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「何者?劉征」**************************************************
シナリオを繰り返し読む。実に計算された、計算しつくしたあげく破綻すら帳消しにできるほどの構成だ。これでもかこれでもかの伏線。しかし、映画でそれが鼻につくことはない。それどころか、話をとことんシンプルに、分かりやすくし、純度を高めている。高級料亭の、一見なんでもない極上のお茶漬けみたいな感じというか。それは監督の意図であったようだが、実際にはもっとたくさんのシーンを撮り、最終的に編集でギリギリまでそぎ落としたわけだから、当初のシナリオはもっといっぱい詰め込まれていたはずで、この仕上がりの秀逸さはむしろ大胆な編集の手柄と言える。脚本の手柄は、原作との数々の相違に反映されたオリジナリティだろう。
映画の捍東と藍宇は、關錦鵬を中心とする製作スタッフの思いが投影されたキャラクターであり、劇中の2人のさまざまな葛藤に自らの恋愛経験(のみならず誰しも何らかのうずきを呼び覚まされるような普遍的な記憶)が重ね合わせられているように思える。そして私もそうだけど、原作を読んだ1人1人がイメージした捍東像と藍宇像ってものがあるはずで、結局、原作を読んでから映画を見た人が往々にして釈然としないのはしょうがないことなんだ。たまたま自分は映画が先で、それから原作を読んだために、さらなる深みにハマれたのかもしれない。
シナリオを読みつつ感じた不思議の一つに劉征の存在がある。捍東の部下にして親友という表面的な見方を安易に自分はしていたけれど、彼こそが黒子であり狂言回しではなかろうか。しょっぱなから、どういう理由でか困窮していた藍宇にたかだか1000元で体を売る覚悟をさせるとはひどくヤクザめいた荒技である。だいいち、捍東に説明したように藍宇が「友達の弟」ならばその「兄」なり劉征なりがカネを用立ててやるのではなぜいけないのか。まるで藍宇の純潔をもてあそぶかのように、ほかに方法がないと世間知らずの藍宇に信じ込ませた人身売買のブローカーもどきの劉征、あんたは一体何者だ。友人の弟というのからして本当とは思えない。その後一度として藍宇自身は兄の存在を語らない。母と父のわずかな情報は示されるが、家族に兄がいる気配がない。
それからまた林静平を捍東にめぐり会わせたのも劉征だ。しかもどうやって彼女を手配したか捍東に聞かれてもシラをきってみせる。実はこの林小姐、原作ではなかなかの食わせモノで、映画をよおっく見るとその計算高さをうかがわせる空気は流れている。その上で映画は観客がそれに気づかなくていい程度に抑え、才色兼備イメージを保持する。これが最初から計算された演出だとしたらすごすぎるが、実際には彼女の出演シーンはもっといっぱいあったという。どんなシーンを撮って、捨てたのか、知りたいもんである。いずれにしても、藍宇と静平という捍東にとって人生上の運命的な相手はいずれも劉征がどこかから連れてきたのだ。これが何を意味するか。。。熟考の価値ありやなしや?
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