狂気の境界最近物騒な事件が多い。 いつの時代でも語られる台詞なのかもしれないが、犯罪の凶悪化は統計的にも確からしい。 そういった事件を見聞きして、「狂ってやがる」と思う。 ここで疑問に思った。狂うとはどういう現象なのか。 理屈に合わない行動。理解しがたい行動。 なぜそういったことをしたのかが、分からない時、その対象は狂わされる。 ある意味、思考を断ち切るための便利な言葉に過ぎないのかもしれない。 人間は理解できないものを理解できないままではいられない。 従って、思考の枠とは別の、「狂気」と言う檻に対象を閉じこめて、決着とする。 次に疑問なのが、狂気の境界だ。 どこまでが狂っていて、どこまでが正気なのか。 理屈に合わない行動をとることをその定義とするなら、人類の全てが狂気だ。 例えば喫煙者。 理論的に考えてみると、明らかに健康を害する物質を体内に取り込んでいる。 また、周囲の人々にも影響を及ぼし、けして歓迎されない。 わずかな幸福感を得られる、と言う意見もあろう。 だが、そういう点で弁護するなら、どんな狂気も許される。 自傷行為に走る人も、それによって安定しようとしている。 ある種族を抹殺しようとした独裁者も、それが世界の統治だと考えていた。 とすると、狂気の境界とは、人々が持つあやふやな共通認識の境界であると言える。 明文化されていない、慣習法のような規則。 そこからはみ出すと、狂気と解される確率が高くなる。 そしてそれは時代の移り変わりによって流動するものであるから、狂気もそのエリアを変更する。 今日の狂気は、いつか正気で、今日の正気はいつか狂気に。 狂気が過半数を超えたとき、それはもはや狂気ではない。 浮動する多数決が、この世界の狂気の境界だと言う、事実を思う。 (2001年6月3日) |