1.印の歴史と種類(朱文と白文)

始めに水墨画や書の作品を見た時、作品に印が押されているのをご覧になった事はありませんか?おおむね作者のサイン(雅号・・・がごうといいます。)の下に押してありますね。あの印を「落款(らっかん)」といいます。あれは水墨画や書には欠かせないもので、作品の作者が自分の作品であることを証明するために押します。といっても全てがそのためだけではありませんが、とりあえず、全くの初心者の方はそう覚えておいてください。証明意外の用途もおいおいお話ししていきます。

まず、「印」の歴史をさかのぼってみると、やはり中国にいきつきます。日本史の教科書でおなじみの「 漢委奴国王 」と記された金印は古代史の中でも有名です。中国ではすでに紀元前1500年前のイン代から「印」はつかわれていたといいます。秦の時代では皇帝が持つものを「璽」(じ)といい、官吏や民間人が持つものを「印」(いん)と区別するようになったといいます。また、役人となって官職につくことを「印綬を帯びる」といういい方をしますが、当時の中国では官吏になると自分の印に「綬(じゅ)」という紐(長さおよそ360センチ)を通して身につけたといいます。今の日本でも成人して就職すると真っ先に自分の印を持つことが社会人になった証のようなところが残っていますね。そう考えるとはるか2000年以上前の中国での習慣が現代の日本の社会でも脈々と受け継がれているということになります。

ところで皆さんは、「印」を見た時、紙に押して有る印の文字が「朱」色だったり「白」かったりすることに気が付いた方はいらっしゃいますか?通常私たちが日常で使っている「三文判」や「実印」は押すと文字が「朱」になりますね。これを「朱文(しゅぶん)」といいます。印の刻してある印面をみると凸に彫ってあるものがソレです。ぎゃくに紙に印を押した時文字が「白」くなる印を「白文」といいます。印面は文字の部分が凹になっています。

水墨画や書の場合、この二種類の印を使い分けて使用します。

漢の時代(紀元前202−220年)中国では「白文」の印を使っていました。使用方法が今とは変わっていて、昔は紙がまだ有りませんから、竹の簡(竹を細くきって板状にしたもの)に文章や手紙を書きもそれを束ねて紐でくくり、紐でくくった結び目に泥をたらして、白文の印を押しました。そうすると凹の印ですから、ちょうど泥が乾くと「文字」が浮かび上がるわけです。これに似たのがヨーロッパの貴族などが招待状の裏に赤い蝋をたらして、紋章を刻した印を押して「紋章」が浮かび上がるようにするというものがありますね。いずれも途中で誰か開封すると、印の文字が崩れてしまうので、第三者が明けられないようにしたものです。「 漢委奴国王 」の印も漢代のものだといわれていますから、使用方法は同じであったと思われます。

朱文の印「明月松間照」

 

白文の印「清泉石上流」

上の二つの印は王維の詩文「清泉石上流 明月松間照」をそれぞれ二つに分けて彫ったものです。この詩の中に私の雅号である「泉照」の二字が含まれていることから、中国の友人にして私のテンコクの師でもある胡輪氏に初めての個展を記念してプレゼントしてもらったものです。