三宅さんと鎌田さんの会談の様子

                                                                                      1998.3.25
             
  1998年3月24日 午後10:00,三宅さん,三宅さんの奥さん,私三人で鎌田さんを尋ねました。
三宅さんの一通り挨拶が終わって、時間がないので、三宅さんが、準備した資料で質問をしました。
 まずはじめに、三宅さんが、第一審の「陳述書」添付の図表を示して、会社で利用していた「ダブルつな
ぎ」は「二重ローン」ではない、という三宅さんの調査結果を説明し、鎌田さんが、始めはつなぎの付け換
えだった、と言っていることの実態をその図表で示しました。そして三宅さんは、鎌田さんたちがやったダ
ブルつなぎも総体としてみるとつなぎの付け換えだったのではないか、と主張している旨説明しました。鎌
田さんは、「ええ、ええ」と小声でうなずくばかりでした。
 次に、三宅さんは、これまで三宅さんが収集した下記の証拠、
 ・警察の捜査報告書(第一勧業銀行の預金取引記録)の写し
 ・小田経理課長のつけていた「日計表」綴りの写し(新証拠)
 ・小田「日計表」のコピーに書き込みを加えている鎌田さんの「日計表」綴りの原本(新証拠)
 ・鎌田さんが独自に作成していたバインダー形式の「日計表」の写し(新証拠)
 ・コンピューターから打ち出した会社の経理データ(新証拠)
 ・三宅さんと正田さんが管理していた第一勧業銀行の普通預金(平和ホームズ名義)の通帳の写し(新証
    拠)
 ・三宅さんたちがその普通預金から、鎌田さんが管理していた資金へ貸付をおこなったときの振込金受取
    書や鎌田さんが支払わない経費等を三宅さんたちがその普通預金から支払ったときの領収書の写しなど
   (新証拠)
 ・鎌田さんが作成していた「入出金予定表」綴りの写し(新証拠)
 ・裁判で証拠になった鎌田さん作成の「資金繰り表」の写し(注:新証拠といっても、三宅さんの弁護人
    が証拠申請しなかっただけ)
などを示して、経営委員会派の財務とは別に、三宅さんたちが約9000万円の資金を持っていた事実、その資
金から、鎌田さんが管理する経営委員会派財務にお金を貸したり戻してもらったりしていた事実、鎌田さん
が返済しない銀行借入の返済をした事実、鎌田さんが支払わない経費を支払った事実などを指摘して、鎌田
さんにその事実の確認を求めました。すると、鎌田さんは、その事実を認めました。次に、三宅さんは、そ
のようなお金の出入りが、小田さんの「日計表」や鎌田さんの二つの「日計表」、そして、鎌田さんの「資
金繰り表」に記入されていない、という事実の確認を求めました。すると、それも鎌田さんは、認めました。
最後に、三宅さんは、コンピューターのデータには、何故記入されているかと言えば、それは、破産手続き
の時に、小田さんから求められて、全てのデータを出して、それを小田さんがコンピューターに打ち込んだ
からだ、と説明しました。
 その上で、三宅さんは、そのような事実があるのに、どうして、別資金を持っている三宅さんが、経営委
員会派の資金繰りについて、鎌田さんの「資金繰り表」に基づいて相談したと言えるのか、と説明を求めま
した。すると、鎌田さんは、「いや、しました」と言うばかりでした。三宅さんが何度も「どうして、そう
言えるのか」と聞いても、「いや、しました」と無表情で繰り返すばかりでした。
 そこで、三宅さんが、鎌田さんが言う「資金繰り表」で資金繰りをしたわけがない、数日後の月末が数千
万円のマイナスになったまま放置している「資金繰り表」で資金繰りをしたというのか、僕はそれほど無責
任なのか、と言っても、「いや、しました」と全く無表情で繰り返すばかりでした。三宅さんが「小田経理
課長は、上司から資金繰り表で指示を受けたことはない。何時も自分の方から、支払いの許可を求めていた。
入金も入って始めて、このお金は何のお金ですか、と営業や上司に聞いていた、と陳述書を書いている」と
言うと、「それならそれでいい」と小声で開き直っていました。
 また、三宅さんが、月末残高で言えばせいぜい1億円程度の「ダブルつなぎ」ではないか。それを指して
「二重ローン」詐欺です、と言うのか。それくらいなら、自分たちが持っていた別資金の9000万円でほぼ足
りたではないか。なのに、鎌田さんたちと一緒に「二重ローン」詐欺の相談をしたというのか、と聞きまし
た。すると鎌田さんは、「いや、しました」と無表情に答えるばかりでした。
 ハッキリ言って、これは誰かに指示されているな、と思いました。
 三宅さんはさらに、1億円程度の金なら、代沢の土地を売っても、宇都宮のマンションの広告塔の権利を
売っても出来たじゃないか、鎌田さんは財務担当者として国民金融公庫から1200万円程度だけれども借り増
しが出来たのにやっていない、僕の自宅は銀行に差し入れた7000万円の抵当権設定額が多いということでわ
ざわざ半分に減額している、それなのに、1億円程度の「二重ローン」詐欺をしたというのか、と聞きまし
た。しかし、鎌田さんは相変わらず「いや、しました」と答えるばかりでした。
 三宅さんは「それじゃ、住宅金融公庫の中間金を受け取っていないのは何故? 受け取ることが出来る金
があるのに、それをしないで、詐欺をしたというの?」と聞きました。すると、鎌田さんは「いや、誰から
も中間金の交付申請をするように言われなかった」と言いました。すると三宅さんは「鎌田さんは建築・不
動産営業のベテランでしょ。財務だって何年やっているの。知らないわけないでしょ」と少し怒ったように
言いました。すると鎌田さんは「いや、高澤さんからも言われなかった」と答えました。三宅さんは「えっ。
高澤さんは上司の鎌田さんに指示する権限はないよ」と呆れていました。
 三宅さんは、そんなこと言うのなら、と言って、鎌田さんが告訴人の石田克史さんに出したつなぎ融資の
金利の負担割合を決めた書類の写し(証拠として法廷には出されていない)を示して、「鎌田さん自身が、
ここに、当社が住宅金融公庫の中間金を受け取る権利を書いていて、その後は、中間金分のつなぎ融資金利
は石田さんでなく当社が負担するように書いているのに、何故、中間金を受け取らなかったの?」と聞きま
した。すると鎌田さんは「これは、予定ですから」とか「付け換えの時に困るから」と答えました。三宅さ
んは「架空の計画ではないんでしょ。受け取れるじゃないの。つなぎの付け換えの時には、公庫の残金部分
の融資申し込みをすればいいんでしょ。それに、付け換えの時に困ると言うけれども、付け換えをしていな
いケースもたくさんあるのに、そういうケースでも中間金の受け取りをしていないのは何故?」と聞きまし
たが、なにか訳の分からない返事をボソボソ繰り返すばかりでした。
 また、経営委員会の話についても、鎌田さんが「社長が風邪かなんかで一ヶ月も会社を休んだからみんな
が危機を感じて創った」と言いました。すると、三宅さんの奥さんが呆れて「うちのは一ヶ月も会社を休ん
だことは一度もないよ」と言いました。三宅さんが「平成元年の10月に、企業提携反対運動を起こして、12
月には、鎌田さん、あんたも携帯電話3台購入の稟議書を僕が認めなかったのに、勝手に買ったでしょ。そ
のようにして創ったんでしょ」と言うと、鎌田さんは「いや、携帯電話は、買ったけれども正田さんが隠し
たので、・・・」などと訳の分からないことをボソボソ言っていました。三宅さんが「あの頃、風邪で休ん
だのは事実だが、一週間くらいだ。みんなが経営委員会を創る相談をしている頃は、鎌田さん、あなたと菅
原さんがミスをして放置していた野沢邸の現場を僕が尻拭いしていた時期じゃないの。ウソを言うんじゃな
いよ」と呆れたように怒っていました。すると鎌田さんは「おぼえていません」と言うので、三宅さんが
「平和ホームズの工事で大きなトラブルになったのは、大橋邸と野沢邸だよ。いずれも僕が尻拭いをしたん
だ。知らないと言うの」と言うと、「どんな現場ですか。言ってもらえばわかります」というので、三宅さ
んが「5メートルの擁壁工事と地盤の改良だよ」と言うと、「ああ、あれですか」。そして、「今日はそう
いう話は・・・」と言うので、三宅さんは「わかった」と言って、また次の資料の話をする、という具合で
した。
 何を言っても、のれんに腕押し、といった感じでした。

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