「スペースチャンネル5」


忘れもしない2000年1月4日。友人、目黒信太郎の家を尋ねようとしていた小生は、その後にとんでもない事態に巻き込まれようとは予想だにしていなかった。

 目黒信太郎は高校時代からの友人であり、仲間内ではセガのゲームを愛する人間を意味する”セガ人”として有名な男だ。未だに十数年前のハードウェア、セガマークスリーを稼働可能な状態で温存している事からも彼がどれほどのセガ人であるか知れよう。

 さて、小生が同じく目黒信太郎の家を尋ねようとしていた品川哲朗、世田谷将雄と共に目黒信太郎の家へ赴き、新年の挨拶を済ませ歓談していると、品川哲朗が話に飽きたのかゆっくりと立ち上がりテレビの前に腰を下ろした。そして、テレビの電源を入れ入力をビデオ端子に合わせて、ドリームキャストのスイッチを入れた。緩やかな起動音と共に画面に映るドリームキャストのロゴ、次いでCD−ROMの駆動音がハードウェアから聞こえ、ゲームタイトルが画面に映し出された。その画面を見た品川哲朗がギクシャクとした仕草で目黒信太郎を振り返った。
 彼は最近ヴァーチャロンというゲームが好きで、本人はドリームキャストを所持してはいないが、所持している友人宅を尋ねた時には必ずヴァーチャロンを興じていた。また、目黒信太郎も昨今はヴァーチャロンを良くしている、と小生や品川哲朗に電子メールで伝えてきていたのである。だから品川哲朗はこの目黒信太郎のドリームキャストにはヴァーチャロンが装填されているものとばかり考えていたのだが、実際に立ち上がってみれば彼の思い描いたヴァーチャロンのオープニングではなくスペースチャンネル5のオープニングだった。それが彼を少し驚かせたらしい。品川哲朗が目黒信太郎を振り返ったのは目で、
(なぜ?)
 と問いただしたのである。その意味を悟った目黒信太郎は軽くかぶりを振ると、
「いや、妹がさっきまでやってたもんで・・・・。」
 と少しバツが悪そうに呟いた。セガ人の兄を見て育った妹もまたセガ人になってしまった、とかつて彼が言っていたのを小生と品川哲朗は思い出した。
「いかさま。」
 小生と品川哲朗は目黒信太郎の顔から再び画面の方へ振り返った。

 スペースチャンネル5。名前だけは小生も聞いたことがあるソフトだ。小生は仕事柄朝早くに居所を立ち、日付も変わろうかという時刻になって初めて仕事から帰ってくる。それが故、テレビを見るという事があまりない。このテレビを見る、という言葉には勿論ゲームに興じるという時間も含まれている。学生だった頃、つまり時間があった頃は暇を持て余しいろいろとゲームに興じてきたものだが、1日のほとんどを仕事に奪われている現在、時間のかかるゲームを避けているウチに段々とゲーム界の時代の流れについていけなくなりつつあり、自然ゲームをするという気力が湧かなくなってきていた。
 たまさか、ゲームのCMを見ることはあったが、
「ふぅん・・・。」
 という興じる気力の無さを示す嘆息を漏らすばかりだったのだ。何より小生はドリームキャストを所持していない。小生のゲーム機は”まだゲームに興じる時間があった頃”つまり、プレイステーションとセガサターンで立ち止まっており、ソフトに関しても1年程前に発売されたソフトを最後に随分と手に入れていない。かつてネオジオを持ち、そのゲームカートリッジのでかさから通称”弁当箱”と呼ばれた一本3万円弱のROMを購入していた小生からみればハードウェアが2万円、と言うのは安価であると言えるのだが、だからと言ってソフトを買う当てもないままハードウェアだけを買い求めるのは愚かであると言える。だから未だに購入するに至ってはいないのである。
 ハードウェアを持っていない以上、”そのゲームを自宅でも遊びたい”という気力が湧くわけはない。だから、成り行き上スペースチャンネル5を始めた品川哲朗のプレイを見ていても興味をひくことは無かったし、実際ゲームパッドを手渡され、慣れぬ操作でNGを連発しても、なんとか上手くゲームを進行できても
(こんなもんか・・・・。)
 という感想しか出てこなかった。事実、目黒信太郎宅を退居し、世田谷将雄の運転する車の中で小生はかなり辛辣な感想を述べていたのだ。
「どう調理しても泥鰌は泥鰌だね。」
 かねがね、出来やシステムの完成度はともかく興じてみた時の印象に関して言えばソニーの方が洗練されている、言ってしまえばセガのゲームは泥臭い、と感じていた小生である。これだけだとあまりに哀しい物言いなのでもう少しフォローしておけば、ソニーの方はそれまでの他のメディア展開のノウハウからゲーマーよりもむしろ一般人を相手にしたものの考え方であるのに対し、セガは一般人よりもゲーマーを意識したノリというか波を持っている、つまりアクが強く感じるのである。そのアクの旨味を知っている人間にはたまらない何かを醸し出すが、旨味が分からない人間にとっては異な物としか受け止められない。それをして泥臭い、と言っているのである。東京の人間にしか分からないと思うが、街に例えてみれば、ソニーが渋谷ならセガは池袋みたいなもの。どちらが良い、悪いというのではなく、そういう違いを感じるのである。
 スペースチャンネル5はその点、今までやったセガのゲームの中でも抜きんでて泥臭さはない。だが、それでもやはり目をつぶって臭いをかげば泥臭さが鼻につくのである。それを泥鰌に例えたわけである。そんな小生の例えを品川哲朗と世田谷将雄は苦笑して流した。小生の中でももはやスペースチャンネル5の話はこれで絶え、忘れ去っていくものと考えていたのであった。だが、この時、この瞬間も消えかけていた火が小生の中の火薬庫の扉をジワジワと焼き始めていたのだ。

 世田谷将雄と品川哲朗に別れを告げ、居所に戻って布団に潜り込んだ小生はしばらくの間大人しく目を閉じていた。だが、心の奥底で何かがざわめいてなかなか寝付けない。
(まぁ、帰ってきたばかりだし、気が落ち着いていないのだろう。)
 そう思っていたのだが、まるでそれは6分目まで水をはったコップを少しずつ左右に揺らしたが如く、最初は小さい波だった物が次第に大波になり、やがては津波となってコップからこぼれ出すように、心の中は騒がしくなっていくのだった。その中心にあったのがスペースチャンネル5。脳裏にゲーム画面が映し出され、鳴るはずのないBGMが耳の中に聞こえてくる。そこまで来れば己が心である。真意は読みとれる。
(俺は、スペースチャンネル5をやりたいのだ・・・・。)
 あの当時の小生はその感情に戸惑いを覚えるばかりであったが今となれば説明も付く。どうやら小生は、というより久しく眠っていたゲーマーとしての小生が直感的にスペースチャンネル5に一目惚れしてしまったらしい。ずれていたはずのゲームとゲーマーの波長が時間が経つに連れ同期しピッタリと重なってしまったのだ。だが、既に深夜である。手元にスペースチャンネル5はもとよりドリームキャスト本体さえない。そんな状況で小生がスペースチャンネル5を興じるためにはそれこそ戻ってきた道を折り返し再び目黒信太郎宅へ上がり込むしかないが、それも深夜故に憚られる。何より当時はまだそれが気の迷いであるかも知れぬ、という思いもないではなかった。小生は頭まで布団を被り、
(とにかく今は寝て、明日の朝考えよう。)
 そう、自分に言い聞かせて眠りに落ちた。

 そうして夜が明けて目を覚ました時、もはや小生の心に一点の迷いもなくなっていた。小生は部屋の片隅にある折り畳み自転車を外に出し、組み立てて乗り込むと猛然と発進した。そして、電車やバスで出るよりは若干近い所にあるダイ●ー碑文谷店に乗り込むと正月用の予算の全てをつぎ込んで、ドリームキャスト本体とスペースチャンネル5を一気に買い込み、1時間後には居所に戻ってきていた。そう、全てはスペースチャンネル5の為に、である。あの時の小生には他のソフトは目に映らず、ただただスペースチャンネル5をやりたいがため、やるだけのために環境一式を整えてしまったのである。それはある意味”スペースチャンネル5を筐体買い”したに等しい。非常に冷静に、落ち着いていたつもりであるが、今にして思えば正気を失っていたのかもしれない、とも思える。

 ドリームキャストとテレビの接続を終え、オープニングを眺めながら小生は頷いた。
(年始、年末休暇は今日で最後。その貴重な最後の一日を俺はスペースチャンネル5につぎ込むのだ!)
 1年間眠っていたゲーマー魂は、だからこそ尚一層激しく燃えさかっていた。この火を消すことはもはや誰にも出来ない。

 そしてまた、あくる日。初出勤の日だ。社長の訓示を聞く社員の中に真っ白に燃え尽きた小生がいた。ゲーマーの火がようやく下火になり、我に返って最後の力を振り絞りドリームキャストの電源を落とし、電源ボタンに指を乗せたまま、小生は呆然と目覚まし時計のアラームを聞いていた。ドリームキャストを購入して12時間強、その間、一睡もせず食事もとらず、もくもくと、ただもくもくとスペースチャンネル5をやり続け、起床時間を迎えてしまったのである。全面クリアする事6周。全てのステージを通り抜けた。また、ノーマルモードでやり直し1周目で視聴率100%を叩き出すことも確認した。スペースチャンネル5の全てをやり尽くしたという気もする。
 眠気と憔悴で朦朧とした意識の中、小生は今日の事を考えていた。
(眠いし、疲れた。身も心もボロボロだ。どうせ今日は仕事にならん。早く帰ってそして。)
 心の奥底でもう一人の自分がニヤリと笑った。
(そして、スペースチャンネル5をやろう。今日こそ全キャラ捕まえなくちゃ。)

 結論:『ゲームのハマり具合と寿命の削れ具合は正比例する。』


補記:
(1) スペースチャンネル5がどんなソフトかはこのバナーから飛んで確かめて下さい。
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