Multiculturalpedia
異なる文化を楽しみながら学ぶ事典

「世界のノー・プロブレム!(インシャラー/IBM)」
「気にしないで」はこっちのセリフのはずなのに!?
 「気にしないで」「大丈夫」って、それって、こっちが言うセリフじゃない!?
 どうして迷惑をかけたほうが私に言うの?それって、反対じゃない???

 でも、迷惑をかけてニッコリ微笑んでいる相手には悪びれた様子はぜんぜん見えない。ここにはこっちにはわかりにくい秘密がありそう。そっちには秘密でもなんでもなく当たり前のことで、こっちにはなんとも理解しがたい理由が。

 『えっ、どうしてそっちが「気にしないで」って言うの』という納得できない体験談をぜひお寄せください。みんなでその理不尽さを共有して考えてゆきたいと思います。なにとぞよろしくお願いします。

 複雑でビミョーな問題だから、とこのページの制作をためらっていたスタッフの背中を押してくれたのはMeeraさんとなおこさんからのこんな提案でした。

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『ノー・プロブレム!』インドネシア1、タイ1、ケニア1、バングラデシュ1

インドネシアに暮らす友人から「ジャム・カレット」の話を聞きました。ジャムは時間、カレットはゴム、という意味のインドネシア語だそうです。「伸びる時間」つまり、正確な時間にこだわらない。ちょっとの遅れは「ノー・プロブレム」です。
ちなみに、この「ノープロブレム」、インドネシア語では「ティダ・アパ・アパ」と言ったと思います。
タイでは「マイペンライ」でしたっけ?ケニアでは「ハクナ・マタタ」、バングラデシュでは「オシュビダ・ナイ」・・。
世界のあちこちで、同様の意味の決まり文句があるのではないでしょうか?知りたいような気がします。



 2002年12月2日(月) なおこさん
   なおこさん、いつもありがとうございます。

この話題もとても楽しいですね。

『世界のNo problem』についてぜひあなたの体験談、エピソードをお寄せいただきたいと念願します。



 日本語では"No problem"は何に当たるでしょうか。

すごいパンチを受けて、レフリーに試合を続けるかどうか聞かれて「大丈夫。OK」
授業中に寝ていて、椅子から転げ落ち、先生に「大丈夫か?どうした?」と聞かれて「なんでもありません」
コーヒーを私のスーツにかけてしまって恐縮している相手に「気にしないで」
アポイントメントの時間の変更をお願いされたときの「ぜんぜん問題ない」
「これ、お借りしてもいいですか」と聞かれたときの「かまいませんよ」
「これはこれはありがとうございます」に対する「どういたしまして」
などといったところでしょうか。

タモリの『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」のコーナーで、「明日来てくれるかな(予定は大丈夫かな)」のようなことに対する"No problem"は「いいとも!」と訳すんでしょうね。



 世界のいろいろなところにこの表現があるようです。そしてビミョーにニュアンスが違うためにあちこちでとまどいや誤解が生じているようで以前からいつか本格的に取り上げなければならないと思っていました。しかし、難しい問題を含み取り扱いかねていました。今回のなおこさんからいただいたお書き込みで決心がつきました。Multiculturalpedia(多文化理解事典)の原点である、相互理解を目指すため、勇気を出してこのトピックでページをつくりたいと思います。

訪れる方々にとって大変興味深く、考えさせられるページとなると思います。スタッフもずっと考えつづけている話題で、これからの世界中の私たちにとってとても大切なことだと考えています。

いくつかの情報を載せられるようにできるだけ早く今までいただいた情報の掲載許可をそれぞれの方々からいただこうと思っています。

なおこさん、ありがとうございました。このページはいろいろなことを考えさせられるページとなると思います。

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インシャラー1

   Here is a new thought to think and share: In the Middle East they say Inshallah, to mean, as God wills or nearly so. What do they say in Brazil? Or Japan or Thailand or Korea....hmmm..someone tell me about Brazil first...

 「みなさんと話し合って考えを深めることができれば、と思っているトピックがあります。中東ではインシャッラーという言葉を口にします。これは「神がお思いになるように」などといった意味ですが、ブラジル、日本、タイ、Korea・・・ではこういった言葉をどう表現するでしょうか、うーん、そうですね、まずブラジルではどうか教えてください。」

 Tuesday, November 13, 2001 Meeraさん
   Meeraさん、ありがとうございます。

Inshallah(インシャラー、インシャッラー)は直接的には"No problem"は関係ありません。しかし、私達の旅はここから始まりました。

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インシャラー2

  このメッセージをいただいてからずっと「インシャッラー」に当たる日本語の表現場面を考え、多くの方達に相談してきました。まず「インシャッラー」について自分たちがあまりにも知らないためにまず知ることから始めなければならない、というご指摘をいただきました。いつ、どんな場面でこの言葉を使うのか、そこから始めなければ、ということになりました。



 東京新聞のカイロ支局の記者、島田佳幸さんが「インシャッラー」についてこんなことを書いています(東京新聞 2001年11月15日)。

 カイロに赴任して二カ月ほどたったころ。船便で送った荷物がやっと届くと連絡を受けたが、夜になっても着かない。業者の言葉を思い返した。「午後四時には着きます、インシャッラー」

 インシャッラーは「もしアッラー(神)がお望みなら」という意味だ。待ちわびて、私はいぶかった。インシャッラーは、もしや「四時に」ではなく「着く」に掛かっていたのか…。結局、トラックは来た。夜中の十二時に近かった。  イスラム教徒は、未来のことを口にする時、必ず、この言葉を言う。従って職場を退ける時も「じゃあ、また明日、インシャッラー」。確かに未来は不確かである。四時の予定が十二時になることもある。また明日会う、ということさえ、当たり前のことではない。

 「アルカマール・リッラー・ワハド」という言葉もある。例えば、だれかが「失敗なんて絶対にしない」と自慢するわきでこそっと、ささやくのだ。カマールは、完全や完ぺきなどを意味する、九十九ある神の名の一つであり、この言葉は「完ぺきなのはアッラーだけ」といった意味である。

 また、どんなえらいイスラム教の聖職者でも宗教上の判断を求められて答える時、自分の答えが絶対正しい、とは言わない。「アラーフ・アーラム」、すなわち、私の答えはこうだが、本当に正しいかどうかは「アッラーのみがご存じである」と付け加えるのだ。

 人間に分かること、できること、コントロールできることなど、たかがしれている、人間がやることに絶対などない、という考え方が、イスラム教徒の日常を支配しているのである。  コーランはもっと明りょうに言う。「人に対して高慢におまえの頬(ほお)を背けてはならない、また、横柄に地上を歩いてはならない。まことにアッラーは、うぬぼれの強い威張る者をめでたまわぬ」(ルクマーン章)
(後略)



 自分と考え方が異なる人を嫌うことほど簡単なことはありません。自分達と異なる文化や食事をけなすことほど簡単なことはありません。自分の考え方、見方、文化を相手のそれより上だと思い込めばいい、だけのことですから。
 理不尽だと思うことに出会ったり、意外なことに出会ったりしたとき、人は自分を守るために相手を否定することがあります。それはやむを得ないことと思います。仕方がないことだと思うから、よけいにそうでない人を見ると尊敬の念をおぼえます。この東京新聞の記者は相手を否定してしまわないで、どうしてだろうと、ご自身の常識、考え方を越えたものについて考え、辿り着いたところまでの地図を読者に手渡してくれています。
 東京新聞にはこんな素敵な記者がいらっしゃるんですね。前に進んでいき、壁に突き当たって途方に暮れていた私達は、このエッセイを読むことができて、壁にある扉に気がつきました。そして、その扉を開けると、(以下に続きます)。

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「IBM」1 

 「昔、IBMという言い方をきいたことがあります。」櫻田さんから教えていただいた。

 「IはInshallahで、」B,Mは昔のことでちょっと思い出せないとのことでした。櫻田さんは社会経験が豊かで、お尋ねするとほとんどなんでも答えてくださり、Multiculturalpediaの作成でもいつも頼りにさせていただいています。



 四戸潤弥さんという方の書かれた『イスラム世界とつきあう法』(東洋経済新報社)の中に、こんな一節があります。

☆★☆
 「インシャーラー」の意味は「神が望めば」ということで、アラブ人が約束したり、相手に催促されたりする場合に使用されるケースが多い。この文句を、約束を守らないアラブ人の言い訳と受け取る日本人は多い。
☆★☆

 Multiculturalpediaのスタッフもそのような話をよく聞いたことがあり、そういった文章をよく読んだことがあります。四戸潤弥さんはさらに文章を続け、例の「IBM」に触れます。

☆★☆
 アラブ人の生き方を、コンピュータの世界的メーカーIBM社にひっかけて、アラブ人はなんでもIBMだといった人はすごいと思う。Iは「インシャラー」、Bは「ブクラ」(明日ね)、Mは「ムムキン」(できるでしょう)で、アラブ人は約束を守らないという実体験に裏打ちされたキャッチフレーズである。
☆★☆

 ここまでの文章なら今までもよく読んだ、聞いたたぐいの話です。ここから四戸潤弥さんはさらに話し続けます。

☆★☆
 だが「インシャラー」といわれて、多くの約束が実行されたという経験もまた多くの日本人がしているところだ。「インシャラー」は「人事を尽くして天命を待つ」という意味に対応するもので、本来いい意味であっても、けっしていい加減な表現ではない。
☆★☆

 四戸潤弥さんは「私たち」と「彼ら」、WeとTheyに分けて人を見ようとせず、文字通り、あなたも私も同じ人間と見るお方なんだと感じます。四戸潤弥さんはさらに言葉を続けてこう締めくくります。

☆★☆
 イスラム教徒でなくても、人間の能力を越える超越的な力を信じる人ならインシャラーというように心がけてもいいのではないだろうか。
☆★☆

 今や世界の一地域で起こった出来事が世界全体に影響する時代になりました、知る必要があることを知りたい、そんな意見が飛び交う中でスタッフの間ではこの本は評判になりました。いろいろな考え方を知りたいという方におすすめです。

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UAE(アラブ首長国連邦 United Arab Emirates) 「IBM」2

 私が以前住んでいたUAEでの「IBM」は インシャッラー、ブクラ、マレッシ の頭文字でした。

 「ムムキン」という言葉は一度も聞いたことがありませんでした。
 きっと、「IBM」にも 2version あるんでしょうね。

 ちなみに マレッシ とは 「no problem」 問題ないとか、気にしない気にしないといったような意味です。

 私はこの3語に初めの何ヶ月かは 本当に悩まされました。
 でも 半年、一年と住むうちに慣れてきて、この熱砂の国ではインシャッラー、ブクラでないと、身がもたないんだと思うようになり、「郷に入りては郷に従え」だと思うようになりました。
   この3語との付き合いは何百回あったことでしょう。
 忍耐強く生きていたように思います。

   遠い遠い昔のことなので、定かな記憶ではないかもしれません。
 インシャッラーの言葉を見て、つい書きたくなってしまいました。

 藤野治子さん
   藤野治子さん、ありがとうございました。お人柄がそのまま文章に出ていらっしゃるな、と思いながら読ませていただきました。

 『世界のNo problem(IBM、インシャラー)』についてぜひ皆様の体験談、エピソードをお寄せいただきたいと思います。

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「IBMの衝撃」 IBM3 クエート1

 いわゆる 「IBM」 についての何人かの方々の文章を読むうち、20年近く前の記憶がよみがえって来ました。

 当時私はプラント建設の商談で、クエートに行っていました。彼の地の人々との折衝においてIBMの洗礼を受けましたが、それはまさにカルチャーショックと言っていいものでした。あらゆる点で日本での常識通りには事が運ばぬまま、ややこしい折衝を長期間続けていると、こちらの神経も大分おかしくなってきます。いろいろな事柄の前後関係や、あることがどういう経緯で現在のようになっているのかなどが、自分でもさだかでなくなって来て、恐怖感さえ覚えました。

 これではならじと気を取り直し、私が必死の思いで始めたのが、折衝の経緯の克明な記録、つまり日記をつけることでした。これを毎日続けることによって、時間の流れや因果律の無重力状態ともいうべき浮遊感覚の中で、漂流せぬための精神的命綱を、なんとか確保できたと思っています。このお陰?で、以来私は、日記をつける習慣を身につけることができました。ただし現在ではその意味は20年前と違って、日々衰えゆく記憶力の外部補助装置にすり替わっていますが。

 IBMには大変な思いをさせられましたが、相手の人々には不思議と悪い感じは受けませんでした。何か我々が遠い昔に置き去りにしてきたような価値観、ある種の侠気、「おとこぎ」といったものを感じました。私の会社には、いわゆる生き馬の眼を抜くといったビジネス価値観とは、ひと味違った古風な雰囲気を持つ或る先輩がいて、私はひそかに敬愛していました。クエートでの私の折衝相手が、かって彼が仕事上で接したことのあるこの先輩の名前を挙げて、私に「ミスター○○はどうしている?」と聞き、いかにも懐かしそうな表情を浮かべたのを見て、何か共通に通じ合うものの存在を確信したことを覚えています。

 櫻田鐵之助さん
   櫻田鐵之助さん、ありがとうございました。いいですね、こういうエピソードって。皆様からも「世界のノー・プロブレム(IBM、インシャラー)」についてぜひ体験談、エピソードをお寄せいただきたいと思います。

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インドネシア2、モーリシャス1



 藤野さんが教えてくださった「マレッシ」に関連してOKAYさんからこんな情報をいただきました。

> ちなみにマレッシとは「no problem」問題ないとか、気にしな
> い気にしないといったような意味です。(藤野さん)

 20数年前にインドネシアに住んでいた時に「ティダ・アパ・アパ」という言葉が同じように使われていたのを思い出しました。
 苦情などを言った時にそう言われ、最初は「そちらは問題無いかもしれないけど、こちらはあるのよ」と思ったものですが、次第に気に入って、日本に戻ってもしばらく使っていたものでした。
 そして20年ぶりに海外で暮らしたモーリシャスでも「No problem」とよく言われました。国民性なのかと思っていましたが、イスラム特有のものだったんですね。
 面白く読ませていただきました。


 OKAYさん
    OKAYさん、ありがとうございました。
 これから異なる文化と異なる文化の交流がより盛んになっていきます。多文化理解をみなさんとともに進めていきたいと願っています。どうぞよろしくお願いします。「世界のノー・プロブレム(IBM、インシャラー)」についてぜひ皆様の体験談、エピソードをお寄せいただきたいと思います。

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そっちになくても・・

「世界のノー・プロブレム!」、確かに、ケニアでは時によって、「ノー・プロブレム、大丈夫、大丈夫」を連発されて、「そっちになくても、こっちにあるのよ〜!(プロブレムが)」と言いたくなることもありました。いわゆる「途上国」の悪しき習慣、と切り捨てたくなる人も(ことも)あるかもしれません。

 しかし、自分の方だって、そのような「ものにこだわらない」彼らに甘えていたことも思い出します。自分の家にはなかなか入れてあげられなかったくせに、同僚の先生の家にはふらっと寄って、出てくるチャイを期待したり。誰かがミーティングに遅れたら腹が立つくせに、自分が遅れたときは「どうせなかなか始まらないんだから」と開き直ったり。
あら〜、書いてみると、つくづく自分勝手なやつでした。

 でも、そのような生活を経験すると、突然の変更や、思っていたのと違う展開を「楽しむ」性格に変わりますねえ。

 それと、バスに乗り合わせた人、友人の家で出会ったその友人、道を歩いていて通りすがった人・・、と目があったら話が始まるのも当たり前だったから、帰国して電車に乗ったとき、表情なく、他人と目を会わさない日本人が恐く見えたこともありました。
私自身は、初対面の人とも気軽に話ができる「ノリのいい」人間になりました。
・・ちょっと思い出話でした。ノープロブレムからはずれてしまいました。

 2003年2月14日(金) なおこさん
   なおこさん、いつもありがとうございます。

なおこさんのメッセージがきっかけでできたページ、『世界のノー・プロブレム』、
このページはMulticulturalpediaでは特に力を入れていきたいと思っています。皆様のご協力をぜひともお願いいたします。

エピソード、ありがとうございました。Multiculturalpediaにはいろいろな方々が訪れてくださっています。海外にいらっしゃる方、NPO・NGO関係の方、日本語ボランティアの方、日本語教師の方、国際結婚をなさった方、国際交流関係のボランティアの方、職員の方、旅行が好きな方、学校の先生、学生の方、多文化・異文化に興味のある方、・・・・いろいろな方々が訪れてくださっています。

その方々がなおこさんのエピソードを読んで、思い出して懐かしんだりしていらっしゃるように思います。

「世界のノー・プロブレム」、なにとぞ皆様、ご協力よろしくお願いします。
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中国・北京1

 10年ほど前、中国・北京に短期留学していたとき、よく聞いたのが
「メイクワンシィ(没関係)」…(「関係」は簡体字です)。

「没」は否定に使われるので、直訳は「関係ない」になるのでしょうか。意味としては「大丈夫、大丈夫〜」「気にしない、気にしない」といった感じで、「メイクワンシィ、メイクワンシィ」とよく使われていました。

「対不起(トゥイプチィ=ごめんなさい)」に対して、軽く、
「メイクワンシィ」とも言います。

 帰国してから何人かの中国人の友人と、他の中国人の友人宅に遊びに行った事があります。
 マンションで駐車場がなく、狭い場所に停める事になりました。
1人が運転し、何人かで後ろの車にぶつからないように見ていたのですが、かなり勢いよくガシャンとぶつけてしまいました。
その時点で運転がいい加減だなぁと思ったのですが、
その時、真っ青な私の横で、彼らが揃って言った言葉が
「メイクワンシィ、メイクワンシィ〜」

 ええ〜!!メイクワンシィじゃないやろ〜!!と驚いたのですが、
あまりに気楽な彼らの様子に次第にたいしたことがないような気分になってしまったのを覚えています。
幸い、傷もなく大事には至らなかったのですが…。

 ふと思い出しました。
 2007年5月24日(木) あゆこさん
   あゆこさん、ありがとうございました。

 「メイクワンシィ(没関係)」は中国の友達がいる人はよく耳にする言葉だと思います。韓国の友達がいる人は「ケンチャナヨ」という言葉をよく耳にすると思います。中国語や韓国語ができてもできなくても、耳に残りやすい言葉だと思います。

 思うにどんな言語でも会話で最も頻繁に口にし、感情がこもっているので、なんとなく耳に残るのがこの言葉、「メイクワンシィ(没関係)」「ケンチャナヨ」なんじゃないでしょうか。

 スタッフにはいろいろいて、天が落ちてこないかと心配して夜もおちおち寝ていられないという人(それでいて、いつもグッスリ寝たようなさわやかな顔をしています)もいるし、石橋を本当に大丈夫かと心配するあまり叩きすぎて壊してしまう慎重すぎる人もいるし、自分でどうにもできないことはクヨクヨ絶対しないし、自分でなんとかできることにも絶対にクヨクヨしないスタッフもいます。

 「自分には関係無い」ということで他人の心を傷つけたり迷惑を掛けたりするのは行き過ぎだと思います。同時に自分を責めすぎて自分の心を傷つけて落ち込むのも、周りの心ある人たちを心配させるという点で行き過ぎだと思います。

 深刻になったり、クヨクヨしても、考えてみたらマイナスにはなりこそすれ、プラスになることは一つもありません。どんなことにもクヨクヨしないと決めているスタッフはいつも朗らかでそばにいてくれるだけで安心した気持ちになれ、力づけられます。大好きです。

 どんなことにも「だいじょうぶ」「メイクワンシィ(没関係)」「ケンチャナヨ」と唱えて、そのスタッフみたいに毎日を笑顔で過ごして周りにいる人の力になれたらと思います。あゆこさん、ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

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