しまたかのクラカメで行こう!ロゴ

HasselBlad 1000F で行こう!

ハッセルブラッド 1000Fのおいたち

ハッセルブラッド社創設の経緯

ハッセル1000F一式F.V. Hasselblad & Companyは,スェーデンの会社で,ナイフ,ペン,針,楽器などの卸売業として1841年に創設されました。1890年前後,同社は米国のコダックNo.1やNo.5社といった大型カメラの輸入を行うようになります。

さらに1893年には,ヒューゴ・スヴェンソンというメーカーからOEM供給を受け,ハッセルブラッド・スヴェンスカ・エクスプレスというカメラの販売を行うに至っています。このモデルは20年間にわたり約13,000台製造された記録がありますが,OEMとは言えそれまで米国から輸入するだけであったカメラをスェーデン国内でまかなうことになったわけですので,歴史的にはちょっとした意味が感じられます。とは言うものの,ハッセルブラッド・スヴェンスカ・エクスプレスのシャッタースピードは,1/30秒とバルブの2つしか設けられていません。

野鳥の撮影に熱心であったフリッツ・ビィクトル・ハッセルブラッドは,1900年をはさんでコダック社での研修終了時にグラフレックス社のカメラをスェーデンに持ち帰ったり,1935年にはライカビゾ・フレックスを使った「渡り鳥のハイウェイ」という書籍を出版するに至っています。

F.V. Hasselblad & Companyの創設からちょうど100年を経た1941年,現在あるカメラ・メーカーとしてのヴィクトル・ハッセルブラッドAB社が設立されました。折りしも第2次世界大戦がはじまり,スェーデン空軍からHK7 (3年間で240台生産された) を受注した時点から,自前のカメラ・メーカーとしての道を歩み始めたのです。

ハッセルブラッド1600Fの誕生

HK7に続き,SKa4(ツァイスのテッサー105mm/F4.5付 70台製造), SKa5(ツァイスのテッサー150mm/F4.5付 24台製造), MK80などの軍用カメラの製造を経ながら,世界大戦の終了後民生用カメラの開発を行い,1948年ニューヨークでジャーナリストを集めハッセルブラッド 1600F の発表が行われました。

いわゆるハッセルブラッド型カメラの幕開けとなるわけですが,当初のハッセルブラッドカメラの開発コンセプトをまとめると以下の通りとなります:

2点目と3点目については,今でこそ当たり前とされる技術ですが,終戦直後という特殊な環境下においては大変にチャレンジングな目標であったと想像されます。このように1948年に異国の地において,ハッセルブラッド1600Fは産声をあげたのです。


Home その2へ その3へ

アクセスカウンター Valid XHTML 1.1 芸術系サーチエンジン


All contents and pictures are reserved by Copy Right. ホームページ上の文書・画像等は,全て原著作者に著作権があります。©1998-2010 しまたか