「藍宇」LAN YU 雑感

台湾金馬奨と香港金像奨***********************************************
 自分が見物に行くようになったここ数年に限っていえば、台湾金馬奨(12月)は、翌4月の香港金馬奨の前哨戦的な位置づけに、それなりにあったと思う。開催時期がずれているため、金馬奨が終わったあと金像奨までの間に審査対称となったような一部の映画は逆に「金像奨でいい線いったから金馬奨もノミネートされそうだ」ということになるのだが、それはさておき全体的にみて金馬奨と金像奨は、少なくとも香港映画の扱いに関してそれほどカラーのちがいというのは感じられなかったのである。
 ちがっているのは金馬奨では大陸や台湾の映画が香港映画の隙間をぬうようにノミネートされてることであって、とりわけ年間製作本数が10本やっとみたいな台湾映画についてはハタ目にも苦しいくらい精いっぱいノミネートしたり受賞させたりし、年によっては大陸の映画もそれなりに健闘したりする。かたや金像奨は基本が香港映画対象だから台湾や大陸の映画は賞レースの当事者とならない。というちがいは歴然とあるものの、ヒットする映画、アジア全域に通用する明星の出ている映画は香港映画の独壇場みたいなものだから、いきおい台湾金馬奨でも香港映画はどっさりノミネートされるしゲストも大勢来るし、「まるで香港の映画賞みたい」と地元映画人が自嘲気味に語るほどの勢力なのだ。
 で、まあ、なにが言いたいかというと、つまり今回の金馬奨と金像奨では、そういった、これまでの「似たもの同士」的な印象が様変わりしたってことなのである。
 先の金馬奨では、『藍宇』と『ドリアン・ドリアン』がノミネート段階で並び立ち、結果はそこそこ賞を分け合ったように見えつつ実質的に『藍宇』の大勝ちだった。そして自分としては、『藍宇』に目がくらんでいるあまり、『少林足球』がほとんどノミネートされてもいないと知ったときの「『少林足球』を無視するたぁどういう了見やねん?!」と瞬時に沸騰した驚愕と怒りと疑問と慨嘆をいつしか忘れ、「ここまで大勝ちしてからには『藍宇』は金像奨もイケるかも」と思ってしまったのであった。
 その楽観的な予想は、みごとに金像奨で同一エネルギーをもってして自分にはねかえってくることなった。すなわち、『少林足球』が「金馬奨なにするものぞ」と怒髪天をつかんばかりのノミネートをものにしたのみならず最優秀作品賞、監督賞、主演男優賞ほか4部門受賞という、笑いがとまらないような大歓迎を一身に受けた一方で、『少林足球』に次ぐ11部門ノミネートを誇っていた『藍宇』が、思いもよらない無冠に沈んだのである。
 さすがに授賞式当日は自分の『藍宇』への思い入れがなんだか否定されたような錯覚すら起こし(ただの錯覚です、もちろん)、「こんなことがあっていいのか!?」と愕然とした自分であったが、時間がたつにつれ、いっときの感情とはまた別のいろんな考え方をするようになった。
 きっかけは、金像奨の数日後に『藍宇』ファンをぎょっとさせた「『藍宇』は大陸当局の許可なく撮影したから、そういう作品に出演した胡軍とリウ・イェも違反したことになり、最大で向こう5年間映画出演を認められないかもしれない」うんぬんのニュースだった。一読して「なんなんだ大陸っちゅうところは!?」と寒いものを感じたとき、ハッと思ったのである。香港は大陸に回帰したのだから、大陸当局がをただでさえ神経とがらせている無許可撮影&上映禁止な同性愛映画『藍宇』がホイホイと受賞したりしたら正直やばいんじゃないか、と。「たくさんノミネートしたから文句なかろ?」といいたげなゼロ受賞は、とっくに織り込み済みだったのではないかと。
 そしてまた、金馬奨であれだけ『藍宇』が受賞しまくった一方で『少林足球』が徹底的にかえりみられていなかったことを思うにつけ、今回、金像奨は、娯楽映画天国である香港映画界の威信をかけてまっこうから金馬奨の芸術映画偏重主義に対抗したのではないかという気がする。あるいはそんな仰々しい対立の構図ではなく、もっと互いのカラーを鮮明にすべく両者が暗黙のうちに棲み分けを進めたという分かりやすい方向性の提示だったのかもしれない。
 といった要因を背景に、『藍宇』は金像奨における「『少林足球』の表面的な対抗馬」だったというふうに考えると、実際そうなのかどうかは知らないが、少なくとも自分の中ではちょっとおさまりがいいのである。たとえそれが「自己ヒーリングとしての説明付け」に過ぎなくてもね。
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