「藍宇」LAN YU 雑感

北京の思い出 ***************************************************
 雑感其の壱で、藍宇が劉征に言いくるめられ(?)1000元で援助交際しようとしたことに関して「たかだか1000元」と書いたが、それは劇中で捍東が藍宇の値段を聞いてそういう反応を劉征に見せたからに過ぎず、では一体88年当時、北京の物価はどうだったというのを私は知らないのである。そのことが心にひっかかったとき、ふと、なつかしい気持ちが湧いた。私ってば85年に北京を旅したことがあったよな! 85年といえば藍宇がまだ湖南省の山奥で郵便配達をしていたころだ。(内輪ネタ。分からない人は深く考えないよーに)…… というわけでいきなり古〜い思い出話です。
 85年1月。会社の同僚の年輩女性が、「香港で売りとばされたら今生の別れかも」と本気でしんみりしながら寿司をおごってくれた翌日に、若造でバックパッカーを気取っていた私は『地球の歩き方』を手に初めての香港へ飛んだ。当時は香港映画にハマる前で、単に深■(王川)で中国入りのビザをとるためだけの一泊。夜に着き、街歩きもせず、しょぼーいホテルで眠って翌朝すぐに電車で深センへ。なんとかマニュアルどおりにビザをゲットし、今度は電車で広州へ行き、その晩の北京行き国内線チケットが運良く買えてそのまま広州もあとにした。小さなボロ飛行機で、出たのは菓子パンとお茶。それが上へ下へとぶっとんで食べられないほど激しく揺れる機内で隣に座っていた若者が香港人で、ちょっと話などした。北京空港に着くともう夜更け。右も左も分からない自分は相席のよしみでその香港人にくっついて最終バスで北京市内へ。着いて降りた所は、街とは思えないほど暗くてさみしい場所。そして厳寒(1月の北京はめっちゃ寒い!)。泊まる場所など決めてもおらず、深夜の路頭に迷いかけたところを今度は同じバスに乗っていた香港人学生の一団に「一緒においで」と言ってもらえて人の情けが身にしみた。彼らが泊まろうとしていた某ドミトリーへくっついて行くと、すでに満室、誰ひとり泊まる部屋なし。外は雪がちらついて零下10度くらい。仕方ないからみんな思い思いにロビーや廊下で座り込んでいると、服務員がお湯の入ったポットを差し入れてくれてまた人の情けが身にしみた。それでもなお寒くてたまらず、ついにはボイラー室にもぐりこんで夜をあかした私であった。今思うと単に無計画なだけの馬鹿ツーリスト。しかしとにかく生まれて初めての北京旅行は終始そんなふうだった。
 翌朝、無事に部屋が予約できたので、数日間はそのホテルが手配する市内観光バスで名所めぐり。万里の長城も人民大会堂も故宮も天安門広場も、有名なところはひととおり行った気がするんだけど、旅日記もつけなきゃ写真も全部で30枚くらいしかとらんかった自分は、今となってはもはや細かいことを何一つ思い出せない。郷愁にみちた、ぼんやりした記憶だけ。。。やれやれ。そういえば毛沢東主席の遺体も見たど。あいやー!どこで見たんだろう?すげーもんを展示する国だと感心したことだけ強烈に覚えてる。 北京観光を駆け足でこなしたあとは近郊まで足をのばし、大同の石窟なども見に行った。すすっぽい街で、白いジャケットが灰色に変じ、鼻をかむと真っ黒けなもんが出た。3段ベッドの寝台列車では1人1人にアルマイトのポットでお湯が配られた。当時、いなかの街で日本人が1人でうろうろするのは相当珍しかったらしく、穴があくほどじろじろ見られたり、子供たちが後を着いてきて「ハロー」と言って笑ったり、食堂で麺を注文したら小姐が緊張した顔で先客より早く持って来てくれたり、そんな記憶ばかりが今、自分のツボを刺激する。
 なつかしついでに、わずかばかり撮った写真から何枚か載せよう。

 

上左:たしか故宮近くの池だったかと。かんぺきに凍って、人がスケートしています。
上右:泊まる部屋がなくて廊下で夜明かしをする香港の小姐たち。声かけてくれてありがとね。
下左:名高い、旧中国式トイレ。田舎の方では仕切すらない穴だけのぼっとん便所も体験した。開きなおればやれるもんです。もらすよりマシさ。ところで前向きと後ろ向きと、どっちがうんちんぐスタイルとしては正しいのだろう?
下中:故宮の裏口のような気もするが。。。思い出せない。この寒いのにアイスクリーム屋の屋台が!とびっくりして撮っただけの写真なんですもの。はぁ。

 

下:たしか大同の、今ふうにいえばファストフード屋。湯気にさそわれてマントウを買い食いしたような気がする。



長々と年寄りの繰り言、ぜんぜん藍宇と関係ないやん!と思われたことでしょうが、ここから関係があるんです。つまり、浦川の行った85年冬の北京は、なべてこんなふうだった。寒くて、暗くて、道行く人々はほとんど紺色か緑色の人民服系オーバーを着ぶくれて、一様に帽子をかぶり、およそオシャレな感じはなかった。北京飯店が唯一の高級ホテルだったところへようやく長城飯店という豪華ホテルができ、金持ちたちがわれ先にと接待に使っていた。百貨店ではいちいち服務員に指さして商品を持ってきてもらわねば手にとって見ることができなかった。そんな、昔っぽい、地味な街でした。
 ところが3年後の88年夏。藍宇と捍東が出会った北京の街は、なんと様変わりしていることよ。彼らが2度目にばったり出くわした89年2月も、道行く人々はもう誰も人民服ふうオーバーなど着ていない。日本料理屋が普通にあり、学生たちは日本のカルチャーや香港のポップスにあこがれて。。。ほんとに北京はすごい勢いで変わってきたんだなあと、あらためて感じるね。ちなみに浦川が次に行った96年にはもっともっと変わっていたし、たぶん今はさらに変わりまくってとどまるところを知らず。映画のラストで捍東が藍宇に語りかけた言葉が、きゅううと胸をしめつけるのは、藍宇がもういないから、それだけじゃなく、彼らが共にいた時代もまた葬り去られていく光景が街じゅうを覆っていたからなんだ。
 で、懸案の1000元ですが、あいにく88年ごろ持っていた中国のガイドブックはもう捨てちゃってたので、95年ごろ出版されたのを見てみると、なんと「一般の中国人の平均月収は約250元。日本円にして3000円ほど」と書いてある! おいおい、95年でそうだったら、88年なんてどうなるの! 藍宇は一晩で平均年収の何倍も稼げるからこそ体を売ったってことになる。それをたかが1000元よばわりする捍東、天文学的数字の金持ちだったのか!? だったらそりゃ静平がほっとかないわなあ。う〜ん、ますますひっかかるなり〜1000元。。。

**************************************************

Lan Yu TOP PAGE