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藍宇追っかけ記@北京

* この原稿は『藍色宇宙 Lan Yu FanBook』に載っているものとほぼ同じです

★2002年2月某日

 3月まであと数日というある日の朝、友人の中国人からのメールタイトルに「至急」の2文字を発見した。一読して息をのんだ。なぜなら、リウ・イェに北京で会えるかもしれない、との知らせだったのだ。その友人にはすでにさんざっぱら、自分がいかに『藍宇』にハマっているかを熱く語ってはきたが、これほど劇的に事態が展開するとは思いもよらないことだった。しばらく心臓がバクバクしていた。

 とるものもとりあえずその日のうちに北京往復の航空券を押さえ、ビザ申請を特級で手配した。たとえあとから「やっぱりムリでした」と言われても明るく笑ってすませられるよう万全の覚悟を心に刻みながら。

 翌々日、せっかく北京に行くことだし、と思いフー・ジュンの所属する公司に電話してみた。彼が北京はおろか中国国内にいるかどうかも分からないし、万一いたとしても会える可能性は限りなくゼロなのは百も承知だ。そもそもリウ・イェに会えること自体、昨日までは遠い遠い希望に過ぎなかったんだから。果たして、今フー・ジュンは北京にいないとのこと。だが公司に来ればフー・ジュンに関する資料をくれると担当の小姐が言ってくれた。わお! それだけでも充分ラッキーだ。電話してよかった。

★3月1日

 5年ぶりの北京は、空港が見違えるほど綺麗になり、昔の青函連絡船の乗り場を思い出させる(知らないでしょうねぇ、これを読んでる方は…^^;)雑然として暗くしょぼいイメージは一新されていた。

 公共バスで北京駅前まで。降りると、空気はさえざえとし、小雪がちらちら舞っていた。駅の近くで停めていたタクシーにホテルの名を告げる。すると、そのホテルは知らない、彼に連れていってもらえと言われた。見ると人力車のおやじが、さあ乗りなと促す。うはは、人力車に乗るのは初めてだー。
 顔にあたる雪まじりの冷気も心地よく、土地勘のまったくない眺めにきょろきょろしながら、人気の少ない夜更けの街をガタガタ揺られてホテルへ。おいくら?と聞くと、あんた次第、みたいなことを言うので、駅前からホテルまでタクシーでだいたい10元と友人から聞いていたしタクシーじゃないけど同じようなもんかなと思い10元出すと、それまで愛想の良かったおやじは急に怒り出した。そして、さっきまでは言っていたことが聞き取れていたのに、怒り出したらものすごいR音の嵐になって何を言っているのかさっぱりわからなくなってしまった。ようやく20元というのが聞き取れた。タクシーの倍?という意外な気持ちと、まぁ人力だからそうなのかもしれないという気持ちがごちゃまぜになって、苦笑しつつ20元渡す。これで放免となったが、そのあと私がホテルの玄関に入っていく時にも背後でまだアルアル言いながら悪態をついている声が聞こえた。ごめんよ、悪気はなかったんだよ。てゆーか最初に自分から20元て言えよ。

★3月2日

 リウ・イェは目下、北京郊外でテレビドラマを連日のように撮影中。何時頃に会えるのか、当日PiPi から連絡をもらえることになっていた。ので朝からずっと、天安門を散策したり、王府井で映画関連の本とVCD探しにひたすら歩き回る。リウ・イェとフー・ジュンの出演した映画&テレビドラマを一網打尽にゲットする意気込みで書店やレコード屋をはしごしまくり、映画を2ツとテレビドラマを3ツばかり探し当て、いい加減足が棒になってきたころ携帯電話が鳴った。おお、待ってました!
「ウェイ?」と出ると、若い女性の声で「もしもし!」
 へ?日本から? レンタル携帯電話なのに日本の知り合いが番号をなぜ知っている? という疑問が一瞬あたまの中をよぎったが条件反射で私も「もしもし?」と返答した。すると「アハハハハハ、わたし謝■(女那)」と明るい笑い声が聞こえてきた。
 いやはや、リウ・イェのガールフレンドから「もしもし」と電話がかかってくるとは! これで一気に私は、まだ会ってもいないうちからPiPi が好きになってしまった。それまでは、一体どんな女性なんだろとちょっとばかり構えていたのが一挙に不安解消された瞬間であった。
 PiPiの話では、たぶん夕方5時くらいに今日の撮影が終わる見込み、そしたらまた電話するからとのこと。うわ、こりゃ本当に会えるらしい…。これまで私は香港や台湾で、アポがとれたからといって確実に会える保証はないということを何度も体験してきて、現物が目の前に現れるまでは決して期待しすぎないようにしているのだが、今度ばかりは妙に確信が湧いたのである。

 やがて、第二の奇跡が起こった。フー・ジュンの公司の担当小姐から携帯に電話が。いわく、あしたならフー・ジュンに会えるだろう。4時でいいか?
「も、も、もちろんです!」この段階で私の頭から思考能力というものは雲散霧消。
 だって、運が良すぎる! ここはどこ私は誰? 実はすべてが夢で、お待ちかねの場面が来る前に目がさめてしまうのか……。ボーッと歩いてホテルに戻ると、私はベッドに倒れ込んだ。

 さいわい、夢からさめてがっかりすることもなく、自分は現実の世界にいた。夕方、リウ・イェの撮影がまだ終わらないので先に合流して彼を待とうということになり、PiPiと一緒にいろいろおしゃべりをしながら、私はさっき散らばってしまった思考能力を再構築すべくひそかに奮闘していた。

 PiPiとの話は楽しく、1時間くらいあっという間に過ぎた。録音もしてないし単なるおしゃべりだから詳しくは書かないが、一つだけご紹介しましょう。彼らが知り合ったのはテレビドラマ『幸福街』で共演したとき。「どっちが先に好きになったの?」と聞いたら、「分からない。けどたぶん私かな(笑)」だそうな。
 やがてリウ・イェが到着した。見るなり思った。「でかい!」 台湾金馬奨のときにもそう思ったから正確には第一印象ではない。けど、やっぱ、でかいわー185センチって…。で、近所に買い物へでも行くような格好で一見べつに明星に見えない。だが、聞きしにまさる語りかけてくるような大きな瞳、ただそれだけでも彼が無類の逸材であることは明らかだった。
 彼はいささか疲れているようだった。そりゃそうだ、一日中撮影していたのだから。でも「仕事でお疲れのところわざわざすいません」と言うと、お茶目に力こぶを作るマネをしてこう言った。「大丈夫。若いから」 
 それから我々3人は四川料理を食べた。私の立場からいえばもちろん遠慮がちに食べるのが礼節というものなんだが、どの皿もすごーく美味しかったので、つい「好吃、好吃」とバクバク食べてしまいましたことよ。
 おそれ多くも明星とレストランでの会見というのは、ふつうあり得ない。今や引く手あまたのリウ・イェは、毎日のように入るインタビューのオファーにとても対応しきれず電話取材がせいいっぱいということも多々あるそうだ。なのに、日本から来た記者ということでわざわざ時間をやりくりしてくれたのだった。あらためて恐縮至極なことである。
 とにかく、まずはひたすら食べた。最初は大人しかったリウ・イェもおなかがくちくなるにつれリラックスしてきた。それで私も気安く「東北話っていうのはどういう感じの言葉なの」などとリクエストし、彼も「よし。いいかい、聞いててよ」と、いたずらっ子のように目をくるくるさせながら3フレーズぐらいしゃべってみせてくれた。耳ざわりとしては日本のズーズー弁によく似ている。そして、その訛り具合がリウ・イェに妙に似合っているのがおかしかった。

 人心地ついたところで、お茶を飲みながら1時間ほど正式に話を聞いた。取材が始まると、PiPiは離れた場所で雑誌を読み、いっさい我々に干渉しなかった。

 やりとりの詳細はインタビュー欄(準備中)を読んでいただくとして、特に印象的だったのは彼がどの質問に対してもすこぶる実直に答えてくれたことだ。人一倍の速さでスター街道を邁進中とはいえ、3カ月前に台湾金馬奨で史上最年少の最優秀主演男優賞を獲得した時点から明星歴はスタートしたばかり。「適度なユーモアと充分なフレンドリー感でコーディングされた、手慣れたコメント」というマスコミ対応のテクニックが身に着いていくのは、これからなのだ。できることなら今後も、かように純粋な、少年のような心根の彼においては、身に覚えのないスキャンダルやら芸能記者たちのいぢわるな質問やらに翻弄されないようにと願いたい。まあ、そういう状況も明星として大成する過程の一種の必要悪というか試練ではあるんだけど。
 ともあれ、素のまま(私がそう感じただけかもしれないが)の彼に会えてよかった。1年後、いや、半年後には、おそらくこういう形で会うことはかなわなくなっているだろうし、じきに今回の取材のことも彼の記憶の彼方に消えていくんだろうなー。
 あら、ちっとばかしセンチメンタルになってしまった。これは今現在、書きながらの感傷です。
 会見を終え、2人と別れ、尽きせぬ思いでホテルに戻った私は、冷蔵庫で冷やしておいた青島ビールを2缶あおってほとぼりをさましてから幸せなで持ちで眠りについたのであった。

★3月3日

 この日、私は映画『藍宇』の産みの親ともいうべきプロデューサー張永寧氏にもアポをとっていた。ようするに、北京を拠点とし、しかし北京にいないことのほうが多いはずの『藍宇』の重要人物3人が、それぞれ北京に居り、しかも取材を受ける時間がある。これは驚くべき偶然である。

 永寧氏との約束の時間は午前10時。前の日に電話で指定されたホテルに、私は9時すぎには到着し、ゴージャスなロビーフロアの柱のかげの椅子に不安でいっぱいになりながらひっそり座っていた。それは自分がごろごろした実用的なオーバーコートにゴツいリュックサックという見るからにそのホテルの高級感にそぐわない格好だったからではない。ちゃんと氏に会えるかどうか心配だったのだ。なぜなら私の中国語能力は非常にアバウトで、特に電話での聞き取り能力がやばい。自分的にまるで土地勘のない北京で、もしも別のよく似た発音のホテルが存在し、指定されたのがそちらだったらアウトなのだ。
 10時になった。いざ!と立ち上がり、ロビーを見渡すと、離れた場所の椅子にちょこなんと足をそろえてお行儀よく座っている永寧氏の姿が目に入った。私は胸をなでおろした。
 氏は、まなじりの下がる笑顔は東京FILMEXのときと同じだが、あのときよりもずっと威厳が感じられた。ニコニコしているが、マジになったらけっこうこわいんじゃないかという気がした。映画という大金のかかるプロジェクトを立ち上げ、全行程の責任を負ってきた人である以上、ナイーブな芸術家であると共にタフ・ネゴシエーターであり優秀な商売人でもあるのは当然だろう。
 詳細はこれまたインタビュー欄(準備中)を参照されたいが、用意して行った質問に氏は次々よどみなく答え、さくさくと取材は終了した。だが、会見の最後に私はまたしても不安にかられてしまうこととなった。というのも、「昨日リウ・イェに会えました」と伝えると、「フー・ジュンに会いたい?」と言うので「それはもう。彼の公司の話では今日会えるだろうということで」と応えた。すると永寧氏、首をひねってこう言ったのである。「フー・ジュンは北京にいないと思うけど」。
 ぎく〜。……私は公司からの電話を受けたとき何か大事な部分で聞き間違えをやらかしたのであろうか……頭の中が白くなった。その内心のパニックを察知したのかどうか、親切な永寧氏は「電話してみよう」と携帯電話を取り出した。そしてしばし耳に電話をあてていたが、パタンと閉めて、「つながらない」。
 おーまいがっ。おっさんは今どこに……。
 しかし、それまでもさんざん自分に言い聞かせてきたが、今回はもともとリウ・イェに会うためにだけ来たのである。それが、永寧氏にも会えた。さらに欲こいてフー・ジュンに会えることなど期待したらそれこそばちがあたってもおかしくないのだ。会えなくても決してがっかりすべきではない。
「いずれにしても、公司でフー・ジュンの資料をもらえるそうなので行ってみます」
 と、そんな冷静な言い方を私ができたかどうか実はまるで覚えていないが、とにかく会見は済んだので永寧氏はにこやかに握手して去っていった。私はカフェの席で「ふ〜〜〜」と深呼吸をし、残りのコーヒーを飲みほし、ホテルに戻った。

 公司が指定した午後4時まではまだ時間がある。私は前日に引き続き王府井へ繰り出した。東方市場とかいうビルの中にある映画館に行ってみると、うまい具合に『天下無双』の上映開始まであと30分くらいというタイミング。しばらく書店などをひやかしてから、映画を見た。北京なのでとーぜん北京語吹き替え。字幕がないのはキツかったが、キュートでバカバカしくそしてハッピーエンドな映画で、朝っぱらから神経を消耗してきた自分にはぴったりのチョイスだった。おかげで元気が出た。

 そうこうするうち午後3時。早めに行って公司の近所をぶらついていようと思い、私はホテルを出た。午前中は寒かったのでブ厚いオーバーを着ていたが、午後は気温が上がってオーバーでは汗ばむ。薄手のコートにチェンジして、「さあいよいよ、おっさんが本当に居るかどうかが分かる時がきた」などとドキドキしながらタクシーに乗り込んだ。その時点で、私は今回最大のポカミスをおかしていたことに気づいてない。
 目的地まで距離的にはさほどでもないようだったが、交通渋滞がひどく、早めにホテルを出たのは正解だった。30分くらいかかってようやく公司の入っている大きな商業ビルの前に着き、タクシーを降りて、私はハッと気づいた。フー・ジュンと公司の小姐にあげるため手提げに入れて用意しておいたおみやげを、まるごとホテルに置き忘れてきたことを。
 なんたる失態……。なんのために日本から、割れないよう気を付けてどんぶりを……。
 我ながらバカすぎて、落ち込むどころか笑ってしまった。チクショウどうも今日は朝からギクシャクしっぱなしだ。けど、まあ、フー・ジュンが居なくて公司で資料をもらうだけなら10分もあれば済むだろう。あとでもう一度おみやげを届けにくればいいことだ。
 私はそのままビルに入った。香港の商業ビル並みに豪華で綺麗なビルで、各フロアにたくさんショップが入っており、どこに目当ての公司があるか見当もつかない。近くにいたガードマンに聞くと、そこのエスカレーターを昇ってから、直進すると左手にエレベーターがあるからそれに乗れ、と手際のよい返答。中国のサービスもすっかり近代的になったもんだ、などと失礼な感心をしながら、私は言われたとおりに進んだ。
 エレベーターホールに着くと、男性が1人、立っていた。黒いコートに黒いセーター、黒いスレンダーなパンツに、黒メガネ。背が高くて足が長くて、やたらめったらカッコイイ。今どきの中国の男ってレベル高いんだなあと、これまた少々失礼な感心をしながら、その人がエレベーターの方へ顔を向けているので私は無遠慮なほどしげしげと見とれていた。ふと、その鼻の形に見覚えがあるような気がした。あれ……こ、この横顔は………
「胡軍……?」
 途端に黒づくめの男はパッと私を見た。その瞬間の驚きを私は一生忘れないだろう。
 こういうかたちで彼に遭遇できたことが、奇跡でなくてなんであろうか。今回、北京に来て、なにゆえこれほどの幸運が私に許されたのであろうか。これはもしかして帰りの飛行機がクラッシュするということなのだろうか。
 朝から何度も石になってきた自分だが、再び石になってしまう前に言っておかねばならないとばかりにアセって私は「日本から来た記者です」と伝えた。するとおっさん、「ああ、これはこれは」と手を差し出しながら歩み寄って来た。あかん、気絶しそうや、わし……。

 それから我々2人(ぎゃーーー、嬉しすぎる!)はエレベーターに乗り、公司へ向かった。「さ、こっちだよ」「さ、お入り」とおっさんに案内されて、私は完全にハラホレヒレハレの腰抜けモード。
 オフィスに入っていくと、たくさんの機材と何人もの取材陣が待っていた。「?」
 つまり、3時くらいからおっさんの取材は予定が組まれていたのだった。てことは、もうすぐ4時だけど私の番が来るのは5時くらい?……。「すまないけど、彼らの取材をまず受けるので、待っていてくれないか」とおっさんに言われた私は、心の中で「ラッキー! その間、ほかの人が取材するところを見られるやん」とほくほくしつつも、その間にホテルに戻っておみやげを取って来るべきであろうと思い直し、「実は今日あなたが北京に居ないような話を聞いていたので、あとから届けようと思ってプレゼントをホテルに置いてきました。こうしてお目にかかれたので直接さしあげたいから、取ってきます」などと、むちゃくちゃ苦しい言い訳だなあと思いながら申し出た。「え? ホテルは遠いの」「いえ遠くないです、すぐです」「じゃあ行っておいで」
 というわけで私はいったん公司を後にし、飛ぶように外へ出てタクシーをつかまえた。道は相変わらず渋滞していたが、さいわいその運ちゃんは抜け道に詳しく、渋滞を避けてホテルまで。部屋へ駆け戻り、おみやげを今度こそ1つ残らず持って、私はまたすぐタクシーをつかまえ公司まで。往復ほんの20分くらい。これぞ火事場の馬鹿力(?)。

 公司に戻ったとき、まだ先着の取材は続いていた。その時おっさんが着ていたのは公司に来たときと同じ黒のセーターだったが、雑誌らしきその媒体の記者陣が去ると、いつのまにか彼は茶色のタートルネックセーターに着替えていた。
 次の媒体は北京テレビ。彼らが大がかりなセット(巨大なおっさんの顔アップの垂れ幕を背景にしていた)を組んで取材しているかたわらで、私はそれを見物したり、公司の小姐とおしゃべりしたり、おっさんの写真がどっさりファイルされているアルバムを見せてもらって狂喜乱舞したりしていた。
 おっさん不在説のナゾもとけた。北京にいないと永寧氏が言っていたのはムリもないことで、おっさんはテレビドラマ『中国足球』の撮影で長期滞在中の上海から戻ったばかりだったのだ。そしてまたすぐ翌日あたりに上海へ行くらしかった。なぜ彼が一時的に北京に戻ったか。おそらくその晩から北京テレビで放映が始まる、彼が悪役で出演した『背叛』の宣伝の関係だったと思われる。私が北京へ来たのが1日早ければ彼に会えなかったし、1日遅ければやはり会えなかったのだ。
 こうまで自分に運が味方してくれた以上、できるだけのことをやらねばならない。日本からフー・ジュンに取材が来た、という物珍しさから、あろうことか北京テレビが私の取材風景を逐一撮っていくという予想外の展開も、このさいどうにでもしてくれ状態。すっかり見せ物になりながら、私はほとんどやぶれかぶれに自分の取材をやりおおせた。例によってヘタクソな中国語で、時に笑われながらのやりとりだったが、ともあれ詳細はインタビュー欄(準備中)を参照ください。
 ちなみに私の番が来たとき、おっさんは再度お色直しをした。トップをまた別のセーターに着替えたのである。媒体ごとに違うものを着るとはさすがなりー。
 私の取材が順番の最後と公司の人は言っていたが、北京テレビがそのあとさらに追加して取材を始めたので、ずうずうしついでにそれも見物して、結局2時間半くらい私はその場にいたが、ついには万感の思いでおっさんと握手し、公司をあとにした。

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