・弁護方針の変遷
私がこの裁判を当初から傍聴しているということは、先にもおはなししていますが、
第一審での公判が実に36回開かれ、この中で弁護側の冒頭陳述及び冒頭陳述の補
充が4回出されています。(三宅さんのホームページの公判の流れの概要表、参照)
そんなことで、裁判長が、「吊り糸をたらす様な行為は、やめて欲しい。」と言った
言葉は、今も耳に残っています。
私の今の認識
私の今の認識
私の今の認識
私の今の認識
最後になりますが、4回に渡る冒頭陳述および冒頭陳述の補充を出され当初の弁
護方針を勇気をもって変えて来られた弁護士の先生方に感謝します。
1997. 1.22追加
本題に入るまえに、断っておきたいのですが、人間の認識は、曖昧であり、刻々変
化するということです。生まれたばかりの赤ん坊のままの認識で変化しないのなら
人間に進歩はありませんし、向上心も生まれません。
なぜこんな事を書くか、この事件が作られたものであり、私の現在の認識では裁判
が始まって2年間は、事実がどういうことであるか、被告人自体わからなっかたし
勿論、弁護士さんもわからないまま、弁護していたので検察側のストーリーに対す
る反論しかできなかったということです。
ではその変遷をたどることにします。
では、どうしてこのように、弁護方針が変更され、36回にもわたる公判の中で
最後の最後、公判30回目でやっと「事件の否定」がなされるにいたったか、に
ついて、この裁判を当事者以外で一番近くにいたものとしてお話いたします。
事件そのものはあったが、被告人は、担当者ではないので知らなかった、増して
経営委員会によって会社運営からはずされていたので分からなかったそして、被告
人は平成2年12月下旬二重ローンの実態を知ったと書いてあります。
この冒頭陳述は、検察の立証したいわゆる「二重ローンの詐欺事件」はあったと
認め、しかし、被告人は、その事を知らなかった。そして事件発覚後に事件を知っ
たので無罪であると読めます。
この冒頭陳述は、検察側の主張内容を大筋で認めしかしながら、共謀の場として
の「資金繰会議」はなく、よって被告人は共謀していないので「事件」を知らない
為、無罪であると読めます。
この補充書は、63年当初から行われていたとされる二重ローンが犯罪でなく前
回(1994年6月20日)でその首謀者として福岡さんの名前を出している点を
撤回しているものであると読めます。
この補充書は、「二重つなぎローン」の存在を否定し、事件そのものが、なかっ
たつまり、でっち上げ事件であるとこの時はじめて主張していると読めます。
この様に事実の発見は、つぎからつぎへされているのです。ですからその段階で
弁護方針が変わることはしかたのないことであり、これからもさらに弁護方針の
変更は、おこなわれて行くものと思います。間違いなくいえることは、現時点ま
での証拠でも、十分事件そのものがないことが、立証されていることです。弁護
方針もいわゆる二重ローンはなく、詐欺事件そのものがないことを明確にしてい
るのです。
この裁判については、高澤さんのホームページを参照いただけければよいと
おもいますが、私もこの裁判における証人として高澤さんの情状証人をかって出
てしまった責任は、感じている次第です。この事はすでに、「私と裁判とのかか
わり」のなかで書いていますので参照ください。そして、この有罪判決は、当事
者(被告人)が事件を認めている点です。この後、三宅裁判の公判30回目にお
いて事件そのものがないことが証拠をもって証明されるのですが、この矛盾につ
いての説明は、檻の中に入れれば、誰でもやっていない事でも認めるということ
です。この説明は、たいへん簡単でありますが、これを理解することは、実際に
体験してみるか、冤罪に関する書物を読まれるかであると思います。私の理解力
不足のせいもありますが私の様に体験者に接していても2年程度この理解にかか
ったと思います。三宅さんの弁護人さんも、当初「鎌田、高澤はやっているとい
っている。」といっています。ですから虚偽の自白について疑っていませんでし
た。
その事件が間違いなくあったものであれば、被告人から事情を聞き弁護方針
も立てられるでしょうが、今回は、被告人が事件そのものを知らないこと。しか
も平和ホームズの関係者は、皆、事件と関わりをもちたくないため被告人から遠
ざかってしまったことでしょう。ですから弁護士さんがその人を法廷に呼んで証
拠調べをしても、事実を言ってもらえないということです。
これについては、1994年6月20日提出の弁論更新に際しての冒頭陳述
書のはじめにの部分に「・・・・それまでの間に弁護人としては被告人から本件
公訴事実に関して十分な聞き取り調査ができていなかった段階であったそのため
弁護人としても、本件公訴事実に関する事実との相違点及び本件犯行の背景等を
十分に分析できない段階であった。従って、当初の冒頭陳述はそれまでの検察官
の立証に対する被告人及び弁護人側の反論という観点からなさざるを得なかった。
・・・・・・・」と書かれています。つまり、この時点1994年6月20日の
時点でもまだ事情聴取主体の打ち合わせが行われており、この時点では、被告人
も証拠収拾には、動いていたものの、事実の確認は、されていないのです。
この裁判は、長期にわたり又、経済事件であることより、証拠資料も膨大で
あります。そのため、警察に押収されている資料の請求も膨大となり、正直いっ
て弁護士さんが、その為に多大な時間をかけ、調査分析する時間、費用がなっか
たことは、事実であると思います。実際、被告人が要求してもそのような作業は
されていませんでしたし、同時に被告人が金を要求されても出せないことは、私
が証明するところです。
公判19回から25回まで実に6回の公判を高澤さんの証拠調べに費やして
いますが、高澤さんのホームページの中で言っていますが、19回の公判が始ま
る1、2カ月前やっと高澤さんは、三宅さんと話ができる様になったのです。で
すから、高澤さんとしても平和ホームズのことは忘れたい一心の中から正気を取
り戻してなんとか当時(昭和63年から平成3年)のことを思いだしはじめ、
この6回の公判でなんとかまともな証言をしたのだと思います。一度間違った証
言をし、それを正すことは、本当に勇気のいることであると思いますがよく努力
したと思います。この努力が実って、弁護士さんが事件そのものに対する不信を
抱きはじめたことにより、1994年12月20日の冒頭陳述の補充を出すにい
ったったものと考えます。
公判19回に高澤さんの証拠しらべが始まりますが、この直前、幸いにもツ
ーバイホーム技研(平和ホームズの子会社)の事務所から関係書類を被告人の自
宅へもってくることができ、被告人の努力と執念によってこの書類からつぎつぎ
事実が発見されたのです。そんななか、1994年11月頃公判30回目の冒頭
陳述の補充書で問題にされる、貴社指定口座の契約書の原本が発見が被告人より
されたのです。そして、これによる事件がなかったことの裏付けとして、事件の
捏造された証拠の「ただちに、すぐその金で」の発見もされたのです。これらの
証拠によって弁護方針が事件自体全くなかったことであり、まさに冤罪事件であ
るといいきるに至ったものであると思います。
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