Multiculturalpedia
異なる文化を楽しみながら学ぶ事典

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら
 美人は得か損か」
   「美人」は得か損か、読み進んでゆくうちに考え方が変わってゆきます。
NEW
日本1、アメリカ1、西洋1

   日本では「高い鼻」はかっこいいことですが、アメリカでは逆にかっこ悪いことのようです。

 その昔、パックマンというゲームを日本からアメリカに持ち込むに当たって、鼻のとがったマスコットキャラクターの絵が「アメリカでは好かれない」
という理由で鼻を低く描き直されたそうです。

 思えば、日本では鼻の高い天狗は怖れ多い存在だけど、西洋の童話「ピノキオ」は悪いことをして鼻が長くなりますもんね。
他の国ではどんな「鼻」がかっこいいんでしょう?

 2001年1月4日(木)ササさん
    ササさん、Multiculturalpediaの制作に加わってくださってありがとうございます。

 「鼻」についての話題、楽しく読ませていただきました。

 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら 美人は得か損か」と題して、新しいページを作らせていただきます。

 この「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら」では、人々を悩ませてきた「美人は得か損か」ということもさまざまな角度から考えたいと思います。

 日本人が自分のことを言うとき、例えば「(私は)浦島太郎と申します」と言うとき、無意識に鼻を指さして言いますね。これは日本語に馴染んでいない人たちから見ると、「鼻」=「浦島太郎」と誤解されることがあります。

 日本語話者が自分を指すとき鼻を指すのは理由がないことではなく、江戸時代などの近世の時代には「(この)鼻」というのは男の人が「自分」のことを指す言葉だったそうです。いまは「この鼻は浦島太郎と申します」などとは言わなくなっただけということです。普通の古語辞典に出ていることなのでぜひみなさんも読んでみてください。

 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は大きく変わっていただろう」という有名な言葉を思い出しました。あれ、日本でなくとも「鼻が高い」「低い」と言っていたのかなという疑問を持ちました。

 芥川龍之介の『侏儒の言葉』では「クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、世界の歴史はその為に一変していたかも知れないとは名高いパスカルの警句である」と紹介されています。

 クレオパトラ七世はカエサルとアントニウスをとりこにしました。クレオパトラの美貌に夢中になった、この二人の王が書き換えた国境線も変わってくるという意味でしょうか。

 Blaise Pascalの『PENSEES』では本当はどう言っているのでしょうか。それは原文を見てみるのが一番いいのですが、見つけることはできませんでした。かわりにその英文訳(translated by W. F. Trotter)を見てみましょう。

Cleopatra's nose: had it been shorter, the whole aspect of the world would have been altered.

 クレオパトラの鼻: もしそれが現実の彼女の鼻より短(低)かったら、世界地図(この世界の地表の全て)が塗り変わっていただろう。

  原文のフランス語でも「低い」を使っていたかどうかはわかりませんが、低かったら美貌が損なわれていたと言いたかったようです(『PENSEES』が言いたかったことは他にあるのですが[このことは後に書きます])。とすると、西洋でも昔は「鼻が高い」ことは美人を指していたのでしょうか。

 和英辞典をあたってみると、「鼻が高い・低い」には high, lowを用いず、long(big),short(small)を使うとあり、高いことがことさらよいとはされていない、問題にされていないといったことがいくつかの辞書に書かれていました。

 動物によって違う言い方をするという点もおもしろく感じました。a muzzle(犬・馬など); a snout(豚などの); a trunk(象の)[the New Anchor Japanese-English dictionary Gakken]

 日本語教育で名高い「ぞうは鼻が長い」(三上章)はこれからすると、As for the elephant, it has a long trunk.となりそうですが、象の鼻は長いのが当たり前だから、The elephant has a trunk.となるのでしょうか。

 日本ではどうして「鼻が高い」ことが誇らしさや自慢を象徴するようになったのでしょう。中国やKoreaの影響でしょうか。鼻が低い人が多いといったことも関係してくるのかもしれません。また、昔の偉い人で鼻が高い人がいたのかもしれません。

 天狗は高慢な者がなるとか、天狗は高慢な存在だと言われてきたことから生まれたのかもしれません。いずれにしろ、「鼻が高い」「鼻高々」「鼻をへし折る」という言葉が当たり前のように使われるようになる前に「鼻が高い」=「誇らしいこと」「誇っていること」という共通理解になるような人物、説話があったように思われます。

   『パンセ』でパスカルが言いたかったことに戻りましょう。
世界ではあのフレーズだけが有名になっていますがその前後があるのです。

 『パンセ』でパスカルはこう語ります。

162. 人が生きていく空しさ、馬鹿馬鹿しさをよく知るには、恋愛がどうして起こり、どうゆう結末を招くかという「恋愛の原因と結果」に目を向けることだ。人は気がついたら恋に落ちている、その原因は「何がなんだかわからず(当時流行った劇のセリフ)」、その結果は恐ろしいものだ。この恋の原因、きっかけとなる「何がなんだかわからず」は、気がつかないほどささいで取るに足らない、小さなことなのだけど、その恋の結果は、けっして小さなモノとは言えず、国家の全土をも、王達をも、軍隊をも、そして全世界をも動かしてしまうほど大きなものとなってしまう。

162. He who will know fully the vanity of man has only to consider the causes and effects of love. The cause is a je ne sais quoi (Corneille), and the effects are dreadful. This je ne sais quoi, so small an object that we cannot recognise it, agitates a whole country, princes, armies, the entire world.

クレオパトラの鼻:
それがもう少しでも低かっただけで、全世界の領土が今とは様替わりし、歴史は変わっていたことだろう。

Cleopatra's nose: had it been shorter, the whole aspect of the world would have been altered.

163.馬鹿馬鹿しく、空虚でむなしいこと--恋愛の原因と結果:クレオパトラ

163. Vanity.--The cause and the effects of love: Cleopatra.


 では、そのクレオパトラ七世自身は幸せな生涯を送れたのでしょうか。
 世界史上で美女とされてきた、クレオパトラ(Cleopatra VII)、楊貴妃(Yang Guifei)の生涯をカンタンに振り返って見ましょう。

 その時その時の将来性ナンバー1の、カエサルとアントニウスらをクレオパトラ七世はとりこにしました。彼女の最期は自害でした。39歳でした。彼女の子どもたちはすべて殺されました。

 楊貴妃も時の権力者、玄宗皇帝に愛されました。彼女は38歳で殺されました。

 翻訳版を充実させて、世界中の人たちとああでもない、こうでもないと語り合っていきたいと思います。

 ササさん、今後ともどうぞよろしくお願いします。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る


NEW
美人は得か損か -1-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   果物や野菜や肉や魚を選ぶときでも見た目で選ぶ人が多いですよね。それとおんなじなんじゃないでしょうか。

 傷んでいたり、腐っているモノは外見からわかるときがあり、それを避けることができるというメリットがあります。

 でも、曲がっているキュウリ、形の悪いかぼちゃが栄養が無いか、おいしくないかと言えば、そうは言えないところがあると思います。

 外見だけでは中身を判断できないことは、農薬漬けのキレイな野菜や果物、スーパーで売れ残りの肉に鮮度をごまかす薬を吹きつけ、赤く見せた肉のニュース報道を見てもわかります。中身が違うのにだまされてしまったり、本当はより価値のあるものを見逃してしまったりすることがあるように思います。

 見た目で選ぶのは楽で、選ぶ時間を短縮できますが、最上の方法ではないと思います。節約できた時間と労力を使って、見た目だけでない視点でもう一度選べるといいと思います。
NEW
美人は得か損か -2-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   若い男の子の無思慮で、露骨な美人優遇、ブス冷遇がどんなに女の子の気持ちを傷つけることか。

 そういった思春期の男の子達は女の子の気持ちがわかる余裕なんてないのだからと許せたとしても、そんな「差別」に乗っかって、傷ついている同性がいることを知っていても「美人」であることを活用する同性に対しては、疑問に思ってしまう。

 人の気持ちのわからない「美人」はもったいないと思う。

 また、若い男性でなく、いい歳をした男性が美人ばかりをちやほやして、他の女性を無視したりしていると、ガッカリしてしまいます。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る

NEW
美人は得か損か -3-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   人の力には、2つあると思います。

先天的にもっている能力(後天的には持てない能力)と、後天的に身につけることのできる能力。

 後者の後天的に身につけた能力には、努力で身につけた資格、学力、苦労することによって身につけた不屈の精神力、トレーニングによって身につけた体力、スキルなどが挙げられます。

 先天的な能力には2種類挙げられます。スポーツとか音楽とか勉強の天分といったモノ。その人に生まれながらに備わったモノ。モーツアルトはその生まれながらの才能を磨いて美しい曲を次々に創り出しました。スポーツ選手が天性の才能を磨いて、オリンピックで活躍する姿もコレで、人間の可能性、素晴らしさを表現しているようで人々の心を打ちます。これをAタイプと呼びましょう。

 先天的な「能力」のもう1つが次に挙げるものです。親が社長といったコネとか、親が土地の保有者、資産を持っている、貴族の血をひいている、お茶やお花や落語家、歌舞伎などの世襲制の分野の師匠の子どもに生まれる、というものです。これをBタイプと呼びましょう。


 美人を先天的なモノとすれば、AタイプとBタイプ、どちらに入るのでしょう。

 Aタイプは個人的なモノ、Bタイプは親が必ず関与するモノと見れば、「美人」という力はAタイプに属するように思えます。


 でも、ちょっとひっかかることがあります。Aタイプのモノはライバルからは憎まれることがあっても、世間から憎まれることはあまりないように思います。モーツアルトをサリエリが憎んでも、一般の人は彼の作曲を愛します。長嶋を野村が一時期憎んだことがあったとしても、一般の人はミスターを愛し続けています。

 反対に、Bタイプの人は「本当の力は無いくせ」にとばかりに、「親の七光り」とかコネということを理由に軽蔑の対象となったり、妬み、やっかみの対象になったりすることが多いように思います。

Aタイプのはずの「美人」は「本当の力は無いくせ」に、と攻撃される側に回る部分も多いように思いますがどうでしょう。

 「親の七光り」、「コネも実力のうち」といったようにBタイプの力をその人の力の1つとして認める視点があります。それでゆくと、「美人であることは得なことで当たり前でいいこと」となるでしょう。でも、これが一般的でなく「美人であることを利用することはずるいこと」という見方が強いのはどうしてでしょう。

 多くの人が彼、彼女を選ぶ基準を「やさしさ」「思いやり」など内面的なモノを挙げます。「顔」とか「美人」「イケメン」で私は選ぶと言うと薄っぺらに聞こえるのはどうしてなんでしょう。正直でないとゆうことに思えますが。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る

NEW
美人は得か損か -4-

   

 いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


    美人論・不美人論・ブス論というように
美醜は女性について主に語られる。
男性の場合もそれが語られることもあるが
女性の場合よりもずっと少なく弱い。

 その理由は何なのだろう。

 1つは人を評価する物差しが
女性を評価する尺度が
社会的に活躍する場が与えられてきた男性よりも少ないこと。
外見重視の傾向を持っていること。

 もう1つは社会を動かしている男性という性への評価は多重構造であること。仕事ができる、話がおもしろい、スポーツができる。

 女性は社会進出がまだ阻まれているので結局美醜がウェイトを占めてしまうことになるのではないか。

NEW
美人は得か損か -5-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   今までの日本では美人は圧倒的に得だったと思います。

 社会で活躍する機会が多い男性はさまざまな尺度で評価されてきました。容姿などの外見だけでなく、問題解決力などの能力、社交性などの性格、ゴルフなどの特技などから評価を受けることができます。 

 ついこの間まで社会に出る機会がほとんどなかった女性を結婚相手として選ぶ条件としては、今までずっと言われてきたように、料理などの家事が上手か、良妻賢母・家庭的な性格かどうか、生け花・お茶・ピアノなどの習い事ができるかなどでした。そこに美人かどうかが大きく関与していました。

 配偶者として男性を選ぶ基準としては、その人の将来性、就職した会社の安定性、性格、健康が重視され、イケメンかどうかは二の次にされました。

 女性に生まれても男性に生まれても同じチャンスを保障しようとする、スウェーデンのような社会でも「美人」ということの価値は同じなのでしょうか。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る

NEW
美人は得か損か -6-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   「美人」という「力」には、3つあると思います。

根っからの美人の人。こうゆう人は生涯美人でいられます。

そして、もう一人はその人がいると場が楽しくなる、和む、やさしくなれるという心の美しさを持った人、コレには後天的と先天的の場合があると思います。

そして、旬の時にある人。このときはその人の生涯で誰でも一番美人のときです。花でも何でもその旬があります。その時が一番美しいのです。
NEW
美人は得か損か -7-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   美人だったり、可愛かったりすると、周りが大切に扱ってくれる。困っていたらすぐに手伝ってもらえる。仕事でミスしても「いいよ」と言ってもらえる。できないことは親切に教えてもらえる。

 いつも大切にされるから、性格が素直でいられる。にこやかでいられる。
NEW
美人は得か損か -8-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   美人は、同性から「美人」というそれだけの理由でキラワれることがある、その人が何にも悪いことをしていないときでも。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る

NEW
美人は得か損か -9-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   人の容姿は歳とともに衰えていく。どんな美人の「キレイ」も「若さ」にはかなわない。

 美人でない人は最初から過度に親切を受けないで人生を過ごすので歳をとっても扱いはそれほど変わらず大きな苦痛はないが、
美人は若いころはちやほやされて蝶よ花よと扱われてきたため、歳を重ねていくうちにだんだん周囲がかまってくれなくなるのをショックに感じ、普通の人以上に老いることが残念に思われるのじゃないか。

 「美人な人」は普通の人よりも歳を取ること、老いることを怖れる。
NEW
美人は得か損か -10-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   美人と一緒にいるとワクワクしたり、ドキドキしたりする男性が多いのは、イケメンと一緒にいるとワクワクしたり、ドキドキしたりする女性が多いのと同じだろう。

 美人かどうかは別にして、
その人といると心が和む、ほっとする、楽しくなる人っている。

 反対に、とっても美人なのに、イライラさせられたり、腹が立ったり、イヤな気分になったりする人もいる。

 そんな美人が好きな男の人は多いが、美人でもそんな女性は好きでない男性もいる。
NEW
美人は得か損か -11-

   いろいろな方々からいただいたさまざまな意見を1つひとつ紹介してゆきます。これらの意見はMulticulturalpediaとしての意見ではありません。


   いつまでも美人な人っている。

Multiculturalpedia
   異なる文化を楽しみながら学ぶ事典
戻る

NEW
美人は得か損か -12-

    これはMulticulturalpediaの意見です。


その人が今日一日、今を
自分のいる所で
最高に自分の最善を尽くして生きよう
としていれば
それは
いろいろな姿を持つその人の中で
一番まぶしく輝いている姿です。

その姿は
その人の一番美しい姿です。

落ち込んでいる人や
つらい思いをしている人を
支えたい、元気づけたいと思っている人は

いつも
自分に縁がある人(これはあなたと出会う人全員という意味で)が
最高の笑顔で幸せでいられるように
願って行動している人は

どんな美人よりも
見る目を持つ人からは
まぶしく輝いて見えます。

NEW
美的感覚

あんまり関係ないかもしれませんが。。。
 以前、カナダの東のはずれの田舎を訪ねたことがあります。住人はほとんどまったく白人ばかりで、長い黒髪をした私が珍しくてたまらなかったらしく、道を歩くと視線がずっと追ってきます。レストランに入ると皆が振り向き、会話がぴたりと止まります。あげくのはてには、10歳くらいの天使のように美しい女の子にじっと見つめられ、「その髪の毛を一本くれないか、あなたのようにきれいな人は見たことがない」と言われました。
 人生でこれほど自意識をくすぐられた経験はあとにも先にもありません。
 私はまあ、そうですね、思いっきり自信のある日にいい具合の照明の下で鏡を見れば10人並みでしょう。でも、希少価値というか、「見慣れない「という要素が物事の感じ取り方にいかに大きな影響力を持つか、肌で実感しました。
 異文化理解が相互誤解になることがありますが、それはこういう事情によるものなのかも。

 2002年12月23日(月) 葉子さん
   葉子さん、Multiculturalpediaの制作にご協力いただき、ありがとうございます。

興味深く読ませていただきました。
何かこれが始まりになるような予感がします。すぐには話が展開して行かないかもしれませんが。

おもしろいですね。考えさせられました。よくわかるような気がします。
同じような体験をした方もいらっしゃるかもしれませんね。

話はちょっと飛躍しますが、新年なので飛躍はお赦しください。
このMulticulturalpediaをつくりながら、このサイトを訪れた方がいきいきとして、訪れた後で輝いて、いろんなことにチャレンジしたくなるような元気を届けられたらいいなと思います。

同じ人でも、輝いて見える時も、くすんで見えてしまうときもあると思います。
このサイトを訪れたら、活き活きして美人に、ハンサムに見えるようになる、といったことが起こるサイトにしていきたいなと思います。


ミララシシドシーラソー
ドファファソソラソーファミー

というメロディーが流れたころ、2002年の紅白は最高視聴率を記録したといいます。

またこの歌がオリコンで初チャートイン(00年7月31日付、15位)から130週もヒットチャートから落ちないで、それどころか首位を獲得したのはオリコン始まって以来の新記録だそうです。


彼女の歌詞にはこんなフレーズが現れます。

「風の中のすばる」
「砂の中の銀河」
「草原のペガサス」
「街角のヴィーナス」
「崖の上のジュピター」
「水底のシリウス」

「すばる」は清少納言が「星はすばる」と絶賛した星、ペガサスはペガサス座の、ヴィーナスは金星、ジュピターは木星のことでギリシア語ではゼウスのこと、シリウスはおおいぬ座の星で、全天で最も明るい(太陽を除く恒星で一番、ギリシア語で「焼き焦がすもの、輝くもの」)、どれも文字通りスター中のスターです。

星は自分達の世界から遠く離れたところにあるだけでなく、人々の目に入りにくいが、自分達のとなりにも、ペガサス、ヴィーナス、ジュピターなどがいる。

NHKの番組プロデューサーの依頼でこの歌を作り、歌っている彼女はこう語っています。

「曲作りにあたっての注文は、「無名の人々の光を、歌にしてください」とのことでした。番組に登場する、実在の方々の人生に尊敬を込めて、制作スタッフの情熱に少しでも添うことができればと願いながらこの曲を書きました。」

今まで一般の人々のレベルでこうまで普通の市井の人々を評価しようという動きを経験したことはないのではないでしょうか。彼女の功績は大きいと思います。戦国時代は豊臣秀吉、織田信長、徳川家康しか注目に値する人がいなかったかのごとく語られていたのが、急に傘をはらしたら右に出る者がない八っつあん、頑丈な長屋をつくる熊さんにまでスポットライトが当たったかのようです。

「地上の星」が歌う星たち、風の中のすばる、砂の中の銀河、草原のペガサス、街角のヴィーナス、崖の上のジュピター、水底のシリウスは、本当は偉業を成し遂げた特別な人だけではなく、普通に自分の命を生きた人のことも歌っていてくれたら、と思います。

苦手な数学の問題に取り組んでいる高校生。生徒に少しでも楽しく、わかりやすく学べるよう、夜遅くまで教案を書いては消している先生。反抗期の子どもにじっと耐えて、おおらかに包んでやろうと心掛けている親。お客さんに満足してもらえるよう努めている店員、新年からジョギングを始め、つらくなってきたけれどがんばろうとしている人。友だちが喜ぶプレゼントを一生懸命考えている人。年賀状に一筆心を込めてその人だけへのメッセージを入れる人。

Multiculturalpediaは訪れた人、一人ひとりが自分が実は地上の星だったと思い出せるようなサイトを構築したいと願います。訪れる人が本来の輝きを取り戻せるサイトとしていきたいと願います。
 「世界のクレオパトラの鼻がもう少し低かったら 美人は得か損か」についてのご感想(一言でも)、情報など何でも、ひろばに寄せていただければありがたく存じます。

Multiculturalpedia(多文化理解事典)に戻る