Multiculturalpedia
異なる文化を楽しみながら学ぶ事典

「世界のハッピーバースデイ(世界の誕生日)」

世界の誕生日の習慣ってどんなものがあるんでしょう。どのように祝うんでしょう。やっぱりプレゼントをもらって、ご馳走を食べて、ケーキに歳の数だけローソクを立て、一息で吹き消して、食べるんでしょうか。

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韓国1

  こんにちは。
ちょっとおもしろいことを思い出しましたので、報告します。
<誕生日>
私の通っていた学校には韓国人学生が多く、誰かの誕生日になると一緒にご飯を食べに行ったりしていました。注目すべきは、食事代が
『誕生日を迎えた本人』
の、おごりだということです。日本だと逆... ですよね。誕生日に限らず、おめでたいことがあった時はそうするみたいです。


もしかしてすでに話題になったことがあったら、ごめんなさい。
韓国の方、間違いがあったら訂正してくださいね。では。

 2002年1月24日(木) なまくらさん
    なまくらさん、こんにちは。

「注目すべきは、食事代が
 『誕生日を迎えた本人』
の、おごりだということです。日本だと逆... ですよね。誕生日に限らず、おめでたいことがあった時はそうするみたいです。」(なまくらさん)

 おもしろいですね。どうしてなんでしょう。

 「快気祝い」というのが日本にはありますね、病気が治ったとき、治った本人が贈り物をするアレです。これは見舞ってくれたり、自分のことを心配してくれたりしたことへのお礼ですよね。

 『誕生日を迎えた本人』が日頃から自分のことを大切にしてくれる友人や知人におごるというのは、「友だちあっての私」というお礼の意味を込めて、からかもしれませんね。いろいろ考えて楽しいひとときを過ごしました。ありがとうございました。

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誕生日(オランダ1)

 定期的に拝見していたのですが、なかなか書き込むまでに至らず、「ひろば」参加はご無沙汰しておりました。以前の書き込みもそれぞれのページに掲載していただいているのにお礼が遅くなり失礼いたしました。いつもどうもありがとうございます。

 こちらを拝見していて参加したいテーマがたくさんあるのですが、今日は少し前の Re JOYEUX ANNIVERSAIRE(『万国共通』)の「日本では少し前まで個人の誕生日を祝うのは一般的でなかった」というコメントに思い出した話を書かせていただきます。

 オランダにいた時に習い事のグループのオランダ人女性から「日本では誕生日を祝うの?」と聞かれたので祝うけれど、多分それは西洋の影響で昔は個人の誕生日でなく新年にいっせいにお祝いしていたと私は答えました。
 するとその女性は「そういう風に生まれた日以外にお祝いする例を知っている。」と言って他のオランダ人たちも話に加わりながらこのように話してくれました。
 主にカトリックの国だと思うけど、と前置きをして地域によっては名前にしばしば聖人の名をつけるが、それぞれの聖人の誕生日がちゃんと決まって(わかって?)いるので、そういう所では自分の生まれた日ではなく名付けられた聖人の誕生日にお祝いをするということでした。

 つまり自分が生まれた日が誕生日の聖人の名が付けられた場合以外は個人の誕生日と違う日に祝うということになるわけですね。私にとっては新鮮でとても得した気分になれた話でした。
 この話を知らなかったら例えばそういう習慣の所の人と友だちになって誕生日をお祝いしても、よもやそれが本当に生まれた日と違うかもしれないなんてきっと考えもしません!
 「外国に外国人として暮らして」良かったのはこんな風に自分の国の話が変に驚かれることも無く、むしろそれがきっかけで文化の多様性に慣れている人からオランダや他の地域の似ている点を教えてもらうことが多く新しい興味を喚起されたことでした。

 例えば大晦日ネタもありました。(ちょうど時期なので。)
 オランダ(や近隣国)では大晦日というか新年0時になると
同時に盛大に花火を上げる習慣があります。(個人で大きな
打ち上げ花火を何発も上げたりもします。)
 近所のオランダ人に日本での様子を聞かれて大晦日に除夜の鐘で108の煩悩を祓う話をしたら、この花火にも一年間に溜まった悪霊を大きな音でびっくりさせて追い払うという起源があると
話してくれたのです。何故花火を上げるか(それも景気良く)という理由がひとつ分かってすっきりしたと同時に、案外人間の発想は似ているのか、それとも遡ると同じルーツに辿り着くのかという疑問も湧きました。
 その人は同じ悪いもの祓うのにも12時をはさんで前か後で面白いと言っていました。この時間の違いは何でしょうね???
 日本の誕生日の変化も含めて、私もMulticulturalpediaさんがよくおっしゃっているようにゆっくりと調べたり、忘れたり何かのきっかけでまた思い出したりしながら解る時が訪れるまで頭の片隅に
残しておこうと思います。

 2002年12月9日(月) みやさん
   みやさん、いつもありがとうございます。

「地域によっては名前にしばしば聖人の名をつけるが、それぞれの聖人の誕生日がちゃんと決まって(わかって?)いるので、そういう所では自分の生まれた日ではなく名付けられた聖人の誕生日にお祝いをするということでした。

つまり自分が生まれた日が誕生日の聖人の名が付けられた
場合以外は個人の誕生日と違う日に祝うということになるわけ
ですね。私にとっては新鮮でとても得した気分になれた話でした。
この話を知らなかったら例えばそういう習慣の所の人と友だちに
なって誕生日をお祝いしても、よもやそれが本当に生まれた日と
違うかもしれないなんてきっと考えもしません!」(みやさん)

うーん、おもしろいですね。

ミャンマー(ビルマ)の方が彼の国ではみんな自分の誕生日の曜日を覚えているという話をしてくれたことを思い出しました。この曜日も何かきっと意味があるんでしょうね。この謎も将来解決されることと思います。

「オランダ(や近隣国)では大晦日というか新年0時になると
同時に盛大に花火を上げる習慣があります。(個人で大きな
打ち上げ花火を何発も上げたりもします。)
近所のオランダ人に日本での様子を聞かれて大晦日に除夜の鐘で
108の煩悩を祓う話をしたら、この花火にも一年間に溜まった
悪霊を大きな音でびっくりさせて追い払うという起源があると
話してくれたのです。何故花火を上げるか(それも景気良く)と
いう理由がひとつ分かってすっきりしたと同時に、案外人間の
発想は似ているのか、それとも遡ると同じルーツに辿り着くのか
という疑問も湧きました。」(みやさん)

自分の恋人を、大切な家族を、かけがえのない子どもを、親を、友人を互いに殺されて、出口の見えない泥沼の争いに巻き込まれている方々も、この多文化理解事典を訪れてくださっています。いただくメッセージを読んで、無力さを思い知らされてきました。

みやさんの文章を読んで、なんだか元気が出てきました。

Multiculturalpedia(多文化理解事典)は訪れる方々に、文章の行と行の間から、ページとページの合間から、

"We are they, they are us."(「私たちはぜんぜんつながりがないと思っていた人達と実はつながっていた」)

というメッセージが感じられる事典に育てていきたいと願います。

みやさんにとって2003年がとってもいい年となりますように。
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生まれた日の曜日と名前 タイ1

 ミャンマーと同じく、お隣のタイでも、自分の生まれた日の曜日を知っていると聞いたことがあります。私の知人も皆、知っていました。
また、ガーナでは、生まれた曜日によって、つけられる名前が決まってる(一つだけじゃなく、何種類かあるんだったかな)と聞いたこともあります。だから、名前を聞けば、その人が何曜日生まれか分かるそうです。

 2003年1月11日(土) なおこさん
   なおこさん、いつもありがとうございます。

おもしろいですね。ミャンマー(ビルマ)でも曜日で名前をつけるそうです。名前から何曜日に生まれたか、男性か女性かということがわかると教えてもらいました。曜日によって選ぶ音の選択肢がいくつかあってそこから選ぶそうです。

 「誕生日」「伝統」「曜日」「名前」「習慣」「宗教」などバラバラなものと思っていた1つひとつのものを、繋げている見えない糸が少しずつ見えてきたのを感じます。

 多文化理解のおもしろさのひとつって、きっとここにあるんですね。

 関係がない、繋がりがない、全然別のものだと思われていたことやものが、事象の奥底で繋がっていたり、普通の人には見えない糸で繋がっていたりすることをこの事典は将来きっと明らかにしていけるのではないかと期待しています。

 それはモノだけでなく、コトだけでなく、世界中の人々についても言えることだと思っています。
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誕生日、バースデイソング、床屋さんのくるくる カナダ1

 まず誕生日についてですが、誕生日を祝うという習慣そのものが欧米から入ってきたものなんです。日本ではずーっと数え年だったので、昔はみーんな1月1日が誕生日だったわけです。 誕生日を祝うという習慣がいつごろ入ってきたものなのかがしりたいものですが。 歌が日本語に変化しなかったのは簡単な英語であることも理由の一つでしょうね。
 私は今カナダに住んでいますが、床屋さんのくるくるは見たことがありません。
 見てみたいものです。


 2003年3月17日(月) Eriさん
   Eriさん、Multiculturalpediaの制作にご協力いただき、ありがとうございます。

  昭和の初めか大正の終わり頃生まれた方に伺ったら、「私の子どものころには誕生日を祝う習慣は一般的ではなかった。たいていの家ではやっていなかった。私の家は士族なので例外的にやっていたのだと思う」というようなお返事をいただきました。

 皆さんのおじいさん、おばあさんにぜひ子どものころ誕生日のお祝いをしたかどうか聞いてください。どんなお祝いをしたか、ケーキを食べたりしたか、どんなプレゼントをもらったか、どんなことをしたか、ハッピーバースデイの歌を歌ったか聞いてぜひ教えてください。また、世界中ではどう誕生日を祝っているのでしょう。

 「私は今カナダに住んでいますが、床屋さんのくるくるは見たことがありません。見てみたいものです。」(Eriさん)

 カナダも(すべての州かどうかは今後の展開を待たないと断言できませんが)ないんですね。

 Eriさん、どうもありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。
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誕生日 フィリピン/中国1

「誕生日を祝うという習慣そのものが欧米から入ってきたものなんです。日本ではずーっと数え年だったので、昔はみーんな1月1日が誕生日だったわけです。」(Eriさん)
 これは目からウロコ、でした。

 フィリピンでは(先住民族、ムスリムについては知識がありませんので、キリスト教徒を中心とした地域の一般論ですが)誕生日は本人が感謝の気持ちで周りの人にごちそうするものと聞いています。
(この話を上海出身の中国人にしたら、「中国でもそうですよ」といっていましたので、中国から広がった習慣かもしれないと思ったのですが、中国や東・東南アジアの国々ではどうなのでしょう?)

 家庭でのパーティの場合、厳密に開催時間が決まっているわけではないので、適当に訪問して、本人に挨拶して、家族やほかの客ともおしゃべりしながら大皿料理を取り分けて食べて帰るという感じです。また、招待客でない友達を連れて行ってもかまいません。(私は友達の義理のお父さんの誕生日についていきました(笑))

 町長の誕生日パーティは本人所有の農場の広場のようなところで開かれ、生バンドの演奏でダンスしたり、まるでお祭りでした。誰でも参加できて、食事はもちろん主催者持ち。日本だと法律違反ですよね..
 2003年5月10日(土) 芹菜さん
   芹菜さん、Multiculturalpediaの制作にご協力いただき、ありがとうございます。

「中国や東・東南アジアの国々ではどうなのでしょう?)」
 (芹菜さん)

 どうなのでしょう!ぜひ知りたいと思います。いろいろな文化圏と縁のある方々、ぜひ教えてください!!

 芹菜さんの楽しい文章を笑いながら読んでいる方がたくさんいらっしゃると思います。芹菜さんのおかげでまた新しい扉が開きました。

 芹菜さん、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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誕生日を祝うこと フィリピン/バングラデシュ

 芹菜さんの書き込みを読んで、夫その他、フィリピン在住経験のある知人たちがやはり、「誕生日のごちそうは『本人持ち』」と言っていたのを思い出しました。

 誕生日のお祝いについて、これはちょっといい話ではないのですが・・。
 バングラデシュにいたとき、知人のところの、男の子の一歳の誕生日祝いに招かれたことがあります。一歳の誕生日は、特に盛大にやる習慣のようですが、その翌年も、誕生日には声をかけられました。しかし、同じおうちの、上の女の子たちの誕生日には、なにもないようです。男の子の方が明らかに大事にされているのは、ちょっと残念に感じました。(それで、その男の子の誕生日祝いと合わせ、お姉ちゃんたちにもプレゼントを持っていきました)

 2003年5月10日(土) なおこさん
   なおこさん、いつもありがとうございます。
 貴重なエピソード、ありがとうございます。

 なおこさんの話とちょっと外れて聞こえるかもしれませんが、いつも考えさせられていることを少し書いてみたいと思います。

 タイの家庭に招かれたとき、香り米などをご馳走になり、今でも楽しい忘れられない思い出になっています。詳しい話は省きますが、そのとき、タイでも男の子が生まれることを望まれている(いた)のかな、と思えることを体験しました。タイで実際にそうなのか本当のところはどうかわかりませんが。

 日本や韓国のように、男の子が生まれると大喜びして、女の子が生まれると残念がるというようなことがいろいろな文化圏であった(ある)ように思います。これに対して、さまざまな考え、思いがあるのではないかと思います。

 「文化相対主義」という言葉があります。
 この文化相対主義はほめられたり、けなされたりしています。

 いい意味で使われるときは、
 文化には優劣はない、やり方が違うからといって進んでいる、遅れているといった一直線の途上にそれぞれの文化を位置付けるのは間違いだ、文化はそれぞれが素晴らしい価値をもったものだとする、それが「文化相対主義」だ、などと言われます。

 悪い意味で使われるときは、
生まれながらに身分差がある文化がある、宗教・習慣などの名において為政者、既得権益者が統治の大義名分にしてしまっている、それに対しての批判も許さないなどと言われたり、
 女性に対して教育を受けさせない、衣服を制限する、言葉づかい、振る舞いを規制する、手術を施すなど伝統を大義名分に、男女差別の行為のもととなっている、それに対しての批判も許さないなどと言われたり、
 障害を持って生まれたのは本人の前世の罪によるものなどと障害者差別の元凶と言われたり、他文化への批判はその文化への冒涜だとして悪しき伝統を国際的に支えているものが「文化相対主義」だ、などと言われます。

 これは大変ややこしい問題で、多文化主義もという言葉も同様に、大いにほめられたり、大いに貶されたりしています。この『多文化理解事典(Multiculturalpedia)』が「多文化主義」とか「Multiculturalism」という主義・主張をともなった言葉を可能な限り避けているのも以上のことがあるからです。「多文化(Multicultural)」というのは主義・主張ではありません。事実です。誰もが否定できないことです。しかし、「Multiculturalism(多文化主義)」や「文化相対主義」となると、意見・主義・主張の部分が含まれてくるので意見が分かれるのは当然でしょう。

 これについての話し合いや考えを深めることはとても大切だと思っています。Multiculturalpediaはこの問題だけを大きく扱うことはありませんが、どの項目も実はこの問題のすれすれのところを行き来しています。

 子ども時代に読んだタイムパトロールの話がこれに少し関係しているようにも思います。

 現代から過去に行った主人公が、過去の理不尽な習慣を見て、人々を救うために変革しようとして、タイムパトロールに「歴史を変えてはいけない」と止められる、例のよくある話です。

 「過去の歴史を変えてはいけない」、過去の歴史を変えると、現在生きている私たちが存在できなくなってしまうからです。自分の存在がかかっているから、多くの現代人が賛成することでしょう。でも、人によっては自分たちが存在できなくなってもいいから、もっと幸せな世界になってほしいと過去への介入を肯定する人もいるかもしれません。介入はきりがないような気もするし、何を正しいとするかの基準も問題だと思いますが。

 過去から未来に一直線に発達していく文化でなく、現在私たちがいるのは、異なる文化が、現代という同じ時代にいくつも共存している世界です。

 テレビやラジオや新聞や映画や歌やドラマや演劇や小説や商品を通じて、世界中のほとんどの文化が他の文化の影響を日夜受けています。鎖国をしない限り、いや鎖国をしても外界からの影響を断つことは難しい時代に来ているように思います。

 Multiculturalpediaを通して、じゃんけんを知らない世界にじゃんけんが入っていくことはいいことかどうか、という議論が私たちの間で起こったことがあります。実はこの事典のあらゆる項目が世界を変えるきっかけとなる項目ばかりなのです。

 Multiculturalpediaは世界のそれぞれの文化を尊重したいと思います。文化には優劣がない、さまざまな文化は一直線の尺度で、進んでいる、遅れていると判断されるものではないと思います。それと同時に、Multiculturalpediaはどの文化圏の人々にも本当の意味で不幸でなく、幸せになってもらいたいと思います。しかし、どれを幸せで、どれを不幸、どれを善で、どれを悪と捉えるかも、政治体制、宗教、人間観、人生経験によって異なってきます。

 だから、Multiculturalpediaは事実の収集を積み重ねていき、その事実をもとに世界中の皆さんと一緒に知恵を出し合い、これからの道を見つけて行きたいと願っています。

 これはとても難しい、複雑な問題で、Multiculturalpedia(多文化理解事典)を創りながら、絶えず私たちが頭を悩ませている問題です。

 1つの事に対し、さまざまな文化圏でいろいろなアプローチの仕方がある、ということをこのMulticulturalpedia(多文化理解事典)は伝えて行きたいと思っています。今までこれだけしかないと思っていたやり方に、これ以外のやり方もあるんだと知り、従来の自分のやり方は新たに知ったいろいろなやり方とどう違うのかとか、このことはどういう意味があるのかと深く考えるきっかけとなるような事典に育てていきたいと願っています。そしてその人(その文化)がこれからどうしていくかはその人(その文化)が決めていくことだと思います。当然、他の文化圏の人々も意見を言ったり、提案したりすることもいいことだと思います。しかし、力を背景に価値観や行動を押しつけたり、習慣を改めさせたりするのはちょっと違うと思います。あくまで、提示された選択肢から主人公が自由意思で選ぶべきだと思います(ここにも複雑な問題がからみますが)。

 さりげないなおこさんの行動に共感を持ちました。
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