昭和激動期の
浅草っ子物語
<目次>
                       (頁)
         はじめに          1〜2
(1) 昭和の初期編
第一部 浅草の八百屋家業と少年(満州事変の勃発) 1
第二部 父の出征と銃後の家族(支那事変の勃発)  37
第三部 高等小学・大野学級の仲間(日中戦争へ拡大)52
        <歴史の参考文献(1)>     74

(2)戦中編
第四部 働きながら、夜間学ぶ(太平洋戦争・初期) 75
第五部 予科練生活と東京大空襲(太平洋戦争・末期)108
        <歴史の参考文献(2)> 129

(3)戦後編
第六部 きのうの敵は今日の友(戦後の混乱期)   130
第七部 工場勤務とわが青春(戦後の復興期)    152
  「追伸」戦後60年 昭和激動期の歴史を想う   181
        <歴史の参考文献(3)> 185
<はじめに>

 浅草っ子の少年は戦後の復興期に、昼間の仕事と夜間の通学による生活習慣が長く続き、過労が蓄積して、29才の秋、肺結核で倒れ、職も失った。
 一年間の自宅安静療養と二年ほどのアフターケアが続き、その間、良き医者と出会い、妻は幼子ふたりを抱えて、貧しい生活の中で夫の栄養食作りに懸命であった。その甲斐があって、再発の危機を逃れ健康を取り戻し、人生の再出発ができた。
 ところが、晩年72才の時から再三、大病に出会い検査入院二回、手術入院三回、開腹手術四回という四年間の闘病と療養生活を送るはめになった。
 この二回目の入院のとき、ベットで「ルーズベルト秘録」産経新聞の掲載(12.4.10から12.9.8)を読んだ。一部、二部と読み終え、三部(日本脅威論)、四部(やつらを追い詰めろ)、五部(恩讐の真珠湾へ)へと進むにつれ、戦前の少年時代と戦時中の若い頃を思い浮かべ、その時代に生きてきた「あかし」を綴ってみようという気持ちが湧いてきた。
 そこで、私の少年期(満州事変の勃発)、父の出征(支那事変の勃発)、戦時中、終戦後の混乱期と復興期、この昭和激動期を若き日の人生の区切りに合わせ、七部構成で物語風にして綴った。
 この時代は、「昭和の歴史」を抜きにして、当時の人々の心情や行動を語ることはできないほど、国家存亡の時代であった。そこで、
読者の歴史知識を助ける意味で「昭和の歴史を知ろう」という「添え書き」を歴史の節目に沿って挿入してみた。

(注) ルーズベルトは1933年(昭和8年)から1945年(昭和20年)4月まで、12年間、米国の大統領をしていた人。


       平成17年(2005)11月
           篠 康太郎