Fish-01

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 神楽葉月は甥っ子の手にある物を見て表情を強ばらせた。
 ウニ。黒い刺を無数に持つそれを手にしている甥の表情は宝探しか何かをしてきた明るいそれだった。小学五年生の甥には判らないだろうが、たった一つでもそれは密猟行為だと女子大生の葉月には理解出来た。
「も、戻してきた方がいいわよ、それ」
「え?何で?」
 都会育ちだった甥が兄夫婦と一緒に田舎に引っ越して三ヶ月。田舎住まいにそろそろ慣れてきたのか甥が素潜りを自慢していたのは昨日の夕飯の席から承知おり、葉月の戸惑いに敏感に反応した甥、純也の表情が曇る。
「漁業権っていうのがあって勝手に取ったらまずいの。だから……」
「何獲ってんだよ純也!」
 まだ幼い男児の怒鳴り声に、葉月と純也の身体がびくりと跳ねた。
 振り向いた二人の目に、ランニングに半ズボンといった姿の数人の少年の姿が映った。純也と同い年くらいだろうか、だが都会育ちの純也は色白でかなり華奢だが、少年達は余すところなく日焼けして運動的な印象の子供達である。何よりも、素行の悪い子供には見えないが眼光が鋭く、野生児という言葉が似合っていた。
「松崎君……」
 気まずげな純也の口調で葉月は甥と少年達の間柄を推測出来た。少し内気な純也ではこういった少年達と打ち解けるのは難しいだろう。だが田舎の漁村で小学校は二つしかない所では好き嫌いはあまり言えない筈だった。
「お前、俺の父ちゃんが組合長だって知らないのか?密猟の現行犯は警察に突き出せるんだぞ」
「純也君は判っていなかったんだと思うの」
 リーダーらしき体格のよい少年の言葉に明らかに動揺している甥に、思わず葉月は二人の間に割って入った。
「――あんた、誰?」
 やや鼻白んだ表情で葉月の頭から爪先まで見る露骨な視線に、葉月はわずかに身体を引く。先刻まで純也と一緒に泳いでいた葉月はジャケットも何もない水着姿のままで、小学生の子供とはいえ体格だけならば中学生程度に見えなくもない少年達に容赦なく見られるのには抵抗があった。何より、純也は葉月を見て少し恥ずかしがるが、少年達のまるで値踏みをする様な容赦のない視線と、純也と同じく都会育ちの葉月には少年達の荒っぽい空気を攻撃的に感じてしまう。
「純也の叔母です。――純也君、今までにも何か獲った事ある?」
 少年達の視線が自分に注がれ続けている気恥ずかしさに、葉月は年長者として毅然とした態度を見せようと甥に問いかける。甥へ視線を向けた葉月は、少年達の視線が容赦なく水着姿の乳房と腰に注がれている事に気づいていなかった。
「は、初めてだよ。やっと一昨日底まで潜れる様になったから……」
「とりあえず父ちゃんの所に行くぞ純也。勝手に獲る奴が村にいるの問題だし、お前の父ちゃんにも言って貰う」
 漁村の子供にとっては密猟は死活問題なのかもしれない。同じ小学生とは思えないしっかりとした発言に葉月は少し感心し、そして慌てる。
 三ヶ月前に純也の家族がここに引っ越してきたのは医者不足で閉鎖になる診療所を純也の父親が継ぐ為だった。数年後には現在大学の医学部に進学した前任者の子供が後継者として戻ってくる予定だが、それまでは純也の父親が村で唯一の医者である。昨日の夕食の席で村人との交流がなかなか難しいと苦笑いしている兄がかなり苦労しているのは葉月にも想像がつく。そんな兄に迷惑をかける事など出来る筈がない。
「待って! 初めて間違って獲ってしまったの。だから貴方達が純也にここでの生活の決まりを教えてくれるというのでは駄目なのかしら。悪意や営利目的で獲っていないの。すぐ戻すから。もう絶対に獲らないから。――ね?純也君」
「う、うん」
 慌てる葉月に、純也が頼りなく何度も頷く。あまりにもおどおどとしている純也に、本当はこれが初めてではないのかもしれないと一瞬不安になりつつも、葉月は少年へと向き直る。
 松崎という名の少年は他の少年達のリーダー格なのか、少年達を見回してから葉月へ挑発的な視線を向けてきた。
「じゃあ、叔母さんが戻してこれるなら純也の事、今回は目をつぶってやろうか」
「え……」
 水泳ならば少しは出来るが素潜りなどした事のない葉月はその提案に戸惑う。だが漁港から山一つ離れた小さな入り江はそう深くはないだろう、岩などに捕まれば何とか底まで潜れるかもしれないし、途中でウニを放れば一応戻した事になるかもしれない。
「……。いいわ」
「じゃあ俺が見張るから、ズルはなしだぞ」
 密かに考えていた方法を見透かす様な厳しい少年の目に、葉月は思わず生唾を飲んだ。
 殻のままの生きたウニを手で持つ事自体初めての葉月は更に素潜りに慣れていない。岩場を危なっかしい足取りで歩く葉月の後ろ姿を少年達が食い入る様に眺めている事に葉月は気づかずに歩く。
 ハイレグまではいかないが白いビキニだけの姿は太股や腰回りが肉感的で、胸もそれに劣らない豊かな膨らみだった。女友達と冗談半分で買った洒落た水着は辺鄙な田舎の漁村の少年達の目にどう映るのか、内気な純也くらいしか知らない葉月には想像もつかなかった。――ましてや、小学生達の半ズボンの前が徐々に隆起し始めているなど。
「この辺り?」
「うん」
 入り江の先は葉月にとっては予想外にやや波が荒く、そして深そうだった。ごくりと生唾を飲む葉月の横で少年が見上げてくる。
「怖いならやめていいんだぞ。ただし父ちゃんに言うけどな」
「やれるわよ」
 失敗するかもしれないと思いながら、葉月は息を吸う。こちらが懸命な姿を見せれば相手は子供だから判ってくれるかもしれないという打算と、叔母としての意地が葉月の身体を動かした。ウニの棘を指先で摘む状態で、葉月はそっと海へと足を滑らせる。
 まだ昼前とはいえ夏の日差しも気温も容赦がなく、冷たい海水が心地よいが岩の表面を洗う波の勢いに足が取られそうになる。白い波の泡と強い潮の香りが身体に絡みつく。第三セクターの電車が日に数本だけ止まる駅すら、山をいくつか越えた場所にある辺鄙な田舎の海は、葉月の住む都心から日帰りで行く海水浴場とは比較にならない美しさだった。
 少し歩を進めると、岩場から急に深くなる場所があった。ここならば飛び込んでも問題がないだろう。何度か深呼吸を繰り返してから葉月はウニをそっと両手で乗せて包む形で持って海に飛び込んだ。
 ざんと音がたった後、葉月の周囲の音が海中のくぐもったものに変わる。しばし海からあがっていた肌が瞬間的に冷やされて引き締まった。両手で持っているウニを落としてしまわないかが心配だったがどうやら成功したらしい。しかし素潜りに慣れていない葉月が両手を使えないのはかなり難易度が高くなる…だが兄一家の事を考えれば年長者の葉月がこの場をどうにかした方がいいだろう。
 葉月が海中で数メートル下の海底を見つめていると、そのすぐ横に白い泡の固まりが大量に湧き、泡が切れるとそれが先刻の少年だと判った。
 これからどう沈めばいいのかを苦慮する葉月よりも遙かに余裕のある様子の少年の不敵な笑いが葉月の年長者としての意地に火をつけた。プールでの軽い潜水ならば友達と遊んだ事はある。くるりと海中で回転し、葉月は脚を動かし始める。
 流れのないプールと違い波のある海中の水の揺らぎに葉月の身体が運ばれかける。岩場の波の不安定さに不慣れな上に両手が封じられている身体が翻弄され、思う様に潜れない。そんな葉月を嘲笑う様に少年の泳ぎは安定しきっている。その無様さが引っ越してからまだ馴染めきれない兄一家の姿とダブり、葉月は懸命に脚で水を掻く。どうせ岩場ならばもっと浅くて楽な所を選ぶべきだったと考えても後の祭りだった。
 たった数メートルなのにとても遠く感じる海の底に、飛び込んでから潜る前に慎重な深呼吸をしておかなかった葉月の表情が曇る。やり直しをするのも有りなのだろうか、いやしかしここで年長者がやり直しては純也の立場が悪くなるだろう。両手で掻いても苦労しそうな初めての素潜りはすらりと健康的に伸びる葉月の脚でも効果が薄く、波が揺らぐたびに岩の寸前まで身体を運ばれ、そして引き離し時間と余裕を奪っていく。
 明るい青に満たされた浅い海中で懸命に潜ろうとする葉月の姿態は、面積が小さな白いビキニに包まれているだけで他は無防備そのものだった。潜水を監視する少年の前で水中独特のねっとりとした動きで太股が揺らめき、上部と下が水着からこぼれる水蜜桃を思わせる尻肉がくねり続ける。ビキニを繋ぐ細い紐は引けば解けそうな頼りなさで身体の動きに遅れて漂っていた。底にたどり着く事ばかりを意識している葉月の開いては閉じる脚の奥へ、ぷるんぷるんと揺れる豊かな乳房へ、冷たい水の向こうから幼い牡獣の劣情の視線が注がれる。
「――!」
 ゆらりと流された身体が岩にぶつかりそうになり、思わず身構えた葉月の指にウニの棘が刺さった。反射的に引いた手からウニがこぼれゆっくりと落ちていく。慌てる葉月を嘲笑うかの様に左右に漂いながら落ちていくウニは伸ばす手の先を摺り抜けてしまう。浮力があり素潜りに不慣れな葉月は波と重力に従って落ちる小さなウニを捕らえる事が出来ず、その距離は開いていく。
 もう無駄としか思えない状態で懸命に下へと空いた両手も使って潜ろうとする葉月の脚を突然激痛が走った。準備運動もせずに泳ぎだしたのが悪かったのか、腓返りを起こした脚に葉月の動きが止まる。脚を押さえる葉月の瞳に、もう海底に紛れて見えなくなってしまったウニの姿は映らない。ごぼっと口から息が漏れ、腓返りの痛みと既に限界間際だった息苦しさに整った顔がしかめられる。
 苦しむ葉月の瞳に最後に映った光景は、海面の光を背にこちらへと泳いでくる少年の姿だった。

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