初夜権なんて意味がない


中世ヨーロッパのごく一部の地域で施行されていたという領主の「初夜権」
領民が結婚する時、領主はその新婦の初夜をともに過ごすことが出来ると
いうものである。したがって領民に生まれた長男は、領主の息子である可
能性を持ち、領主のために働くことも当たり前だとしたそうだ。
すごいね。法に基づいたレイプだ。

初夜を奪われるって、どんな気分だろう。
おおっぴらに会うこともままらなかった中で、逢い引きを重ね、ようやく
一緒になることの出来た結婚式。
長い生涯をともに過ごす夫婦が二人で初めて過ごす夜。
精神的にも、肉体的にも、なんて大切だったろう。
それを奪われるのだ。
二人は抱き合うたび、言葉を交わすたびに、ビンの底にたまる澱のように
屈辱を感じたのではないだろうか。
まさに人権を踏みにじる行為だ。

で、今現在ならどうだろう。
世の中の夫婦のどれだけが、童貞と処女だろうか。
たとえ誰かが初夜権を行使したとしても、長男はその子どもだ!なんて誰
が思う?
もちろんそれがだめだというつもりはない。むしろ、当然だと思う。
僕だって結婚したことは無いけど、女性を知っているしね。
それを恥ずかしいことだとか、いけないことだとは思わない。

でもね、彼らが感じただろう初夜を奪われる屈辱。
その巨大さって、いとおしくない?
なぜだか自分達が、浮ついた尻軽のような気がしない?

一生に出会う異性の人数を考えた時、僕らは、彼らよりずっと多くの人た
ちに出会う。その中から、愛しく思う人、ともに暮らしたいと思う人を選
び出していく。
思いを伝えて、一緒になり、なぜだかうまく行かずに離れていく事も多い。
幾人かの人と重なり、その人数マイナス1の人数と別れているはずだ。

どうも、昔の人と比べて生きる速度が違うみたいな気がする。
多くの情報。多くの人間。多くの好意。
僕らは欲しがり過ぎて、サイクルを早めて回転している。
それは幸運であり、また、不幸でもあるだろう。

今そこにいる人を、人生唯一の人だと思う、当たり前の思い込み。
初夜権なんて意味がない時代に生きる僕たちには、それが足りないのかも
しれないね。