あとがき
       <多病息災の新たな生きがい>

 人々は神社の拝殿に向かうと、家内安全・無病息災を心で唱えてお祈りする。この世に生を得て、寿命が尽きるまで、病気らしい病気もせず、コロット死を迎える人は、無病息災の見本であると思う。
 観音霊場の札所にも、「コロリ死」を祈願する札所がある。そこは年配者の男女で境内が賑わっている。誰しも死ぬ時は、コロリと行きたいと願っている。家族の心情からすると、せめて一週間ぐらいは看病に付き添っていたいと思う。
 私の祖父は朝、目がさめて、部屋の中が暗い、電気を付けなさいと言って、一分もたたない内に息を引き取った。脳出血であった。私(少年時代)の目の前の出来事だったので、いまだに、その時の情景が頭に残っている。
 父の方は、夏の暑い日、近くの銭湯から帰って、よく冷えたビールを飲みはじめた。だいぶのぞが乾いていたとみえて、ぐっと飲み干した直後、うつ伏せになり、そのまま息を引き取った。狭心症の発作であった。二人とも故人にとっては、安らかな最後であった。
 一病息災という生き方もある。病気を抱えて、辛抱強く生活の中に療養を忘れず、かといって、病気のことでくよくよせず、明るい気持ちで長生きしている人々がいる。私も29才のとき、肺結核を患ってから72才になるまでは、この生き方をしてきた。
 ところが、思いもよらぬ大病(腹部大動脈瘤)にかかり、続けて腸閉塞、その再発、小腸に孔があき腹膜炎と四回の腹切りをするはめになってしまった。幸い奇跡的に生還できた。
 こうなると、多病息災という生き方に変えて、生きがいを見出すことになる。本書を書きはじめたきっかけは、S病院でお世話になった主治医の井上先生が、私を最後の患者にして、S病院を辞め、あるクリニックの副院長に転進された。その先生がある時、七ヶ月にわたる入院中(三回目と四回目の手術)の苦労話がでた時「篠さん 体験を書いてみたらどうですか」という問いに誘われて書きはじめてみた。すると、だんだんと筆が進むにつれて、私なりの多病息災の生き方が分かってきた。
 若いときの人生は、貧乏でつらいことも、仕事で失敗しても、病気になっても、「若さ」という偉大な活力で立ち向かうことができる。中高年の人生は、家族に対する愛情と、仕事上の責任感が支えとなって突き進むことができる。
 問題は、仕事を離れて、家族も夫婦二人になった人生の生き方である。とくに突然、どちらかが大病を患った人生である。これは、新たな生活環境や健康状態に即した「生き方」に変えていくことが望まれるが、いざ直面してみると、どう対応したらよいか、その具体的のことを見つけるまで時間がかかる。
 その過程で、一番大切なことは、「こころの健康」を保持するように心がけたい。それには、新たに「なにか」をやってみる、若いとき、やれなかったことをやってみる、夫婦で同じ趣味をもつ、など
行動に移すことだ。私の新たな行動(闘病記を書く)はここで第一幕を終了した。
           (おわり)

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