三宅さんと談合問題
                                               平成10年 3月10日
                                                 金  子   眞
 私は、以前勤めていた有限会社ヨネヤマプランテイションという会社で、平成4年3月、三宅さんが
入社してきたので知り合いました。それから早、6年が経とうとしています。平和ホームズ当時のこと
は、判りませんが、三宅さんという人の生き方を通して、詐欺をすることは、決してないと確信をもっ
ておりますので、当時のエピソードを交え紹介させていただきます。
 平成4年6月頃、私は、横浜市の仕事を受注すべく仕事をしておりました。今はもう、そんなことは行
われていないと思いますが、当時は、今ほど談合に関する世論の圧力も厳しくなく、談合が平然と行わ
れておりました。たとえば、入札の際役所の入札担当者の前で堂々と業者同士相談をしていましたし、
また、予定価格を役所の担当者に聞くことをボーリングと言って、仕事をとりたい業者はみんなやって
いました。役所に行って見れば判る、このような当時の事実を知らないマスコミや警察の方はいないは
ずです。私もその様にして仕事を取ることについては、仕方がないと思っておりました。そんな中、三
宅さんと一緒に仕事をするようになり、いろいろ相談する過程で、三宅さんの考えは、「談合というの
は、明治依頼日本で行われている発注・受注方法でいくら国際化社会になったからといっていきなり廃
止するのはアンフェアーで、その業界で仕事をしている人の身になれば、死活問題であり、そのような
廃止の仕方は個人的には、反対である。しかしながら、他方、受注金額を皆で相談して金額つりあげる
ことは、市民の税金を盗むのと同じであり、犯罪である。従って廻りの者が行っているいないに関わら
ず我々は、すべきでない。」というものでした。そして、まず、談合を止めてもよいように中小企業の
経営体質を強化することが必要であるという考えで、事業共同組合を公に作ることを提案し、数社の業
者に働きかけをおこなっています。この時の提案が、その後、回りまわって、いま横浜にあるグリーン
事業共同組合の結成に結びついたことは、まちがいないでしょう。
 そんな中、平成4年7月20日この事件で、三宅さんはいきなり逮捕されてしまいます。
 そして翌、平成5年6月30日保釈されます。
 当時は、横浜の地下鉄談合の問題が徐々に表面化してきて、私も、どうしたものかと、会社へ復帰し
て来ない三宅さんに相談を持ち掛けました。そして会社はもう『談合は、しない』という結論に達しま
した。しかしながら、談合組織から抜けるというのは、勇気のいることで、私としても一人でその圧力
を受けることは、難しいと三宅さんに会社復帰をお願いしました。三宅さんも承知してくれ、三宅さん
の復帰を要請していた社長へ、『以後、談合はしない』という結論と『三宅さんの会社復帰承諾』を私
といっしょに話してくれました。
 平成5年9月より、我々は、一切、談合はおこなわないと業界の皆さんへお話し、毎日のよう業界の方
から入る問い合わせに、いちいち説明をする毎日が続き、その度に三宅さんに説明役をお願いしたこと
を覚えています。その説明の骨子は、我々は、『談合は、行なわない。』『しかしながら業界とは、和
をもってお付き合いをしていく。』という、一見矛盾した内容だけれども、明確なものでした。それ以
降、三宅さんと私がある事情で会社を辞めるまで、一切談合は、行なわず仕事を取り続けました(今は
もう談合は行われていない、とこの事件の「共犯者」高澤さんから聞いています)。もちろん、横浜市
からも高い評価を得ましたし、会社にも利益をもたらしました。
 このエピソードからも分かるように、三宅さんの持つ会社のイメージというのはなにをしても『金を
稼げばよい。』というのではなく、『社会の幸福と共に発展してゆかなくてはならない。』というもの
です。そして、三宅さんの生き方は、回りの者が、どうあろうと、決してそれを一方的に非難するので
はなく、改善を呼びかけ、自分自身は、回りに関係なく、自分の信念に従って生きるというものです。
最近は、三宅さんと家族ぐるみでお付き合いをさせていただいていますが、ある意味で、三宅さんは、
変わった人です。ゴルフ、麻雀、ギャンブル、酒と女、不動産投資などの蓄財を一切しません。奥さん
の稼ぎまで、三宅さんの住宅事業に注ぎ込んでいたことは、間違いないと思います。生活は質素そのも
のです。しかし、ご夫婦は楽天的で楽しそうです。 ただ、三宅さんは、弱い者に対してはとても親切
なのですが、権威に対しては決して媚びません。そういう三宅さんが、回りから理解されなくて、今回
の冤罪に結びついた、と考えます。
 そして、今、この三宅さんの考え方の元、有限会社メリーガーデンという造園会社を三宅さんを中心
にしてつくり、スタートしたところでした。
 以上が私が談合から抜け出した時からのお付き合いを通して得た、三宅さんのイメージです。皆さん
の三宅さんに対するイメージの参考となれば幸いです。                    
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