いつも心に太陽を    監督 ジェームズ・クラベル    シドニー・ポアチエ
ジュディ・ギースン
クリスチャン・ロバーツ   
1968年公開
STORY
エンジニアの仕事を探していたサッカレイは貧民街の学校の教師の職を得た。
新任教師として赴任したクラスは卒業を間近に控える高学年クラスだったが、生徒達はすべて、
貧しさと問題を抱えた家庭に育ち、前任の教師をいじめぬいて追い出すほどの不良ばかりであった。
相次ぐ生徒達の嫌がらせに、これからは生徒を大人として扱うことを宣言した。
教科書を捨てて会話だけで彼等と接しようとしたのだ。
自分も貧困の中で育ち、皿洗いもしたというサッカレイに、彼らはしだいに心を開いていく。
しかし、他の教師達は依然として彼らを問題児としてしか扱わず、体育の時間には体育教師の横暴で
生徒がケガをしたことで、再びサッカレイと生徒達の関係に壁ができてしまうかに思われたが・・・。

NOTE
サッカレイは最初からいわゆる熱血教師というのではない。
たまたま得てしまった教師の職に戸惑いを見せる普通の男だ。
彼は生徒達のいやがらせにキレル。普通の人間としてキレル。
キレたあとに生徒達を押さえつけようとしなかったのは、職業として教師を目指した人間ではなく、
同じような境遇からなんとか真っ直ぐに生きようとして今まで来た自分を見て欲しかったのだ。
彼の教育は、教えることではなく、自分を見せることだった。教科書のない授業でサッカレイが教えるのは、
社会に出てからどうやって生きていくかだ。だから生徒達はサッカレイの言葉を一生懸命聞こうとする。
「コンラック先生」もそうだが、これらの映画の先生は生徒達と会話をする。自分の生き方を見せる。
人間としての心の教育は、押さえつけ、教養をただ植え付けることではない。
人間同士の会話、そしてぶつかり合いの中で生まれる信頼と理解だという事を訴える。
日本でも学校を舞台とした熱血教師達の物語は数多いが、実際に教師を職業としている方々
はどういう思いで観るのか・・。
これらの作品を観て感動するのは教師とは限らない。当然のことだ。僕もそうだし。
「教師はこうでなくっちゃあ」と学校教育の現実を批判だけして終わってはいけない。
自分の子供に対して、学校や仕事での部下や後輩に対して、
すべての社会に訴えられているメッセージだと思う。