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上海蟹の旬は秋である。したがって私がこの蟹を食べたのはおそらく 秋口の9月か10月頃だったろう。所は香港である。香港島の山の手にあったその店の前には、蔵前の国技館の前に立ててあるような大きなノボリ旗が翻っていた。相撲ののぼり旗は極彩色で力士のしこ名が染めあげられているが、香港の旗はただの白地で、そこに墨痕鮮やかに「上海清水蟹」と大書してある。
「この季節になると中国人は女房を質に入れてもこの蟹を喰うと言はれております」そう言ったのは浅い竹の大ざるの上に太いタコ糸で縦横十文字にしっかりと縛られて、青黒い石ころのように身動きできなくなった蟹を山盛りにして現れたこの店の主人だったというのが私の記憶である。しかし良く考えてみると私は中国語を解さないのだから、女房を質に入れてもなどという中国語の表現が分かるわけがない。おそらくこの蟹喰いに私を誘いだした商社のIさんの意訳的発展通訳のお蔭だったのだろう。
「なぜわざわざ出て来て蟹を見せるのかわかりますか。それはこの蟹の調理ては蟹が生きていることが絶対の条件だからです」これは確かにIさんの解説だった。
なるほど、小振りな足もハサミも行儀よく揃えさせられた上からしっかりタコ糸で結ばれているが、黒い豆粒のような目玉を動かし、口とおぼしき辺りからはさかんと泡を吹いている。
日本で蟹といえば北海道のずわいガニ、毛ガニ、瀬戸内の渡りガニ、裏日本の越前ガニなど、みな海で取れる大ぶりな蟹である。こんな、淡水の石ころのような蟹のいったい何処を喰えばいいのだと言うのがこの蟹を見た私の咄嗟の印象だった。
「足にもハサミにも身なんかありゃしません。それでもシナ人は器用に食べますが、美味しいのは卵と味噌ですよ」と濃い琥珀色に茹で上げられた蟹の甲羅を、小鉢の蓋でもあけるように器用にはずしながらIさんは言った。「上海蟹というのは蘇州近郊の陽澄湖や無錫太湖で採れ
るものを特に上海蟹 と言うんですが、ここの蟹は原産地証明付きの銘柄ものです。9月の雌、10月の雄と 言って出始めは卵を持った雌が美味しく11月にな
ると雄のミソが味を増してしてくると言われていますが、値段の高いのは雌の方です。わたしは雌が好きです。今日のはみな雌です。卵と味噌でパンパンに身がいっているでしょう。まあ試してみて下さい。病みつきになりますから」
Iさんはもう病みつきの部類らしい。彼が中国人も蟹の味噌が旨味を増すこの季節にしか食べないのだというのを聞いてそんなものかなと思った。私が一時暮らしたことのある九州や関西でもそれに似た食材がある。九州とくに北九州には冬になると河豚サシを一味とワケギを刻んだ酢醤油で食べないと夜も日も明けないという人達がいる。関西では夏になると涼しげなガラスの容器で骨切りをした鱧の湯引を梅酢で食べないと季節感が湧かないと、ハモにこだわる人達がいる。一種の中毒である。この上海蟹の場合の調味料は鎮江産の黒醋と生姜のきざみと単純である。酢の色は墨のように黒く、味はすっぱさの中にどこか苦みも感じさせる。Iさんの解説によればこの苦みこそがカニを食べた後の口の中に残るあのふんわりとしたうまい甘みを出すことになるのだと言う。また生姜のきざみだが、一つにはカニの生臭さを消す作用と、上海蟹を食べると
体温が低下するのを生姜を加え体温の低下を防いでいるのだという。私はこの淡水蟹を少しも生臭いとは思わなかったし、蟹を食べて体が冷えると感ずるほど繊細な神経はしていないが、さすが漢方の中国らしい理屈だと感心する。勧められるままにこの蟹の甲羅に少し紹興酒を入れて飲むと紹興酒
の甘みとミ ソの深い味わいがいつまでも口に残る。蟹はいまいちだがこれは絶品であった。要するにこの時点での私はただの飲ん兵衛だったのだ。
「日本で日本の蟹を喰っているのとくらべたら物足りないのは当然です。違うものを違う食べ方で食べていると思はなくてはこの蟹の味は分かりません」と私の様子を見てIさんは言った。たしかにその通りだった。その後その季節になると私は日本の中華料理屋で一匹2000円以上もする「上海蟹」を注文して、鎮江産の黒酢はないのかね、などと言うようになっていた。なぜか病み付きになっていたのだ。
ところでこの上海蟹が突如として東京湾内のお台場に生息していたのが発見されたと報じられたのは極く最近のことである。なぜ上海蟹がお台場に現れたのか。その情報を知ったとき私が咄嗟に考えたのは「よし行って捕まえてこよう」ということと、中国奥地の淡水蟹がなぜお台場の海水域で見つかったのかということだった。つまえて来て茹でて食べようという衝動は、まだこの蟹がお台場に定着したという証拠が不充分ということで時期早尚とあきらめたが、上海清水蟹がなぜ塩水で生きていたのかは解説で直ぐ分かった。この蟹の正式名称は「シナモクズガニ」と言うのだそうだ。なぜ「藻くず」かというとハサミに藻くずのような毛を生やしているからだという。この蟹は川やそれに繋がる池、湖で成長し、成体になると川を降って河口から海水域の広い範囲で繁殖活動をう。雌は繁殖期間中に3回ほど産卵する。
繁殖を終えたあと、ほとんどのカニは疲れはてて死に、名前どうりの海の「藻くず」となる。孵化した幼生は三角頭のボウフラの姿で浮遊生活を行い、5回の脱皮を経て川を遡りやがてカニの形になるが、これが2年から3年で成体となるとまた川を降っていゆく。このような繰り返しを降河回遊というらしいが、このタイプの繁殖活動はある程度塩分濃度のある場所が必要というからお台場の塩水はこの蟹の故郷なのだ。これは日本にも全国的に分布している「モズクガニ」にも共通した生態であるという。
一匹2000円もする上海蟹を放流する人は居ないから、お台場の蟹は中国の港で船にバラスト水として取り込まれた大量の海水の中に混じったこの蟹のボウフラのような幼生が東京港で放出されて育ったものと考えるのが妥当のようだ。バラスト水というのは船が空船で航行するとき船を吃水まで沈めて安定させるために船腹に取り込む海水の事である。これは積み出し港で荷を積む時は当然排出される。その中に幼生が混じって居たにしては蟹の数が少ないがそのうちどっと増えるはずである。
ところがその後の記事が気に喰わない。この蟹が「要注意外来生物」に指定されたとある。この蟹が日本の在来種の藻くず蟹を駆逐する懸念があると言うのだ。在来種は2、3年で成長するが上海蟹は1年で大きくなる生命力があり、心配だという。すでに欧米ではこの上海蟹が分布を拡げ、ロンドンのテムズ河やアメリカの五大湖ではこの上海蟹が繁殖しているらしい。それがなぜ悪い。いいではないか。採って喰えばいいのだ。
この種の論調では、外来種は侵略者と看做されて槍玉に上げられる。良く考えてみて欲しい。カミツキガメもセアカゴケグモもカニクイザルもそしてこの上海蟹も、もとはと言えば、人間によって直接、間接に有無を言わさず攫われて来た拉致被害者ではないのか。諸悪の根源と責任は人間にある。生態系を守ると言うが守るべき生態系は人間にとって都合のよい生態系である。ブラックバスにアユやフナなど金になる淡水魚を喰われて困るのも、アメリカなまずにワカサギを丸呑みにされて困るのも、みな人間だからである。外来種の生物に対し、早めに対策を立てないと、生態系が変わり、それが人間にとって非常に不都合だと分かったときは手遅だという認識は正しい。だから対策を立てるのは結構だが、目的を遂げるのは困難だと思うだけだ。釣ったブラックバスをリリースせずいくら一生懸命食べてみても追い付くものではない。魚の生態系の中では魚を喰う人間などという存在は全く無力なのだ。すべて身から出た錆である。
上海蟹に成り代って口から泡を吹いて論したが、お台場で見つかり、見つかった途端に「要注意外来生物」の指定を受けた上海蟹の将来に思いを馳せる。私はこの上海蟹が日本中の河川、湖沼に満ちあふれ、昔の支那人が木槌を片手に片端から上海蟹の甲羅を砕いて何十匹もの蟹を平らげたという、蟹喰い仙人の噺を思い浮かべている。そのとき在来種の「モクズカニ」はどうなっているのだろう。
日本の「モクズカニ」の料理を食べた人が何人いるだろうか。私がそれを食べたのは平家の落ち武者の部落だという四国の山奥の長者という山村の旅籠でのことだった。宿の前には急流が音をたてて下っていた。この流れはやがて土佐から松山に抜ける国道沿いの1級河川仁淀川に合流し、その先は土佐湾に注いでいる。その日、村の寄り合いがその宿であるとかで、特に蟹汁が出て来たのだ。私は好奇心から蟹汁の原料となる蟹を見せてもらった。大きな金網の四角い檻のなかに大小様々な蟹がひしめいていた。この檻の中に魚肉を吊るして川の中に一昼夜沈めておいて引き揚げたものだという。甲羅が5、6センチの大ぶりのものが数匹目立つだけで、あとは河原の砂利をスコップでしゃくって入れたような雑多な蟹が互いに乗ったり乗られたりを繰り返している。普通の川蟹と違ってハサミには藻くずが生えていた。しかし私はその時これが「モクズカニ」という蟹だとは知らなかった。思い出してそれが「モクズガニ」だと思い当たったのは、お台場の蟹以降のことである。
「これをどうするのです」と聞くと「臼で搗くのよ」という返事だ。「これは秋が美味しいのよ」と宿のおかみさんが言った。
私はその晩出て来た味噌仕立ての「モズクガニ」の蟹汁の味が未だに忘れられない。雄も雌も卵も白子もカニ味噌も味噌汁に溶け出している。私はこれこそ究極の味だと思った。
今私が考えていること。蟹はどっちをどう食べるのがいいかということである。出来ればお台場の外来の「シナモクズ」の茹で蟹を喰い、走って来て山奥で臼で搗いた在来種の「モクズ」の蟹汁を飲むというのは如何かなものか。その頃「シナモズク」の子孫はどの辺まで分布を拡げているだろう。外来種が喰った喰われたと目くじら立てることはない。大勢は成るようにしかならないのだから、生態系の多様性というのも面白いと思うのだが。いけませんか。
2月15日 05
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