戻る

新聞ひろい読み


「血液型の偶然」


液型O型とB型の両親からA型の子供が生まれたが、DNA鑑定の結果、血液型は違うものの確かに両親の子供であったとの事。

気になるのは、

1.母親の卵子生成の際「偶然」に
2.血液遺伝子の「組替わり」が起こり
3.A型「そっくりさん」になった。

以上の3点である。

言うまでもなく「DNA」とは生命体のもっとも根源的な情報蓄積部であり、両親どころか人類がヒトとなる遥か以前、水中生命体の藻が光合成によって酸素を発生させたころ、否、もっと以前の、地球生成それ自体にまで及ぶほどの太古から膨大な生命進化に関する情報が蓄積されているとの事。

40億年もの間、地球上の生命体は自己複製の形で、その進化の記録を「DNA」の中に蓄積し次世代へと継承してきたわけである。

最近では、このDNA科学を応用した「クローン」の研究という、神の領域を侵すような事も始まっているが、それはさておき生物史上、かってこのような「偶然の組替わり」はあったのだろうか。もちろんあったに違いない。でなければ進化論の説明はできない。

当然人類にも生じていた筈で、今回は医科学の進歩が証明したよいケースだろう。

さて気になるのは、この「偶然」と言う点で本当に偶然としてよいのだろうか。そこには何かもっと違った要素が作動していないだろうか、という疑問である。

例えば、仏教で言う「三世両重の因果」一般的には「この世の事柄は前世の原因から出てきた結果であって、また、現世での行いは来生で必ず結果として現れる。善因前果悪因悪果、善いことに修身すれば必ず善くなる。

だから日々、善行を積むべし。でないと、人間はいつまでも輪廻を繰り返しつ続け、業から解脱することはできない」とこうなるわけであるが、これを少し違った説明をすると「原因の無いところに結果は無く結果は何らかの原因によって生じる」となる。これが「無始無終」の根本教義。

では、今回の「偶然」にも原因があったことになるが、果たして人間の作為とは思えない。

如何に科学の進歩と言っても「自然界の秩序」については、何ら証明できないでいるのが現状なのだから。とわいえ、ここまで解明できたのだから科学もたいしたものである。

=1997/11=



前へ 情報に戻る 先へ

Copyright(c) 1997 Nihon Noden.Inc All Rights Reserved