クロード・ガニオン監督



2001年12月から2002年1月にかけて、「リバイバル・ブルース」という映画に参加した。
クロード・ガニオン氏はカナダから来た監督で、1979年には日本で「Keiko」という作品を撮っている。
今回は、俳優の奥田瑛二さんがご自分の製作会社で、合作としてつくろうと、呼んだということだった。
「櫻井さん、12月12日って予定どうなってますか?」
「あ、編集作業があるので1日ダメですねえ」
「そうなんですか・・・沖縄に行くんですけど・・・」
「え、そうなの?ロケハン?いつ帰ってくる予定?」
「いや、あの〜、15日からもうクランク・イン(撮影開始)なんですよ、1週間です」
その電話があったのは12月9日である。それまで仕事は引き受けてはいたが、クランク・インは20日過ぎ
になるだろうということくらいしか聞いていなかったのでビックリした。
12日の出発は無理だったので、20日くらいまでに組んでいた予定を全部組みなおし、13日に一人で
飛行機に乗った。沖縄は初めてだから内心はワクワクしてたけど。

沖縄のことは今度書くとして、ここでは現場全体についてのことにしようと思う。
クロード監督は50歳だがキュートなおじさんって感じで、すぐに仲良しになった。
僕は「サクちゃん」と呼ばれ、初めて一緒に仕事をした若造をよく信頼していただいたあものだと思う。
撮影はデジタル(もちろん業務用)カムで、監督が自ら担当した。なによりも、この作品は台本こそあるが、
セリフやアクションはすべて俳優さん達のアドリブなのだ。最初から最後まですべてで、もちろん
リハーサルなどなく、すぐに本番なのである。
キャストは奥田瑛二さん、内藤剛志さん、桃井かおりさんが、才能を炸裂させている。
セリフをやりとりしていくうちに、感情が思わぬ方向へ行ってしまうと、何度も色んな思いをぶつけながら
軌道修正していく。監督とのぶつかり合いもしばしば。
低予算で厳しいスケジュールの中で、クロード監督はどんな時もスタッフをはじめ、現場が楽しくなるように
気をつかっていた。陰で助監督さんと激しく言い合っているのも見たことがある。
しかし、現場では必ず笑顔で、若いスタッフも大事にして、冗談も冴えていた。素晴らしい。
映画が好きというのはもちろんひしひしと伝わってきていたが、それよりもなによりも、人間が好きなのだ。
この撮影では、スタッフもごく小人数で、一人何役もこなすような仕事内容だったから、かなりキツイはずだったが、
ラストの日までに、誰からも文句を聞いたことが無い。いつも笑顔である。
クロード監督も、きっと一番キツイ思いで頑張っていたはずだが、誰にも八つ当たりなどしない。
みんなこの現場で初めて会う人同士がほとんどなのに、ずっと仲間でいたような雰囲気だった。

ケンカをすることもあるが、思いやりのある人間同士なら、成長や創造につながっていく。
1ヶ月のあいだ、いろんなことを勉強させてもらった。クロード監督、本当に素敵な人です。
ありがとうございました。