですから、昭和五十八年にも一度虚空蔵様に来たことがあって、尾瀬には一度ですね。山里というイメージしかなくて、どういう暮らしをしておられるのか、どういう自然があるのかということは全く分からなかった。平成九年に再び来て、前任者が「奥会津の地域づくり」をしていて、継続しようかどうか考えましたが、この地域の人が共に話す機会があるというだけでも、期待されているところがあるのかなという思いで続けてきた訳です。
そのうちに実際に何かしようという動きが出はじめて、この論文募集もそのひとつですが、そうして関わって来ますと、次第にここの地域のことも分かってきますし、足も運びますから、愛着も湧いてきましたね。やっぱりいい所だなあと思うようになりましたね。尾瀬というイメージが強くて自然が豊富だということと、斉藤清さんの版画のイメージそのものでもありますね。天 野: ここで生まれてここで育った人間で、ここしか知らないような人間ですが、近代化の波に押しやられる地域で、不安や困ったなという思いがとても強いです。奥会津というのは、私たちにしてはやはり、「御蔵入り」という土地で、会津藩の外側で、過去においては苦しんできた地域でもあるわけです。ですから、我々の代で奥会津をダメにしてはいけないという危機感と使命感はやはり心の中にあったし、きっちりと次の世代に引き継がなくてはならないという義務と責任ばかりが多かったんです。何とかこれを機会に持てる力を充分発揮して、次の世代に活路を見いだせるような事業にしていきたいと切望します。
本気でやりたいですよ。地域の人には全員に論文を読んでもらいたい。本当は応募作品全編を読んでほしい。何か機会をとらえながら、読んでもらえて大切にしてほしいと思っています。高 島: 学生時代、吉津さんの取材をさせていただいたのがきっかけです。リゾート開発が進められている真只中で、地元にとってリゾートは果たしていいのかどうかという疑問もあった中で、吉津さんの手づくりリゾートに出会ったんです。
今は富山に住んでいますが、奥会津は確かに山の奥で、宝物が発見できそうな気がします。きのうの話でも、魚やら動物やら草やらなんだかたくさん名前が出てきて、豊かだなと思います。奥といいながら新潟に近いし、若松や東京にも近い。富山に比べて恵まれているな、人の行き来ができる地域だな、という感じがします。橋 本: 織姫として三年前に昭和村に来ました。からむしだけでなく、この地域の文化に触れたいという思いがあって、奥会津書房に関わるようになりました。からむしをやる時間がないぐらい、書房がいろいろと忙しい(笑)。でも、自分としては勉強することの方が多くて、ここの土とか水に根ざした生活に、精神的なものを学ぶ機会が多いです。
今回の論文も、いろんな人の思いを一番始めに読むことができて、いろいろ勉強になりました。役所の方とか、いろんな方に是非読んでもらいたいです。でもなかなかそうはいかないのかなと、ちょっと残念ですが・・・遠 藤: 地域の中では似たような懇談会や委員会があって、重なって出ていますと、又同じような会議かなあと・・・吉津さんがいらっしゃるってことは面白いかもしれないなと思いながら、二回目位までは又同じかな・・・という・・・。そんなフラストレーションをきっと皆さんもお持ちで、それがバンッと破れた瞬間は小気味いいもので、この懇談会の意味はその辺にあったのかなと思います。思いを共有することの方が、物事を突き動かすエネルギーになるんだなという気がしました。半分失望しながらいろんな会議に出ていて、この懇談会はやっとそれが形を見つけられるところだったかなという気がします。
奥会津というところは、精神的な文化を持ち続けることで地域が成り立って行くところだから、精神文化をどう継承していくかという、目に見えないものへの努力が必要なところだろうと思います。吉 津: 論文を選ぶということも去ることながら、やはり、お金を払って買っていただく本として、面白いものにしたいというところを大切にしたいと思うんです。論文としては優秀でも、実際には「まるごとテーマパーク」のような構想は、例えば十年位前にこの地域全体で打ち出しているのに、何でできないかという事の方がむしろ今回地域から書いてもらいたいことだったんではないか。そんなことも本の中に入れていってもいいんじゃないか。
足 立: 入選作八編のうち六編が地域外。二編が地域内の人ですが、地域外の人の思いというのはほぼ共通していますね。
山里の原点としての奥会津に、二つの面を見ていると思います。過疎・高齢化・後継者不足というマイナスの面。これは日本の山里のひとつの原型を見ていると思いますね。その裏側として、東海道ベルト地帯のようにめちゃめちゃに風景が壊されていないので、人が少ないだけにまだ大事なものが残されているのではないか。まだ何とかなるんじゃないか、という期待ですね。
ここが変われば、日本の中山間地域のひとつのモデルになるんじゃないかという思いを、まあ、勝手なことを言うなという地域の方々の気持ちはあるかもしれませんが、希望をどこかに見つけたい、託したいということで、なるべく巨大施設をつくってほしくないとか、自然と共生するというのはこの六編に共通しているんですね。そういう思いをくみ取ってほしいという視点と、なかなかどっこいそうはいかない問題があるんだという地域の側から見た別の視点がある。この二つの視点をどう組み立てて評価していくかというのが、今回の論文募集のテーマですね。
それにしても三十五編ですか?論文を書いて送るというのは、この時代、とても大変なことですよ。皆さん非常に愛情を持って努力を傾けて書いておられる。よく集まったね。三 浦: 本当に良く集まったと思いますし、都会の人がどれほど自然に対してノスタルジーを感じているか、なくなってしまったものに非常に郷愁を抱いているのかが分かりますね。逆に、住んでいる人自身はどう思っているか、それほど価値を置いているのかどうかは、別の問題だと思いますね。
例えば、自販機を置いてほしくないという提案がありましたが、じゃ、ここに住んでいる人は自販機もない生活をするのかというような点で、互いの調和をとるのはとても難しいことだと思いました。
やっぱり、自然を残していきながら、それを産業として育てていくというこの地域全体のコンセプトがまだあまり浸透していませんから、ここに住む人にとって、残された自然の貴重さというものをどれほど真剣にとらえているかというところが、これからの課題ではないでしょうか。天 野: 論文を読んでびっくりしたのは、奥会津に入ってみて人間のものの考え方が豊かで、生活も豊かで、家も大きいから、こんなところで生活したら楽しいだろうなという感情を外側の皆さんが抱いてるんですね。ところが、俺たちが考えていることは、こんな山奥で、高齢化が進んで、いつ経済的に崩壊するか分からない不安の中にいるのに、何故外部から入った人はこういう見方をするんだろうという驚きがあった。こういう不安を抱えながら、ここをどうにかしなくちゃなんねぇっていう、心の中には秘めたものがあるんです。だからとても大事な論文だけれど、具体的に元気の出る論文は少なかったように思う。それは地域の人の作品が少なかったというのも大きな原因だと思うんです。入選作品は八編ですが、やっぱり三十五名の方が書いてくれた論文は、これからここの地域の人達がいろんな事に関わっていく上で、話題になったり参考になったりするものが多いと思う。
私は只見川流域、奥会津の入り口の柳津に住んでいますが、町づくりの中で、必ず活かしていかなくてはならないと思います。そういう大事な視点に気づかせていただいたことに感謝しています。この事業を継続して、将来、元気の出る論文が出てきてくれたらいいなと思います。橋 本: 入選作品の中にも、道の駅をつくるという内容があったと思うんですが、私はあまりいいとは思えなかったんです。かえって、地域の人の論文で、子どもたちに、今のうちから大切なものを見せていかなければという内容があって、精神的なことですが、今やっておかなければならない大事なことなんではないかと強く思いました。地球環境や共生とかいう言葉が、今たくさん使われていますが、そんな言葉にしなくても、育っていくうちにみんなが自然に分かっていくことだと思うのです。
毎日、編集作業で論文を何度も読んでいるんですが、そんなことを感じながら作業をしています。遠 藤: 事務局をやっていた関係で、応募する方と直接お会いしたり話したりすることができましたので、応募する方の真剣さ、誠実さ、誠意、それが一番印象深かったんです。論文は来る、という確証はありました。この真剣さ、誠実さに置いては、関心の薄かった地域の人達はかなわないなと思いました。地域の人達が、この真剣さで自らの地域を見つめる波がひろがっていけば、足立さんがおっしゃるように、外側の視点と内側の視点が重なって生まれてくるものが、もっとはっきりしてくるんだろうなと思いました。
確かにこの試みは、本を作っておしまいというのではなく、ひとつのきっかけであって、どういう形で継続するかが大事だと思います。時間をかけた中で、確かに見えてくるのではないかという希望があります。
本当に残念でならないことですが、選に入らなかった高島さんが、こうして座談会に入って下さるというのは本当にありがたいことです。いろんな方にここに入っていただくと、またつながるかもしれないという思いがありますね。高 島: それだけでも PRですよね。
吉 津: いい面ばかりいうと本当にそうなんだけど、真面目っていうのはちょっと息苦しかったりして、せかっく書いていただいて失礼なんだけど、地域が一丸となってっていうのは、ちょっと息苦しいのね。全然違う考えの人がいてもいいでしょ。それが共鳴を得られなかったら実行しなければいいし、共鳴を得られたらやればいいと思うんだけど、非常に真面目であるが故に、提案したことに地域がまとまって、みんなでコンセンサスをとるという今までの考え方では、結構息苦しい。いろんな事に長年取り組んできて、うまくいってないっていうのは、コンセンサスを取りたくないっていうか、地域ぐるみ前向きにみんなでやることが楽しい訳じゃないし、この論調は期待していたより古いかなって感じもしたんですよ。
足 立: 産業構造に踏み込んでないからですね。産業構造の転換、野菜作りとか花卉作りとか、伝統的なからむし織だとかが若干ですがある訳ですよね。林業などは山が荒廃していて産業としては停滞しています。そうした問題に踏み込んでダイナミックに展開していこうというような発想は、残念ながら今回はなかったようですね。しかし、曇りのない気持ちで純粋に応募しようという純な心は汲み取らねばなりません。
しかし同時に、一歩踏み込んでないだけに限界もあるわけですよ。ですから地域に住んでる人の、苦味を含んだ二編を、どういう風に評価するかですよね。その間を結びつけていく道はないのか、と。その中間点に実際行動を起こす奥会津の方向性が出てくると思うんですよ。
苦味を含んだ、五十嵐さんと大久保さんの二編を、皆さんどう思われますか。遠 藤: 多分、私たちの試みは始まりなんですよね。そのことを象徴としているという気がしています。おそらく、吉津さんと天野さんが期待される、元気が出る提案が出てくるための関所のようなもので、ステップアップするための礎です。これを解決しておかないと、バンとはじけるようなものは難しいのではないかと。
今回の募集の結果が、たとえ不足の部分があったとしても、これが二回目、三回目になった時に、地域の歴史も見えてくる。その証言者というふうに受け止めています。確かに苦いけど、現実に苦いんですよね。この現実を地域の人が、いかに早く気づくかということが大事なんではないでしょうか。
私たちは、これをまとめて本にして終わり、ではないですから。これを地域の中でどうやって展開していくのかというのが、本来の私たちの実際的な活動だと思うんです。
応募して下さった方々から、必ずと言っていいほど尋ねられる事は「私たちは一生懸命提案するけれど、これを本当に地域の中で実践する気があるんですか」という質問です。互いに地域を考えるんだという、信頼関係の上での誠実な作業と執筆だったはずです。
私たちがこれを始めた。そして地域が受け止めた。その責任の果たしようというのを、次の論文募集をする際にも同時進行でやっていかないといけないと思うんです。本気でやる以上、二編にも象徴される問題の根源をきっちり踏まえておかないと、素晴らしい提案の実践には結びついていかないんじゃないでしょうか。違う視点が結びつく中間地点を本気で考えていくことが必要だなと思いました。天 野: 私は農業をやっていますが、ここの地域の弱点として痛いほど分かる。しかし結果は、反発を招くだけっていうことで終わっているんじゃないか、と。いろんな形の意見を本にして出しても「またか」とか「どうせ行政でやることだから。地域のリーダーがやることだから」と、真剣に受け止めてもらえないというか、慣らされてきたんだなあ。やっぱり、目を輝かせるような何かが必要なんだと思う。それがこの研究会の大きな仕事のひとつだと思う。みんなの論文でも主張されているような、魅力を持つように、地域に働きかけて、みんなが理解してくれて力を持つように。
実際に地域のリーダーは、吉津さんにしても、花作りの菅家さんにしても、もっともっと深いところで大変な努力をしているわけです。それでも地域は、なかなか受け入れてはくれないし、地域が輪になるような力にはならない。
高齢化する地域にあっては、高齢者の労働力はとても大事なんです。六十歳以上の人々が元気じゃないと、次の世代にここを引き継ぐことができない。そう思って花作りを始めたんですけれども。かなり苛酷な労働を強いられることもあって、なかなか思うような高齢者のための適切な策とはなってません。ここは高齢者が活躍しなければ成り立たないところですから、その方向性を見いだしたいと思いますね。遠 藤: 効率とか、即、形が見えてくるものを私たちはあまりにも追い続けてきて、特に産業や経済活動で、今のレベルからいかに高い水準に上げるか、ということに主力を注いできたように思うんですよ。
高齢者の人達が活躍する場をどうするかという具体的な行為そのものよりも、今必要なのは、橋本さんが言ったように、教育の場で、今、積み上げていこうとしないと、いつまで経っても高齢化を問題として掲げ続けなければなりません。
今の子どもたちが、例えば三十歳になった時、高齢者との関係性がかつての成熟した社会に近づいているためには、墜ちたものをもう一度高めていかなくてはいけないから、地味な上に大変な時間がかかるわけです。この地味なことを何もやってこなかったね、この地域は・・・という思いがありますね。その総括はしなくてはいけない。
何をやっても問題は解決しないのは何故なんだろうと。やはり、私たちの年代位から、価値の多様化といいつつ、大切な価値を崩壊させてそれを放ったらかしにしてきたという事実があるわけです。大事なものを引き継がなかった。むしろ絶ち切ってきたという事実がある訳です。その責任は負わなくてはいけない。今、痛い思いをするのかもしれないけれど、次の子どもたちには、成熟した社会を営めるかつての調和したものをちゃんと見てもらいたい。そうすれば、天野さんが求めておられるような、明るく元気なものが生まれてくるんではないかと思うんです。吉 津: 私はそういうのに、真面目すぎて息苦しいものを感じてしまうんですよ。面白い時や盛り上がったときにやればいいと思うんですが、五十嵐さんの論文にも、みんなが面白い時にはいっぱい集まってきたけれど、回を重ねていくと人が集まらなくなってきたとありましたが、それは普通のことで、私はそれでいいんじゃないかと思うんですよ。時々スランプになってもいいし、あまり完璧なものを目指しても、苦しくなるんじゃないかな。
五十嵐さんの論文にある「リーダーは優秀でなければならない」っていうのは、誤解されやすいフレーズかもしれない。何をもって優秀とするかっていうことがはっきり伝わらないと、優秀でない人間はカチンと来るかもしれないね(笑)。足 立: 五十嵐さんの論文で非常に優れていて鋭いのは、子どもがだんだん地域から引き離される構造になっているという点です。これは、日本中に通じるんですよ。
海岸地方を取材していると、泳げない子ども、海で遊べない子どもがたくさんいるんです。海がコワイって言うんです。親たちは何をしているかというと、塾へ行かせて、泳ぐんだったらプールで泳げという訳です。
そういう教育を日本中やってるわけですけれど、海は危ないから近づいちゃいけないといわれて育ってきた子どもは、絶対にそこに帰ってこないんですよ。同じようなことは山でもいえるわけですよね。つまり地域にふんだんにあるものから孤立させて、そこにないものに向かわせるような教育は、結局は都会に向かわせるんです。それはまずいんじゃないかと。野球大会やバスケットボール大会、そんなの全部優勝しなくていいから、地域で過ごす部活以外の大切な時間を、もう一度与えてやりたいと。
それは五十嵐さんの論文の最も鋭いところです。どこにも通用するし、村おこし、町おこしの基本になるところですね。それによって村の行事に加わったり、ケガしたり、遊んだり泣いたり笑ったり、自分の棲んでいる場所で存分にそういうことをしたことがあるという経験は本当の力になる。小学校の六年間っていうのはものすごく重要な時間ですから、その期間に、そういう経験をしたかどうかというのは決定的なポイントですよ。それをもう一回見つめ直そう、もう一回その場を与えようというのが五十嵐さんの論点で、僕が一番評価しているところです。三 浦: 吉津さんはコンセンサスはいらないじゃないかというお話でしたが、論文の中では、自然が大事で、その中の暮らしがいいんだという同じトーンが続きましたが、それを地域に住んでいる人は本当にそう思っているのかな、と。
口々に 思ってないんです。吉 津: 都会の側には、田舎はずっと自分たちの心のふるさとで懐かしい空間であってほしいっていうコンセンサスがあるけど、ここに住んでいる側は、それに答えようと言うのは少数派で、どっちかというとそれは都会人の身勝手だと。例えば、囲炉裏を残せとか。ここは父ちゃんが座る場所、ここは母ちゃんが座る場所っていうような封建的なものより、シャンデリアを下げて真っ平にしたいしたいって言う方が今だに多いんですよ。どっちかというと、そっちの方が地域のコンセンサスかもしれないくらい、都会の人とはギャップがある。ギャップがあっていいから、田舎の人はこういう風に考えているよという事が伝わった上で、もう一回、本当に囲炉裏が欲しいのかとか、逆に田舎の人も、それを残すためなら、これぐらいの負担をしてもいいという部分が伝わらないまま、お互い離れたままで、それぞれ全く逆のコンセンサスはある。これはまた別で、多様な意見があって、やりたい人だけがやればいいんじゃないかって気がするんですよ。全員参加で、ゲゲゲの鬼太郎の町にする必要はないというのもあってね、どうも・・・。自分たちの金でやるんならいいけど、俺の税金も入っているんだとしたら、俺の美意識とは合わねえなっていうのがある。
遠 藤: 個々に動いていくのはそれでいいんですが、きのう足立さんがおっしゃったような、只見川流域を通して森林の維持管理を考えていかないといけないねというような、広域で考えなくてはいけない時のコンセンサス。グランドデザインのような。なぜ九か町村が集まって奥会津を考えるかっていうと、もちろん自分たちの住むところをよくしたいっていうのはあるけど、日本全体で見たとき、この地域の役割って何だろうなって。せっかくこれだけまとまって考えるからには、共通してイメージするものがコンセンサスかなと。
三 浦: 自然を守るとかって言うのは、ある程度地域の統一感がないと、きっと出来ないんではないかなって感じがするんですよ。
吉 津: それは結構あるんですよ。「歳時記の郷」っていう地域イメージを流域で始めた時も、「もう箱物の時代は終わった。地域に残る伝統文化で地域おこしをやるんだ」っていうのが始まりだった。でも十年経って振り返ってみると、残ったものは箱物と看板とポスターだけだった。
やっぱり自然を活かして、伝統を生かしてという一番やりたかった部分は、あまり残っていなくて、掛け声だけで予算を引っ張ってきて箱物を作って・・・まだ終わってはいないけど。天 野: 最初に発想した人の「歳時記の郷」とは随分違ったものになったんじゃないかという気がしますね。
三 浦: そういう意味で、青木宏一郎さんの「ふるさと運動再び」というのが興味深かったんですが、落ちちゃったんですね。
吉 津: 最後まで競ったんですよ。「ふるさと運動」と「ふるさと住民登録制度」と似たものが二編あったから、優劣付け難かったんですけどね。
遠 藤: 競った理由は、三島町に限定しているが熱意が作品であることと、ふるさと運動と同じ発想で奥会津全体を見ている作品とということで・・・どうなんでしょうね。
ふるさと運動の理念そのものは、今でも新しいと思うんですよ。二十五年前の発想ですが、ようやく時流がついてきたって感じがするんですが、現在の状態を低迷と見るか何と見るかは、本当に理念を理解しているかどうかで、三島町の人達の覚悟いかんにかかっているという感じはします。足 立: 吉津さんどうですかね。しばらく民宿なさってたでしょ。民宿をすることによって、只見町ファンとか第二のふるさと的に感じてくれる人っていうのは広がっていくものですか?民宿のおじさんやおばさんとの出会いの中で。
吉 津: 広がっていくよりも、ファンがいてファンが来るっていう感じが強いですね。こっちが掘り起こすんじゃなくて。
ニーズと全く違うことをやってるんですよ。例えば只見の民宿だったら、舞台作ってカラオケセット置いて、ハワイの・・・足 立: そんなことやっているの?
吉 津: だからのぼりとか垂れ幕なんかがあるような宴会場を作って、どっちかというと鬼怒川や箱根の真似みたいな。小ちゃい観光ホテルの小型化したような民宿をやりたがっている人が多いんです。バスで団体で来ると一晩で五十万というような宿が目標なんです。
実際にこっちに来るお客さんは、魚釣りや登山や自然ファンで何度も来ているリピーターなんです。そういう潜在的なお客さんはいっぱいいるんですよ。ところがその人たちを相手にはやっていないというギャップがありますね。足 立: それは完全なミスマッチですね。常磐ハワイアンセンターみたいにしても人は来ないわけでしょ。
吉 津: そうなんです。でも、民宿を経営している特に年輩の方なんかは、やっぱり一晩何十万とかね。リピーターで年に四回も来てくれたりっていう方が、トータルでは得でも、実際に得だという実感がないわけですよ。そういう人を大事にするような対応が出来てないですね。
天 野: 民宿だけじゃないね。旅館もそうだ。これからの奥会津観光っていうのは、はっきりさせないといけない。どういう人をターゲットにしていくのかと。バスが何台も来て止まるという形が、一年中切れ目なくあるというのはこれからは不可能なんだから。
足 立: 熱海でも、女性一人旅や家族連れを受け入れる時代ですね。中年女性の三,四人連れが一番多いし、一番金も使う。
客層がシフトしているんです。
だからまず、論文集を、旅館組合の人に見せると(笑)。三 浦: 自然の中に浸りたいっていう人達をもてなすんだということを、自分たちのひとつの意識で、産業として見ていないんじゃないかなという感じがしますね。
高 島: 私は叶津番所に泊めて頂いたんですが、自炊でもいいし、下手すればテントでもいい。段階的に料金を変えて、自然探索対応の民宿があったり・・・
吉 津: 状態が分化するっていうのが出来ないんですよ。これだけ地域が広いんだから高級旅館があってもいいわけでしょ。ところが、みんな七,八千円から高くても一万円位で民宿と競合するようなラインでやってる。本当はどの町にも高いお金を払って高いサービスを受けたいお客さんも来るんだけれど、怖くて出来ないんだよね。みんな同じ。
同業者組合みたいなものを作って地域の中でやっていくという方が、売り上げを上げること以上に、大切なことなんだろうけれど。お客さんのニーズに添ってやるっていう体制じゃないんですね。天 野: 「会津柳津・文学の彩り」を書いてくれた小野春江さんの作品は、柳津にとっては大変大事なことです。というのは、約二〇〇年前良寛さんが柳津を訪れて「ここはあの世から極楽を持ってきたような所だ」といったそうですが、お寺を中心とした佇まいが、本当に理想郷だったと思います。良寛の目に映った当時の暮らし方や考え方はどうだったんだろうって考えると嬉しくなるんだけれど、今と違って、とても豊かな考え方をしていたと思うんです。二〇〇年前に遡って、当時のような思いで生きるよう努力すべきだと思うんですよ。今の旅館はみんな宿坊だったんです。宿坊の旦那さんや女将さんは参拝する人たちにどう接していたのか、門前町やあの界隈の農村に人達はお寺との関わりをどう思っていたのか、そこを考えると、自らこれから進むべき方向が見えてくると思うんだけどな。
柳津町で機会があったら、小野さんを呼んで話を聞きたいと思いますよ。足 立: 景観保存はいろんなところでやっていますが、ちょっと規制すれば出来ることがありますね。例えば、原色は使わないようにしようとか、看板は表に出さないで店の前につけるとか、それだけでも大分違ってくると思いますね。
遠 藤: みんながやらないとね。何度もその種の提案は出されているのに、何で出来ないんだろう。
吉 津: 県の景観条例が出されましたよね。只見町でもやってますけど。私は景観条例の会議で、それを提案する行政の建物がまず、とにかく景観条例から外れているって言ったんですが。緑ありピンクあり、宇宙船みたいな形のものやら、謎の美意識で建物を作っている状態で、自然素材の家を建てるとか新建材使うなって言ってもなあ。
住民に景観条例を出す前に、先行して公共建築物の景観条例を作って、それを実践してから住民に提案していくっていう順序だともう少し伝わるんだろうけど。高 島: 富山は屋根はみんな黒なんですよ。こっちへ来たら赤が多いんですね。あれだけ多いと赤もきれいだなと。でも、なぜ赤なんですか?
一 同: うーん・・・
三 浦: 赤いペンキは安かったんです。
足 立: もともと藁ぶきなんでしょ。
遠 藤: 藁もなくなっているし、職人さんもいない。
吉 津: 藁の上にトタンをかぶせると雪が落ちる。
橋 本: 昭和に行って最初に目に付いたのは、ごちゃごちゃした色の屋根でした。何でこんな色なんだろうって。
天 野: 今から十五年位前から急速にトタン屋根になったんだけれど、全く色なんて無関心で、トタンの方が便利だからみんな屋根屋さん任せてトタンにしたんだ。
吉 津: 舘岩村では(前沢集落・水引集落)景観保全の際は補助金を出していますよ。
三 浦: ここは恵まれた所ですよ。尾瀬があって斉藤清さんの版画があって。あの方の版画のイメージは、日本人は好きだと思いますよ。あの版画を見て、実際の景色も見れるんですから、それだけでも人は来そうな気がしますけどね。その大事さをもう少し大切に考えていただけると、景観も保全できるんでしょうけど。
吉 津: アクセスについては大塚さんの論文で通過型アクセス道路は避けて、域内交通の整備を優先すべきだと触れていますが、神奈川県を上回る面積がある奥会津ですから、インフラと実際の生活とを混同させないで考えても、まだ道路の整備は整備は不充分ですよ。
天 野: 鉄道と鉄道の隙間を埋める道路や、低料金のタクシーが欲しいね。 御蔵入り当時の歴史資源として生き方を学ぶためにも、交通機関の充実やガイドを作っていきたい。人が入ってくるというのは、地域にとって自信につながるし、確実に活性化されるんですよ。奥会津なりの開発を考えないと。
三 浦: 磐越道は会津の人たちは待ち望んでいたんですが、フタを開けてみれと通過していくだけで観光客が減ったと言われてます。奥会津の方たちはどう感じてらっしゃいますか。
吉 津: 只見の人達は、観光客が入ってきて落とす金より、山菜や茸を乱獲される被害の方が大きいから、道路の整備は要らないっていう声がかなりあるんですよ。
道路が出来たら人が来るって考えるのが、おかしいんじゃないか。植民地的な観光はやめた方がいいな。でも、俺はやっぱり道路を作って欲しい。全然コンセンサスないな(笑)。遠 藤: どうして観光客の入れ込みでだけ論議されるのかなあ。高齢者が増えていて、病院も少ない地域につながった高速道路を、救急車が突っ走って命が助かるという事の有り難さ。住民にとっては、緊急の時の不安が解消されるということは大切ですね。功罪両方ありましょうが、常磐道のおかげで観光客が減ったという不安はお門違いというか・・・。地域の努力の如何でありましょうし、使い方でしょうし。
観光客の数で、地域活性化を計るという時代ではもうない、という気がするんですが。観光客におもねたり委ねたりということからは、もう外れていかないと。観光客としてでなく入ってきて下さる方との関係を結べる、地域のあり方を考えないと。その人たちの生活道路だという考え方も大事にしてほしい。吉 津: 移住してくれるといいんだけど、金出さないと来ない人には来てほしくないっていうのは、割合コンセンサスになってる。
論文を読んで少し気になったのは、来る人に安く土地を売るとか、生活費を補助するとかいうのはどうもね。天 野: 私はあまり気にならなかった。聞き流すクセがあるし(笑)。磐越道に関しては、会津を中心にして二〜三時間で日本の裏と表につながるという素晴らしいアクセス道路だ。産業開発や誘致を考えても面白い。生物の出荷ができる。
足 立: 坂本さんの論文に関してですが、私の友人の話をしますと、移住するために家を売ってこれから二十年、三十年の生活を始めるんです。彼らにとっては大変な決心です。不安もあります。行政に何かをしてもらわなくてもいいから、そこの住民には受け入れてほしい。何かと相談に乗って助けてほしいという思いはあるんですよ。
吉 津: 是非そうすべきですよ。でも実際は、町村にとって都合のいい人は歓迎するけど、少しでも政策から外れていると歓迎しないっていう風潮があるんですよ。そういうの感じないですか、橋本さん。織姫で来ていて。
橋 本: そうですね。まず家を貸してもらえない。体験期間が終わって、合宿所を出たあと、住む家がなかなか見つからなくて、みんな苦労するようです。
足 立: 空き家はたくさんあるんでしょ。
橋 本: ええ。でも、お盆やお正月には帰ってこられるからと。
天 野: 家を貸す習慣なんて全然ないんですよ。
橋 本: 貸して下さるのなら、自分で直してでも住みたいと思う人はいると思います。ここに住みたいと思う人は、そこまでするつもりがあると思いますが。
足 立: どうしてでしょう。
吉 津: 貸して煩わしい思いをする事に見合うほど、家賃をもらえませんしね。差し引きすると、面倒なだけだっていう人が大部分じゃないでしょうか。JR の住宅や電源の住宅などの空き家もたくさんあるんですが、ある目的で行政で建ててるから、目的から外れた使い方は出来ないというジレンマがある。
選考作品について
吉 津: 選から漏れた中で印象深かった作品のことを話してみましょう。
足 立: 貞富さんの論文は、テーマが多岐に渡りすぎましたが、この人が指摘する具体的な提案は、ひとつひとつそのとうりだと思うし、実践してほしいことです。ただ有機農業にあまりこだわりすぎると、実際の農業とのかねあいが難しいと感じました。
天 野: 奥会津の人たちの生活の場で、果たして共感を得られるかどうか疑問ですね。
足 立: この方は論文取材のために千葉から三度もいらして一生懸命取材しておられる。奥会津に対するこの情熱に対して、僕らは○をあげたい。農家の方には、実際には難しい提案でも、せめて奥会津では有機肥料や無農薬の野菜を作っていてほしいという切なる願望が発想の原点だと思うんですよ。その善意と願望を認めて、よくやりましたねと言いたいですね。
遠 藤: この方は、真っ先に電話を下さって、その後も何度となく質問してこられました。奥会津を歩きながら、あれもこれもと気になって、テーマが増えたんだろうなと想像します。あの情熱にこちらも鼓舞されました。忘れられない方のお一人です。
足 立: 真面目な方ですよ。
遠 藤: 論文にはならなかったけれど、膨大なメモを送ってくれた白川さんも丹念に歩いた方で、「たくさんの方のお話を聞かせて貰ったのに間に合わなかった。ごめんなさい。何かひとつの提案でも、お役に立てるなら、どうか使って下さい」と九十ページにも及ぶメモを送って下さいました。料理のレシピから、パソコン持って田舎に住もう、まで、即実行可能な細やかで具体的な提案がぎっしり詰まっています。各町村で是非お役立ていただきたい。
天 野: 木村さんの「水窪域と二つの険路について」は、奥会津の歴史を再認識する上でいいヒントになるんではないか。地域の人がこれを深めていく必要性を思うと、評価されていい論文だ。
三 浦: 久保田英夫さんの「豊かな自然とあふれる人情」で、奥会津郡という統一名称を提案しておられましたが、現在「歳時記の郷」っていう奥会津での統一イメージが、だできてないという感じがしますね。もう少し徹底した方がいいんじゃないんですか。この論旨が生まれた背景には、「歳時記の郷」を実感できなかったということがあるんじゃないでしょうか。
吉 津: 話は尽きませんが、応募して下さった三十五名の方々に、心からの敬意と感謝を込めて座談会を終わります。
シンポジウムには皆さんに来ていただこうよ!やっぱり会いたいものね!!
★座談会
「みんなに会いたい!」
〜足立倫行氏を囲んで〜
出席者
足立倫行
神奈川県在住
ノンフィクション作家
……………………………………………
吉津耕一 (司会)
只見町在住
たもかく代表
天野昭一
柳津町在住
農業
三浦真紀
郡山在住
建設省郡山国道工事事務所 所長
高島美奈子
富山県在住
論文応募者
橋本百合子
三島町在住
奥会津書房
遠藤由美子
三島町在住
奥会津書房(論文事務局)
1月13日、三島町の交流センター山びこに集まったメンバーは、
足立倫行氏と応募者の一人高島美奈子さんを迎えて、「論文募集」
への思いを語り合った。