Multiculturalpedia
異なる文化を楽しみながら学ぶ事典

「世界のわりかん、おごり」
「世界のわりかん、おごり」の習慣ってどんなものがあるんでしょう。

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韓国1

  こんにちは。
ちょっとおもしろいことを思い出しましたので、報告します。
<誕生日>
私の通っていた学校には韓国人学生が多く、誰かの誕生日になると一緒にご飯を食べに行ったりしていました。注目すべきは、食事代が
『誕生日を迎えた本人』
の、おごりだということです。日本だと逆... ですよね。誕生日に限らず、おめでたいことがあった時はそうするみたいです。


もしかしてすでに話題になったことがあったら、ごめんなさい。
韓国の方、間違いがあったら訂正してくださいね。では。

投稿日

 2002年1月24日(木) なまくらさん
    なまくらさん、こんにちは。

「注目すべきは、食事代が
 『誕生日を迎えた本人』
の、おごりだということです。日本だと逆... ですよね。誕生日に限らず、おめでたいことがあった時はそうするみたいです。」(なまくらさん)

 おもしろいですね。どうしてなんでしょう。

 「快気祝い」というのが日本にはありますね、病気が治ったとき、治った本人が贈り物をするアレです。これは見舞ってくれたり、自分のことを心配してくれたりしたことへのお礼ですよね。

 『誕生日を迎えた本人』が日頃から自分のことを大切にしてくれる友人や知人におごるというのは、「友だちあっての私」というお礼の意味を込めて、からかもしれませんね。いろいろ考えて楽しいひとときを過ごしました。ありがとうございました。

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ドイツ−1−

「誕生日を迎えた本人がみんなに食事代をおごる」という韓国のエピソードに驚いたとKirkさんに話したら、「ドイツでもそうだったと思いますよ」と教えてくれた。

 「他のヨーロッパの国々はどうかわからないけれど、少なくともドイツはそうみたいですよ」

 彼はポーランド、フランス、イタリアなど世界各地で暮らした経験のある人だ。

 「ちょっと確認してみましょうか」
そう言ってKirkさんは友人に電話をかけて確かめてくれた。

 そのドイツの方の話によると、誕生日のパーティーはドイツでは誕生日を迎えた本人が企画することが多く(他の人が企画することはあまり一般的ではない)、その場合には料理も音楽も自分で用意するとのこと。

 「えっ、当の本人のおごりなの!?」そう初めて聞いたとき、Kirkさんは「これは何としても出なくっちゃ」と思ったそうだ。
 2006年2月18日(土)
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誕生日 フィリピン/中国1

「誕生日を祝うという習慣そのものが欧米から入ってきたものなんです。日本ではずーっと数え年だったので、昔はみーんな1月1日が誕生日だったわけです。」(Eriさん)
 これは目からウロコ、でした。

 フィリピンでは(先住民族、ムスリムについては知識がありませんので、キリスト教徒を中心とした地域の一般論ですが)誕生日は本人が感謝の気持ちで周りの人にごちそうするものと聞いています。
(この話を上海出身の中国人にしたら、「中国でもそうですよ」といっていましたので、中国から広がった習慣かもしれないと思ったのですが、中国や東・東南アジアの国々ではどうなのでしょう?)

 家庭でのパーティの場合、厳密に開催時間が決まっているわけではないので、適当に訪問して、本人に挨拶して、家族やほかの客ともおしゃべりしながら大皿料理を取り分けて食べて帰るという感じです。また、招待客でない友達を連れて行ってもかまいません。(私は友達の義理のお父さんの誕生日についていきました(笑))

 町長の誕生日パーティは本人所有の農場の広場のようなところで開かれ、生バンドの演奏でダンスしたり、まるでお祭りでした。誰でも参加できて、食事はもちろん主催者持ち。日本だと法律違反ですよね..
 2003年5月10日(土) 芹菜さん
   芹菜さん、Multiculturalpediaの制作にご協力いただき、ありがとうございます。

「中国や東・東南アジアの国々ではどうなのでしょう?)」
 (芹菜さん)

 どうなのでしょう!ぜひ知りたいと思います。いろいろな文化圏と縁のある方々、ぜひ教えてください!!

 芹菜さんの楽しい文章を笑いながら読んでいる方がたくさんいらっしゃると思います。芹菜さんのおかげでまた新しい扉が開きました。

 芹菜さん、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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誕生日を祝うこと フィリピン/バングラデシュ

 芹菜さんの書き込みを読んで、夫その他、フィリピン在住経験のある知人たちがやはり、「誕生日のごちそうは『本人持ち』」と言っていたのを思い出しました。

 誕生日のお祝いについて、これはちょっといい話ではないのですが・・。
 バングラデシュにいたとき、知人のところの、男の子の一歳の誕生日祝いに招かれたことがあります。一歳の誕生日は、特に盛大にやる習慣のようですが、その翌年も、誕生日には声をかけられました。しかし、同じおうちの、上の女の子たちの誕生日には、なにもないようです。男の子の方が明らかに大事にされているのは、ちょっと残念に感じました。(それで、その男の子の誕生日祝いと合わせ、お姉ちゃんたちにもプレゼントを持っていきました)

 2003年5月10日(土) なおこさん
   なおこさん、いつもありがとうございます。
 貴重なエピソード、ありがとうございます。

 なおこさんの話とちょっと外れて聞こえるかもしれませんが、いつも考えさせられていることを少し書いてみたいと思います。

 タイの家庭に招かれたとき、香り米などをご馳走になり、今でも楽しい忘れられない思い出になっています。詳しい話は省きますが、そのとき、タイでも男の子が生まれることを望まれている(いた)のかな、と思えることを体験しました。タイで実際にそうなのか本当のところはどうかわかりませんが。

 日本や韓国のように、男の子が生まれると大喜びして、女の子が生まれると残念がるというようなことがいろいろな文化圏であった(ある)ように思います。これに対して、さまざまな考え、思いがあるのではないかと思います。

 「文化相対主義」という言葉があります。
 この文化相対主義はほめられたり、けなされたりしています。

 いい意味で使われるときは、
 文化には優劣はない、やり方が違うからといって進んでいる、遅れているといった一直線の途上にそれぞれの文化を位置付けるのは間違いだ、文化はそれぞれが素晴らしい価値をもったものだとする、それが「文化相対主義」だ、などと言われます。

 悪い意味で使われるときは、
生まれながらに身分差がある文化がある、宗教・習慣などの名において為政者、既得権益者が統治の大義名分にしてしまっている、それに対しての批判も許さないなどと言われたり、
 女性に対して教育を受けさせない、衣服を制限する、言葉づかい、振る舞いを規制する、手術を施すなど伝統を大義名分に、男女差別の行為のもととなっている、それに対しての批判も許さないなどと言われたり、
 障害を持って生まれたのは本人の前世の罪によるものなどと障害者差別の元凶と言われたり、他文化への批判はその文化への冒涜だとして悪しき伝統を国際的に支えているものが「文化相対主義」だ、などと言われます。

 これは大変ややこしい問題で、多文化主義もという言葉も同様に、大いにほめられたり、大いに貶されたりしています。この『多文化理解事典(Multiculturalpedia)』が「多文化主義」とか「Multiculturalism」という主義・主張をともなった言葉を可能な限り避けているのも以上のことがあるからです。「多文化(Multicultural)」というのは主義・主張ではありません。事実です。誰もが否定できないことです。しかし、「Multiculturalism(多文化主義)」や「文化相対主義」となると、意見・主義・主張の部分が含まれてくるので意見が分かれるのは当然でしょう。

 これについての話し合いや考えを深めることはとても大切だと思っています。Multiculturalpediaはこの問題だけを大きく扱うことはありませんが、どの項目も実はこの問題のすれすれのところを行き来しています。

 子ども時代に読んだタイムパトロールの話がこれに少し関係しているようにも思います。

 現代から過去に行った主人公が、過去の理不尽な習慣を見て、人々を救うために変革しようとして、タイムパトロールに「歴史を変えてはいけない」と止められる、例のよくある話です。

 「過去の歴史を変えてはいけない」、過去の歴史を変えると、現在生きている私たちが存在できなくなってしまうからです。自分の存在がかかっているから、多くの現代人が賛成することでしょう。でも、人によっては自分たちが存在できなくなってもいいから、もっと幸せな世界になってほしいと過去への介入を肯定する人もいるかもしれません。介入はきりがないような気もするし、何を正しいとするかの基準も問題だと思いますが。

 過去から未来に一直線に発達していく文化でなく、現在私たちがいるのは、異なる文化が、現代という同じ時代にいくつも共存している世界です。

 テレビやラジオや新聞や映画や歌やドラマや演劇や小説や商品を通じて、世界中のほとんどの文化が他の文化の影響を日夜受けています。鎖国をしない限り、いや鎖国をしても外界からの影響を断つことは難しい時代に来ているように思います。

 Multiculturalpediaを通して、じゃんけんを知らない世界にじゃんけんが入っていくことはいいことかどうか、という議論が私たちの間で起こったことがあります。実はこの事典のあらゆる項目が世界を変えるきっかけとなる項目ばかりなのです。

 Multiculturalpediaは世界のそれぞれの文化を尊重したいと思います。文化には優劣がない、さまざまな文化は一直線の尺度で、進んでいる、遅れていると判断されるものではないと思います。それと同時に、Multiculturalpediaはどの文化圏の人々にも本当の意味で不幸でなく、幸せになってもらいたいと思います。しかし、どれを幸せで、どれを不幸、どれを善で、どれを悪と捉えるかも、政治体制、宗教、人間観、人生経験によって異なってきます。

 だから、Multiculturalpediaは事実の収集を積み重ねていき、その事実をもとに世界中の皆さんと一緒に知恵を出し合い、これからの道を見つけて行きたいと願っています。

 これはとても難しい、複雑な問題で、Multiculturalpedia(多文化理解事典)を創りながら、絶えず私たちが頭を悩ませている問題です。

 1つの事に対し、さまざまな文化圏でいろいろなアプローチの仕方がある、ということをこのMulticulturalpedia(多文化理解事典)は伝えて行きたいと思っています。今までこれだけしかないと思っていたやり方に、これ以外のやり方もあるんだと知り、従来の自分のやり方は新たに知ったいろいろなやり方とどう違うのかとか、このことはどういう意味があるのかと深く考えるきっかけとなるような事典に育てていきたいと願っています。そしてその人(その文化)がこれからどうしていくかはその人(その文化)が決めていくことだと思います。当然、他の文化圏の人々も意見を言ったり、提案したりすることもいいことだと思います。しかし、力を背景に価値観や行動を押しつけたり、習慣を改めさせたりするのはちょっと違うと思います。あくまで、提示された選択肢から主人公が自由意思で選ぶべきだと思います(ここにも複雑な問題がからみますが)。

 さりげないなおこさんの行動に共感を持ちました。
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気前がいいか、体面をつくるか(台湾)

 台湾では、いつも二人以上の中年男子が勘定を払うことを争う場合が見られる。それはどうしてだろうか。単に気前がいいのか、あるいは体面をつくろうとしてなのか分からない。

 台湾の中年男性はお酒を飲むことが大好きで、さらによく友達や同僚や親戚などを招待する。しかし、どうして割勘にしないのか。理由を聞いてみると、「ほかの方に招待されるのが恥ずかしい」と言う答えが返ってくる。また、彼らの奥さんに聞いてみると、「バカらしい」と言う答えが返ってくる。実は、大体の台湾人の性格は情熱的だが、心から本当の話が言い出せない。「今回君のほうが招待してください」のように話せない。だから、一回招待したら、今回も招待しなければならなくなってしまう。そしてずっと友達などを招待する。こうしたら、本当に馬鹿だと思う。

 英語で、「Let’s go get a beer!」「What a cup of coffee?」は割り勘にするという意味だ。アメリカ人に対して、ある強い印象がある。「気前がいい」というものだ。しかし、時々に割り勘にしましょうと言う。それは本当に恥かしいことなのか。そんなことはないはずだ。いい文化を守って、悪いのを捨てる。そうしたら、もっと楽しく生活できるはずだ。

 2005年1月10日(月) 林怡君さん
   林怡君さん、こんにちは。Multiculturalpedia(多文化理解事典)の作成にご協力いただきありがとうございます。お返事が2011年の1月4日になってしまい、申し訳ありません。

 わりかんにしないでごちそうする習慣がある環境で育った人がごちそうする習慣があまりない環境に行ったり、逆にごちそうする習慣がほとんどない環境で育った人がわりかんにしないでごちそうする習慣がある環境に行ったりすると、大変な葛藤があるようです。
 これは形式的な単純な違いでなく、心の奥底に根付いた生き方なので、深い理解に至らない限り、納得したり平安な気持ちになったりはできないようです。ですから、このテーマはMulticulturalpedia(多文化理解事典)で最も力を入れて取り扱いたいテーマです。

「台湾の方達B」のコーナーでも紹介させていただきます。林怡君さん、どうもありがとうございました。
 「世界のわりかん、おごり」についてのご感想(一言でも)、情報など何でも、ひろばに寄せていただければありがたく存じます。

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