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【小暮“シャケ”武彦の軌跡〜REBECCA結成まで】

                                                                                

 1960.3.8、東京都北区に生まれる。小さい頃は絵描きになりたかった。
 埼玉県川口市の小学校に入学。
 中学に入った頃にフォーク・ギターを手に入れ、弾き始める。
 カーペンターズやキャロル・キングなどをラジオでよく聴いていた。
 中学2年の頃からレッド・ツェッぺリンやグランド・ファンク・レイル・ロード等を聴き始める。
 
 高校に入り、野球部に入る。が、夏で辞める。
 バンドで、ビートルズやディープ・パープルのコピーを演る。

 大学に入り、20歳になった頃から、本格的にバンド活動を始める。
 「クリネックス」結成。半年ほど活動。
 「ストレート」結成。やはり半年ほどで解散。
 青学のバンドに誘われ、少しだけ演る。
 その後、田所豊を誘う。 

  『それで、色々やっぱ考えてさ、ボーカルが大切だってことにやっと気がついたわけ。
   であたりをこう見渡すとさ、トコロダユカイ君がいるんだよね(笑)。
   で、こいつだと思ってさ。誘ったんだよね、そんで組んだの』  *1

 しかし、長くは続かない・・・

  『うん。でも練習2,3回やって終わっちゃったんだよね。
   あいつが何か急に、俺結婚するかもしれないとか言ってさ(笑)』  *2

 そして、当時ハードロック・バンドでヴォーカルをやっていたノッコを誘い、レベッカを結成。

  『〔略)バンドの構想は、その時点では“新しいロック”っていうかな、プリテンダーズとか
   ジャムとかね、ちょっと変な言葉だけど、“簡単なロック”、これを演りたかったんだ。
   最初4人で。ギターは1本だけで演るのが趣味だったから』  *A


 浦和市民会館でオムニバスのアマチュア・コンサートを演ったときに、CBSソニーの目に止まる。
 が、ディレクターの話しに反発。アメリカ・L.Aに渡る。 

  『そう、売らなきゃいけないってことでね。もうとんでもないこといっぱい言われてさ』  *3

  『もうこんな国にはいられねえっつう(笑)。大袈裟なんだよね、なんか(笑)。
   あの頃ってもうあっちかこっちかしかないような感じだからさ、
   もう日本の音楽業界はこういう風なんだって感じになっちゃったんだよね』
  *4

 黒人のファンク・バンドに入り、一ヶ月余りをL.Aで過ごし、帰国する。
 帰国後、再びCBSソニーから声が掛かる。

  『〜でやってたらまたCBSソニー来てさ、今度はロック専門のレーベルを作ったからとか言ってさ(笑)、
   しつこいんだよすごい(笑)。フィッツビートなんだけどね、それが。(中略)
   でさ、一度CBSのスタジオでデモ・テープ録らない?とかいう話になって、いいよっつって録ったら、
   じゃあとりあえずやろうかって感じになったんだよね。でライヴをやり始めたわけ、本格的に』  *5

                                                                                 

【REBECCAでのデビュー〜脱退】

                                                                                 

 1st.ALBUM『VOICE PRINT』(6曲入り45回転のミニ・アルバム)の録音が始まるが、プロデューサーの方針と小暮の目指していた方向性との違いから、ぶつかりあうことになる・・・

  『(略)それで、プロデューサーとしてじゃなくて曲で参加するからとか言ってさ、(略)
   他人の曲なんかやりたくないとか思ってたからさ。でも、自分の曲をディレクターに認めさせないと
   レコーディングさせてくんないんだよね。俺はすごく自信あったんだけど、全部ダメって言われちゃってさ、
   で作り変えたり新しいの作ったりね。(略)である程度録ったとこで、次の曲なんだけどっつってさ、
   またそこで認めさせなきゃダメなのね。そうじゃないと後○次○の曲が入ってきちゃうわけ(笑)。
   (略)でもね、後○次○の曲も1曲やんなきゃダメだって言われてさ、向こうが2曲用意してきたんだけど、
   両方ボツにしちゃったんだよ(笑)。クサいんだよ、それほんとうに。でも1曲はどうしてもって言われて、
   じゃメロディ半分変えてアレンジを全部俺らに文句言わずにやらせてくれるんだったらいいとか言ってさ、
   でやったんだよね。うん、大変だった、最初のレコーディングは』  *6

  妥協を知らない小暮は、2nd.ALBUM『Nothing To Lose』(同じく6曲入りミニ・アルバム)の録音でまたもぶつかることに・・・

   『(略)もうなんか音楽的にさ、何て言うのかな、レベッカでやってた音と俺の理想は全然違うんだけどさ、
    それでもやる限りはああいう中でもわりと曲げなかったからさ。それが辛かったね、いつも。
    ディレクターとかとぶつかって。2枚目の時もディレクター降ろしちゃったしね』  *7

   『(略)最初、あのバンドを作る時はね、オレたちが今まで聴いて育ってきたロックを演ったんじゃダメだろうなって
    思いがあったの。かなりアタマを柔軟にして・・・・・・。でも「これだけやってもまだダメなのかよ」ってところまで
    来ちゃったんだよね。で、もうやめるしかないなって』  *B

   『そうだねえ、うーん。今考えるとねえ、俺が悪かったなあと思うけどさ。でもああする以外になかったんだよね。
    だから、ああいうバンドでレコード出したこと自体が間違いだったんだよね、俺には』  *8

   『(略)最後のツアーから帰ってきたらさ、事務所に呼ばれたんだよね。俺なんとなくもうわかってたからさ、
    もうそれ以降のスケジュールは何にもなかったし。(略)で行ったらやっぱそうだったんだよね。
    これ以上やってももうバンドはダメだろうとか言ってきてさ。お前らには選択の余地はないみたいなさ。
    で帰ったんだけど、キーボードとベースに、どうすんのっつったらさ、3日ぐらいたってからかな、なんか
    バック・バンドに誘われてるんだよっつってさ、ノッコの。あ、そう、やればとか言ったんだけどさ、
    俺はどうしようかなあと思ってね。(略) 』
  *9

                                                                                

 【2つの『REBECCA』】

                                                                                

   『(略)ほら、レベッカは解散でノッコのソロ出すっつってたからさ、レベッカっていうバンド名考えたの俺だしね、
    バンド名気に入ってたしさ、すごく。だからずっとこれやってこうかなとかそういう風にも思って。
    だからまた全く新しいレベッカってバンドを作ろうかなって思ってたわけ。
    そうするとさ、トコロダユカイって奴にまた会ってさあ(笑)、あいつがやるって言うんだったらやってみようかなって
    思ったんだよね。(略)』
  *10

    『(略)俺は俺のよく知ってるカッコいいボーカルがいるからそいつとレベッカってバンド続けようと思ってんだって
    言ったのね。意地でさ、もう。
ノッコはどうせソロでやるんだろっつって。そしたらさ、それはそうだけどォとか言って、
    実はノッコの名前をレベッカにしようと思ってんだとかさ(爆笑)、適当なこというんだよね(笑)』
  *11

    『(略)で俺らももう意地でレベッカっていうバンド名にしたわけ。だから最初のライヴの時はさ、2つあったんだよね、
     レベッカていうバンドがね。それ1回だけやってもう変えたんだけどさ。もうなんか下らないなと思っちゃってさ(略)』
  *12

                                                                                 

【THE RED WARRIORS誕生】

                                                                                

    『(略)実はどうしてもRで始まるグループ名にしたくてさ。意地だよね。雑誌の目次を見ても、同じようにRが目に
     入ってくるじゃない。それを考えてたんで、結構バンド名つけんのに時間かかったんだよね』
  *13

    『(略)俺は、レベッカの時の失敗は絶対にしないようにしようと思ってさ。やっぱ別に客がいっぱい入って
     盛り上がってるわけでもないのにデビューしちゃうとさ、デビューしてから苦労するじゃない。ね?
     だから、デビューする時にはもう絶対すごい期待の中でデビューしたいってのがあってさ、それでもう半年とか、
     バンド組んだのが3月だったからその年いっぱいぐらいまでに、色んなとこからウチでやらせてくれって声かけられる
     ようなバンドに絶対しようって思ってたの』
  *14

   そして、彼らはその年の暮れにヤクルト・ホールでコンサートをやるようになり、注目を集めるようになる。
  翌年の渋谷EGG-MAN3DAYSをこなし、9月には、デビュー前の新人バンドとしては異例の渋谷公会堂での
  コンサートという偉業をやってのけることになる。

                                                                                

LIVE/デビュー前

彼らがデビューする前のライヴ・ツアーのスケジュールです。

黒文字は自分が見に行ったLIVEです。

結成〜85.9までの資料がないので、知っている方いましたら教えてください。

1985.10.13 札幌ペニーレイン
    10.17 原宿クロコダイル
    10.18 新宿ロフト
    10.19 渋谷エッグマン
    10.23 豊川かごやはうす
    10.24 神戸チキンジョージ
    10.25 大阪キャンディーホール
    10.26 京都磔磔
    10.27 名古屋ELL
    11. 2 中央大学
    11.17 埼玉会館
    12.27  新橋ヤクルトホール
1986. 1.11 浦和ナルシス
    1.15 豊川かごやはうす
    1.16 大阪キャンディーホール
    1.17 京都磔磔
    1.18 神戸チキンジョージ
    1.19 名古屋ELL
    1.25 渋谷エッグマン
    3.15 横浜ビブレ21
    3.22 豊島公会堂
    3.23 豊川かごやはうす
    3.24 大阪キャンディーホール
    3.25 神戸チキンジョージ
    3.26 京都磔磔
    3.27 名古屋ELL
    3.29 渋谷エッグマン
    3.30 渋谷エッグマン
    4. 5 浦和ナルシス
    4.30 神戸チキンジョージ
    5. 1 京都磔磔
    5. 2 大阪キャンディーホール
    5. 4 豊橋のイベント出演
    5. 6 名古屋ELL
    5.10 浦和市文化センター
    5.13 横浜市教育会館 
    5.25 渋谷LIVE-INN(ゲスト)
    6.12 渋谷エッグマン
    6.13 渋谷エッグマン
    6.14 渋谷エッグマン
    6.29 神戸チキンジョージ
    7. 1 熊本ブルージャム
    7. 2 福岡ビブレ
    7. 4 広島ウッディストリート
    7. 5 大阪キャンディーホール
    7. 6 京都磔磔
    7. 8 名古屋ELL
    7. 9 豊川かごやはうす
    7.10 静岡モッキンバール
    9.11 渋谷公会堂
   10. 1 横浜市教育会館
   10. 6 道新ホール
   10. 7 旭川市公会堂
   10. 9 帯広勤労者福祉センター

 *1〜14 ROCKIN' ON JAPAN 1988.8 
 *A,B    ROCKIN' ON JAPAN 創刊号  株式会社ロッキング・オン発行 より


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