|
安岡は謹厳な学者かと問われれば、「ちょっと違うんじゃないか」と私は答えたい。安岡が宴席で、人を笑わせるようなパフォーマンスをやる話を聞いたことはある。本に書くのは遠慮したが、安岡のある一面を記しておこう。昭和10年6月29日の父の日記には次のようなことが書いてあった。
安岡、神、野口と父が群馬県庁に立ち寄ってから箕輪町の農民道場を訪れた。そこには金鶏学院1期生の瀬下武松が昭和9年10月から勤務していた。ここに名前の出る「神」とは金鶏学院に出入りしていた尺八奏者「神如道」である。一行は榛名山中腹の箕輪から更に赤城山頂に到り、猪谷旅館に一泊した。翌日山を下りて前橋の料理屋で昼食を摂った。其処で、「安岡がそのとき飯後の膳、淫後の婦というくだけた話をし、興味深く聞いた」という。内容は不明だが、大略の見当は付こう。
晩年になってのことだが、安岡と細木某という女占い師との艶聞が週刊誌にも取り沙汰されて驚いたことがある。私は母に感想を求めたところ「人間らしくていいんじゃない」と言っていた。安岡は奥さんに死なれたあとも飲みに出かけることがあったようである。さびしかったのか、占道の議論で意気投合したのか、安岡は彼女と結婚するとか言って家族を困らせたらしい。
日ごろ尊敬していた安岡のこの件を人間らしいと言った私の母も、やはり人間であったのか。
上品に盃を口に運んでいた人というイメージだけでは片付けられないように思われる。(2004.3.31)
|