新マダムの日常

連れ合いの再就職
10月から連れ合いが再就職で勤め出しました。
「託爺(じい)所が出来て良かった。。お金まで頂けるなんて。。」と友人に
言われて、世間相場はそんな所かと思うものの、4時頃から近くの
温泉行って、二人で毎日酒盛りしたり、旅行へも平日行けるし、
仕事から帰って来たら迎えてくれる人が居るというのも、何となく
うれしいもので、何だか損をした気分。  でも義母は101才で
存命です。彼の長い人生を思えば、勿論働ける内は働く事が幸せと
思います。

楽しい楽しい時というのは、山椒のように小粒でぴりりと効くから
良いので、のべつまくなくずーっと楽だったら、それに麻痺してもう
楽しくなくなる。(何と健気な)私は余命の事が少しは気になるのだ
けれど自分で又色々楽しみを見付けてホントの定年まで持たせます。

余命と書きましたが、乳ガン発病から約3年。再発の兆しは全く無い
みたいなので(3年以内の再発が多い)少しこの頃普通の人気分で
スケジュールなんかも結構以前に戻しています。でも昔は疲れやすい
自分にうんざりだったんですが、食事などきちんと取って運動も
以前よりはしているせいか、随分元気になったなと思います。

宝塚掲示板、ブログなども維持していますから、メールボックスには
色んな人からのお便りが来ます。 乳ガンをテーマの「Life」という舞台が
あるそうで次のHPをご参照下さい。

http://www.she-friends.com/life/

ともかく、乳ガンは早期発見が一番大事。こういう舞台があって、誰かの
頭にひっかかって、しこりとか言う単語が発せられたときすぐ
「乳腺外科へ」と言って貰えれば本当にうれしいです。豊かなバストを
していらっしゃる方は、しこりが分からないでしょうから(笑)、是非
検診を毎年受けて下さいませ。

ところで先ほどの舞台の話ですが、実は私は臆病で、まだまだそう言う
のを、見ることが出来ないです。 あの状態。。全身全霊を傾けて、何が
良いか、必死の羅針盤操作。。ほのかに見える遠い光。 人それぞれだと
思いますが、追体験するにはあまりに重い。 でもあの経験のおかげで
少しは毎日を色んな事を大事に思うようになりました。まだまだおバカな
オバサンで勢いでしゃべってしまうのですが、後で反省はするようになって
います。ゆっくりほどほどな余命が残っていると良いのですが。。



あっと思う事がありますね。
乳ガン発見まで後1ヶ月で3年。太ったけれど、結構無理しても、
大酒しても平気。輝く健康を誇っていたのに、この秋から冬にかけて
ついに、喉から鼻にかけての上気道炎というのでしょうか。眼もかゆく
鼻はずるずる、咳が出そうで出なくて苦しい苦しい。そしてついに声が
蚊の鳴くようになってしまい全てキャンセルして5日間家に居ました。
まぁ持病なんですが(寒冷アレルギーらしい)体調悪い時しか出ないのです。

咳は涙の代替作用と言った医者を思い出しました。確かに何だかここへ
来て、ちょっと寂しい話しばかり。まずはタカラヅカ掲示板のカキコミ
のみでの繋がりでしたが、メールのやり取りなどで今少しおつきあいを
させて頂いていた方が、2月からの闘病の甲斐もなく6月に亡くなって
おられたという知らせが入りました。実は同じ様なお仲間を一昨年に失い
いずれも私よりも若くて有能で素晴らしい方達と、どどーんと落ち込んだ
のです。同じ掲示板から2年間に二人は多すぎる。呪われた掲示板なら
閉鎖が適当とすぐに思いました。 でもまぁゲンが悪いと思われたら、
皆さん自分で書き込み控えられるでしょうし、私自身は怖いものないし、
そして、もしかして、天国で二人が楽しみに読んで下さっているかもと
思い直し、何気なく、何もなかったように続けています。

もう一つは息子2の独立です。27才ですから、遅すぎる位なんですが
私の病気も原因で色々遅れていたところ、ついに独身寮へ行くそうです。
これが結構子離れしてないのか、おめでたい事なのに何か寂しい。
2人目なので子供時代、全く手が掛からず、手を掛けずの人だったのに、
どんな縁なのかここまで一緒だったとは。 土日酔っぱらったら、必ず
食器洗いをしてくれた人が居なくなる。。
めったに入らない部屋から出たゴミ袋の中は衣類で一杯。
胴回りが大きくなった自分の普段着にどうかと漁ってみたら、カナダみやげの
UBCのトレーナーはほとんど着た様子無し。大学のロゴって意外と
ダメなんだ。可笑しい。福岡からのいるかのTシャツは滅茶苦茶着てるのに。
捨てる本の山にも感慨あり。童話やら塾のものやら。

ずっと色々世話になったりしたりの歴史を思い返すと、うっと来るものが
ありました。 でも、27年間もですから十分。もう本当に十分と思い
直し、段々平静になっていきました。

そんなこんなの憂さ晴らしは「ちぇんじ・えあー」そう気分転換に旅行が
一番。      堂ヶ島温泉に一泊旅行してきました。
連れ合いはお勤めなのでドライブはダメ。女友達と踊り子号、地元バス
を乗り継いで行きましたが、家から5時間くらいで着きますね。

露天風呂付きのお部屋だったので、ザブンザブンと何度も入り、
季節的にものぼせずに良かったです。ただ大体館内をすごく歩き、帰る
頃やっと慣れるはずの大浴場と一般露天風呂が同じフロア。しかも、待合い
隔ててすぐにあったのには、何だかがっかり。でも胸が切られ与三郎
している私のこと。プライベートの露天はうれしいです。

真ん前は大海原と三四郎島。立地条件の良い旅館で嫌という
程、海を眺めマイナス空気イオンを浴びリラックス出来ました。
翌日は河津へ出てバガテル庭園へ。薔薇は秋薔薇でも、強風で
揺れてダメでしたが、パンが美味しかったです。ブティックも
揃っているし、又ゆっくり春に来たいかなと思いました。

旅行から帰ったら湯気が良かったのか喉もまぁまぁ。息子の事も
1人で自分の事は自分でする期間を確実に持つことは息子の為に
絶対良い事と心から思えました。  いよいよ引っ越し荷物と行くとき
「Congratulations!」と言って差し出した左手をしっかり握りました。

私も奥手で28才の夏に両親から離れました。もっともそれまでに
海外に何年も行ってましたから、さばさば、何も思わず出ていったもの
です。 両親の気持ちなど忖度しなかったのですが、その事に思い当たって
あっと声を上げそうになりました。 



夕陽に泣く
咳は涙の代替作用。。息子が出ていったストレスで
仕方ないんだと思って我慢していたのですが、いや、
やっぱり異常だと気がつき始めました。10月末から
何だかずーっと続くちりめん咳。まともに高熱の風邪や、お腹の風邪
も、懐いてやって来て社会生活滅茶苦茶。体力落ちていると
やられ放題になるんですね。 ノン・アルコール・デーがずっと続きこれも
又ストレス。

私に健康な日はもう来ないのかと暗澹と、とぼとぼ歩いて
いましたら、真っ赤というかオレンジに燃える夕陽を見ました。何か
自分のいじけた気分に泣けて思わず足を止めて、丹沢の山々に沈む
大きな円いオレンジの煌めき。。を少し眺めていました。綺麗でした。辺りの家々も真っ赤に染まっているんです。不思議な感覚。もう、何か
自分も生命力を注入されるみたいに、暖かさを感じて染まりました。

何して居るんだかと思って、以前ちょっと言われた「耳鼻咽喉科」の
門をその足で叩いたら、やっぱりビンゴ。鼻中隔が曲がっていて
(生まれつき)鼻が詰まりやすく、湿気を取り入れにくく、又
この雨が少ない気候、暖房もあって、喉がすっかり乾燥してしまって
過敏になっていると言うことでした。その方の治療を始めたら、あら不思議
良かったんです、咳が止まりました。

咳くらい、まぁ気になれば気になるけれど、どうってことないので、
忙しいままにしていたら、こんな馬鹿な事に。大きな事には必死に
立ち向かうかも知れないけれど、小さな事はどうでも良いという
横着さは本当に直りません。悪い性格です。

順調に回復。23日に換気扇の掃除、障子の張り替え、年賀状宛名書き
終了。
少しほっとしました。今年は早めに年末旅行に出発します。行き先は
アンコール・ワット。 俗化が進み、遺跡そのものも脆いという事で
早く行きたいと思っていたのですが、いざとなるとおっくうでした。

でも免疫力アップの為には前へ前へ・・と思うモチヴェーションの高さと
シンクロすれば、すっと計画出来ました。ホルモン剤を飲まなくなって
副作用が無くなる2,3年後というのも有りかもしれませんが、何が起こるか
分からないのが乳ガン患者(いばってます)、時差も2時間と言うし何とか
なるでしょう。楽しみです。

さて、日本評論社刊「マンモグラフィってなに?」美奈川由紀 著(元看護師、ジャーナリスト)
というご本の紹介をさせて下さいませ。 例によって知人の紹介で読んだのですが
しっかりと早期発見の重要性や、検査機械の詳細の紹介についての記述がしてあり、
患者も比較的前向きな人を選んで紹介してあります。2006年3月一版の本なので
数字も新しいです。マンモグラフィーの検査率が日本では2.1パーセントというのは
低いですね。欧米は70〜80パーセントは行くそうです。日本は罹患率が23人に1人、
米国8人に1人、英国5人に1人ですから。こういう数字もこの本から拾いました。





東南アジア旅行(1日目)
2ヶ月くらい続いたちりめん咳やら、お腹の風邪やら、高熱の風邪やら。
冬になってどうも意気が上がらない。社会生活かなりダメだったけれど
(仕事を替わって貰って)、翻訳原稿は無事提出たので少しほっ。一応
症状も軽くなり、何となく気楽に成田空港にやって参りました。

今回は東南アジアの言葉の通じない国とあって、食事もガイドも付いている
団体旅行です。(ホテルはデラックス、個人ハイヤー、個人ガイド。。贅沢
だけれどこのコースしか空いてなかったらしい)荷物は夏服なので二人で
スーツケース一つ。
連れ合いと又弥次喜多旅行になりそうです。 私だけ一応傷害保険に
入っておきました。

まずはバンコックへ。5時間くらいのフライトですが、まぁ成田からなかなか
飛び立てない。管制塔の許可が下りないと延々と一時間待ち。乗り継ぎ
便があるので、ちょっと嫌な予感ですが、まぁそんな事は考えていると
楽しくもないので飛び立った後は機内映画を楽しむことに。「フラガール」が
良かったです。音楽とかダンスが好きな私にはぴったりの映画。松雪泰子
元SKDダンサーのやさぐれぶりも良かったし、豊川悦司炭坑兄ちゃん
男っぽく、その妹蒼井優ちゃんのお腹の揺らし具合の綺麗
な事。(吹き替えなのかどうか最後まで分からなかった) 松雪さんは、
銭湯へ怒鳴り込んで男湯で胸ぐら掴む場面最高。又助演の岸部一徳
マネージャーの方言で怒鳴りまくる場面のあの可笑しい事(何であの
イントネーションが可能だったか)。

圧巻は富司純子さん。もんぺ姿の母さんなのに白百合というか、掃き
だめに鶴みたいに綺麗。「地べたをはいつくばって働くことしか知らなかった
けれど、人を喜ばせるという仕事もあるんじゃないか」とぴしっと言うあの
数十秒で全部喰っちゃったというか。。(私の感想でございます)

見ている内に何度も涙がつつー、じわっと溢れる。感動ものの映画でした。

バンコックはトランジットだけれど、ここからシエンリアップ
(SiemReap)まではバンコック・エアウェイズに乗り換え。ローカル航空
会社はどうしても目立たない所にあるし、又すごく広くて不案内な係官の
多いこと。45分切って居るところでやっとチェックインカウンターへ。
長蛇の列。整理のお姉ちゃん掴まえて、チケット見せて、特別扱いして
くれと頼み込む。何とか空いてるカウンターで先にやって貰えることに。 
乗り込んだら、鮮やかな花柄のシャツに真っ青なスカートのキャビン
アテンダントと、草色ネクタイの男性パーサー。目がくらくらっとしたけれど、
たった一時間なのにランチボックスは出るし、美味しい珈琲も。

機内でVISAの申告用紙や出入国カードを書いているとあっという間に着陸。
カンボジアのビザは日本で取得するより安いと聞いていたけれど、又長蛇の
列なら時間の無駄だなぁと冷や冷や。さっさとやり過ごして、ほぼその
フライトでは一番に並ぶ。ちゃんと写真の大きさも調べて切ってあった
ので、1人20米ドルですぐ取れました。

さてガイドさんのお出迎え。専用車は何とおんぼろバス。私たち二人だけで
乗るのに。
ちょっと笑えます。ガイドさんは現地の人じゃなく若い可愛い日本人の
女子。しっかりしていそうで期待出来ます。 カンボジアは基本的に街灯は
ないと思って下さいと説明を受けながら(空港からの道にはかなりあった
けど)、アンコールワットのある街に到着。ただクリスマスのすごい
イルミネーションがまだあるので、オレンジ色が派手派手しい感じ。

大体ここまででかなり疲労気味の私は食欲ナシ。でもカンボジア料理の
夕食が待っています。あまり辛くないごった煮カレーと、空芯菜の中華
風炒め物。春巻き。海苔のスープ。小さなバナナとライチのデザート。
量的にはあまりありませんがアンコールビールという現地のビールが美味し
かったのはうれしい。初秋くらいの気候か。

ホテルはフレンチ系のSofitel アンコールワット。赤い煉瓦の屋根、広い
池(ラグーンと言う)、椰子が揺れ、3階建ての植民地風建物。館内には
眠いような音楽が流れ、肌黒い人達の前で手を合わせるお辞儀に迎え
られます。 辺りは真っ暗だし、何も分からず、豪華で別荘に迎えられた
みたいと、テラスの付いた2階のお部屋で旅装を解きました。



東南アジア旅行(2日目ーその1)
今日はまずアンコール・トムから。アンコールワットに来たのに何故先に
見せないと気があせりますが、写真を撮るのに逆光になるからとあちらは
午後行くのが常識だそうです。なるほど。
アンコール・トムというのはただ「大きい街」という意味。その中のバイヨン
寺院とその向こう側にあった宮殿の象のテラス、ライ(病気の)王のテラス
がまぁ見どころです。
砂岩でかなり色変わりしている観音像ですが、ジャングルを背にすると
大きさもありますしかなりの迫力です。「天空の城ラピュタ」のモデルと
なりましたとの説明もありました。


ライ王のテラスからは、物見櫓みたいな石の塔が幾つか見え、そこに綱を
渡して、その上を人が渡ってお祝いをしたと言います。そこは閲兵式も
行われたとかで、11世紀のクメール王国の栄華が偲ばれますが(本当に
広大な空間)、想像力の乏しい私の事、「結構朝から疲れたな」とか馬鹿な
事を考えていたのです。

三島由紀夫の戯曲に「ライ王のテラス」があったはず。これは読まなくちゃ。

非常に不規則な石の階段、砂地。。歩きにくい靴では来るべからずです。
昼食はタイ式カレーの店。飲み物に西瓜ジュースを頼む。氷は?と
聞かれたので一応危ないと辞退。美味しかったですがやっぱり生ぬるいの
はダメですね。一旦ホテルへ帰って休憩。ここでタイ式マッサージ
を30分受けました。 真っ白の絹のワイドパンツと赤い薄物の上着に
着替えて、敷物の上で待っているとしずしずと浅黒いカンボジアの若い
女性が登場。小柄で美しいです。現地の木琴のような音楽が流れ、水が
さらさら枕元を流れます。

その後の時間は至福の時でした。独特のリズムで、ゆっくりゆっくり揉み、
体重をかけて押さえ、伸ばす。足を膝に乗せ、足の裏も丁寧にマッサージ。
動きはしとやかで情緒があり、それでいてすごく力強い。美味しいジャス
ミン茶までついて微笑と合掌で送り出されて最高の気分でした。ここまでは。

2時過ぎからいよいよアンコール・ワットへ。ここはスールヤヴェルマン
2世というクメール王の墳墓であり、ヒンドウ教の寺院でもあるそうな。
まず満々と水を湛えた環濠が目につきます。無限の大洋を象徴するとか。
橋は欄干なんかありません。敷地内に入ってしまうと、西側を向いている
ので、確かに綺麗に写真が撮れます。聖池に写る五基の塔の眺め、
ジャングルの中から浮かび上がるその雄大さは確かにあっと言うものが
あります。しばらく、うれしそうに写真を撮りました。まだまだ最高の気分
でした。




東南アジア旅行(2日目ーその2)
アンコール・ワットの特徴はまず柱、壁、天井と言わず、全部目に見える所
に精緻な浮き彫りが施されている事でしょうか。ガイドさんの丁寧な説明で、
戦争の様子なのか、ヒンドゥ教の神話なのか分かります。唐草模様を始め、
アラベスク模様、花や葉やあらゆる文様が隙間をぎっしり埋めていてすごい
です。寺院が人々に取って楽園となるように創られたというか、王の権威を
表すだけでなく、王自身の天上土への憧れの昇華を計った所とも思えます。

最初にもし僧侶(オレンジの布を巻いて剃髪している人)に出会っても、
絶対に女性は触れないでくれと厳しく言われました。その人の修行が全て
無に帰するそうです。この前永平寺でも言われたけど、特に女性とは強調
されかったけど、多分同じだったんでしょうね。

構造的には第一回廊、第二回廊、第三回廊が四角く中央祠堂を取り囲み、
中奥へ行くほど重要な建物となります。
第三回廊へはかなり急な階段を登らないと行き着けません。勾配は45度
らしいのですが、まるで壁のように見えます。アンコール・ワットへ行った
経験のある人達からかなり大変と聞いています。又階段の幅も23cmの
靴が乗らないほど狭い。日本では「私登らないで待ってるね」とこのように
賢い口をきいていたのですが、実際目の前にしてみると何だか登りたく
なる。本当、高いところ好き人間。

足をかけて登り始めると、あれよあれよでさっさと登れてしまいました。
でも、ここで「行きはよいよい帰りは怖い」が実に真実であることを
発見するのですが、もう遅い。 帰りは一応手すり(単なる鉄のロープ)
のある所から降りようとするのですが、これが又4,50分待つ。そして
私の番になったとき、思わず心の中で悲鳴。真っ逆さまに落ちろと言うの?
って感じです。連れ合いが先降りようかと言うのですが、もし私が上から
落ちたら巻き添えにしてしまうと悲劇的な事を考え私が行くと言いました。
ここで裸足になる。。後ろ向けで降りる等の知恵があったらと思うの
ですが、いや、後の祭りとはこのこと。
ともかく慎重に一歩、一歩降りました。後ろからうるさいほど
「ゆっくり、あせるな、次とは離れているから大丈夫」声が掛かります。

何とか降りたことは降りたのですが、へっぴり腰。ロープに縋りすぎ。
そして踏み幅狭い階段に頑丈なスニーカーを両足揃えつつ降りたもの
ですから(笑わないで。。一体どうしてこう不器用なのか)、使わない筋肉を
使いそこから右足が完全に吊っちゃったというか、お豆腐を踏んでいる
ような頼りなさ。しばらくして歩き出せたのですが、階段がつらい。そこから
夕陽のアンコールワットがあったのですが、私はホテルに帰って浴槽に
「登別の湯」を入れてゆっくり足を暖める事に専念。ただし、全く痛みは
ないので、あぁんやっちゃった。。みたいな笑い話風でした。筋肉が
バリバリに凝っていて動かないと言うか。

夜の食事はホテルだったのでほっ。ライトアップされた舞台で
アブサラ踊りを見ながらのバーベキューです。手の反らせ方、首を
くっくっと曲げる、片足を高く後ろへ蹴り上げての静止ポーズがすごく
綺麗です。金の被り物を付けた人形的な踊り子のものより、男女が大きな
貝殻をうち鳴らしつつ踊る民族ダンスみたいなのが牧歌的ですごく
良かったです。 容貌は沖縄の人のような濃いめのアジア人。でも
肌の色はインドの人と言ってよろしいかと。小柄でとても日本人的には
親しみを覚えるカンボジアの人達です。消毒だとビールもしっかり飲み
明日は早いぞと10時頃から寝てしまいました。



東南アジア旅行(3日目)
普通の筋肉痛だったら一晩寝たら治るよね。。と思いながら朝起きましたが
とんでもない。相変わらず右足引きずらずには歩けない。階段は人の
助けが要ります。傘を借りて杖代わりにして歩くことにしました。(杖の
付き方は骨折経験でばっちり。弱い足と一緒に出すのです)5時起床で
アンコールワットの日の出を見に行きました。聖池に椅子を借りて
(コーヒー付きで100円)じっくり待ちます。暁の寺院。朝焼けから
日の出まで1時間くらい、池に写る逆さ寺院と、暴力的とも言える
ギラギラした南国の太陽のお出ましを楽しみました。

(朝焼けのアンコールワットーそろそろ日の出も近い)


しかし至福の時って難しいもので回りは人が一杯。隣では
台湾からのハイテンションのオジサンが国際交流に余念無く一瞬たりとも
口を閉じない。そんなものです、人生は。これ、1人で見たいなと思いました。

(いよいよ日の出)


 ホテルへ帰ってパッキングして全て積み込み、観光へ又向かいます。今日は
かのアンドレ・マルロー(元仏文化相)があんまり美しいので夜忍び込み
持って帰っちゃって掴まったというヴァンテアイ・スレイのアバダー(女神像)が
目的です。

さて、そこまでの一時間。「田舎のバスはおんぼろバスよ、凸凹道を
ガタゴト走る。それでもお客さん、我慢をしている、それは私が
美人だか〜ら」と懐かしい歌を口ずさむ。

古い歌。50年くらい前かしら。車窓に広がる景色はしかしなかなかぼやっと綺麗だなと眺めている
ようなものじゃなかったです。内乱で疲弊しきっている。。のか。学校は2部制。
制服有り。確かに白いシャツに紺色のスカート・ズボン姿。午前の部が
終わって、わんさか小学生が出てくる所を見ましたが、その内の80
パーセントは白とはとても言い難い(雑巾色、敢えて言うなら)色のシャツです。
小学校へ行ける子はまだ恵まれている方とか。事情が許すようになれば
行けば良いので学齢は関係ないらしい。ボロ切れ纏った子が
こっちを見ている。たった1人何もないところで。高床式のニッパハウス。
井戸、戦争映画で見たままの東南アジア、時がここだけは止まって
いるのでしょうか。

目的地へ着く。これも寺院ですが、赤い砂岩で作ってあるので印象が
違います。女神像は幾つもあり、どれが目的のものかは秘密だそうです。
でもガイドさんが「これだろうという噂です」と指し示してくれたのは
私も一番美しいと思いました。でもどうやって切り取ったのか謎です。

どこへ行っても参道は長く、おみやげ物の売り子がばぁっと近づいて
来ます。「オバサン、カワイイネ。3個3ドル、3個3ドル」そう言って
ミサンガみたいなのを売りつける子は、次第に「4個3ドル」になり
「5個3ドル」に。振り切って歩けない私はゆっくりゆっくり一緒に
歩く。5才位の裸足の子。たまたま50ドル札しか持ってないし、
連れ合い達は、もうはるか先。
「お金ないのよ」と謝りながら歩く。あんなに情けない思いしたの初めて。

そこから「タプロム寺院」へ。ここは廃墟になった寺院の上を南国の
たくましい木々が枝を伸ばし、根を張っている所。切り払うと全て
崩壊してしまうのでそのままになっています。

昼食はそうそうカンボジア風の鍋料理とざるそば。ざるそばは乾麺を
茹でているだけだそうですが、パック旅行のこういう気遣いはあまり
好きじゃないです。又日本人ガイドは少しがっかりかも。すごい優秀
な人で万全でしたが、まぁ気分的にエキゾチックじゃないと
言うだけで。ただカンボジア遺跡は全て現地人のガイドが一緒じゃ
ないとダメなので、もう1人ガイドが付いており(総勢4人で行動)
カンボジア語など習って楽しかったです。日本の歌で知っているの
ある?って聞いたらケータイにセイブしてある「FirstLove」
を聞かせてくれました。なるほど。あれは良い歌です。
カンボジアで何か食べてちょっと違うなと思って「チガウ・ナー」と
言ったらとっても美味しいだそうですよ。

いよいよカンボジアともお別れ。空港で「リーハイ」って言わなければ
と思っていたのに、いざとなると出ないもので普通に。ベトナム航空
で、ハノイへ行きます。大体アメニティは揃っていると思ったので
化粧水の持ち合わせなく、ここでやっと買えました。(町中へ1人で出る事は
出来なかった)2時間もあったのに、最後の20分くらい、隣り
合わせで座ったアメリカ人一家と話がはずみ、ペイジングをかけられ
てしまいました。北京の総領事館に勤めているそうで、あの
バイクタクシーで8日間もカンボジア観光したとか。3人娘、
相当うんざりって顔してました。汗だらだらのあの日中の暑さ、きっと
気候にやられたのでしょう。

ハノイ着は約一時間後。今度はベトナム人の男性ガイド。日本語上手い
です。外国語大学の日本語学科だとか。サイゴン(今のホーチミン市)
は南国で暑いらしいですが、ハノイは冬。聞いてないよ状態。ともかく
コート類は日本の車に置いて来たのでスーツ姿でぶるぶる。

DAE・WOOホテルという韓国系の五つ星ホテルに落ち着きました。
良くガイドブック見直したら昼間は15度。最低気温5度。いや、
恐れ入りました。とんでもないミス。ここでたくましい連れ合い、
早速町へ出てダウンジャケット調達してくれました。社会主義国のもの
なのに、ナイキっぽいマークが付いているのはご愛敬。



東南アジア旅行(4日目)
毎朝、今朝こそ足が治っているようにと思うのですが、全然そう言う
訳には行かない。ゆっくり朝ご飯食べて(ヴァイキングでしたが、
キムチ、中華風おかゆ、日本風冷や奴、ヴェトナム麺あり、その上
カマンベール最高)、少し時間があったのでビジネス・センターで
日本のヤフーに接続し、掲示板に書き込みなどしました。

今日の観光はまずホーチミン廟へ。午前中しか開館していないので
かなり混雑。40分位行列作って寒空の中待ちました。前はロシアの人達
だったのですが、さすがに声かけづらい。内部はアンヴァリッド
のナポレオンのお墓に似ていると思ったのですが、違うのは柩がガラス製
で中身が透けて見えること。そして其処には何とまるで眠っているような
生前と変わらぬホー祖父さん(ベトナムの人は親しみをこめてこう呼ぶ)が
横たわっていたのです。37年以上そのままとは。この技術は旧ソ連の
援助を受けたとか。それにしてもすごい良いお顔です。抜き身の銃剣を
捧げた4人の兵士が直立不動で守っています。

思わずお辞儀をちゃんとしてきました。欧米に対抗出来たアジアの偉人の
風格の演出ばっちりだと思います。 ガイドの説明の熱もすごかったです。
英仏伊露中国語が堪能。79才で、独立記念日9月5日と同じ日に
亡くなった事自体すごくないかと。胡志明というのが中国語名だそうです。

さて、ハノイ市は何と言っても大都会です。バイクがすごく多い。


まだマイカーは手が届かず、皆バイクで帰省もし恋もし(二人乗り)通勤もし・・だそうです。

葬式の車に何回か出会ったのですが、親戚は全員白い鉢巻きをしています。
風習とは言え、ちょっとびっくり。又結婚式は派手みたいです。くすぶった
感じの街並みの中に真っ白なウェディング・ドレスやど派手な換え衣装が
並ぶウィンドウが目立ちます。貸衣装屋さんと聞きました。舗道へ張り出す
ように布のテントを張って(日本の町内会のお祭りみたい)披露宴をして
いました。

さてアスファルト道路を歩いていると、やはりちょっと不安になってきます。
いえ、足の事。少し午後の観光を休んで医者に行くことにしました。暮の
30日だってちゃんと外国人向けのメディカルセンターみたいな所は
やっています。ここで威力を発揮するのが旅行保険。キャッシュレスで
OKでした。でもOKでないのが私の錆び付いた頭と語学力。

先生は多分英語を母国語としない外国人。ガイドは英語を話しません。
「幅の狭い急階段を足を揃えて変な姿勢で降りた為、足が吊った
感じで豆腐の上を歩いているようだった。筋肉がバリバリに痛んでます」
と言うのは英語でどう言ったら良かったか(笑) mustle pain
だけは分かって貰ったみたいだけれど、どうも良く分からないと言う
ご託宣。ともかく色々動かして見て、「腰の骨に何か問題が出て
いるかも知れないから、状態が良くならなければ帰国して整形外科
へ行くように。痛み止めの注射だけしてあげる」と。seriousか
と聞いたら「全然、大丈夫」「観光は続けても良いか、ホテルへ帰った
方が良いか?」と聞いたら「大人しくホテルへ帰って休みなさい」と。

まぁ日常会話は通じたので、午後の観光キャンセルしてホテルへ
帰りました。ガイドはちゃんと一筆書いて下さいと困った様な感じ。
私にとっては良い休養になりました。持参した沢木耕太郎の「無名」
を糊の効いたシーツの上で寝転がってゆっくり読みました。
連れ合いはマッサージとデパート巡り。

昼は又日本食だったのですが、夜はちょっとしゃれたベトナム料理の店、
「Lac Viet」。いや、これがすごく良かったです。たにしの身をすりつぶして貝に
詰め揚げたのとか、ベトナム料理の定番、チャーカー(緑の野菜、ベトナム麺、
しいたけ、肉等のお鍋)、ブンチャ(豚の揚げたのとかのごった煮)に又ご飯が
美味しい。焦げてないのに香ばしいのです。白ワインをボトルで頼んで
(赤ワインが実は良かった。。ベトナム料理の知識が無さ過ぎ)ゆっくり
満足しました。ディルというんですか、香菜が良く効いています。ベトナム
コーヒーもコンデンス・ミルクを入れて飲むんですが、なかなか濃くて美味しい。

たまにはゆっくりお酒をとホテルの最上階のバーに行きましたら、何と結婚式
の二次会で貸切。ベトナムも貧富の差が激しそうですね。



東南アジア旅行(5日目)
今日は荷物をまとめて車に乗せハロン湾巡りをした後、深夜便で
成田へ向かいます。ハロン湾へは国道を2時間半くらい走って行き
ます。私は運転をしないので平気でしたが、連れ合いが固まって
気分が悪くなるくらい、ものすごい乱暴運転。正面衝突の危機、
10数回あったそうです。中央分離帯なし。どんな機会でも追い越し
機会は逃さないのが、全てのドライバーの常識。日本人は駐在しても
車の運転は無理でしょうか。 

ハノイの街を出たところで、バゲット(フランスパン)を売っています。
里帰りの人達が美味しいのでお土産に買って帰るそうです。結構朝の内
でないと、埃まみれになりそう(笑)
私たちも日本へ持って帰ろうと相談しました。水田地帯を通ると、ガイド
が、ベトナム人は勤勉で3期作ですと説明。ただ、北は冬の間は野菜で
3毛作になるとか。カンボジアのガイドが2期作だけれど、2回目は
短く刈り取って後は牛のえさにして放置と言っていたのが印象的。

個人ガイドの良さは色んな事、聞きたいことを聞ける事ですね。行き当たり
ばったりの私のような旅行者は、ハノイの人口300万、ベトナム人口
8000万、ケータイ普及率18パーセント等の数字は調べて来てない
ので、有り難い。。バイクの値段18万くらい。これは、もう年収以上の
ものだそうです。女性もたくましく4人乗りとかしてます。(子供3人)

途中でトイレ休憩はショッピング・センター。「ベトナムの子供達への募金箱」
がしっかり置いてある事をチェック。蛙や蛇を漬けたお酒。。。うーん、パス。
後は陶器とシルク、竹細工ですね。そうそうアオザイはホテル関係、売り子、
レストラン関係の人達が着ていて本当に素敵。ワイドパンツの上にチャイナ
ドレスのウェストから横にスリット入ったものを重ねているのですが、
素肌がちらりと見えるのが何ともチャーミング(ウェストの所)皆さん、
色白ですが(私たちと同じ位)、ほっそりしていますね。アオザイ着ると
細く見えそう。一回着てみて買いたかったのですが、着ていくところも
ないしで止めました。歌舞伎座へ宝塚へ着ていけば良かったか。但し、
道行く人は普通の格好です。農村へ行くとあの▲の竹細工の帽子も散見
しました。

ハロン湾は龍の舞い降りた場所として有名。翡翠色の海の色と、奇岩が
ユニーク。松島の翠海版というか。専用のクルーザーで何組かの日本人
旅行者と一周しました。観光名所としては、スケールの大きさはなかなか
のものと思います。


全く波の無い湾で、お食事をゆっくり取りました。今度は海鮮と
いうことで白ワインをボトルで取って、茹でた小海老や、伊勢エビの
蒸したの、甘いソースを絡めた魚、空芯菜、すり身だんごを揚げたの
等、美味しかったです。ハロン湾はお食事は勿論海上泊してのイカ釣りも
楽しいそうです。

さてメインのティエンクン洞(秋芳洞みたいな所)巡りで下船する
のですが、狭い急な石段があるということでパス。船に1人、残る
事に。しかしあの20分くらいは本当に楽しかったです。デッキチェア
に寝そべって空を見てボー。そしたら、その内に港に停泊する同じ
ようなクルーザーの場所取りが始まって。。ぎっしり詰まっているのに、
少しずつ海路を空けて、急いで居る船を前に出し。。そのやり取りが
気の荒い船子達のかけ声でガンガン続く。ユーモラスできびきびしていて
見ていてとても楽しかった。あっちに乗り移ったりこっちの船をちょっと
押したり。。活躍中の子の若さというか、、、良いですね(笑)


すっかり楽しくなってしまって目を見張って見ていました。その内、
ツアーの人達もご帰還。又湾を一周して、真っ暗な中を(農村に行くと
本当に街灯がない)殺人レースを繰り広げながらドライブしてハノイへ。

深夜便の前に夕食です。プレス・クラブというベトナム風仏料理
のお店でした。我々は一室に集められましたが、一般客は大晦日のパーティ
らしい。帰りにフランスパンを買おうと、包装を待っている間、それこそ
盛装の外人達が続々とタクシーで集まって来るのをファッション・ショー
でも見るように眺めていました。明日からはお休みなので大晦日値段と
言って3ドルで10個のプチ・パンをこちらは買っていた訳で。。でも
帰ってベトナム・コーヒーと共に本当におせち要らずの美味しさでしたよ。

ハノイの空港では大晦日の歌合戦をテレビでやっていました。割合演歌調
の歌で、ヴィジュアル関係なく実力派って感じの大御所が朗々と。 これも
日本の一昔前かな。。と思わないでもないです。今年の初日の出は飛行機の
中から拝みました。 帰りは風の関係か、4時間半くらいで帰って来ました。
近くの異国。。でも正直日本へ帰って来て、今回は少しほっとするというか、
清潔で治安が良くて、私たちは恵まれているなと単純に思いました。でも
あの灼熱の太陽の下の冒険(?)、少しは些事を忘れ、のんびり、のびのび出来て
本当に良かったかも。 足も数日使わなかったら、何事もなく元通りになりました。



「捨てると言うこと」
我が家は築30年位の木造住宅。あちこちに綻びが見え始め、
移転か、建て替えか。。と長年の懸案でした。古い家独特の
住み慣れた、普段着の気安さは貴重で、なかなか踏み出せないで
居たのですが、此処へ来て、連れ合いに建築士の友人が出来、
とんとん拍子に建て替えと決まりました。

新しい家の仕様はさておき、主婦的にはこの古い家を畳むと
言う大作業があります。「捨てる!技術」等という本を真剣に
読んだりします。3年着ない、使わないものは全部捨てて良いとか。
一番捨てやすいのは洋服。(どうせサイズが合わないのが多いから)

又、私にとって貴重なアルバムや手紙、写真類は、結局、あまりにも
個人的で、私が死ねばもう用はない。普遍的価値はない。うーん、
そうですけれどね。何かこだわる。でも日常的にあまり過去を振り返らない
タイプだし、捨てる時期かもです。20才くらいから残していた手紙を
先日整理したら、顔も名前も分からない人が沢山。

確かに京都の親の家を処分しに行った時、(両親は年老いていて、
2軒あった家の行き来が出来なくなった)押入の中がほとんどゴミだった
のに(タオルは何百枚、内祝いの品とかね)あきれた覚えがあります。 
今私が決心しないと、多分このままでしょうから、息子達にバレちゃいます。
コーヒーカップのセットって6つありますね、そう言えば。  この頃は
品物を選ぶカタログになったので良さそうな物ですが、結局写真で選ぶ
ものは、使わないのが多い。中には大事に大事にしているものもありますが。
お返しって、カンボジアの子供達にでも募金する選択があったら良いのにと
にわか事情通は思うのです。未使用品はオークションで売れって本には
アドヴァイスあるけどうーん、手間暇考えたら捨てる方が良いかも。

さて、ここで大いに頭を悩ませるのが、本とビデオ・DVDの処遇です。
抗ガン剤で家にこもった時、何よりも慰めになったのが、これらの
コレクションでした。「サザエさん」「北の国から」には、もう足を向けて
寝られないほどお世話になりました(笑)ちょっと弱った頭にどれほど
優しく明るい希望を持たせてくれたか。骨折した時はミステリーの蔵書に
熱中。宝塚のビデオは華やかだし楽しい。雑誌もここ10年分くらい、
時々寝る前に見ては楽しんでいます。 又、買えば良いと言うけれど、
何が自分に良いのかすらも分からないのが重(?)病人です。あれを
買って来てと言えれば、もう半分治っていると思われ。。茫然と図書の前に
彷徨い出て、手に取ったら救われた。。そんな感じでしたね。

その本に「捨てるということは卒業する」と考えてやれとありました。
なかなかぐっと心に来ます。色んな意味で今は節目なんで、ここで全部
整理して、自然と親しむ事だけに転向するとか良いかも知れません。
海外から持ち帰ったジグソー・パズルも山とあります。5000ピースなんて
いつかやろうと置いてあるけど(未開封)私にその根気はもう残っていない。
幸い友人が引き取ってくれそうです。

香港から持ち帰った中華の景徳鎮の食器セットも、老夫婦には無用のもの。
あぁー何だか寂しい話になってきた。過去の遺物をごてごて飾り立てるって
精神が死んでいる証拠だと思うけど、そう言う風にしていると気楽なのも
分かって来ました。さて、ほどほどに上手く整理する。。やり遂げられるかな。



HAPPY KANREKI to me !!
嫌だよ、嫌だよ、嫌だよ。数日前から頭の中はこんな言葉で
一杯。とうとう年貢の納め時というか、還暦を迎えました。
その前後でどう変わる訳もないですが、いよいよお婆さんの仲間
入りしなくてはと思うのですね。今年の芥川賞の「ひとり日和」が
71才の老女と21才の若い娘が一緒に暮らす話しなんですが、
たった10才しか違わないのに、とても隔絶した世界に見えて
不安です。きっと編み物も、レース編みもあのお婆さんにとっては
目くるめくと行かないまでも、とても楽しい事なんでしょうね。
そして男友達も居たりして幸せそう。でも、それにしてもあんまりにも
行動半径が狭くて自己完結しているのにびっくり。10年間で
あぁいう風に収束していくのかなぁ。少し世間との繋がりのキープは
意識した方が良さそうとか思います。

でも先行きはあんまり考えない方が良いでしょう。病気が
あるので、余計に半年先、一年先まで充実していれば良いような
気がします。その積み重ねが残りの人生なんだとそう言う考え方
しか今は出来ません。そしてそれってすごく楽な生き方。ボケ
かけた私にはぴったり。

しかし60才って何かすごい大台に乗った感じしますね。
あぁ。。もうダメ。落ち込んでいる母親に息子達(含連れ合い)から
花束が届きました。そして白金台の仏料理屋の誕生会も開いて
くれました。プラチナ通りの日曜日のゆるい人通りの無さが
パリの街みたいで窓際に座って良い感じでした。ボルドーの
赤ワインが二本も空いて、そしてデザートに「還暦おめでとう」
とデコレーションがあって、酔っぱらって何もかもどうでも
良いような気がしたのでした。
写真は花束

写真はデザート(横にいちごのMille Feuillesが付く)



引っ越し騒ぎ
病気以来の積極策(単にやりたいことは思い残す事なくやる、やれたら
達成感と楽しさで又免疫力アップ)もエスカレートの一途。ついに今年は
家の建て替え、そして一生に一度は乗りたかった地中海クルーズを
目標にすることにしました。

お正月、アンコールワットから帰って取りかかり、新居の設計は
済みましたが、仕様など何も決まってないまま、仮住まいに居を移し、
家の取り壊しに掛かったのです。(大丈夫だろうか、私達)

家を畳み、引っ越し、又戻る。。面倒この上ないですが、チャレンジ自体が
楽しいし、今やらなければ、何時やれるの?と思います。
でも、気が付いた時には、シーズンで大手は全部満杯。引っ越し屋が
決まったのが5日前、段ボール貰って全部自分で箱造りせざるを得なく
なり。。2階建ては疲れる。。。ふぅ。

ただ香港で買って来た英国製の陶器などもあるので、
食器類について困って居たところ、一日だけプロに
頼めました。他のものを片づけながら見るとは
なしに見ていると、本当に手際よいし、良く考えて
ある。同じお皿などは、間にクッションだけ
入れて大きく包み込む。緩衝剤は予め色んな大きさに
ちゃんと切っておく。そして惜しまず使う。

そんな感じで、あれよあれよという間に築30年の家から脱出。
そう遠くない公団のマンションに荷物と一緒に移り住みました。
(礼金など必要なし<ラッキー!)
段ボールがリビングの半分に五段ほど積み重なっているのを
無視しつつ、新婚生活みたいな(食器など必要なもの
しか荷ほどきしてない)シンプルな生活が始まりました。

マンションって機密性があり暖かいですね・・・って
いきなり、のんびりムード。そして”もの”が圧倒的
に少なくなると言うことは滅茶苦茶素晴らしいと実感。
泣く泣く捨てた本棚や本類、沢山の洋服、洋服ダンス、
レコードも机もサイドボードも食器棚も古いもの全部と
さようならです。「還暦」にふさわしいお祭りかも知れません。
そして今心に誓う事は、決してこれ以上家具を増やさないこと。。
洋服でも何でも、一つ買う時には一つ捨てる事。

お湯ばり機能(ガス)があるお風呂が今ちょっとうれしい。
「対流」「対流」と思いながら湯をかき回す手間なんて
今は要らないのですね。新しくつけた温水便座も今は脱臭機能
がすごくて、朝の順番気にしなくて良いのは助かります。

でも、年寄りには、襖やアルミサッシの戸の持ち手がすごく
浅いのが悲しい。機密性が在りすぎて換気が気になる。
一軒家の風が家中を吹き抜ける爽やかさが無い。布団も干して
良いのやら、悪いのやら。。そして何でも便利ということは、それだけ
貴重なエネルギーを費やしているということ。もう充分働いたから
「楽して良いよ」と誰か言ってくれないと、どうも貧乏性で悪いような気が
して仕方ないです。

生活様式が変わるということは、新鮮で気持ちがとても若やぎますが、
さて3ヶ月後、又あの大騒ぎを繰り返して、落ち着いて初めて本当の
感想が出るでしょう。



地中海クルーズ(東京ーミラノージュネバ)
4月28日、13時20分のJL417便に乗るためのグループ集合は
11時20分。誠にごもっともなご託宣。 ゴールデンウィークの頭です。
どれだけ混んだっておかしくない。沿線のたまプラーザから空港バスに
乗ることにし、タクシーを頼む。道が混んだらと老婆心むくむく。7時半には
家を出ました。

ところが、渋滞ゼロ。9時半には空港到着。 これで4時間どうやってつぶす
のか、もう何だか唖然。取りあえず「足裏マッサージ」など行ってみると、
飛行機出発頃まで予約で満杯です。その内、連れ合いが別行動がベターとすっと
消える。怪しい(後で理由が分かってびっくり)。しょうがないのでYahoo
のカフェで無料ネットを楽しみました。パスポートさえ見せればOKです。

その後も連休の混雑など全く関係なし。11時半頃、韓国へ出発する息子1と
ちょっとしゃべる。ヨーロッパ便はまさかと思っていたら正真正銘の満杯。
しかも窓側の席だったのでつらかったです。若い頃には考えられない悩み・・。
トイレどうする?水を飲まないと血が淀む感じするし。。ひたすら通路側の女性
にぺこぺこ。寝てらっしゃる間は我慢我慢。

飛行機で寝ないのが私にあった時差解消法なので、まずは映画を見る。
「ロッキー、ザ・ファイナル」「ラブソングが出来るまで」二つとも
エンタメ性高く面白い。ロッキーの方は度々何とか英語に切り替えて
聞く。。と言うのもシルベスター・スターローンのだみ声、滑舌の悪さ
が個性なので何か聞かないと勿体ない感じ。テーマが流れると目が爛々と
してくる。昂揚度すごい。「心は歳をとらないって教えて」なんて台詞が
あると、ふむふむ出発にふさわしい映画とか勝手に1人合点(笑)
ヒュー・グラントの元人気歌手ものは全く肩の凝らないコメディ。
腰の振り具合(突き出し具合)が見物でした。ドリュー・バリモアも
可愛いくて胸美人というのかしら。

次は麻雀、ソリテア。疲れを知らずにあれこれやっている内に食事2回、
完食してワインとビール開け、そろそろぐったりと言うところでミラノ着。

マルペンサ空港。午後7時過ぎ。時差7時間ですから、日本ではもう
夜中の2時。でもこの辺りは日没が8時過ぎるのでまだまだ明るいです。
中央駅の近くのホテルに一泊。落ち着いて眠りに着けたのが、丁度朝起きて
から24時間後。。さすがに眠くてバタン・キューです。 ジプシーや
外国人が集う駅前広場は決して近づくなという添乗員のお達しがあり、
そう言えば何か得体の知れない楽器の音が深夜まで聞こえたような気が
します。(ミラノのテルミナーレ・チェントラーレ=中央駅を横から
さすがに駅周辺の時計は正確そう)


朝はホテルのバイキング。頼んだカプチーノがふんわりほろ苦甘く最高。
やっぱりイタリアは良いわと単純。オレンジを丸ごと入れると搾ってくれる
機械があったので、自分で作って飲みました。濃厚で美味しい。昨日の不気味
な喧噪が嘘みたいに綺麗に掃き清められた広場を通って駅へ。埃を被った列車が
ほとんど。合図のベルなんて勿論なし。高い天井。。何本もの線が平行に並ぶ
独特のヨーロッパの発着場です。
 さてすぐにバスで150km先のジュネバ港に向けて出発。添乗員的には
2時間弱ということでしたが実際には渋滞して3時間以上。そして「今ここで
コートダジュールへ行く車と分かれますので、嘘みたいにスムーズになります」
と言うアナウンスで何か始めて、ヨーロッパの日常というか、そう言うものに
郷愁を感じると共に、もう二度と自分のものにはならないと言うことに寂しさを
覚えたのです。

こうして観光客で来るのさえ、最後になるかも知れない。。日曜日毎に海へ向けて
車を走らせた青春の思い出よ、甦れ!と懐かしむと共に、もうゴールも見えた今、
何時か又住みたいと思っていたのは夢だったなとほろ苦い気分にもなるのでした。

昼食はジェノベーゼ・ソースのスパゲッティ。ジェノバ風というのは、結局バジル
風味のホワイト・ソース仕立てのスパゲッティ。よく冷えた白ワインが美味しかった
です。勿論、イタリアではスパゲッティは前菜。しっかりお魚が付いてました。

食後、いよいよ乗船。飛行機のチェックイン並み(いや、写真も撮るので
それ以上)の仰々しさ。そして渡されたのは1枚のクレディット・カード。
船室の鍵にも、船内のお財布にも、身分証明書にもなるもので、
絶対に無くさないで。。ということでした。カードのバー・コードで
PCに私達の写真が1人1人出て乗下船時チェックしていました。

良い気候ですから、2500人満員。客室乗務員は900人と聞いて
いましたが、この船はイタリア人とインドネシア人の乗務員の船で、結局
食堂も25才のImade君が担当。 良く訓練されていますが、陽気な
イタリア男に傅かれたい等思っていたのは当てはずれ。。(笑)

晴天で、海が青く、丘の緑も綺麗で、ホントに船出には最高。皆が手を
振ってくれるのでうれしくて振り返しました。

(写真は遠ざかり行くジュネバの港)



地中海クルーズ(ジュネバ〜ナポリ〜カプリ)
客室にはTVが勿論あって、BBCのニュースや、仏放送、イタリア本国の
チャンネルも写ります。それによると今日のナポリ地方は風と雨が強いと
言うことになっていたので、「青の洞窟」がどうかとあまりドキドキしません
でした。雨女だよーって変に割り切り。今回は6人のツアーなんですが、
その内2人は、3回目でまだダメらしいです。11時頃ナポリに入港した時は
曇り空で雨はぽつぽつという感じ。船は全く揺れないのですが、慣れないし、
やっぱり2時半頃には変に起きてしまいあまり寝てません。その割りには食欲
があって、昼のカフェテリアでは、ミートボールやら、ペンネやら、野菜も
山盛り一杯取りました。この時ほどホルモン剤の副作用で満腹感が訪れない
事に感謝したことはありません。平気で食べる私に連れ合いはいささかげんなり
って感じ。
(ナポリ港で、我々の船MSCMUSICA号)


あまりに突風が吹くとホーバークラフトが欠航すると脅かされたの
ですが、何とかカプリ島までの船は出ることになり乗船。今日の現地ガイド
さんは、パトリシアさんという日本語の達者ないかにもお気楽な太った女性。
「パトちゃんと呼んで下さい」から始まって独特のユーモアとオヤジギャグの
連発でもう笑ってばっかり。カプリ島は白壁の建物とレモンの木が茂る島で
細い小路を登るのですが、どうやってすれ違うのかと思うくらい運転が大変そう
です。(大型バスは通行できない) 「皆さん、運転手さんと代わりたい方
いらっしゃいませんか。運転手さんは喜んで代わりますよ。 でも私は降り
ますけどね」なんて明るくしゃべってました。ローマのティベリウス帝も、
気に入って移り住んでしまったというこの島。海が青ければどんなに綺麗かと
思います。100平米の別荘が5000万円くらいで買えるそうですので、
お金の余っている方は是非どうぞ。レモンチェロという強いレモンのお酒と
レモン・チョコレートが有名。お酒はどうも私は苦手な味だった
ので、お土産にチョコレートを求めました。一杯大きなホテルがあって、
この島に滞在することも可能。ブーゲンビリアみたいな南国の花も咲いていて
何とも情緒溢れる島でした。あぁー良いお天気の日に来たかったです。
Azurra Grottaは午前中の方が光線の加減は綺麗で、この世
のものとも思えない美しい幻想的な青い海が見られる洞窟だそうですが、
潮の関係で入り口に近づけず。。残念。



帰りは結構雨も降ってきて、海も荒れ、ナポリまでの小一時間が揺れました。
ムジカ号に帰って来てほっとした感じ。やっぱりすごいです。7時頃には
出航したのですが、特に揺れずに悠々堂々と岸壁を離れて行きました。ちょっと
胸につかえるものがあるかもと早くも寿司屋に行って見ました。カリフォルニア
ロールや、色んなお寿司2人前、味噌汁、天麩羅がついて42ユーロ。(1ユーロ
は170円)これが安いのか高いのか分かりませんが、ともかくシャリが
もちもち感のあるお米で本当に残念。。って感じ。でもネタ自体はすごい新鮮で
お刺身としてはまぁ美味しかったです。 ここへは後一回お昼に鳥そばを
食べに来ましたが、後はムジカのお食事で結構ということになりました。
ツアーの人達も6人揃わないと楽しくないとか言って下さったりしたので。。
ただ、結構外人さんたちのsushiブームってあるんですね。私達が座って
いると、にこにこ会釈して皆入って来て、器用にお箸使ってます。でもまぁ
オーダーの順番(天麩羅、おそば、味噌汁、お刺身、お寿司)や量がちょっとねぇ。
シャンペンや、白ワインでがんがん食べてるのを見ると、何か逃げ出したかったです。



地中海クルーズ(シチリア島パレルモ)
昨日の雨天が嘘の様に3日目は晴れ上がりました。今日はシチリア島の首都
パレルモに接岸します。入港が7時半だったので、朝のカフェテリアは結構、
混雑。でも私達は老人性と時差のせいで早起きが得意中の得意。メイクも
ばっちりで一番にスタンバイしてバイキングをしっかりお腹に。シシリー島と
思っていたし、パレルモは宝塚で花組「落陽のパレルモ」を見るまで、名前を
知らなかった位のヨーロッパのまぁいわば僻地。でも、ギリシャ、ローマ、
アラブ、ノルマン民族と色んな支配者がここを蹂躙してそれぞれの文化を
花咲かせたそうで建物は多彩。その明るい日差しと人々の人なつっこい笑顔も
良かったです。

マフィア誕生の背景は、過去の歴史の中で、ドイツ支配への抵抗の思いですと
ガイドさんは説明していました。まず丘の上のモンレアーレの黄金のモザイクを
見に行きました。教会の内部が金ぴかで、全て細かいモザイクで宗教画が描かれて
まばゆいです。絵じゃないので、フラッシュ焚き放題でした。ここで少し自由時間
があったので広場でのんびりしていたら、パレルモの音楽隊の吹奏楽演奏があった
のですが、これが申し合わせた様に、黒服に黒いサングラス。連れ合いなど、
「どうみてもマフィア」と憎まれ口を叩いてました。


アラブのモスクを思わせる赤いドームが5つ見える「サン・ジョバンニ・デッリ・
エレミティ教会」に行った時のこと。棕櫚の木が生い茂り、変わったサボテンが
見えました。これが「団扇サボテン」で、「インドの無花果(イチジク)」と
言われますと説明されました。

その瞬間、電気がピリリ。ヴェルサイュの菜園の訳をしていた時だったか
「インドの無花果」は何度も出てきました。まさかこれが。。(何と良い勉強になることか・・冷や汗)
サボテンの上の方に黒い実がなっていて、これを食べるそうですが、何とも
甘い訳でも食感が良い訳でもなく。。でも人々は夏になると皆食べるそうです。
(平たいサボテンが見えますか)


昼は港に近い大通りのレストランで、アンチョビのパスタと「メカジキのグリル」
を食べました。いやぁーー、このメカジキのグリルは美味しかったです。
素材そのものの美味しさなんですが、油が乗っているのにあっさりしている。。
大きなわらじみたいなのをぺろりと平らげました。


皆は船に戻ったのですが、
連れ合いとしばらくその辺をうろつきますと別行動。出航5時半なので、5時
には帰れとうるさく言われました。待ってはくれないそうです(当たり前)

ところがメイデーなのかお休みのお店が多くダメ。アンチョビとか、唐辛子とか
食料品店を見て楽しみました。船に帰ったらお天気が良くなったので、何か
浮き立つ感じ。夜はチーズ・コロッケ、サラダ、オッソ・ブッコ、アイスクリームと
ワインを飲み本日一日でカロリー過多。

夜、ショーを見に行ったら「BIZARRE」というフレンチ系の何でもあり
ショー。やっぱり見物はフレンチ・カンカンで、Tバック(!)+ガーターベルト
(色っぽい赤とか黄色とかのフリル)+黒い靴下をガンガン見せてもう
ホントに大人の男性がわぁわぁ盛り上がる楽しさ。音楽は「天国と地獄」で、
宝塚でも良く見ますが、テクニックは同じだけどきわどさと迫力で楽しさ倍増。
最後にベコーの「そして今は」を男女でデュエットで歌い上げてヤンヤの喝采。
ダンサーはせいぜい12、3人なんですが、疲れを知らないようですね。

9時半と11時半の2回制でショーは一時間。それが終わるとミッドナイト
ビュフェとか言って又食事が出ます。彼らはともかく元気そう。



地中海クルーズ(チュニジアのカルタゴ)
今日も入港が7時で朝が早い。出港が1時なので、折角始めてのアフリカ
大陸なのに、すごく滞在が短いです。預けていたパスポートも戻って来て
いよいよチュニジアのチュニスへ上陸。学校で教えるのはフランス語が
第二国語(第一はアラビア語)だそうで、運転手さんもガイドさんも上手
でした。ただ現地の日本機関の職員のバイト的なガイドさんで、唯一、
ほとんど説明無し。何か旅慣れたツアー仲間シラーっとしていました。
チュニジアこそ、我々の知識が一番乏しいのであれこれしゃべって
欲しいのですが(質問すればよいのでしょうが、誰もガッツなし)
お上手な日本語なのに口が固かったです(笑) 唯一浴場跡に行った
時、構造をしっかり説明してくれたので、はるか昔に思いを馳せて
雄大な気持ちになりました。 曰く残っている柱は浴場の建物の一部で
床の下で(現在階段の下の穴蔵が発掘されている)奴隷達が火を必死で
焚いていたそうです。 「カルタゴの丘」って言いますよね。あぁここが
そうなんだと海を眺めていました。



青い絵の具が目立つお皿なんか、とても綺麗な意匠のものを土産品で
売っていて結構リーズナブルだったのですが、こんな所から買って荷物
一杯になると却下され、今思えば残念。スペインなどは物価高、そして
妙に現代調がもてはやされていて、バルセロナは特に焼き物の街じゃないし
何も買えなかったのですから。


チュニスの街は地中海風の白壁だけれどまぁベトナムの街と似ていたかも
知れません。 大統領の別荘には絶対にカメラを向けないでくれとかという
妙に必死さの漂うリクエストもありました。他に巡った能天気風気楽なラテンの街
の中では、ちょっとした異彩を放ってました。

この夜、始めてのフォーマル・ナイトでした。まず船長主催のカクテル・パーティ
があり、シャンパンから飲み放題。でも、私はウェストに非常に不安のある
黒のロングドレスに、4年ぶりのハイヒール姿なので、万が一酔ってしまったら
大変。勿論船は全然揺れないのですが、やっぱりふかふかの絨毯は危険。じっと
堪えてジュースなどを飲んでました。たまたま隣に可愛い女の子が、綺麗なリボンで
お洒落しているので、写真を撮った事からご家族と話しました。ウィーンからだ
とか。何と1才半だと聞いてびっくり。エミリーちゃんでした。船長は勿論穏和そうな
推定年齢42,3才のイタリア男。1組ずつ写真を撮ってその時に少し話して握手。
まぁ1分として、何組とやれるのか。2500人全員じゃないことだけは確かです。
ありとあらゆる機会にこうして撮る写真は翌日フォト・ギャラリーで売り出されます。
一枚15ユーロの本格的なB5サイズの写真。夫婦の写真なんて結婚式以来です
から、喜んで買い求めました。

お腹が膨れないように、シュリンプ・カクテル、ビスク・ドマール、アーティショー
のソースがけのヴォー。そーっと食べました。連れ合いは正装を脱ぐのが惜しい
のか、カジノへ行くとのたまう。 ともかく成田で私と離れて煙草を24本
吸い続け、それから禁煙中。イライラが募ってもと快く送り出しました。



地中海クルーズ(マジョルカ島)
今日のマジョルカ島への入港は午後2時。と言う訳でのんびり出来ます。気温は
20度ですから、ちょっと泳ぐのには寒いですが、良い気候です。連れ合いは
ジャグジーやサウナを試してました。私はランニング・マシーンに挑戦。1キロ
を目標に黙々と走りました。隣は若い女の子でガンガン飛ばしてましたが、
足をもつらせても何だし、時速約半分くらいで走ります。でも玉の汗で、
シャワーして、バルコニーへ出て海を眺めて冷たいものを飲んでいると
海がキラキラ。。。本当にのんびり、至福の時でした。

 どうやら身体も慣れて来て、後から思えばこの日の観光が一番楽しかった
ような気がします。マジョルカ島というのも、私は一度来たかったのです。
娘時代にここから来ていたマルガというお嬢さんにとても世話になったというか
救われました。パリに留学していたとき、元々、結構暗い偽悪的な所のある性格が
お決まりの言葉の壁や何やかやでどんづまり。誰とも話したくなくなって
いた所、寮の隣室の彼女がすごく明るくて、私の悪いところもズバズバ指摘し、もっと
前に出ろとけしかけ、散歩やコンサートなんかに毎日連れ出してくれました。
帰る時にはイタリア人の自分の友人まで紹介していってくれ、私は本来
お調子者だったのか、海外では本当に臆さなくなくなりました。その事が
日本でも少しずつ殻を破って行く事につながったような気がするのです。(懐古)

あぁいう開けっ広げの懐の深い女性を産み出す土地を是非見てみたかった
というのがありました。おあつらえ向きに陽光ギラギラ。真っ青な空が開け
ていました。船が近づいて行くに連れてひときわ目立っていた岡の上の赤茶けた
ベルベル城にまず入場です。


14世紀に出来た円いお城で、円い物見櫓が特徴。
マジョルカ王国の3代の王様が住んでいたとか。元々は結核に罹ったスペイン王
の療養の為の離宮だったみたいです。今日のガイドさんは当たり。独特のちょっと
したシニカルというかペダンティックな喋りが好調。本当にツアーはガイドさん
次第。40才位の日本人男性です。

黒ずんで所々白いのは、結核の人のシーツを燃やした為煤がひどく、けずり
落とした跡と説明。又窓際の出っ張りは、本を読むための座席と。窓が大きい
と攻められた時に困りますから、割合小さく、そうか、どの時代にも本好きは
居たのだと納得。

ベルベルはBellverですから、仏語だとBelle vue・・つまり美しい景色という意味。
なるほど、パルマの港と海の広がりと、松林の緑は本当に明るく晴れやかな美しさ
です。

次にスペイン第三のカテドラル(ちなみに1位セビリア、2位トレド)を訪問。
いまだに建設中だとか。ガウディが作ったという天蓋飾りは、まぁ一目で分かる
異様さ(と言ってしまって良いのか)です。未完成の理由は@完成すると沈むと
いう言い伝え、A技術的な問題、B農業国の為、労働奉仕の波があったと説明され
ました。アーチ型の梁と、天を付くような尖塔、典型的なゴシック建築のカテドラル
で、宝物館などついていて、植民地の雄として鳴らした頃のなごりか、派手派手しい
財宝が並んでいました。(卵大のエメラルドとかサファイア)


さて、そこから少し内陸へドライブしてヴァルデモッサへ。ここには本日のハイライト、
ショパンとジョルジュ・サンドが愛の逃避行をしたカルトウーハ修道院があります。
男爵夫人でありながら、夫が擁護する芸術家と恋に落ちた男装の麗人の作家サンド、
そのポートレートは34才とは言え、本当美しい人だと感心。ショパンはここで「雨だれ」を
作ったとされますが残念ながら健康に優れず(結核の療養の為に来ていた)、34才
(年表で見るとそれくらい)の女ざかりのジョルジュ・サンドは懸命に看護したと言います。
島の人達には受け入れられず、買い物ひとつにも苦労したとガイドさんが
説明してくれました。(ちっとも懐深くない<苦笑)礼拝堂とかは本当にスペイン式の
華美なものですが、修道院の部屋自体は地味そのもの。一室が売店になっていて
「マジョルカ島の冬」9ユーロ也が平積みされています。ここで買うことに意味があると
思って、財布を捜したら100ユーロしかない。。お釣りはありませんと断られ、
カードで買うにもこういう時はどんどん進む団体行動は難しい。
たまたま最後尾についていたので、日本からのガイドさんに「幾らでも日本で売って
ます」と言われてあきらめる。(日本じゃ仏語のペーパーブック廉価版は手に入りそうも
ない事が帰国後判明)

何故そんなに急がされたかはすぐ判明。一室でショパンのミニ・コンサートが開かれ
たのです。特に案内にはなく、突然だったのでびっくり。聴衆は30人弱。黒服の比較的
若いピアニストがすっと礼をして座り、そうですね、5,6曲。
あのカルメン・キャバレロがカバーして流行った「愛情物語」の「To love again」が
すごく心に沁みました。後はやはり「雨だれ」。クラシック音痴の
私ですが、でも旅の埃が流されるようで、すごく静かで心休まるひとときでした。
(ヴァルデモッサ修道院の内部とコンサートの様子)





その後、今日は外で夕食。そろそろ船のフルコースにも飽きて来た所だったので、
本当にうれしかったです。波止場が見えるお店で、シャンパンが振る舞われ、
もう今日は何と良い日だろうとにこにこ。

イベリコ豚の生ハム(パルマの生ハムは有名)、えびの蒸したのや、ムール貝、あんこう
のクリーム煮、チョコレートケーキ、エスプレッソ。船の食事はイタリア風ですから
ここの、スペイン風の素朴な食事は格別美味しかったです。



地中海クルーズ(バルセロナ)
今日の入港予定時刻は午前9時、いよいよ又ヨーロッパ本土に戻ってきてバルセロナ
です。陽光はますます勢いを増し、日の出は6時46分だったのですが、朝食の
キャファテリアから見たそれは、本当に明るく派手なものでした。太り目の女性は
もうショートパンツにタンクトップ姿。スペインの人達はここで降りるのでしょうか。
随分早いお出ましで早朝から混みました。

我々も10時頃には市内にやって来てまずあの「サグラダ・ファミリア」見学。これが
もうすごい人、人、人。エレベーターは1時間待ちで断念。人に押されて巡回路を
歩く感じでした。 しかし、私が40年前に来た時にはまだ正面の門と塔だけで、
平面だったのに、もう内部も出来、外側の門も出来、ちゃんと建っていたのに驚き
ました。当時後200年かかると説明されたものでした。私には怪奇なものとしか
見えず、少ない滞在時間中ここが何故選ばれるのか分からなく、案内人を恨みたい程
だったのですが、今こうしてみると確かに昔のカテドラルに匹敵するものを現代に
建てるならこうなるのかと言う気合い(表現力不足ですみません)を感じました。



宗教が権力と結びつくことを恐れて、全てお布施(入場料=8ユーロ)で建築が
進んでいるとか。8ユーロは約1300円です。年間入場者数は250万人と
説明がありました。そして、一応2014年には完成の目途が立っていると
聖家族教会が発表しているとか。ただ、ガイドさんはスペイン人の気質
からして、相当遅れるだろうと説明。完成の暁には是非見に来たいですが、
明日のことは分かりません。


その後同じくガウディのグエル公園に回ってベンチや遊歩道など見学。 大人がぞろぞろ
来るよりは、子供達専用に開放すればよいのにとちょっと思いました。
お昼はタパス(スペインの小皿料理)を堪能し、市場も見学。娘時代に来た時は
ピカソ美術館(ピカソはバルセロナに10年位居ました)で長時間いたことを
覚えていたので、行きたいと思ったのですが、もう観光は終わりらしい。
単独行動を取るかどうか迷ったのですが、今日は2回目のフォーマルナイト。
疲れもピークのようで、一眠りを選んで船へ帰りました。

船の図書室には、一応日本人向けにも50册くらい本があり、ミステリー、流行作家もの
と揃っています。シャワーをして、そう言うのをバルコニーでうつらうつらしながら
読んでいると本当に眠くなってしまい、午睡。起きたらもう後25分というきわどさ。
こう言う時のウィッグ頼みでちゃちゃっとつけて澄まして行きました。
相変わらずヒールはこわごわです。でも連れ合いに腕を組んでもらって
頼り切って歩けるので助かります。

今晩はフルコースのディナーの後、給仕達による「Opera d’Araska」の
行進があって火を付けたアイスクリームを掲げて歌って練り歩きました。記念写真を
撮ったりしてわぁわぁ盛り上がります。無邪気になってしまうのが船の魔力ですから
各テーブル相当うるさかったです。

夜のショーは「Celtic Spirit」と題してケルト・ダンスとかをフィーチャーした
もの。そして最後に「We are the world」の大合唱がありました。各国語の挨拶が
あり、その度に一角、一角が盛り上がるという具合。イタリア語、スペイン語、
英語、フランス語、ドイツ語で「本日は有り難うございました。この歌を
皆さんで歌って楽しみましょう」と。その内、後ろの扉から、各国の旗を持った
人達が通路を通って舞台へ。日の丸も勿論登場。1列目8人、2列目の上手
あたりでしたから、まぁ2500人分の50名としてはその辺の扱いかな。
3列あったので舞台が狭く見えました。

連れ合いは相変わらずカジノへ。ドイツ人の太ったオバチャンとペアで
ルーレット頑張っているとツアーのお仲間から知らされましたが、私は
貴重な睡眠時間。つっかい棒がなくなったのでそうっと歩いて部屋へ戻って
バタンキューでした。



地中海クルーズ(マルセイュ、アヴィニョン、アルル)
今日はクルーズ最後の一日です。明日は起きたらもうジェノバへ帰っていて
下船します。7時半にはもうマルセイユの港に入って行きました。天気晴朗です。
もっともマルセイユは年間295日が晴れだそうです。

まずは車を飛ばしてプロヴァンス観光に出かけます。バスでガイドさんが
「アヴィニョン橋の上で」のおさらい。フランス語で教えて下さるんですが
すごくドスの効いた低音。美味しかったというフランス語「C'etait tres bon」とか
一々レピートを要求され、誰1人唱和しない。デユランス川に来た時は
「河は呼んでいる(懐かしい)」の歌で、又レピート要求。少し居心地悪く、
乗りの良すぎるガイドさんも考え物。でもとても明るく向日葵のような女性でした。 

まずはアヴィニョンの法王庁に行きます。ここでガイドさんが、「Chateau
neuf du Pape(法王の新城)」という名酒(ワイン)で有名ですとバスの中で
説明 。私はこういう話はしっかり耳に入る方。
法王の寝室の壁や床がすごく綺麗なモチーフのタイル貼りになっていて、
色合いが良い感じに古びていて素敵でした。
菱形で、オレンジやフレンチ・ブルー、バラ色、白、金などが使われて百合等の
花や唐草がデザインされています。売店では、そのマグカップやピルケース
などが売られていてすぐ飛びつきました。ワインも色んな値段がありました
が、中級で45ユーロのものを記念にと買い、すっかり鞄を重くしました。

ガイドさんの説明快調で、ゴシック様式と呼ばれるのは、アーチ型の梁がゴート族の
帽子の形に似ていたからと分かりました。又ローヌ川の丘の斜面を買って葡萄を栽培
したヨハネス22世というワイン好きの法王が居て城まで作ったのでこの銘柄の名前が
付いたとか。

外へ行くといよいよアヴィニョン橋とご対面。アーチ型の橋が途中で切れています。
ローヌ川はしずしずと流れ、まったりとゆっくりと時も流れている感じ。記念写真を
撮る10分しか居られない私はこういう時、何となくそそくさとしてしまう。ずっと居る事
が叶わないのは残念という気持ちを思い切らせる為でしょうか。


次にアルルへ行ってまずゴッホの絵で有名な跳ね橋へ。岸にはゴッホの絵の看板が
あり、お花が咲いていてのどかな田園です。サービスとかで「アルルの女」の音楽が
バスに流れます。仏語学生の頃、仏語でアルルの女が発音超ムズカシーイとされて
いたのを思い出し、ガイドさんにこっそりお願いしましたが、流ちょうな素敵な発音
の「L'Arlesienne」 でした。 

アルルでは丁度大通りで市場が開催されていて、まぁフランスパンやチーズ、色んな
野菜(ズッキーニ、アーティチョーク、チコリ)をカゴ一杯買いたくなる。。でも物価は結構
高いと思いました。アルルにはローマ時代の遺跡が幾つかあって見学。でも一番
印象に残ったのは「黄色い壁のカフェ」です。今でも営業していて大繁盛。ゴッホの
絵の看板がありましたが、もう本当にそのままに残っています。「雨上がり」と
いう題でしたか、宝塚の轟悠が描いた絵のインスピレーションの源は
此処でしょう。個展で見かけた絵を懐かしく思い出しました。



昼下がりのひととき、本当に観光客用じゃなさそうな「マノンの庭」というレストランで食事。
オーベルジン(茄子)のゼリーとか美味しかったです。カトリーヌ・ドヌーヴみたいな美人発見。
私くらいの年齢でミニスカで高々と足を組み、綺麗な指先で紫煙をくゆらし、
前に座った冴えない風の男に鼻先で答えている感じが「あぁーもう絵になる」と
連れ合いに綺麗ねーサインを出したんですが、別に何とも思わないようで、、
(どうせ若いのが良いのだ)。

午後は、マルセイユへ戻る高速道路をひた走り。シートベルトをしてない運転者を
見付ける為竹馬に乗るとかいう取締官も見かけず無事市内へ。今度は丘の上にある
「ノートルダム聖堂」を見学。ともかく風の強いのに閉口。55キロの私が完全に
飛ばされそう。ミストラル(北から南への風)の小型が吹いていたようです。本物が
吹く時は通路に綱が張り巡らされ、それを掴みながら歩くのだそうです。妙なこけ方
をすると骨折という頭がありますから、壁を支えにゆっくりゆっくり歩きました。

さて、船へ戻ったら食事、荷造りと大変忙しい事になる。今日中にトランクは部屋の
前に出すようにと。いよいよ一週間の滞在を切り上げて岡に上る日が来てしまった。
給仕をしてくれたインドネシア人のImade君は26才と判明。チップは一週間で
1人42ユーロ支払う事(枕銭他全てをまとめて支払い)に決まっているので特別に
何もしませんでしたが、何か最後はにこにこと楽しく有り難うと言い合って別れました。

最後のショーを覗き見たら「Time to say Good-bye」で締めていて、超満員。何か
ピエロも、お●まも、スターもぐちゃぐちゃで肩を組んで大盛り上がり。帰りに
ルーレット台を見に行ったら連れ合いがちょっとしたチップの山を前にご満悦。
「これ持って帰りましょ」とうっかり言ったばっかりに、その後ツキが落ちた
らしく、長い間あまり機嫌が良くなかったです。



地中海クルーズ(ジュネバーミラノ)
昨晩は真夜中まで荷造りして、ドア前に無事トランク二個と大きなバッグを
2つ出しました。次これらを見るのはミラノのホテルのお部屋という訳で、
やはり団体旅行は便利です。

今朝の大仕事は精算。 最初に渡されたクレディット・カード兼お部屋の
鍵兼身分証明書のカードでお買い物や食事していたので、一週間となると
まぁ大変なもの。でもやはりカプチーノとかでも400円くらいだし、ワインは
ボトルで4000円くらい。(フルコースディナー始め、一般的なコーヒーや
紅茶、ジュースは無料です)庶民的な船で助かりました。朝8時までに
精算しろと言うので(勿論自分のカードで払う訳でサインするだけですが)、
まぁ無事に済むまで(一応チェックは必要)少し頭を使いました。しっかり
チップ1人42ユーロは引かれていました。パスポートを返して貰って下船、
入国、バスに乗り込む。。これも2500人が一時に退去するのに、
どれほどの混雑かと思った割りには本当に整然とデッキ毎に時間を決め、
荷物のタッグの色順に全く待たずに奇蹟のようにスムーズに行きました。

さすがに、バスの中では、ちょっと眠かったです。でもコクリコの赤い花が
絨毯みたいに咲いている場所があったりして見とれました。英語でポピー、
日本語でひなげし、中国語で虞美人草・・・ですね。ミラノに着いたのは
昼前。5ツ星のホテル、WestinPalace泊です。素晴らしく重そうなドレープ
のカーテンに黄金に光るタッセル。ロココな家具、クリスタルのシャンデリア。
枕も3つずつ。。高いベッドにふかふかの絨毯。 まぁこれも団体値段
だから泊まれる訳で。。うれしかったです。あんまり老人になってからだと、
あのベッドから落ちると危ない。。(笑)

せっかくなのでお昼はご一緒にということで、ガイドさんが選んだドゥオモの近くの
店に行って、スパゲッティとピザとサラダとワインの昼食。ともかく空が晴れ渡って
いて、もう何もかも最高でした。声高にはしゃぎまくっていたと思います。スカラ座の
見学に行って(オペラは誰も知らない現代ものだったのでさすがにパス。でも7月は
「椿姫」と看板にありました)、内部や使われた衣装展などを見ました。天井桟敷から
の見学だったのですが、真っ赤なビロード張りの客席やロージュの雰囲気はさすが。
一度ここで夜オペラ鑑賞が出来たらどんなに幸せかしら。ただ慌ただしい
観光旅行中はあまりその雰囲気はないです。眠りそう。。それくらいもう
体力の限り遊んでいる感じでした。

紳士物の買い物をすると言う連れ合いとも、皆とも別れ、1人行動。
ドゥオモの中へ入って行きました。おりしも日曜日の夕べのミサが始まって
おり、この世のものと思えない幽玄という言葉で良いのじゃないかという
雰囲気。信者以外正面の座席には座れません。

高い天井、広いなんてものじゃない巨大な空間に、祈りや歌声が流れて
いました。左脇の座席に座ったら、ろうそくを売っていて皆祭壇に差して
います。ろうそくの火がゆらゆら揺れ、真っ暗な中で賛美歌とお祈りを
聞いていると、もうすーっと血が下がるというか、静かな静かな気持ち
になれ、しばらくじっとしていました。
自分が乳ガンになった事、家族や友人や皆のおかげで立ち直れたこと、
今はこんなに元気で居られる事、でも何もお返しが出来てないこと。。
ひたすら懺悔に近い気持ちでじっといました。その内この恥多い私が
敬虔な気持ちになれたのを幸い、魂を弔いたい人達の為、私もろうそくを
買って一本、一本差して行きました。 両親の為、若くして亡くなられた知人
友人の為、魂の安らぎをどうぞ得て下さいと祈りながら。全部で
何と2時間位居ました。キリスト教のあぁ言った建造物はやはり人間に
影響を与えるものだなぁと圧倒される思いでした。 


それから、リナ・シャンテというデパートやフェラーリの直轄店やらで時間を
使い、夜の食事のお店「チャールストン」で皆に再会。ここはわざわざ名前を
出す程結構美味しかったです。イカエビなどのフリット、ミラノ風カツレツ、ピザ、
スパゲッティ、サラダ、ワインも全て大満足でした。帰りは明日の為に
「モンテ・ナポレオーネ通り」やらを通って歩いて帰りました。方向感覚は
ばっちり。ミラノブランド買い戦線の幕が切って落とされる。。って感じの
緊張感が皆に漂います。 でも私は金喰いの新築の家も待っているし、
教会に献金でもしようかなって言う乗りの悪さでした。



新居で考えた
建て替え引っ越しが先週済みました。
暑い盛りのカンカン照りは困る。でも雨が降るのはもっと困る。
雨女と言われ十分その認識のある私のこと、ひやひやもの
でしたが、段ボールが軒から消えるまで、梅雨の晴れ間が続き
無事でした。

良かったことのもう一つは、世の中色んな事が便利になり、
各段住みやすく日常生活が楽になったこと。30年前の家、
電化製品もTVやPCを除いて時代遅れでしたから、画期的に
幸せになれたような気がします。

そんなもの今頃?と言われそうですが、食洗機・・・便利ですね。
酔っ払って食器洗いしたくない・・・と思ったら放り込んでしまえば
ピカピカにしてくれる。翌朝まで見なくて済む。魚焼き機も
両面一度に焼ける。焼きナスなんて丸ごと焼いて8分で完成。
美味しい。アルカリ整流器で水が各段美味しくてコーヒー紅茶美味しい。
ガス台も火力が全然違うのでお湯も早く沸くし機能的。

そして新しい家には匂いがあります。和室などプーンと畳の匂い。
あとは木の匂いです。ドアを開けたてすると何か匂って幸せ。

いろいろあります。もっと早く出来なかったか。というか良く出来たな
というのが本当かもしれません。後ろを見たら燃え盛る橋が落ちて
行くような気がします。あとは地道にほっこり暮らして行くだけ。

コーヒーカップ抱え、翻訳の文章をPCで見ながら、白いカーテンが
揺れるのを感じる毎日です。やっぱり良かった。積極的に生きる喜び
というのがこれかも知れません。



夢が消えた
夢って、あの希望とか目標とかの夢じゃなく、実際に眠っている時に見る夢です。それを
この頃全然見られなくなったんです。あぁー正夢だったんだなと思えるような現実的な夢や
SF小説顔負けのスリルとサスペンスに富むすっごく怖い夢、死んだ人たちに一杯会える
夢。どこかを飛ぶ夢(俯瞰する映像がはっきり朝残っている)。精神生活の豊かさの象徴
みたいに勝手に思って(随分な思い上がり)、結構楽しみだったんですが、どうしたのか。
バタンキュー。疲れて深く深く寝ているのでしょうか。

猛暑の毎日。クーラー嫌い。 開けっ放しにする度胸はありません。暑くて寝苦しい
はず。なのになんであんなに眠れるのか。まずは畳ベッド。い草さまさま・・・涼しい
です。そして友人に勧められて買ってしまった布団いらずのマットレス、○○ス・○ール。  
何でこんなに伏字かというと、こう言うのはすごく個人的だと思うので責任もってお勧め
出来ないものがあるからです。でも、私には合いました。 もともと上田温泉へ行った
時に旅館で経験していたのです。 ちゃんと備え付けの案内ちらしもあって、眠りが
爽快だったのでその時はへぇっと思ったのですが、何せ温泉の効能もあろうかと深くは
考えていませんでした。そしたらこの効果です。

いよいよ健康お宅おばさんになって来ました。もとい、おばあさんです。でも、あの
極彩色の夢の数々。。またいつか見たいなと思わないくはないです。でも見た夢を
端から忘れるボケ年齢も近そうだしなぁ。。



中秋の名月
9月の初め役所勤めで独立している息子1から手紙が来ました。
仕事を辞めたこと、韓国女性と結婚すること、そして来年3月
に父親になると書いてありました。

さすがに心配でその夜は眠れません。敵さんは中国旅行中とある
ので、呼びつけて詳しく聞くことも出来ず、ただ悶悶。何でこんなに
色々起こるのだろうと天を仰ぐ心地。もう落ち着けたので、このまま
のんびり静かに余生を送るのかと思っていたら、これが早とちり。
まだまだひと山、ふた山ありそうです。

 30歳の息子に意見をする立場にないのは重々承知。せめて新しい
家族と気持が通じればと祈る気持ちでいるうちにどんどん時が経ち、
昨日はご対面の日でした。韓国語のCDを聞いて、「アンニョン ハセヨ」
とか「カムサハムニダ」とかは頭にいれましたが、「トー、マンナプシダ
(またお会いしましょう)」「チャールゥ、プタカムニダ(よろしくお願いします)」
となると、なかなか覚えられない。ともかく文字から入れないのはつらい。
まぁお相手は日本語上手というので、60歳の手習いはほどほどにして
さて当日のお献立。 連れ合いが焼肉が良いという。そんなこちらのキムチ
は美味しくないし、サンチェだって、「焼肉のタレ」ってどこのメーカー
でも甘い。でも考えてみれば向こうの土俵を用意するのも、親愛の気持ち
と考えて貰えるかもしれない。少なくとも、丸投げって感じで、垣根を
作らない、構えない気安さがあるかもと考え直し用意しました。カルビ、
タン、レバー、鶏、海老、イカ。鯛のカルパッチョみたいなのも用意。

32歳、建築会社の経理をしている女性らしい。大卒。どんな人かなと
楽しみでした。 息子の電話では、お腹が大きいのでおしゃれをして
来れなくてごめんなさいと言っていると。 そんなそんな、私もジーンズ
姿です。ジーンズのつなぎに真白な長袖Tシャツ。真っ白なスニーカー。
ピアスのペンダントなイアリングがちょっとおしゃれ。 

少し小さい声だったけれど、日本語は上手でした。何より、発言する時
ぽっと顔を赤らめるし、すぐ息子に助けを求めるようにする。大きな
中秋の名月のお菓子をお土産に持ってきてくれたので、「重かったでしょう
有難うございます」と言ったら、すごく気持ちが響く表情で分ってくれて
うれしいらしいと分かる。連れ合いがあれこれ突っ込んでいたけれど、一生懸命
答えてくれて、うちの息子1の事を「真面目で温かい人だと思います」
「今はゼロからのスタートだけれど、私たちを一生守ってくれると
信じて付いて行きます」としっかり言い、私たち言葉も出ずにボーっと
してしまい、息子が「有難う」と言って終わり。完全に向こうの
ペース。

さて、焼肉は向こうでは豚バラの三枚肉らしく、タンとかレバーは
食べないらしい。そして肉も何時間も前から漬け込むらしいです。
大失敗とおろおろする私が結構雰囲気和らげるのに役立ったかも。
(すごい開き直り方。。でも何か許されていると思える温かさが
ありました)

カルビ、海鮮ものや、じゃがいも、アスパラとかは結構食べてくれました。
息子2も来てとても楽しかったです。サンチェに生のにんにくスライス
と、辛い味噌、キムチを乗せて巻いて食べるのを教えて貰い、私も
そうして、じゃんじゃん食べました。

11月には韓国で結婚式をすること、私たちは福岡―プサン、フェリーで
行こうと盛り上がり、先行きの不安なんか誰も言いだせずそしてお開きに。
見送った後、寝てしまいましたが、翌朝、あの白い台所もリビングも、
焼肉の匂いで一杯。残り香というには強烈でした。免疫力アップには最高の
カプサイシンとかをうまく使っている国と出来たご縁。大事にしていけたら
と思います。



アンニョンハシムニカ
クルクルパーって昔言葉があったのですが、あれって本当ですね。
突然何を言い出すやらですが、頭の中を韓国語がクルクル回って、本当に
パーになっちゃったみたいな日が2,3日続いたのです。ノイローゼ
の一歩手前だったかもしれません。ペプケスミダ モルゲッソヨ、
ハンビョン チュセヨ 全く脈路もなく断片が色々に出てきます。よく使う
旅の表現をCDで流しつつ、ハングル文字の習得の本を学びつつ、韓国語
速習本と文法の本を学びました。3週間くらいが経って、ようやく概観が
掴めつつあるというか、いや、難しいです。語学ばかりは慣れるが一番。

簡単な面は、語順が一緒だとか、ある程度発音が似ている言葉があるとか
中国語が透けていて、また想像がつくとかあります。 でも表記文字の
漢字の便利さがすごく身に浸みます。あのハングルの洪水には、本当嫌気が
さすほどです。そして、丁寧さの程度みたいなもので語尾が全部違って
くるのはアジアらしいといえますが、4段階位あるのには参った。ヘヨ、
ハセヨ、ハムニダ、ハシムニダ。格好良くいろいろ使い分けたいです。
(そんなもん、一生無理)
お母さん一つでも、何通りも呼び方があります。

でも、考えてみれば一ヶ月半くらいで、どれ位出来るかは常識で分かって
貰えるでしょうから、文法めちゃくちゃ、ご愛敬ご愛敬で押し通せば良い訳で
もう間違っていても良い。少々失礼でも良い。頭に浮かんだ形でしゃべる。
でもそれにしても、語幹が音の変化するのも困る。まだまだお豆腐の山に足
を突っ込んで歩いているような頼りなさです。でもちょうど今は折り返し点。
ここから先は少しは楽でしょう。だいぶんハングルにも慣れて来ました。

昨日息子1が来て、ハングル・バージョンで書けるようにしてくれたので、嫁に
ちょっと書いてみたら、返事にも韓国語が一行ありました。ただし、私は
アンニョンハセヨと書いたのに、アンニョンハシムニカとより丁寧で返って
来ました。でもうれしい。響くものがあると、すごくやる気が出てきました。

「服や本などを整理していると自分の跡をこの家から消してしまうようで寂しい」
ともあります。 すごくよく分かります。私は何でも持って来られたけれど、捨て
なければならない物もあるでしょう。気の毒だなぁと思います。本当によくして
あげなければね。 釜山の写真が来ました。綺麗な所のようです。 



パカパカ イウナ アルヨ
茨木のり子の「ハングルへの道」という本を読みました。
刹那的な要求に迫られて始めた勉強で、特に韓国という国に対する
興味がある訳ではなかったので、こういう時期にもう少しじっくり取り
組んだ方が良いと思える本を読めたのは良かったです。

大陸から半島を伝って、日本へ文化が渡来した歴史に思いを馳せる
事は大事でしょう。又お国柄というか、気質とかにも理解があった方が良い
かもです。日本は島国なので、ほかの国の人とあまり深く交わる機会が
ないけれど、例えばヨーロッパに何年か住んだ経験だけでも、彼らは
ちょっと違う人たちだと分かりました。 まぁ日本は一言で言って、
こせこせ&ちまちましているなと言うのが私の印象です。(<暴言
あくまで私のです) マイナス部分があっても気配りが心地よい
のは確かですが、根回し上手が実力者を絶対に凌ぐ。。は活力が
殺がれるようで、残念に思いました。まぁそれもこれも今は
変わりつつあるでしょうが。

これだけ、往来が激しくなり、便利になって、もう民族性の違い
なんて無きに等しいのじゃないでしょうか。まぁこの辺り興味あり
まくりです。 

この本にも書いてありましたが、勉強するという意味のコンブーを
辞書で引くと「工夫」という漢字が出てきます。強いて勉めるのと、工夫
するのと偉い違いですね。 何だか韓国の人たちって良いじゃないか
と思いました。 

「パカ パカ イウヒト パカアルヨ」

まだ少女の頃、こう言う心ないというか、忘れたいようなからかい言葉
を耳にした事がありますが、こうして韓国語をやってみると、なるほど
なんですね。 要するに最初に濁音が来ない。「バカ」と発音出来ない
のです。バナナはパナナです。 そしてイッタという存在詞があって
確かに「〜ある」は動詞につけて色々な表現に使う。茨木さんの本でも
五十五銭と発音させて区別したとあります。そんな事気づきもしなかった
から、お嫁さんは天才なんでしょうか。

そういえばフランス人はハヒフヘホが言えません。ヒサコさんは
イザコさんだったのを覚えています。 で、日本人はアール(R)の
発音がめちゃくちゃで、どのヨーロッパ人にも(英語、仏語、
スペイン語)不評でしたしね。。習慣は恐ろしいです。言語の
特徴は固有のものですし。

言葉はあくまで手段です。言葉が出来れば色んな所をバスとか
鉄道で回って、アルカイックスマイルの美しい仏像なんて見て
回れるかも知れません。本当に韓国の事何も知らないので
又一つ引き出しが増えたとうれしいです。



栗とナツメ
もう、結婚式まで一週間です。何と時の経つのが早い事か。
本当に本当に何でこんなに早いのですか。責任者出てこい(笑)

この2ヶ月の韓国語お勉強三昧。あれは何だったのか。毎日
毎日、覚えて覚えて覚えての繰り返し。教科書はいつの間にか
2冊くらい、終わりました。間接話法もやったような気がする。
でも、実際韓国ドラマ聞いても、分かるのは切れ端だけです。
そして、自分で何か言おうかと思うと「あーうー」の赤ちゃんです。

ホルモン療法恐るべし。肝心のインプットをアウトプットに
変える鍵を完全に落としてしまったような気がします。昔だったら
これでゴーサイン出したら、馬力で出て行けたのに。でも、その
事は最初から分かっていたので、気持ちの上の保護ネットはしっかり
張ってありました。インプットをするに当たり色んな刺激があって、
すごく体調が良くなり、目がランランと輝いて楽しい2ヶ月だった
だけで満足。 それにまだ駄目と決まった訳ではないですし。。

何よりも、韓国語自体がすごく魅力的と分かって、今後続けようと
思います。 特に歌になると、滑らかで、この上なく音楽的。
シャンソンも綺麗で、そのために仏語をやったような気がするの
ですが、リエゾンやら、韻をふむところ、中間母音ウーとか
いう音が似ていてすごく綺麗。子音も多発しますから、ごつごつ
した感じがないです。

韓国語のワープロも結構打てるようになりました。文通相手が
居るので、何だか気合いが入ったものです。私が韓国語で書く
ので、嫁も韓国語で書いてくれ、何としたことか、文章が
すごく魅力的に思えるんです。 嫋々としたというか、情感
纏綿として、陰影に富む。 本当の作家の文章が読んでみたく
なりました。 具体的に言うと、ミョンとかマンとかソとか言う
助詞を使いまくって長い文にし、動詞の語尾には、色んな助詞が又
つきまくって「してしまうと思ったりするのです」みたいな感じです。

ただ長ったらしいと言えばそうなのですが、短い言葉さえ交わさない
人間関係より、良いように思います。

さて、結婚式(幣帛)では、両親が多産を祈ってチマチョゴリの布
に栗とナツメを投げるらしいです。 そしてろうそくに灯をつける
のは、母親らしい。何を意味するのか(キャンドルサービスじゃない
ですよ)。 いろいろ何だか最後はへとへとに疲れそうです。 
結婚式の後もお兄さんが観光ドライブに連れて行って下さると
スケジュール表が来ています。 さて、美しい釜山の風景と参列者の
チマチョゴリ姿を見るのはもうすぐ。 楽しんで来ましょう。



釜山嫁取り旅行1日目
あれよあれよで2ヶ月が経ち、初めて嫁を見てから結婚式までアッという
間のことでした。 釜山までたったの2時間半。時差が無い外国です。
空港の待合室に居た時は日本語しか聞かなかったように思うのに、釜山に
着いた途端、移動バスの中が韓国語の洪水になったのにはびっくり。こんな
沢山の韓国人に囲まれていたとは。外観では分からないです。

空港へは嫁の姉夫妻と嫁が迎えに来てくれ、新婚さんはタクシーでホテルへ。
私達(夫婦と弟)はその初対面の人の車でホテルへ。これは聞いていたので
「空港へ迎えに来て下さって待って頂いてカムサハムニダ」と言いました。
一瞬の間(これがくせ者、ともかくイントネーションやら発音やらに一杯
問題があると思われ、でもようやく自国語であれらしいと分かるのに
かかる時間)があり「おーっ」と、すごいリアクション。にこにこと
明るい笑顔が出てぺらぺらと返され、こちら絶句。良く分からないの、
やっぱり。紅葉している山が綺麗ですねと言ったら、海も見て下さいと
言われ、そうキラキラ海も光っていて、青い。工場とか見られず、何で
食っている街なのか、ともかく高いビルもあるのですが、漁港か観光地なんで
しょうか(次の日に行った海雲台などリヴィエラみたいだった)。

しかし、すごく車が多くて大渋滞。「今日はトヨイル(土曜日)なので
車が多いのですか」と聞いたら「ハングマル ハシネヨ」と言われ
韓国語しゃべれるねと言われたんだと理解し、カムサハ