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中国現代演劇関係のちょっとした情報
たまたま本を読んでいて、胡軍の経歴にクロスすると思しき中国演劇界の文章を発見。「をを!」とひとしきり1人で盛り上がった浦川です。あまりにもいまさらですが引用紹介します。出典は「月刊 しにか」(大修館書店)1994年7月号。の中のp.76〜84に載っている「中国演劇の危機と再生の芽 天安門事件後の中国演劇界」(筆者:瀬戸宏氏)
「 一九九四年は日中演劇交流の歴史の上で、画期を記す年になりそうだ。七、八月に中央戯劇学院『十二夜』が兵庫県尼崎のピッコロ・シアターで、中央実験話劇院『思凡』と上海戯劇学院『大劈館』が東京新宿のタイニイ・アリスで、それぞれ上演されるのである。来年一月には、林兆華の独創的な演出による北京人民芸術劇院+戯劇工作室『ハムレット』の公演もパナソニック・グローブ座で予定されている。
中国演劇の訪日公演は京劇など伝統演劇は数多いが、現代演劇は一九八三年の北京人芸『茶館』以来数えるほどしかなかった。今回の一連の訪日公演は現代演劇としては4年ぶりであり、しかも過去の舞台が伝統的な話劇であったのに対していずれも実験的色彩の濃い小劇場演劇なのである。・・・(略)」
「・・・(略)九一年六月には、当時中央戯劇学院導演系研究生(大学院生)であった孟京輝がやはり学内で『ゴドーを待ちながら』を上演した。彼はこれ以前にも、九〇年一月にピンター『料理昇降機』、九一年一月にイヨネスコ『禿の女歌手』を学内上演している。この『ゴドーを待ちながら』は、九三年三月にベルリンで開催された中央前衛芸術展に招待された。孟京輝は卒業後中央実験話劇院に就職し、活発な活動を続けている。一九六五年生まれの彼は、現在中国で最も若い演出家の一人である。・・・(略)」
「一九九二年は北京人民芸術劇院創立四〇周年であった。これを記念して北京人芸等の主催により、7月に記念上演と国際シンポジウムが行われ、記念上映では『雷雨』『茶館』『犬だんなの涅槃』『セールスマンの死』が日替わりで連続上演された。シンポジウムでは『茶館』等の演出家焦菊隠の功績が高く評価され、その作風の継承が強調されたが、林兆華はシンポジウムで舞台上演の固定化を否定し芸術作風の絶え間ない革新を主張する大胆な書面発言を行った。
九二年にはまた、上海青年話劇団上演のピンター『恋人』が大ヒットし経営的にも大きな黒字を出した。中国社会、少なくとも都市部には不条理劇の受け入れ可能な土壌がすでに形成されていることが、これで証明された。
日本人として述べておかなくてはならないのは、この年四月の劇団四季『李香蘭』、十一月の新宿梁山泊『人魚伝説』訪中公演であろう。特に後者は日本のアングラ演劇初の訪中公演であり、公演の成功はこれまで中国と縁の薄かった日本の小劇場演劇界が中国に広く目を向ける契機ともなった。・・・(略)」
↑というふうな箇所で浦川は盛り上がったわけですが、この論考の大まかな主旨としてはすなわち、天安門事件で規制が強化されていた中国演劇界だが、90年代前半に実験的・前衛的な演劇が興隆し始めたことは注目に値し今後に期待したいという内容だと理解しました。94年の論考でもあり、はからずもおっさん道にはまった今ごろになってこういう文章に反応するようになった浦川には演劇界事情や動向について語る資格はなきに等しいのですが、どうやら胡軍が中央戯劇学院に学び北京人民芸術劇院に進んだ時代は、ちょうどこのような中国現代演劇の変わり目というか発展期というか過渡期というか多角化の時期だったとは言えるのではないでしょうか。彼らは中国における前衛演劇の夜明けを肌身に感じて舞台に立っていたんでしょう。そして一世代後輩のリウ・イェらはそうしたものをより享受したり必修として学んでいたものと思われるんですが、なぜかというとリウ・イェはこれまで見た舞台劇で好きなものの一つとして『人魚伝説』をあげておったのです。どこのどういう芝居のことなのかそのとき浦川はわからなかった(泣)けど、それは新宿梁山泊のアングラ芝居だったのではないでしょうか。 演劇にうとい自分がちと残念な今日このごろです。
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