加藤徹「貝と羊の中国人」を讀んで(2)

 

 第四章 人口から見た中国史
 

 現在の中国の人口は13億で、世界の総人口が65億だから人類の5人に一人は中国人ということになる。今から180年前、清の時代は人口は四億だったが比率は3人に一人が中国人だった。それが1980年の一人っ子政策のおかげで人口増加が鈍化して今の5人に一人の比率まで低下した。
 翻って日本の人口推移はといえば、3000年前の縄文時代は推定十数万で今の日本列島に胡麻粒をパラパラと撒いたような具合。3世紀の卑弥呼の時代では推定300万、聖徳太子の大化の改新(645)の頃でも一千万足らず、下って明治維新でも3300万人であった。これが大日本帝国時代をへて今年2006年のピークにはその間に第2次世界大戦の惨禍にあったにもかかわらず1億2千7百万人に達した。中国の一割である。この爆発的な人口急増は 出生率が高いまま死亡率が低下したためもたらされる(いわゆる人口転換)が原因である。明治維新から140年の間に日本の人口は四倍になった。この勢いが昨今マイナスに転じたと言うので大騒ぎで小子化対策の大臣を置いている。
 話を中国に戻すと中国では人口規模の限界は、紀元1世紀初めの前漢末から17世紀半ばの清の初めまでの1900年もの長期にわたり、戸籍登録人口6千万、実人口1億を超えなかった。戸籍外の人間は奴婢や流民、辺境の住民や少数民族である。限界を超えられなかった訳は、人口がこのラインに近ずくと農業生産が人口を養いきれず社会不安や一揆が起きて、王朝が崩壊すると言う悪循環が繰り返されたからである。それが異民族の満州人の統治下でこの壁を破って四億になったのは何故か。清王朝の善政とか、トウモロコシやサツマイモ等の手のかからない外来農作物の普及という説明だが、いまいちはっきりしない。原因ははっきりしないが、結果ははっきりとしていた。人口爆発の結果、農民の可耕地面積の激減にともなう、農民の困窮化、社会の衰退、民度の低下、そして人の命の値段の大暴落である。
 1840年のアヘン戦争もこれが原因と言われる。アヘンという麻薬はそれ以前から中国のは伝わっていた。しかし人口が少なく民度が高かった頃は、アヘン吸引の悪習の染まる中国人は殆ど居なかった。しかし人口が増え民度が低下してその日暮らしの自暴自棄の下層民が増えて、アヘン輸出というイギリスの国家的犯罪につけこまれた。
 人口問題と言うのはその國の近代化に重大な影響をおよぼす。多すぎても少なすぎても上手くゆかない。日本は江戸初期の1200万人から維新の3000万人まで安定した人口推移を辿った。人口と資源の均衡のため、避妊や堕胎、間引きで人口を抑制して来た。水田稲作を主とする日本の農業は資本集中的で子供を沢山作って働き手を増やすより、用水路の整備や農薬に金を使った。一方増え過ぎの中国農業は労働集約的で、地主は設備に金を使うより、低賃金で小作人を大量に雇うほうを選んだから、中国の地主階級は貧しい農民が増える事を歓迎した。一方少ない方の李氏朝鮮の人口は17世紀に急増して700万人になったが、そのまま停滞し20世紀を迎えた。一千万人未満という人口規模は近代国家を作るには過小であった。
 中国の人口が13億になったのはそんなに古いことではない。1949年つい60年足らず以前、中華人民共和国が発足した時の人口は今の半分以下の5億4千万人だった。内戦が終結し平和な時代がくると人口爆発が起るぞと警告した学者が「全人代」に「新人口論」を提出し、人口爆発を抑えないと中国は大変なことになるぞと警告した。これに対し、大ずかみ合理主義の毛さんは「ものを喰う口は一つだが、ものを作る手は二本ある。人口の多さはそのまま武器になる」と言って生めよ増やせよ政策を継続した。その後毛さんの大躍進運動で餓死した農民が五千万人、文化大革命で一千万が「非正常死亡」を遂げている。さらに毛さんは将来アメリカとの全面核戦争を想定していたと言うから、数億人単位で中国人が死ぬことを想定していたと思われる。再び人の命の値段の大暴落である。「人はもとより一死あり。或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」けだし名言だが、吹けば飛ぶほうの命の人間はたまったものではない。

 著者は中国三千年の人口の推移を見て一つの結論を出している。中国では人口増減のサイクルが歴代王朝の寿命を決定し、その破局の到来を回避出来た王朝は一つもない。そのサイクルは最長の唐(618〜907)が289年、次が276年と奇しくも同じ寿命の明(1368〜1644)と清(1636〜1912)で、三百年を越えて存続できた王朝は一つもない。
 もう一つ中国史のサイクルで特徴的なのは短命な王朝の後には長命な王朝が続く傾向があるということである。短命だった王朝、秦14年、随38年、元97年等はいずれも強力な王朝だったが短命に終り、結果論だが次代のこやしとなる運命だった。20世紀の前半、蒋介石を首班とする中華民国が37年間中国大陸を支配したが、これも徒花の運命で、第2次大戦の戦勝国を引き継いだ中華人民共和国が国連で常任理事国の籍を受け継ぎ大国風を吹かせている。此処まで来ると筆者の意図が透けて見えてくる。中華人民共和国の命運はどうかということである。この國は建国以来すでに60年近く経ち、建国期から最盛期に移る時期である。北京オリンピックはその象徴的イベントである。
 中国で無尽蔵な資源と言えば人と土である。だから人口と食料を政治の力でコントロールしないと、たちまち飢饉や戦争が発生した。従って人口が慢性的に過剰だった中国の文明は世界で一番政治くさい文明である。一言で言えば中国では文化も政治の下にあると言うことである。日中友好、政経分離などと自分に都合の良い気持ちで商売していると、ある日突然政治が介入して一刀両断にされることは覚悟すべきである。
 中国共産党の支配する共和国の命運は、歴代の王朝がそのために滅びた人口増加に対しては1980年に一人っ子政策で急ブレーキをかけた。毛さんが修正主義と断じたソ連の教条的悪平等を前車の轍として、トウショウヘイは高所得農民を万元戸として表彰し、早い者勝ち成り金を奨励した先富政策で人民のホンネを活かして改革解放による急成長を遂げた。今回の中国旅行でも、オリンピックを控えて、辺境の都市に至るまで、全国的な過剰投資、都市整備の建設ラッシュを見ると、中国はやみくもに最盛期に突入したという実感を肌で感じた。
 中国の現王朝の命運を左右するものの一つに党や官僚の汚職がある。政治優先の共産主義体制で、一番腐敗し易いのがその政治組織なのが泣きどころである。最近でも上海市長が汚職で摘発されている。いくら見せしめの刑罰を強化しても都市地方を問わず横行する党や官僚の汚職。これはタテマエとしての儒教の昔から共産主義の今日まで、浜の真砂は尽きるとも、中国人のホンネのDNAに染みついているこの体質は消えないのではないかと思いたくなるほどだ。
 もう一つは延命策としての先富策の矛盾が、いま日本でも問題になっている貧富の格差を限界にまで拡げていることである。中国の内陸部と沿海部との所得格差は統計では10倍である。しかし実体はその3倍、30倍だと言われている。だから農民は流民となって都市部に流れてくる。しかし農民には「都市戸籍」が与えられず、医療や社会保険、子供の教育の恩典を受けられないから、格差は所得だけに止まらない。最近農民の出稼ぎ労働者や失業者の抗議行動が目立って来たというが、これが大規模になると王朝を揺るがしかねないのは事実である。しかし私は現王朝の崩壊を望んでいるわけではない。所得格差から言えば、今大統領選挙中のブラジルなど、國の富みを握る1%にも満たない階層と99%の国民との所得格差は70倍である。そのうち中国を人口で凌駕するというインドの所得格差は30倍どころではない。これらは民主主義、資本主義國でのお話である。日本は少し騒ぎ過ぎのきらいがある。
 中国は2006年から第11次5カ年計画で「社会の安定」と「高成長の維持」を掲げている。やりたい放題の「粗放型」から「抑制型」への転換を目指している。「農民戸籍」と「都市戸籍」の差別も撤廃され、出稼ぎ労働者も公共サービスが受けられるようになった。
 この王朝が倒れて、昔の世界から蔑視されてきた「支那ポコペン、チャンコロ」の國に逆戻りするとは考えられない。ただ国内矛盾のガス抜きのために、毎日軍国日本の侵略戦争を放映するのは少しは控えて欲しいと思う。テレビに出てくる大勢の日本兵は皆日本人そっくりの中国人の俳優達なのだから、いつも一方的に切り殺される悪代官とその手下ばかりやらせるのは気の毒である。

 第5章 ヒーローと社会階級
 

 今の中国を動かしているのは、一党支配の中国共産党である。江沢民が「三つの代表理論」という資産階級の人間にも党員になる資格を与えて以降、それまで6000万人で人口の5%だった中国の共産党員は、いまでは7000万人に急増している。中国共産党政権のファーストエンペラーである毛沢東以来、國の指導者や支配層はこの階級から出てくる。
 中国文化の王道は「歴史」である。歴史と言えば司馬遷(BC145〜86)の「史記」を筆頭に各世代で24の歴史書が編纂されている。史記は太古の黄帝の時代から夏、殷、周、春秋時代、戦国時代、秦、そして司馬遷が生きた前漢の武帝の時代までの歴史上の人物を中心に紀伝体でつずった歴史書である。司馬遷は匈奴との戦いに敗れで降った友人の李陵を弁護したために武帝の怒りを買い、死刑になるところを宮刑(性器を切り取る刑)を受けた。やりきれない話だが、おかげで史記130巻は完成した。これに続く数多くの歴史書の中で一番讀まれているのは三国志である。蜀を狙う傭兵軍団の将、劉備玄徳に三顧の礼で迎えられた天才的軍師の諸葛孔明と、魏の曹操の軍師の司馬仲達、それに呉の孫権のくんずほぐれつ三つ巴の葛藤である。三国志のヒーローは千古の名文「出師の表」を書き、勝算の薄い北伐で「五丈原の戦い」に陣没した諸葛孔明であるのは論をまたない。ヒーローの要件は何か。失敗や欠点があっても「人間味」が豊かだと大衆が認めれば中国ではヒーローになれる。これはフィクションの世界でも実際の政治でもそうである。中国のヒーローを分析すると中国社会のからくりが見えてくる、と筆者は言う。中国の民衆は仰ぎ見るヒーローを渇望すると同時に徹底的に罵詈雑言を浴びせて憎める悪役を必要としている。その精神構造は今も変わっていない。日本の歌舞伎では登場人物の善悪が急転する場面があるが、中国の京劇では曹操のような悪役は最初から顔の真ん中を白塗りにして悪役を鮮明にして善悪は反転しない。中国人は客観公平であるべき歴史学者でさえも、昔なら儒教、今なら共産主義の視点から善悪を峻別しないと歴史を認識出来ない。文革後四人組が徹底的に憎まれるのも、戦後最大の悪玉「日本鬼子リーベンダイズ」の代表の東条英機が外国人の唯一最大の悪役であるのも、「造反有理」「愛国無罪」と唱えれば許されるはずという精神構造からくる甘えの構造である。
 著者がこの章で言いたかったのは、中国三千年の王朝興亡の歴史を通じて、ヒーローとして存続してきた「黒幕」の存在があったということである。この黒幕とは「士太夫」という社会階級の存在であり、これは紀元前11世紀の周の初めから二十世紀初頭の清朝滅亡までの三千年にわたり存続したという。日本でも平安中期の十世紀頃から明治維新までの千年近く「武士」と呼ばれる社会階層が存在した。しかし武士は生まれながらの身分であって、中国の士大夫のように階級ではない。周の時代から三千年も続いたと言うのだから、時代の変転する中でその実態を規定するのは大変難しい。周の時代には王や諸侯の下に「大夫」と呼ばれる貴族階級があり、その家臣として「士」と呼ばれる中間支配層があり、自らを誇りをもって「士大夫」と称する中央高級官僚の輩出母体を形成した。士大夫の士大夫たる所以は第一に学識であった。その学識は儒教の学識である。儒教の本質は「士大夫の、士大夫による、士大夫のための教養体系」であった。この儒教の開祖の孔子も士大夫だったからである。なぜ孔子が彼の理想を受け入れる國を求めて諸国を流浪したかは、その出自から理解出来る。
 学識ばかりではなく士大夫層は文化面でも時代をリードした。詩人の王維、杜甫、韓癒、白楽天も皆士大夫であった。長い士大夫の伝統を通じて、その実態をよく表した言葉がある。「先憂後楽」と「陞官発財」である。「先憂後楽」というのは、天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみの後に楽しむ。という天下国家を自らが背負うという、士大夫の自負と意気込みを表している。一方「陞官発財」というのは一族の子弟に学問を仕込んで官につかせ、官位が上(陞)がれば蓄財ができるという意味である。どっちが士大夫の実態をあらわしているか。どっちもだというのが正解らしい。儒教は金銭、蓄財に対してこれを背徳的なものとして排除してはいない。三国志の諸葛孔明もその学識は世に聞こえ、諸葛一門という豪族の希望の星だったから山中に庵を結んで悠々と暮らしていたのであって、そうでなければ只のホームレスである。彼もそのライバルで後に曹操の魏を亡ぼして、死後晋の初代皇帝の称号をおくられた司馬仲達は二人とも士大夫の出であった。 
 六世紀末、超難関の官吏登用試験の科挙の制度が出来た後では、地主や豪商も士大夫の階級に取り込まれ、士大夫の概念は一層明確になった。科挙に合格すれば身分、血筋にかかわらず誰でも士大夫になれたからである。その逆に、何世代も科挙の合格者が出なければその一族は士大夫の階級から滑り落ちた。地主や豪商は子弟を科挙に合格させて士大夫階級の仲間入りをして蓄財し、そのため士大夫と言う階級は科挙官僚、地主、商人、文人を兼ねた強力な支配階級を形成して、科挙制度がなくなる20世紀初頭(1905年)まで綿々としてこの國の文明を独占し続けた。
 ここへ来て、やっと著者の意図が見えて来た。諸葛孔明をはじめとする士大夫の面々を男の中の男として顕彰するのが目的ではない。一つの階級が文明を独占することの危険を言いたかったらしい。近代中国の「国父」として、中国共産党・国民党の双方から尊崇されている孫文は、清末の広東省の農村に生まれ、辛亥革命の立て役者となったが、彼は士大夫の出ではなかった。そしてその革命運動のメンバーに士大夫を加えなかった。
 士大夫という特権階級による文化の独占は昔の話になったが、1949年の中華人民共和国の建国を境に、一階級の独占が再び復活した。一党独裁下のこの國の党内権力闘争の激しさは三国志もどきである。粛清による失脚と復活を繰り返す党幹部の権力闘争は毛さんの後釜と目されていた国家主席、劉小奇の獄死など凄惨を極めた。民主主義が良いとは言い切れないが、少なくとも国民の選挙で選ばれる政治家同士の間ではこうした惨劇はみられない。江沢民以降、新たに資産家階級を入党させるなど、地主や豪商を士大夫に加えて新たな支配層を形成した昔に復帰した。権力の独占は必ず腐敗を生む。中国人は馬鹿ではないから、それはよく分かっている。中国共産党の元老の陳雲(1905〜95)は「腐敗に反対しなければ國が滅びる。本当に腐敗に反対すると党が滅びる」と言っている。あれだけ文革で虐められ、半身不随になった登小平の息子が、文革後、共産党に入党志願したのに対して、親父の登さんは、止めとけ、そんなことをしたら登家の人間は一人残らずいなくなるぞ、と言ったという一口噺もある。「陞官発財」の士大夫のDNAは生きている。腐敗、汚職については天下り、談合騒ぎの日本も大きな顔は出来ないが、中国は今や「貧しきを憂いず、等しからざるを憂れう」べき臨界点に達しようとしているように見える。もし「歴史は繰り返す」というのが本当なら、中国の歴史では次に起きるのは百姓一揆である。

                       続く

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