ピピン 〜 突然の別れ 〜


最後に撮ったピピンの写真
死ぬ10日前の元気なピピンの姿
                                                                        

2000年6月21日、ピピンが食べ物をもどしました。

まあ、前にも一度、嘔吐した事はありましたが、
軽い風邪で、動物病院で診てもらったらば、
2日後にはすっかり元気になった事もあったので、
そんなに心配していませんでした。

ただ、元気に動きまわっていたし、
一応心配なので翌日に動物病院へ連れていったのですが、
とりあえず、様子をみてみましょう、
との事で薬をもらって、様子を見る事にしました。

その翌日も嘔吐は続きましたが、元気に動きまわって
寝込むとかはなかったのです。

その翌日の土曜日、嘔吐も続くので、
そろそろ脱水状態が心配だったので、
再び動物病院へ連れて行きました。
とりあえず、点滴をするとともに、
動物病院の先生がじっくりと様子を見たいと言うので、
一泊の入院をする事になりました。

まあ、来た当初を除いて大きな病気などした事のなかった
ピピンだったので、念の為にじっくりと先生に診てもらうのも
いいだろう、ぐらいに思って入院させる事にしました。

翌日の日曜日、動物病院から連絡がありました。
昨日は元気だったのに、朝から容態が急変して、危篤状態だとの事です。
尿が腎臓で全くつくられていない急性腎不全だとの事でした。
点滴による腎臓機能の改善を図る治療を急きょ開始したとの事でした。

胃腸に疲れが出たか、軽い風邪か、
最悪でも異物を飲み込んでしまった位にしか思ってなかたのに、
危篤だなんて・・・・・。 
もう、言葉にならないショックで。

ネットで猫の急性腎不全を調べてみると、
急性腎不全になると、腎臓で尿がつくれず、
尿が出来ないと血液の解毒作用が出来ず、
汚れた血液が全身にまわってしまうのです。

腎臓が全く機能しなければ、死んでしまうし、
例え多少の機能が回復しても
その後の療養は大変だという様な事が書いてありました。

ただ、多くは老猫に多く、
ピピンの様な若い猫(2歳未満)には珍しい病気らしいのです。

夕方、動物病院から連絡がありましたが、
点滴の効果が全くあらわれず、
ピピンは助からないとの悲しい連絡がありました。

夜、もうこれが会える最後かもしれないとの覚悟を決めて
母と動物病院へ向かいました。

ピピンは昨日とは全く違って、
ぐったりとして、意識ももうろうとしていました。
それでも、ピピンは我々が来た事がわかり、
残り少ない力で受け答えしようとしてました。

医者の薦めもあり、期待は大変薄いけれど、
最後の望みにかけて、あと24時間だけ
腎機能回復の点滴治療を続ける事にし、
入院を続ける事にしました。

入院中に息途絶えてしまう可能性もありましたが、
奇跡の可能性にかけて、
ピピンを病院に残してお別れしました。

覚悟を決めつつも奇跡を願う、
言葉では言い表せない1日が過ぎ、
翌日の月曜日、  15時頃、病院から連絡がありました。
 
残念ながら点滴の効果はなく、たった今、点滴を打ち切ったとの事でした。

もう、残念だが医学的にピピンにしてあげられる事は、
もう何もないとの事でした。

夕方、母と動物病院へ行き、先生と相談した結果、
せめて最後はピピンが大好きだった
自宅で最後の時間を過ごさせてあげようとの事になり
自宅へ連れて帰りました。

家に帰るとピエスもパークも様子も察知して
心配しているのでしょうか、騒いでいます。
でも、他の子にうつる可能性もあるとの医者の指示で
ピピンと逢わせてあげる事すら出来ません。

ピピンは呼吸も辛そうで、全身が痛いのでしょう。
とても辛そうです。
それでも、自宅へ戻ってこれた事が嬉しかったのでしょうか、
安心した目をしていました。

いつまでの命かわかりませんが、
その日は母といっしょにピピンと寝る事にしました。
母も僕もピピンの我が家へ来た時といっしょだね。
徹夜で一晩を過ごしてと話かけました。

でも、今回は決して助からないので、悲しさが増すのです。
せめて、ピピンをなるべくやすらかに逝かせてあげたいと願うだけでした。
 
6月27日の朝が来ました。
ピピンの生命力もあり、ピピンはまだ生きています。
月末の忙しい時でもあり、会社を休む訳もいかず、
ここで僕はひとつの決断をしました。

朝から会社へ行き、
一日+残業分はある月末処理の仕事を猛烈な集中力でこなし始めました。
昼の12時に全ての月末処理を完了して、
会社に半休を取得させて頂き、
深々と頭を下げて、自宅へとダッシュしました。

途中の乗換駅についた時、
母からのピピンは呼吸ももうおかしくもう今にも死にそうだとの
連絡が携帯にありました。
母からの情報では、ピピンが必死に僕の帰宅のみを待って
最後の頑張りをしているらいいのです。
僕は既にもう会社から途中まで戻って来ている事を告げて
電話を切りました。

13:30分、途中からタクシーを飛ばし、ようやく自宅に到着しました。
なんとか間に合いました。
母が言っていました。
ピピンは必死に僕の帰りを待ってたかの様だったと。

ピピンは僕の帰ったのがわかったのでしょうか、
瞳孔もかなり開いていましたが、
僕の呼びかけにかすかに反応していました。
(今でもそうだと、絶対に信じています。)

母と見守る中、ピピンは
最後に微かに、でも、ハッキリと、『ニャ〜』と鳴きました。
その後、1分も経たずに
ピピンの呼吸は停止しました。
『ニャ〜』は、きっと最後の挨拶だったのでしょう。

14:20分、ピピンは永遠の眠りについたのでした。
僕が帰宅して、50分ほどしか経っていませんでした。

ピピンの最後の瞬間は大きく苦しむ事もなく、
静かに呼吸が止まり、
とてもやすらかな死に顔をしていました。

ピピンの遺体は家にあった薔薇の花と
庭に咲いていた紫陽花の花で飾り箱に入れてあげました。

医者にはとめられてましたが、
ピエスにもパークにもピピンの遺体は見せて、
最後のお別れをしました。

痴呆が進み、僕の名前すら言えない事が多く、
言葉も殆ど話せない父も
ピピンの遺体を見て、ボロボロと涙を流して悲しんでいました。
父にだって、ピピンが死んだ悲しさはわかっているんです。
 
その日のうちに火葬場に連れて行き、共同火葬してもらいました。
共同火葬なので、同じ時期に死んだ他のペットの子たちと
いっしょに火葬されました。

「ピピン。向こうへ行ってもみんな(いっしょに火葬される)と仲良くやるんだよ!」
って言って、見送って。
(あの性格なので、向こうの仲間にも愛されるでしょう。)
 
2年に満たなかったので、決して長くはないでしょうが、
精一杯生きたピピンは幸せだったと思います。

そして、我々家族にたくさんの楽しい想い出を残してくれた
ピピンに対し、感謝の気持ちでいっぱいです。


ピピン、本当にありがとう!

 
    『ピピンの想い出』のページ “完”


死んですぐのピピンの写真
火葬場へ持って行く直前に撮影