Rambler

第九話 片翼

 

 

第九話 片翼



2000.9.25



 

 

「すごい、ずごい、惣流さん。私、感動しちゃったわ」

「どうしたらあんな風にできるの?。私想像もできない、シュートしている時なんて本当に飛んでいるみたいで本当に綺麗だった、思わず見とれちゃった」

「ホント、ホント。プロの選手みたい。バスケやっていたの?」

「スタイルよくって格好よくって、速くて高くて、もう、何て言っていいのかわかんな〜い」

 

 

試合が終わってアスカがコートから出ようとしていたところに他のチームメイト達が集まってきて取り囲みキャイキャイと口々に騒ぎ立ててきた。

 

実際、アスカが目だって動いていたのは最初の10点差をつけるまででその後はゲームコントロールに徹し地味な存在になっていたのだが、その最初に稼いだ点差のおかけで自分達が勝てたものだから殊勲のアスカに対して彼女達のその気持ちが向けられてくるのは当然といえば当然であったのかもしれない。

 

アスカは、しかし、その取り囲まれた渦中でそれまでの表情とは変わらぬまま、いや、僅かに表情を動かし、動きたくても動けないという感じで立ち止まっていた。

 

その表情には悲しいような辛いような、それでも無理をして浮かべている儚い微笑みが浮かんでいた。

 

見るものが見ればその心にあるものを正確に感じ取る事ができたのかもしれないが、今そこでアスカを取り囲んでいるモノ達の中にそれができるのはいなかった。

 

彼女達の目にはアスカの浮かべている表情はもてはやされて照れている、困っている、それで苦笑しているというように映っていた。

 

 

「私、惣流さんのファンになっちゃおうかな」

「そうそう、今の試合も惣流さんのおかげで勝てたんだもんね」

「向こうなんてバスケ部が二人もいたんだよ、それなのに全然目じゃないもんね。私、いつも惣流さんと同じチームになりたいな」

 

 

アスカは胸元に手をやった。

 

表情を変えないまま、僅かに唇を噛み締めて、何かに耐えるように。瞳は何に対してだろうか、微かに潤みを帯びている。

 

自分の中では必死になって自分自身を奥底に沈めようとしていた。

 

落ちかける視線を意識してそのままにしようとして、それと悟られないように自分で自分を保とうとしていた。

 

 

「ほらほら皆、次の試合の邪魔になっているでしょう?。早くコートから出て」

 

 

唐突にアスカを囲む輪に声がかけられてきた。

 

声をかけられた方は皆一様にそちらに目を向ける。

 

そこには偉そうではないが毅然とした態度でまっすぐに視線を向けてきているヒカリがいた。

 

ついでに周りを見渡してみると次のチームが既にコートに入りセンターサークルの周りに集まって試合に入ろうとしているのが見て取れた。

 

アスカを取り囲んでいた女子生徒達は口々にごめんごめんとか言いながら囲みを解いて慌てた風にしてコートから出て行く。

 

ヒカリが見つめる中、アスカはほっとしたような表情をして一つ吐息をついた。

 

 

「……アスカも、ほら」

 

 

そう言ってヒカリはアスカを促す。

 

アスカはヒカリの方に視線だけ向けると一つ頷いてコートの角に向かった。

 

ヒカリはアスカの後についていき、コートの外に出てアスカの隣に並んで座る。

 

他のクラスメイト達は思い思いに試合を見たり談笑にふけっていたりする。ヒカリはアスカがいるのとは逆の方のその様子に目を向けて自分達がそれに関わっていない事を確かめるとアスカに振り向いた。

 

 

「どうかしたの?、アスカ」

 

 

並んで座ってからアスカはそれまで隠していたものを表したようにして胸元を抑えて、俯き加減に顔を伏せ、苦しいような辛いような表情をしていた。

 

 

「……なんでもないよ、ヒカリ……」

 

 

端から見ても痛々しいような表情ではあったが、その声はいつもと変わらぬものであった。細く小さなものであったが。

 

アスカが感じているもの、その真実をヒカリは知っているように、感じているようにして自身も一瞬表情を悲しみのそれに変えるが、でも、そんな自分を抑えるようにして明るい表情になるとアスカの頭をツンと突ついた。

 

 

「何よ、あんなくらいでへばっちゃったの?。なまっているんじゃない?、アスカ」

 

 

アスカは突然の事に一瞬呆けたような驚いたような顔をするが、すぐに自分のされた事にキッとした表情になって顔を上げてヒカリを見据えた。

 

いつになく厳しいその表情、ヒカリに向けるにしては鋭過ぎるその視線。ヒカリは自分にそれが向けられた事に心の中で怯みを覚えずにはいられなかったが、それは一応覚悟していた事なので変わらぬ表情のままアスカを見つめていた。

 

自分の思いを込めてヒカリはアスカの瞳に視線を送り続ける。

 

アスカは硬質化したように変わらぬ自分のままヒカリに視線を据えていたが、ややあってふっとそれを緩めた。

 

 

「……そうかもね、アタシともあろうものが、情けないわ」

 

 

瞳を柔らかくして小首を傾げて、アスカは肩をすくめておどけて見せた。

 

アスカが自分の思いを感じてくれた事、受けとめてくれた事に心の中で安堵のため息を漏らし、そしてまた嬉しさを感じ、ヒカリは今度は本当にふざけるようにして言う。

 

 

「ぐうたらアスカさん、怠け過ぎて太ったってしりませんよーだ」

 

 

そう言ってヒカリはアスカから視線を逸らし、そっぽを向いた。

 

そんなヒカリにアスカは先ほどとは違った意味で微かに瞳を潤ませる。

 

その表情には、心を映した微笑みが浮かんでいた。

 

そして、そっと何も言わないままヒカリの袖口をつまむ。

 

ヒカリはそれを感じて再びアスカに視線を向けた。

 

ヒカリの好きな、心を自分に見せてくれているアスカがそこにはいた。

 

ヒカリも応えるようにして、思いを込めてアスカを見つめる。

 

 

「……アスカってば、真面目すぎるよ……」

 

 

他には聞こえないように、少しだけ自分を近づけてヒカリはアスカに囁いた。

 

そのヒカリの言葉にアスカはまた少しだけ表情を明るくする。

 

 

「……ヒカリに言われちゃ、しょうがないわね」

「なによそれぇ」

 

 

いかにも心外だというようにヒカリは大仰に体を起こして、今度は他に聞こえても構わないというように声を上げた。

 

アスカはいたずらっぽく微笑んでヒカリを見つめたままでいる。

 

ヒカリもそれに応えるようにして静かに微笑み返した。

 

 

「(がんばって、アスカ)」

 

 

アスカを瞳に映しながらヒカリは心の中で言葉を送っていた。

 

 

 

 

 

 

「鈴原っ、止めろっ!」

 

 

ネットフェンス越しのコートからアスカとヒカリに声が聞こえてきた。

 

それはこちら側のコートの傍に座っていた女子生徒全てに等しくもたらされてもいた。

 

アスカとヒカリを含む女子生徒のほとんどがその声のしてきた方に振りかえる。

 

シンジが、コートを駆けていた。

 

アスカが振りかえったちょうどその時、シンジはディフェンスの一人を抜き去る。

 

右サイドから駆け上がり、マーカーを擬音が聞こえてくるような勢いでかわし振りきる。

 

サイドライン際、右45度より角度の無いところからシンジはゴール下に突っ込んでいく。

 

中央からトウジがゴール下に走り戻ってきていた。

 

 

「(いかさへんで、センセ)」

 

 

トウジの戻るスピードもかなりのものであったが、シンジのそれはその上をいっている。しかし、距離の関係からトウジはゴール下に戻るのに間に合った。

 

サイドから突っ込んでくるシンジ。

 

トウジはその勢いを止めるべくその前をふさぐ。

 

クッ、とシンジの体がエンドラインとは反対に切れ込む。

 

トウジは走り込んだ反動を利してそれに反応する。

 

 

“ギュッ!”

 

 

強烈な踏み足、体を起こしてシンジの体が一瞬、その場に留まった。

 

 

「(しもた!)」

 

 

トウジの体はタイミングをずらされて僅かに流れている。

 

 

“グンッ!”

 

 

その瞬間、シンジは突っ込んできたスピードよりも更に加速してトウジの逆サイドを駆けぬけていた。

 

 

「(ちっ!)」

 

 

シンジはゴール下をくぐり反対側に抜ける。

 

何を考える事もなくトウジは後ろを振り向いてジャンプした。

 

 

“タンッ”

 

 

シンジは軽やかにステップを踏んで空に舞う。

 

突っ込んできたスピードに流される事なく、それをバネにして綺麗に宙にその身を躍らせた。

 

トウジも必死になってくらいつこうとしたが、距離が離れ過ぎていた。身長は同じくらいではあったが、打点も到底及んでいなかった。

 

空にあるものとそうでないものであるかのように、シンジの体はトウジの高みをいく。

 

ボールはシンジの手を離れ空中にその軌跡を描く。

 

羽をたたむようにして静かにシンジは床に降り立った。

 

シンジの放ったものは音もなくバスケットを通りぬけた。

 

 

 

 

 

 

「やられたわ」

 

 

少しの間、信じられないものを見たようにして呆然としていたトウジではあったが、やがて感嘆したように声をあげた。

 

無理な体勢から跳んだためにちゃんと着地できず、床にへたりこんでいる。

 

自分を見上げてくるトウジにシンジは微笑みを浮かべて手を差し伸べた。

 

 

「今度はトウジ達の番だよ」

 

 

その手を取ってトウジは引っ張られるようにして立ち上がる。

 

 

「よっしゃ、取られた分は取り返したるで。みとれや、シンジ」

 

 

意気込むようにしてトウジはシンジと周囲に言い放つ。

 

そんなトウジをシンジは嬉しさと悲しみの入り混じった瞳で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……碇君も凄いわね」

 

 

他の女子生徒の黄色い声の中、ヒカリも感嘆したように呟いた。

 

 

「鈴原だって向こうでバスケやっていた筈なのに。本場なんでしょ?、アメリカってバスケの」

 

 

ヒカリは首をひねってアスカに目を向ける。

 

しかし、そこにアスカの顔はなく、二本の足があるだけだった。

 

ヒカリはそれを追うようにして目線を上げる。

 

アスカはヒカリが知らない内に立ち上がっていた。

 

見上げるヒカリの目に映ったのはこれ以上はないというくらいにきつく厳しくなっているアスカの表情。

 

それは、入学式の時に目にしたあの時の表情であった。

 

ヒカリもまた、慌てたようにして立ち上がる。

 

アスカはヒカリには構わず、意識にも上っていないようにしてある一つのものを見つめ続けていた。

 

何を見ているのか、視線を注いでいるのか、ヒカリはその先を追わなくてもそれが何であるのか分かっていたが、それでもチラリとそちらの方に目を向ける。

 

アスカの見つめる先、そこにはシンジがいた。

 

自分達のエリアをゾーンで囲んでいるディフェンスの中心にシンジはいた。アスカは他に何があるという感じでシンジを見つめていた。

 

アスカの眦も表情もきつく厳しいもの、自身の全てをかけてそうしているようにしてその瞳を向けている。

 

まるで氷の彫像のように冷たく固化したようにして、そのままの自分で決して変わらないようにして自分をシンジへと向けていた。

 

隣からその横顔を見つめるヒカリはあの時の感覚を思い出していた。いてもたってもいられないようになって心が乱れざわめくのを感じずにはいられなかった。

 

こうなってしまった時のアスカはもう理屈ではどうにもならなくなってしまっている。アスカが自分自身を抑えきれなくなってしまっているのはヒカリにも分かっていた。

 

それでもどうにかしなければ、意識をそらす事くらいはしなければ、そう思いヒカリは口を開こうとする。

 

しかし、ふと何かに気がついたようにしてそれは途中で止められた。

 

今のアスカの表情、その周囲に放っているもの、それは入学式に目にしたものと同じものであるとヒカリには思えていたが、何かが違っているような気もした。

 

何が違うのだろう、そう思い不安に心を揺らし胸元に手をやりながらヒカリはアスカを見つめる。

 

アスカはそんなヒカリの事はお構いなしに変わらぬままシンジを見つめ続けている。

 

 

「(……あっ)」

 

 

見つめている、そう、アスカはシンジを見つめていた。

 

睨むのでなければ何かを叩きつけるのでもなく、どれだけその視線が厳しいものであったとしてもシンジを見つめ、その姿をその瞳に、自分自身に映し描いている。

 

 

「(……アスカ……)」

 

 

その両手は蒼白になるほどにきつく握り締められ、表情も心をそのまま表したように厳しいまま一分の隙もない。

 

僅かに噛み締められた唇、吊り上げられている眦、そこにはとても好意どころか普通の相手に接するものでさえも微塵も入り込む余地はなかった。

 

違うのは視線だけ、あの時と違うのはシンジを見つめているその瞳の色だけ。

 

迷うようにしてヒカリはアスカを見つめ続け、再び口を開きかけるが、喉まで出かかっていた言葉をあえて飲み込む。

 

間違いなく不安だった。

 

でも、あの時とのたった一つの違い、それがアスカの根底にあるものがあの時とは違っている事の現れのように思えてヒカリはあえて口を閉ざした。

 

シンジからアスカの住所を聞かれた事、シンジがアスカに何かをした事、そして、たった一つだけれども変わったアスカ、それがヒカリの不安を僅かにでも和らげていた。

 

ヒカリは自分を抑えるようにして胸元を一つ、キュッと握り締めるとアスカから目線を逸らして自分もまた、隣のコートに目を向けた。

 

 

 

 

 

 

“ダン、ダダン”

 

 

ボールの弾む音が響く。

 

オフェンスに回ったトウジのチームの一人がアタッキングゾーンの手前でマーカーを前にドリブルをしている。

 

他の選手達はそれぞれのポジションに散らばっている。この辺り、女子と比べて男子の方がバスケットらしくなっていた。

 

シンジはゴール下にポジショニングしていた。それはトウジも同じで二人のポジションはぶつかっている。

 

ドリブラーは相手チームのディフェンスに隙ができないかを伺っている。それについているマーカーは自分が抜かれないようにあえて無理はしないでプレッシャーをかけながらも様子見は放っているようにして均衡を保っていた。

 

時間もあと僅か、無理をする場面ではなかった。ディフェンス側はそれぞれ堅実に自分達のエリアに入ってくる相手のプレイヤーにプレッシャーをかけている。

 

シンジがトウジのマーカーであったが、疲れからか力の差からかトウジに押し込められていていいポジションをキープできていない。

 

いいように動き回られ、体を入れ替えられマークをずらされている。

 

ドリブラーの反対側のサイドからプレイヤーが一人、中に入ってきた。

 

トウジがそれとは逆に体を入れる。

 

シンジはそれを追ってパスコースを塞ごうとする。

 

入って来たプレイヤーにドリブラーはパスを出す。

 

中に入ってくる事でマークを一瞬外したそのプレイヤーはグラウンダーのパスを受け取り、そのままシュート体勢に入る。

 

しかし、マーカーは振りきられてはいなかった。シュートと同時にブロックに跳ぶ。

 

その瞬間、トウジがシンジのブラインドから更に体を入れ替えて前に出た。

 

シューターはシュートをうたず、トウジにボールを落とした。

 

 

「っしゃ!」

 

 

トウジは一歩踏み込み左手でシュートを放つ。

 

シンジから見てトウジの左手はブラインド側、ジャンプのタイミングもシンジの方が僅かに遅れた。

 

 

「(無駄や、セン……)」

 

 

“チッ”

 

 

「んなっ?」

 

 

微かに音がしてボールの軌跡が僅かに逸れた。

 

着地しながらトウジは思わず声を上げていた。

 

一瞬遅れてシンジも降りてくる。

 

 

「触ったやと!?」

 

 

まだインプレー中、ボール見上げているだけのシンジにトウジは体を入れ替えて前に出る。

 

っと、という感じでシンジはトウジに押されてよろめいた。

 

 

“ガコンッ”

 

 

ボールがリングに弾かれた。

 

トウジが身構える。

 

エリア内にいた他のプレイヤーも詰めてきた。

 

 

“ゴン、ゴゴンッ”

 

 

ボールがリングの口で左右に踊る。

 

 

“ゴンッ”

 

 

ボールがリングからこぼれた。

 

 

「落ちたあっ!」

「リバンドォッ!」

 

 

口々に叫びながら落下点に群がる。

 

 

「んだらあっ!」

 

 

がっちりとシンジを背中で抑え、ポジションをキープしたトウジがリバウンドに跳んだ。

 

他のプレイヤーも跳ぶが、トウジのポジションが落下点に一番近かった。高さも一段も二段も上をいっている。

 

 

「(もろた)」

 

 

ボールが落ちてきた。

 

 

“バチィッ!”

 

 

「へっ!?」

 

 

トウジの目の前からボールが消えた。

 

 

「碇っ!」

 

 

エリアの外から声が聞こえた。

 

着地しながらトウジは背中で何かが動く気配を感じた。

 

床に足をつけながら目線をそちらに向ける。

 

そうした時目に映ったのは背中に背負っていたシンジがジャンプしたままエリアの外の味方にパスを出しているところ。

 

 

「なんやとっ!?」

 

 

“ダンッ!”

 

 

シンジは着地と同時にダッシュをかける。

 

 

「ちっ!」

 

 

鋭い舌打ちの後、トウジもその後を追った。

 

 

「(後ろから飛んでしかもワイの体にも触れんとリバウンドもぎとったやと!?)」

 

 

シンジはグングン加速していく、トウジも自分の全速でスピードにのる。

 

 

「(靴にバネでも仕込んどんのか?、なんちゅうやっちゃ)」

 

 

シンジはトップスピードに乗る、トウジもそれに追いすがる。

 

 

「碇、頼む!」

 

 

トウジのチームのガードはボールの行方に左右されず、自分のポジションを守っていた。一人浮いていたシンジのチームのプレイヤーはそのガードにつかまっていた。

 

駆け上がるシンジにパスが出る。

 

しかし、シンジのスピードに対してそのパスは少し短かった。シンジのスピードが僅かに鈍る。

 

それはほんの一瞬の事。しかし、トウジはその一瞬でシンジに追いついた。

 

 

「勝負や!、シンジ!!」

 

 

シンジが駆け上がっていくのは左サイド中央、トウジは右サイドからシンジのマークにつき、シンジは左手でドリブルをしている。

 

トウジはピッチを上げ、シンジに振りきられずについていく。

 

 

「(…………)」

 

 

シンジの瞳が一瞬揺らいだ。

 

見つめるアスカの眉がピクリと動く。

 

 

「(……アイツ……)」

 

 

シンジの表情は真剣もそのもの、トウジを引きずったままゴールへと向かっていく。

 

アタッキングゾーンの手前、トップスピードのままシンジは巧みに体を使って中央に切れ込んでいく。

 

これだけの速さの中でもシンジは微かにも隙を見せない、トウジは手が出せないまま、それでも振りきられずについていく。

 

 

“グンッ”

 

 

フリスローレーンに入ったその瞬間、シンジはトウジを抑えて更に右に切れこもうとする。

 

しかし、トウジは譲らない。僅かに進路を変えながらも逆にシンジを抑えようとする。

 

更にシンジはボールを持ち替え左に振る、それにも惑わされずトウジは必死になってついていく。

 

 

“ダンッ!”

 

 

シンジはそこから更に前に一歩加速した。

 

 

「(!、センセっ!)」

 

 

それについていくのがトウジの限界点だった、しかし、それはまたシンジの限界点でもあった。

 

ゴールは目の前。

 

シンジはシュート体勢に入り、飛ぶ。

 

 

「(ここやっ!)」

 

 

振りきられていないどころか間違いなく捉えている、トウジはシンジの正面で渾身の力を込めてブロックに跳んだ。

 

高さは十分、トウジはシンジの頭を抑えた。

 

 

「(もろたで、セン……)」

 

 

“クンッ”

 

 

その瞬間、シンジの体はトウジの視界から消えた。

 

 

「(!?)」

 

 

空中で体を屈め、トウジをかわす。

 

そして、翼をひらいた。

 

腕を掲げ体を伸ばし、しなやかに宙を舞いボールをリリース。

 

フワリと空に置かれたボールはリングへと放物線を描く。

 

 

“ガコォン”

 

 

バスケットカウントの音が響いた。

 

その音を背にシンジはトンッと降り立つ。

 

それと同時に大きく一つ息をついた。

 

先に着地していたトウジは振りかえり呆然としてリングを見上げていた。

 

体育館の中は、水を打ったように静まりかえっていた。

 

 

 

 

 

 

「……何?、今の……」

 

 

呆けたようにしてヒカリが声を漏らした。

 

 

「碇君、空中で、なんか、こう、何したの?」

 

 

自分が実際に目にしたものを表しきれなくて、分かりきれなくてもどかしそうに手をモニョモニョとさせる。

 

 

「ね、ねえ、アス……、!」

 

 

ヒカリは自分よりも運動に長けているアスカならこのモヤモヤとしたものを解いてくれるのではないのかという風にして目を向ける。

 

しかし、そうした時に目にしたのは今度は本当に睨むようにしている、怒っているようなアスカの視線と表情。

 

ヒカリは自分が理解できないものを実際に目にして呆気にとられた事にかまけてまた失敗したと思った。

 

シンジに絡んでいる事をアスカに聞くだなんて、と自分が問い掛けた事を即座に後悔した。

 

 

「……バカ、アイツ。何やってんのよ……」

 

 

シンジを睨むように見つめながらアスカの口から言葉が漏らされてきた。

 

ヒカリは、へっ?という感じでアスカを見つめる。

 

 

「……本当に、バカなんだから……」

 

 

その言葉にも先の言葉にも蔑んだり憎んだりしているような響きはなかった。

 

ただ平坦な語調、僅かに呆れたような感じが混じっていただろうか。

 

 

「えっ?、えっ?、なに?」

 

 

ヒカリは自分の言った事がアスカを今のようにさせたのではないという事が分かって安堵したが、今度はアスカがなんでそうなったのかが分からなくてキョロキョロとアスカと見つめている先とを見まわす。

 

その視線の先にいるのは変わらずシンジであった。という事はシンジのした事にその原因があるようではあったが、ヒカリにはシンジの何がアスカの癇に障ったのかがまるで分からなかった。

 

アスカはそんなヒカリをよそにフンッと鼻息を漏らすとシンジから視線を逸らしてあさっての方を向いた。

 

後には困惑顔のヒカリが残されていた。

 

 

 

 

 

 

シンジが床に跳ねているボールを捕まえた。

 

トウジはハッとしたようにしてシンジに視線を向ける。

 

シンジは額から汗を流し、息を切らせながらトウジに近づいてきた。

 

 

「……次は、トウジ達の番だよ」

 

 

シンジはそう言いながらトウジにボールを渡す。

 

 

「……ダブルクラッチかいな、センセ。ホンマ、かなわんわ」

 

 

シンジに視線を注ぎながらトウジはボールを受け取る。

 

トウジの言葉を聞いたシンジは、えっ?という表情になった。

 

そんなシンジにトウジは変な顔になる。

 

 

「ダブルクラッチって、なに?」

 

 

ガクッ、とトウジは大仰にずっこけてみせた、この辺り関西人のノリである。

 

 

「あ、あんなぁ、センセ……」

 

 

そんなトウジにシンジは、?という感じで視線を向けてきている。

 

 

「……まあ、センセらしいっちゃセンセらしいか」

 

 

何となく嬉しそうにしてトウジはシンジの肩をポンポンと叩く。

 

シンジは何だかバカにされているような気がしてちょっとムッとした表情をした。

 

 

「……なんだよ、僕、何か変な事言った?」

「別に、何も言うとらん。ただ、センセらしい思っただけや」

 

「なんだよ、僕らしいって」

「そういうところや。ま、ええやないか」

 

「なんなんだよ、一体……」

 

 

シンジは少し拗ねたような顔をして不満そうな目をする。

 

まあ、そう怒んなや、そう言ってトウジはシンジの髪をクシャクシャとかき混ぜた。

 

そして、ボールを手にしてゲームをリスタートさせようとするが、何かに気がついたようにして時間を計っていた同級の生徒の方を向く。

 

 

「時間、まだ大丈夫なんか?」

「え、あ、ああ」

 

 

言われてその生徒は慌てて手の中のストップウォッチに目を落とした。

 

 

「っと、わりぃ、時間過ぎてた。ここで試合終了だ」

 

 

律儀にもその生徒はホイッスルを鳴らした。

 

その時の終わりを告げる笛の音が鳴る。

 

その次の瞬間に体育館は黄色い歓声に包まれた。

 

 

 

 

 

 

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