Multiculturalpedia
異なる文化を楽しみながら学ぶ事典

「日本の古典を異文化の視点で読む(源氏物語)」

カウンター設置2007年5月27日
  今スタッフの間で、源氏物語を多文化の視点から読んでみようという話が出ています。世界という横の線と歴史という縦の線の十字路が私たちのいる「今、ここ」です。Multiculturalpediaは過去の人々にも未来の人々にも、地理的に近い人々にも遠い人々にもつながったものでありたいと考えています。1000年前の紫式部が描いた世界も人間を理解するリソースとして大切にしたいと思っています。

 源氏物語では贈り物はどう扱われているのでしょうか。歌を贈ったり、贈られたりするということは今ではあまり行われませんが、どういうことだったのでしょうか。

 源氏物語を端緒に、いろいろな旅が始まりそうです。ぜひMulticulturalpediaの作成に、源氏物語が大好きな方々の発見を加えさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

NEW
源氏物語は

 中国版と日本語版とも読みました。異文化の人のはずですが、何故か違和感と不思議は感じていません。小説だと思って読んだから?深く考えもしなかったから?いい物語はどこでも共感されるのでは?

 2003年8月13日(水) 寄り道さん
   寄り道さん、Multiculturalpedia(多文化理解事典)を訪れてくださって


 そうですね。人の心の深い動きをつかむことに成功した物語は時代や地域をこえて、人の心を魅了するのかもしれませんね。その時代、地域だけにウケルものと、時代、地域を超えて残るものの違いでしょうか。

 服装にも毎年変わっていく流行があります。数年前の流行はなんとも古くさく見えて新しいものがカッコよく見えるものです。でも、時代をこえて人の心を打つ服装というものもあるように思います。建物などの建築などもそうですね。古い建物などに新しさを感じることがあります。これも人々の心の奥底にまで響くデザイン作りに成功したということでしょうか。

 それとは別に、源氏物語を読んでいて、「おやっ」と思うことが同じ地域に住むわたしたちにもあるんじゃないでしょうか。

 枕草子にも源氏物語にも「恋」という言葉は出て来ても「愛」という言葉は出て来ません。当時は現在の意味で使われる「愛」という言葉はなかったからです。源氏物語が現代語られるとき、必ずといっていいほど出て来る「愛」が出て来ないというのはおもしろいことだと思います。当時の結婚観、恋愛観、女性観、男性観、人生観、宗教観なども読んでいてきっと「おやっ」と思うところがあるんじゃないでしょうか。それには現代語訳と原文を一緒に読む必要があるかもしれません。当時無かった言葉が訳文では使われていたり、当時の考え方や風習でわかりにくいものは現代の似たものに当てはめて変えてあるかもしれないからです。

 室町・戦国時代に日本にやってきたポルトガルの宣教師は、現代では「神の愛」と訳されている言葉を日本語で「神の愛」とは訳さなかったそうです。日本語の神は八百万の神で、唯一のものではありませんが、キリスト教の神は唯一絶対の神なので、誤解を呼ぶ日本語の「神」は使わず、「でうす」をそのまま訳さずに使いました。当時「愛」という言葉は現在と違い、仏教で避けるものとされている執着、男女間の愛欲の意味で使われていました。それを「神の愛」などと言ってしまったらゲラゲラ笑われたり、とんでもない誤解を受けてしまうので、知恵を絞って、「愛」を「お大切」と訳したそうです。

 源氏物語を読みながらそういうことも楽しんでみたいと思います。

 寄り道さん、ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

 えっ!?ちょっと待ってください。中国語版も読まれたんですか。スゴイですね、寄り道さんは。
Multiculturalpedia
多文化理解事典
戻る
 「日本の古典を異文化の視点で読む(源氏物語)」についてのご感想(一言でも)、情報など何でも、ひろばに寄せていただければありがたく存じます。

Home