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STORY
テキサス男のジョーは田舎から抜け出し、都会で一山当てようとニューヨークを目指した。
ジョーは都会の金持ち女に買われて稼ぐことしか考えていなかったが、
似非カウボーイの彼は見向きもされず、焦っていた。
そんな都会で、はきだめで細々と生きているリッヅォという男と出会う。
彼は喘息持ちで足も悪く、スリやこそどろをしていて、まわりからラッツォ(ねずみ男)と呼ばれていた。
いつまでもうまくいかず、金もなくなり、泊まっていたホテルも追い出されたジョーは、
ラッツォのまるで隠れ家のような部屋で一緒に暮らすようになる。
都会に憧れたテキサス男は、都会に埋もれたチンピラ男に孤独の風穴を埋め合うような友情を感じて行く。
NOTE
ジョーが憧れたのは女と金、都会に渦巻く欲望。
しかし、実際にはうまくいかず、流されながら自分を見失いそうになる。
ラッツォは都会に弾かれたような男だが、フロリダの楽園に憧れ、
心の隅にはイタリア系としての誇りを持っている。
彼等に共通しているのは、たとえはきだめの中でうごめくような暮らしでも、
何かを求めながら腐らずに生きていることだ。
失望と失敗の連続、だが決して自暴自棄にはならない。
片足を引きずるラッツォにしても、世の中にツバを吐いてるわけじゃない。
この映画が描いているのは、テキサス男の目に映った都会の歪みや欲望なんかではなく、
人が生きていくための心である。
この映画の中には、怒りはあっても憎しみはどこにもない。どこかでいたわる気持ちを忘れさせない。
それにしても、D・ホフマンの役への息の吹き込み様はホントにすごいと思う。
当時読んだ記事では、「カウボーイ」ではなくて「カーボーイ」なのは、都会のスピード感を出すためということだ。 |