2月13日(日)


『裏目』

 紳士を心がける小生としては何事に置いてもスマートに行きたい。それが例え咳であっってもだ。にも関わらず、小生の喉から飛び出してくる音と言えば。
「グ、グェ〜ッホ、ゲホッ、ゲホ、クァ〜ッ!」
 ・・・・・等とまぁスマートとは対極、聞き苦しい事この上ない。出来ればこんな咳は聞いていたくなんぞはないのだが、いかんせん発信元が自分の喉では耳を塞ごうが何しようが頭蓋骨を伝って鼓膜に直接響いてくる。まことに怪しからぬ状態だ。怪しからぬのだが風邪なんぞをひいてしまった我が身の不覚と目をつぶるしかない。

 外は良い天気。こんな日には一日太陽の陽気を浴びながら布団の上でゴロゴロしていたいのだが、病床の身なればいかんともしがたく、日がな一日布団の中でゴロゴロとしている他はない。
 幸い、というか頑張ってと自賛するべきか今日になってやならければならない事は何一つない。洗濯物は一昨日洗濯機のタイマー予約で済ませ既に物干し竿にぶら下がっている。食事も一昨日の夜、フラフラとする体を押してうどんの具と汁になる一歩手前まで作った。本当は味付けまで決めてしまいたかったが、麻痺した鼻と舌で作った味が果たして多少マトモになった今日(あの時を現在形で言うならば多少マトモになるであろう明後日)飲めるスープに出来上がるか心配で押さえていたのである。これは正解で、一昨日は鍋を分けて田舎汁風に味噌を入れてみたのだが、これはもう多すぎると脳が直感する量を溶いても全然味がしなかった。動くことすら出来なかった昨日に至っては塩をなめても首を傾げる状態で、やっぱり鍋を分け泣く泣く『恐らくコレくらい』というカンだけで味付けをしてワケも分からず胃の腑に流し込んだのだ。ともかくもそんな理由で食料の蓄えも万端、来週着る服の心配も無し。掃除は今週は割愛させていただく事で当座心配しなくてはならない因子はなくなった事になる。
 だから、今日のスケジュールとしては、大分復旧してきた味覚嗅覚を使ってうどんの汁の味付けを完成させてしまえば後は飯食って寝て飯食って寝てテレビから聞こえてくる音声に屁で愚痴りながら寝る、それだけで十分なのはずである。な、はずなのであるが、人間それだけで済むものでもない。もちろん、トイレを忘れているゾ?、とか、神様へのお祈りの時間は?とか、そういう日常些末的な話で済む済まないと言うのではない。もっと高次元的、CIA機密レベルで言えば50年は封印決定する様な重要な問題で済まないのである。それは何かと尋ねれば、恐らく誰しも覚えがあろう話、天下御免の向こう傷を持つ男風に言えば『拙者の退屈の虫が騒ぎ出す』のである。何せ病身。もう少しこじゃれた感じで言えば BYO-SHIN。何かやりはじめてもすぐに咳で集中をたたれてしまう。そんな咳の合間を縫って集中すればしたで今度は頭に血が上ってきて目眩吐き気にやられ、布団の上に押し出されてしまう。かと言って大人しく布団で寝ていれば症状が静まって来て退屈が小生の体を布団から押し出そうとする。この繰り返しばかり。こうなると体より何より気分が腐る。例えて言えば、婦人服売場で奥さん待ちしていたら3枚千円ぱんつのワゴンセールに巻き込まれてしまい、どうする事もできずにただ押されるままに流された挙げ句、少し離れた所の化粧品売場のキレーなオネーサンに変な目で見られてしまった旦那さんの様なもんであろうか。『俺にどーせいっちゅーねん』というか『もう好きにして』というか。なんともはや。
 だが、そんな苦痛の時間から時たまは解放される。俗に言うところのうたた寝。ふっと意識が途絶えて、我に返ると1分後の世界や2時間後の世界にタイムトラベルできるアレである。神様だって意地悪ばかりしているワケではないのだ。この時ばかりは良くも悪くも退屈からは逃れられる。小生もまた、うどんを食して横になっている内にふっと意識がぼやけ、その恩恵を受ける事が出来た。ひとまずの安心であった。だが、それこそが小生をさらなる地獄へ突き落とすために罠だと知っていたら、例え退屈が苦痛であったとしても我慢に我慢を重ねて耐えていたであろう。そう。アレは全てが終わったのではなく序章が過ぎただけに過ぎなかったのだ。

 うたた寝から帰ってきた時、小生の耳には妙に落ち着く、シャシャシャシャシャという小気味よい音が聞こえてきていた。その音自体は嫌いじゃない。だから目覚めとしては悪くはない。だが、乙女心や秋の空でもあるまいし、あれ程の良い天気がそう簡単に変わってなるものか。半分寝ぼけた頭でそう考えて、小生はキッチンと居間を隔てる引き戸を開けた。雨が降っているか否かは窓のカーテンを開けた方が判断が速いがカーテンを開けるには起き出さなければならず、それは大変労力の居る動作である。キッチンの小窓から明るさを見るという判断方法はカーテンを開けるより正確さの点で著しく劣っているが、引き戸なら布団から手を伸ばすだけで開けられるので労力が殆どいらない。正確さよりも簡便さで後者を選んだ、小生はそう考えたつもりだったのだが、今にして思えばまったく別の要因を無意識に思い出していたのだと思う。そしてそれこそが正解だったのだ。
 引き戸を開けて最初に小生の目に映ったもの。それは、薄暗いキッチンの中に煌々と灯るガスコンロの火だった。
「あ!」
 我を忘れて小生は声を上げ、忘れていた過去をまざまざと思い返す。さっきうどんを作った時。きちんと火を消したかどうか。その答えはYESでありNOでもある。確かに小生は煮立った頃合いを見て火を消した。ここまではYES。だが、その後、うどんを煮ている間に汁が冷めないようにと考えて弱火ながらも鍋を火にかけなかっただろうか。その後小生はどうした?
 この辺りで小生の記憶はプッツリと途切れる。あまりにも些末すぎて覚える必要なしと脳味噌が勝手に判断し削除してしまったのか、あるいはあまりにもダレた脳味噌の判断を待つ事に嫌気が差した我が体が意志と関わりなく勝手に動いてしまったのか。どちらであるかを判断するのは今となっては難しいが、すくなくとも、火を消し忘れていたという大意に代わりはない。小生は慌てて布団から飛び起きるとキッチンに向かい火を止めた。場所によっては鍋に焦げ付きもしているが感じとしては危機一髪。後1時間もすれば完全に水気を失った鍋からモクモクと煙が吹き上がっていたに違いない、と言った所であろうか。状況判断としてはそれで良いが、小生の身の上を考えれば文句無しのアウト。しかも自殺点によるサヨナラ負けも良い所だ。
 何故ならと、小生を追いつめたい方もおろうが故あえて口にするが、そもそもうどんを作ったのは何故か。昨日の小生の状態を察知した一昨日の冴えた小生が『明日食う物がなければ困るであろう。』とうどんの汁を作っておいたのである。(味付けを避けた辺りも冴えていた!)コンビニ弁当では療養食に不向きであろうし、食欲がなくなったとしてもうどんならなんとか胃に収める事もできようと判断して、朦朧とする頭で、指を切らないように(キムチ要らずの赤い汁なうどんなぞ、キミは飲みたいと思うか?)注意しながら、時折キッチンにへたり込みながら、目眩や吐き気を我慢しながら、ただただ明日の自分の為に、明日の自分が困ることが無いように、作っておいたのである。決意の強さとしては『キャシャーンがやらねば誰がやる』と同じレベルの自己犠牲の産物があのうどんだったのである。そのうどんがパァ。いや、うどんに被害はないがうどんの汁がパァ。にんじんもじゃがいもも、干し椎茸もたまねぎもパァ。挫折、喪失、絶望。それに類する言葉はいろいろあるが、どんな言葉を使ってもその時の小生の気持ちを表すに能わない。強いて言うなれば何であろう、人生を振り返って思い出した初めての失恋。切ないブロークンハート。あるいは、兵どもが夢の跡か。鍋の中で焦げ付いた青春の日々。そのどちらとも言えるしどちらでもないとも言える。等と書けば少しは格好良くも思える。んが、もっと簡潔に言えば。

覆水盆に返らず

 が、適当。ガックシ。

 遊ぶ体力気力なく、最後の楽しみであった食べる楽しみさえ失った小生に残されたものは何もなかった。ただ一人、ただただ孤独に寒い6畳間で一人、陰々滅々と咳に埋もれて老いさばらえ、朽ちて行くしかないのか。脳裏に明々後日位の新聞の見出しが浮かぶ。
『独身男、バレンタインデーに独り病死』
 めっちゃイヤな響きである。と、いうより死ぬにバレンタインもバンアレン帯もなかろうものだが、時期が時期だけにまず避けられない見出しだ。これならいっそ、牛になってキャトルミューティレーションの一つも受け『モー大変!!』とかつけられた方がよっぽどマシな感じである。丈夫足るもの、歴史に名を残すなら大きく逝きたい・・・・

 等と、段々と負に吸い込まれていく自分が恐くなった小生は無理矢理話を変えることにした。
(そう言えば・・・・今日はまだ新聞を読んでないな・・・・。)
 そう。小生は新聞を取っている。せめて新聞でも読めば退屈を紛らわせる事もできるはずなのだ。小生はノソリと体を起こし新聞をポストから取ってくると布団の上に広げた。が、何も見えない。それも当たり前で、今の今まで寝転がっていた小生は眼鏡をかけていなかったのである。
 さて、眼鏡は、と言えば。これまた記憶にない。
 確かに昨日寝る前に外したはずで、そうなれば当然布団の脇のあたりにあるはずなのであるが、心当たりのある場所にはそれらしい感触がない。
「メガネ、メガネ・・・・・・。」
 往年の故横山やすしを思い興し思わず苦笑するが事実なのだから仕方がない。小生は細い目を更に細めて見えぬメガネを探し始めた。そして、方向転換をしようと体を返した瞬間、それが来た。
 ムチ、という感触、プチという音。
 最大級にイヤな予感が神経を駆けめぐる。手に取ってみればそれはメガネ。誰はばかる事無い小生の大切にしているメガネ。かつて友人の新メガネ購入に付き合ってメガネ屋に行き、友人が買わずに小生が買ってしまったという曰くのある由緒正しいメガネ。だが、レンズが一枚無く、その変わりにレンズ下部を押さえるワイヤーが完全にやる気をなくして垂れ下がっている。メガネ中破。しかも自殺点。2点目ゴール。これを弱り目に祟り目と言わずして何をかいわんや。

 もうイヤです。こんな自分に疲れました・・・・・・・。


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