読売巨人軍の時代の終焉

昔、野球=巨人という時代があった。日本が敗戦の痛手からようやく立ち直ってきたころ、テレビは未だ高級品だった。テレビのある家に隣近所から人が集まって、見る番組は巨人戦。皆、巨人を応援した。そのころ、巨人軍は明日への活力であり、未来への希望だった。読売新聞社は系列の情報媒体をフルに使って巨人軍を国民のヒーローに仕立てた。他系列のマスコミも時代の流れに逆らわず巨人を応援した。このころ、巨人軍は日本そのものだった。

その後、未だに巨人は球界の盟主としてNo1球団を自認している。スポーツマスコミにとって巨人が勝つことが正しく、正義の巨人軍対ライバル球団という図式は今も成り立っているだろう。スポーツニュースはどの系列も巨人を中心にし、それに反発すればアンチ巨人になる。結局今もってなお巨人を中心に球界は動いている。

ところが、時代は動いている。かつて正しかったものが今もって正しいとは限らない。鍵となるのは3つ、衛星放送の普及とサッカーの台頭と娯楽の多様化である。衛星放送の普及は地方で巨人戦しか流れないという現実を激変させた。今や日本のどこででもいろんなカードの試合が見れる。今や巨人戦しか見れない=巨人ファンになっていく、といった図式が崩れ去っている。さらにサッカーが流行にも乗って野球を脅かしている。サッカーは地元に根付いた経営を行なっているため、遠くで行なっている巨人戦を見る必要性はもはや全く無い。近くのサッカーの試合を見ればいい。そして、昔は野球が唯一の娯楽だった。しかし今、街を見れば娯楽が溢れ返っている。野球を選ぶ必要性すらないのだ。

いままで、読売新聞社によるマスコミ操作により巨人を中心として野球は発展してきた。野球が国民的スポーツであることを否定することは出来ないであろう。ただし時代は変わっていく。今やマスコミ操作や金権体質といった巨人を大きくしてきたものは野球離れを加速させる材料でしかない。実際、しばらくぶりに巨人が優勝したというのに視聴率は散々だった。これから野球がメジャースポーツとして生き残っていけるかはこういった時代の変化に対応できるかにかかっている。

巨人を見せる時代は終わった。これからは野球を魅せる時代だ。




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