書籍『金鶏学院の風景』



著者のひとりごと・番外その2   セパレートとインテグレート



  私の本は太平洋戦争以前の金鶏学院について記述したものである。そのころの講義には東洋医学に関するものもあり、気持を静める調息法とか自然食に関する話が主であった。
 だがすっとあとのこと、昭和53年1月、安岡は或る講演の中で次のようなことを述べている。
 「例えば眼科というものがこの頃は大変発達いたしまして、もとは眼科のお医者さんが『わしは眼医者だから眼のことは何でもわかるが、眼以外の腎臓とか肝臓とかはわしの専門ではないから、それぞれの専門の所へ行ってくれ』と言って済んでおった。
 ところがその後眼科が発達すれば発達するほど、眼というものは体の全機能の一番鋭敏な告示板であることがわかって参りまして、例えば妊娠というのは産婦人科にいってもまだわからんうちに、もう眼には明らかにその徴候が出ている。」
 「眼を見たらその人のどこが悪いかという一番大事な点がすぐ察知できるような、文字通り看破できるようにならねば本当の眼医者ではない。」
 「このセパレートする原理を突き詰めてゆくとインテグレート、統一する。分化は統一へ向かうというふうに発達して参りました。」
 永年眼科医をやってきた私はこれを読んだとき、首を傾げたのである。
 産科医でも判別できない早期に眼を診れば妊娠と診断できる、という文献を残念ながら読んだことがない。
 安岡の述べる主旨は、分科(分化)の著しい医学において、雑多な事実をインテグレートする力がなければ本当の知識ではない、とうことであろう。陽明学者の忠告として有難く受け止めておきたい。
 しかしながら専門外の眼科診断学について、一刀両断に裁かれるのは如何なものであろうか、と思案するのである。客観的例証、詳しい論拠についての提示がなされない限り、容認いたしかねる次第である。
 敢えて申し上げれば、哲学者にありがちな観念論的憶断(空論)という感じを払拭し得ない。 (2005.2.9
)