
|
1 |
| 頑張って続けてきた日記もついに途絶えてしまい、このままずるずる止めてしまいそうだったのだけれど、天気もよかったし、知人が頑張っている姿を見て励まされたりして、とりあえずまた再開。 昨日の夜、友人と話し合わなければならないことがあって、待ち合わせの時間より早めに銀座に着いたので、伊東屋でシステム手帳のリフィールを買いました。ついにファイロファクスも10年選手です。 ぼくがスケジュール管理に使っているのは、一週間が見開きになっているものなんですが、同じようなものがいろいろなメーカーから出ています。土日が休みとは限らないので、すべての曜日が同じ大きさのほうがいい(ビジネス用の多くは土日が狭い)し、できれば毎ページごとに小さくカレンダーが刷られているほうが好きです。国産のものは多機能で便利なんですが、それゆえに制約が多く、思い付いたことを自由にメモしたり、重要度によって文字の大きさを変えたり、そういった使い方に向いていない場合が多いです。最新のカメラにも似たようなことは感じるんですけれどね。それで結局、ファイロファクス純正のリフィールを買いました。味も素っ気もないもので、祝日がわからないからシールを貼らなきゃいけないのが弱点。でもこれがいちばん合っているみたいです。 今日は海へ写真を撮りに行きました。 ズミクロンの付いたM3をたすき掛けして、バッグにはフィルムを4本、ipod、クオヴァディスだけ。気楽でよかったです。そのせいかすごく気分よく写真が撮れました。まだ現像していないから確信は持てないけれど、かなりよい出来なんじゃないかな。被写体に恵まれ、自然にカメラを向けることができました。 撮りながら、ふと掲示板に書かれていた質問を思い出したんですが、背景に合わせて被写体を待つことってほとんどないですね。長くても5分くらいです。CAPAでは、わかりやすいようにああやって話したけれど、たいていの場合は背景とそこにいる人物と両方を一緒に見つけてシャッターを切ります。晩ご飯のおかずを決めるのは材料が先か料理が先か――というくらいの感じで、どっちかが先になる場合があるということです。 長く待っていると、だんだんと「ここには何かある」と思った気持ちが別のものに変わっていく気がするんです。同じ被写体を何十枚も撮るようなこともありません。うちのHP内のギャラリーにある写真のなかで、アザー(同じ被写体の別のカット)が存在するものは2枚しかないです。あとはすべて1枚きりしか撮っていません。音楽をやっている人ならわかってくれると思うんですが、アドリブでギターソロを弾いたとき、ちょっとミスがあったからといって同じメロディをなぞっていると、だんだん洗練されていくのだけれど最初の勢いが失われていくんですね。そのようにして撮られた写真は、誉めてもらえることはあっても、自分のなかで好きになれないことが多いです。 同じく掲示板の話題から、リチャード・アヴェドンが入院というニュースは知りませんでした。今さら新作が見られるなんて期待はしていないですけれど、元気でいて欲しいです。一年に二人も尊敬している人を失うなんて辛すぎる。 夏目漱石は持病の胃潰瘍で亡くなったわけですが、最初に倒れたときには回復して執筆を続けました。それが「行人」です。二度目に倒れたのは「明暗」を書いていたときで、そのまま帰らぬ人となったわけですけれど、その「行人」の終盤から未完となった「明暗」まではすごい密度の文章を書いています。闘病がそれに影響しなかったはずはありません。アヴェドンにももう一度カメラを手にしてもらって、どんな写真を撮るのか見たいです。老いていく自分をセルフで――というのはありがちなので、ライカを手にしてくれたらいいな。アヴェドンの35ミリ判の写真は多くないけれど、なかなかよいんですよ。 |
|
2 |
| イチローの記録達成とドラゴンズの優勝と、愛知ではどっちのほうが騒ぎになっているんでしょう? たぶんドラゴンズの優勝ですね。愛知の人たちのドラゴンズに対する情熱は、大阪の人たちのタイガースにかける想いを超えると感じます。日本中がひとつの話題で盛り上がっているのに、中日タイムズだけは「今中 引退か?」なんて見出しになっていたのを見た記憶があります。 それにしても、こんなに大事な試合なのに地上波で放送がないのはどうしてなんでしょう? イチローの打席になると映像が切り替わるんだけれど、できれば地元のファンたちがどのようにイチローを応援しているかとか、大記録がかかった試合に独特の雰囲気とか、なんとかイチローに打席を回そうとするほかの選手たちの様子とか、相手ピッチャーの微妙な心理とか、そういったものも観たいです。 イチローはメディアに対して無愛想で、日本から出て行くときに愛想を尽かしたようなコメントが多かったこともあり、これだけの成績を収めているのに、もうひとつ愛されていないように感じます。「イチローの活躍が心の励みだ」なんてサラリーマンを新橋で見かけた記憶もありません。内野安打が多いことも理由のひとつかもしれないです。日本では「あーあ、内野安打かよ」と落胆に近い反応なのに、アメリカでは「ワーオ、あんなのをヒットにしちゃうなんてビューティフル!!」といった歓声が上がる違いがあると、イチロー本人は言っていました。たしかに内野安打のほうが野手との勝負も見られるし、スリリングではありますよね。 それにしても、「鈴木一朗」という名前に対して、姓名判断の専門家はどんなコメントをするのか興味があります。「イチロー」という名前にしたことが成功の要因だとか言うのかな。 イチローが日本にいた頃、「これだけ頑張っているのに野球人気が盛り上がらないのは残念で、これ以上ぼくは何をすればいいんでしょうか」というような話をしていました。その当時、4割近い打率を維持していて、練習でも背面キャッチを披露してファンにサービスしていたのに、あまりお客さんが増えなかったんですね。みんな「次の記録は?」と求めるばかりで、「いま最高のプレイをしている選手を生で見よう」という気持ちになってくれないじゃないか、というのがイチローの本音だったみたいです。大リーグで活躍する日本人のパイオニアである野茂のいた近鉄も、イチローがいたオリックスもなくなってしまうのは、必然なのかもしれません。 たぶん、安打数の世界記録を作ったからには、来年は4割を期待されることと思います。「それを目指すようになったら、ぼく自身が野球を楽しめなくなる」と言っていたイチローだけれど、頑張って欲しいものです。 ところで、タイ記録を達成する瞬間と、新記録を更新する瞬間って、どっちのほうが歴史的瞬間だと思いますか? ボールはどっちが高いんでしょう? ぼくが「ロンドンより愛をこめて」のなかに書いたマリオ・テスティーノの展覧会が開かれるようです。予想よりもずいぶんと遅かったですね。ぼくが観たのと同じ展示形態かどうかわかりませんが、近くに行く機会があれば是非。 |
|
3 |
| 「ライカ使い」なんて言い方をされたり、メールや掲示板に「ライカを使わないので申し訳ないんですが」とか「小生、貴殿の本を読んでライカウィルスに感染しました」なんて書かれるのが好きでないこともあって、意固地になってライカのことを書かないようにしていたんですが、ぼくの本を読んでライカを手にしてくださった人も多いようで、おそらくはここを読んでいる人のなかにも「たまにはライカの話も読みたい」という方もいるのではないかと思います。 ということで、ライカに関する近況です。 「どのライカをいちばんよく使うか」という質問はとても多いんですが、愛用しているというのと、いちばん好きというのは、違う機種になることもあります。その時期に撮っているものとか、常用しているバッグとか、出かけることの多い街とか、そういったことによって出番の多いライカが変わることがあるからです。 メーターが付いている気楽さからCLを常用することもあれば、白い服を着ることが多くなればリフィニッシュ(塗り替えです)したM2にズミルックスを付けて持ち歩いたり、きっちり撮れないことにおもしろさを感じてVf(3fです)にファインダーを乗せて28ミリや21ミリを使ってみたり、自分の生きてきた年月を振り返るために歳が近いM4を使うこともあります。ACROSを常用するためにズミクロンをズミルックスに変えた時期もありました。 街の広さや人通りの多さによってレンズを決めることもあるから、そのレンズに合わせていちばん使いやすいライカを選ぶことも多いです。田中希美男さんと対談したとき、「パリには28ミリがよく合った」と言っておられたのですが、細い路地が多く、壁や路面に質感がある街では、28ミリみたいなレンズは使いやすいんですね。 それでも、いちばん好きということなら、一回巻き(SS=シングルストローク)のM3に、固定鏡胴のズミクロン50ミリの組み合わせになります。 沈胴のズミクロンも味のある素晴らしいレンズですし、階調だけならエルマーのほうが上かもしれません。M3だって二回巻き(DS=ダブルストローク)のほうが仕上げは丁寧で動きもスムーズだったりします。 でも、ちゃんと自分の作品を撮りたいと思ったとき、扱う心地よさとか信頼感は必要で、なおかつ写りは妥協したくなくて、あらゆるケースを想定して操作性も考慮すると、この組み合わせ以上のものはぼくには考えられません。たぶん、ずっと変わらないでしょうね。 奇しくもこれは、ぼくが初めて買ったセットでもあるわけです。「いちばん安いから」という恐ろしく安易な理由でこの組み合わせを購入したのだけれど、出会いってそれくらいのほうが長続きするものですよね。 実を言うと、M7を買っておこうかと思って、お金も用意してカメラ店まで行きました。ぼくはAE(自動露出)に関してはそれほど否定的ではなく、むしろ積極的に使うことによってメリットは多いと主張してきました。もしかしたらM7は最後のM型ライカになるのかもしれないし、かなり値引きされていたんです。 店に着いて値段を確認して、店員を探したら見つからず、そのうちにあちこちに貼ってある最新のカメラの宣伝文句が目に付いてきました。何とかお任せ機能だとか、手ぶれ防止がどうとか、そういうの。ぼくが真剣に写真を再開しようとカメラ店に行ったときも、似たような気持ちになったのを思い出しました。当時はAF全盛期で、ストロボとモータードライブが内蔵され丸みを帯びたデザインになっていて、ぼくが欲しいと思えるものがまったくなかった。それで中古のF2を買ったんですが、今回も「時代の流れに取り残されたんだな」と実感したわけです。 ちょっと冷静になろうと思って外に出て喫茶店を探していると、やさしい光が路地の向こうから差し込んできて、日傘の影が横断歩道に映し出されるのが美しく、それがきれいな形で交差する瞬間に、「このタイミングだな」と思いました。 でもライカを買うつもりだったから、カメラを持っていなかったんです。頭に残っている映像を巻き戻すようにして、「あそこで撮るとしたら露出はいくつで何ミリがよかったかな」と考えたとき、浮かんでくるヴィジョンがなかった――理想を思い描けなくなっていることがショックでした。実際に撮れるか撮れないかはいろいろな事情もあるけれど、「こんなふうに撮れたら素敵」という理想は、ずっと持ち続けてきたつもりでした。だから、連写しておいて後で選べばいいやなんて撮り方や、トリミングできるからルーズに撮っておこうとか、とりあえずオートだから何も考えずにシャッターを切る、なんてのが好きでないんです。もちろんパソコンを使った後処理なんてもってのほかです。瞬時に理想を描き、そこにどこまで近づけるか、あるいはその理想を超えられるか――というのがぼくにとっての写真の醍醐味だから。うまくいったときには、大きな力に見守られているような、奇跡に立ち会えたような、そんな喜びを感じます。 それが、理想を思い描くことができなかったわけです。 何かを失いつつあるかもしれない――そう思いました。ぼくのなかでの変化なのか、もっと広い世界でのことなのか、そこまではわからなかったですけれど。 しばらくぼーっとしながら歩き続けて、そのまま上野に行ってA−2(フライトジャケット=飛行士が着ている革のブルゾン)を買っちゃいました。用意していたお金の半分くらいの値段で、「これだけ無駄遣いすれば、もうM7どころじゃないから、いまあるライカを大事にするしかないもんな」なんて。 おかげで――という言い方はおかしいのかもしれませんが、いま写真を撮るのは最高に楽しいです。 でも、M7はとてもよいライカだと思う気持ちは変わっていません。持っている人たちを否定するつもりは全くないし、むしろ「この人はわかっているな」と感心するくらいです。ぼくがいま買ってしまうと、大切にしなければならないものを失ってしまいそうだと考えただけのこと。 そういえば、いまだに「ウチダさんが悪く書いていたM4−Pですが」なんて言われるんです。ぼくはM4−Pの悪口なんて書いたことあったかな? 「風は南から」の大部分はM4−Pで撮っているわけで、それだけでも気に入っているという証じゃないかと思うんだけれど。 |
|
4 |
| 回復して欲しいと書いたばかりだったのに、アヴェドンが亡くなったようです。撮影に訪れた先で入院していたんですね。まだ現役だったんだな。最後に手にしたカメラは何だったんでしょう。やはりディアドルフでしょうか。 ぼくはスナップに関する原稿を書くことが圧倒的に多いから、アヴェドンに対する思いを書いたことがあまりないんですが、世界一の写真家だと思っています。いろいろな意味で。 ここを読んでいる人たちにとって、アヴェドンはブレッソンほど身近ではないかもしれません。代表作を挙げよと言われて、思い浮かべられる作品がない人もいるでしょう。だから回顧展が開かれるようなら必ず観て欲しいです。ぼく自身、もっとも強く願いながらも、ちゃんとした写真展を観たことがありません。企画展や写真集、ビデオで見るだけです。 でも、そりゃあもう、すごいですよ。時代によって姿を変え、それぞれのジャンルで傑作を残しているところや、生涯を通じてユーモアを失わなかったところなど、絵画におけるピカソに似ているかもしれません。 一般的にアヴェドンの最高傑作は「IN THE AMERICAN WEST」だとされ、大判を使って白バックでフラットな光――という撮影スタイルは、多くの写真家に影響を与えました。でもローライの時期のスナップふうなファッション写真が瑞々しくて最高によいです。 その時期に撮られたマリリン・モンローのポートレートと、ボブ・ディランが川縁に立っている写真が、ぼくのベスト2。意外と知られていませんけれど、宇多田ヒカルさんのCDジャケットも撮っています。こういう依頼を平気で受けちゃうのもアヴェドンらしいな。 と書いたら、YAHOO!のニュースでは「宇多田のCDジャケット撮影の写真家死去」という見出しになっていました。そこから語られるのは残念ではありますが、日本での知名度を考えれば仕方ありません。ブレッソンのときは「決定的瞬間の写真家 死亡」だったかな――アヴェドンにはそのようなキャッチフレーズがないですから。 ぼくだって写真をやっていなかったら、ブレッソンだのアヴェドンだのといった名前を知っていたかどうかわかりません。ただ、写真をやる前からぼくが目にしていたアヴェドンの写真があります。それがS&Gの「ブックエンド」のジャケット。当時は彼が撮ったものだと知らなかったですけれど。どんな写真か知らない人がいたら、Amazonで検索するなんて安易な方法ではなく、映画「あの頃、ペニー・レーンと」をぜひ。 |
|
5 |
| これまでの写真家人生で、雨で撮影の予定が変更になったことは片手で数えられるくらいしかなく、台風のときには雲の切れ目から日が差してきて「まるで十戒だ!」と言われるほどの晴れ男だったぼくですが、いま関わっている仕事がどうも天気に恵まれません。秋の長雨とはよく言ったもので、台風一過の数日を除けばずっと雨が降っているような気がします。 雨で撮影が延期になって、急に時間が空いたので近所を散歩しました。考えてみれば、ここのところ忙しかったために、ゆっくりと散歩するなんてことがなかったんです。雲の模様や木の葉の色は、もう夏のものではありませんでした。まだ十分に暑いけれど、季節はしっかりと変わりつつあるんですね。漱石の「門」とか、庄野潤三さんの「静物」あたりを読みたい気分になりました。 いつもの散歩コースを外れて歩いていると、新しく古本屋さんができていて、そこで「ラスト・タイクーン」の文庫本を見つけました。ずいぶんと前に角川文庫で発売され、すぐに絶版になったものです。ひどい店だと定価以上で売っているところもあるんですが、200円でした。 「冬の夢」や「グレート・ギャツビー」はあまりによく書けていて、逆に手に取るのを躊躇うときもあります。そんなときに「ラスト・タイクーン」や「夜はやさし」などを、ストーリーとは関係なくぱらぱらと読むのが好きです。そういえば「草枕」の主人公も、小説ってのは開いたところをいい加減に読むのがいい――と言っていましたね。 夜になって、海で撮ってきた分の写真をプリントしました。水洗に回してひと休みしているとき、急にアヴェドンとブレッソンが亡くなったことを思い出して、キッチンの椅子に座ってぼんやりと。 ジミ・ヘンドリックスは、ぼくが音楽を聴き始めたときにはもういなかったし、ビートルズだって半分は死んじゃっています。ヘミングウェイもフィッツジェラルドも、もちろん漱石も、とっくにこの世にいません。でも写真はそうじゃなかった。ブレッソンやアヴェドンが自分と同じ時代の人間だと感じられるって、ぼくにとって支えだったんです。新作が見られるかもしれないとか、いつか会えるかもしれないなんてことじゃなく、生きていてくれるだけでよかった。昔々のことだけれど――なんてふうに彼らのことを語らずにすむように。 |
|
6 |
| 部屋に古い雑誌が溜まりすぎたので整理していたら、ウォルフガング・ティルマンズのインタビューに目が留まって、熟読してしまいました。90年代の写真ブームのとき、カリスマと言っていいくらいの人気があって、彼に憧れた(あるいは模倣した)写真を撮っていた人は多いと思います。ぼくはマーク・ボースウィック、ヨーガン・テラー、ジャック・ピアソンといったところのほうが好きで、それほど夢中にはならなかったですけれど、ぼくの周りには「ティルマンズは最高だよ」と言っている人は多かったです。でも本人は、そういった人たちが撮っている写真には否定的なんですね。「周りをとりあえず撮ったような写真にあふれているところが嫌いだ」とはっきり言っています。一見すると似たような写真なんですけれど、そこに大きな隔たりを感じました。たしかに写真が持っている力とか、そこから受ける印象は、似てて異なるものです。 写真家のインタビューを読むのが楽しくなって、ディコルシアのものも読みました。いままで読んだ写真家のインタビューでは、もっとも理論的で理知的な印象を受けたものでした。ほかにも、ロバート・フランクは小説家みたいだし、サルガドは大学教授みたいだし、写真家もいろいろだな、と。 デペッシュ・モードのDVDのおまけに、アントン・コービンが自分の撮ったライブ写真を解説しているものがあって、これもなかなか面白いです。「うーんと、この写真は構図のバランスがけっこういいなと思っていて、ちょっとしたユーモアが感じられるところが気に入っているよ」なんて。 スティーブン・ショアは、アメリカの大学で写真に関する授業を持っていると聞いたこともありますし、古典的名作を分析して解説した本も出しているはずです。 すごく無口な写真家もいますが、ミュージシャンが自分の曲について語ったり、映画監督が自分の映画について語るよりは、まだ面白い話が多い気がします。とすると、写真はわりに言語的なのかな。 |
|
7 |
| すごく久しぶりに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観ました。これはぼくのベスト8に入るほど好きな映画ですし、人に訊いてもすごく評判はよいです。ほぼ完璧な映画だと言っていいんじゃないでしょうか。無駄な場面がまったくないし、3分と退屈させることがありません。時代設定、伏線、キャスティング、カメラワーク、いずれも見事です。デロリアンの走行距離が増えたり減ったりする――なんてミスを指摘する人もいるらしいですけれどね、そういうキューブリック的な完璧さを求める映画ではないでしょう。 それにしても、マイケル・J・フォックスが若いのに驚きました――童顔なので最近まで同じような顔でしたけれど、例の闘病の印象が強いせいでしょう。 いつ頃の映画だったろうかと振り返ってみたんですが、ヒューイ・ルイスなんて最近じゃ名前を聞かないし、逆にカルヴァン・クラインは日本でもすっかりポピュラーになりました。ヴァン・ヘイレンは復活しましたが、いまの高校生がリアルタイムで聴く音楽じゃないですよね。代わりはリンキン・パークとかレッチリあたりになるのかな。映画のなかで若者の音楽の代表格というと、パールジャムの名が挙がることも多いけれど、いまはちょっと……。宇宙人の音楽としてなら、オウテカあたりのほうがしっくりする気がします。「ジョニー・B・グッド」を聴いて目を丸くするような時代の人たちに、ケミカル・ブラザーズとかプロディジーなんて聴かせたら、どんな顔をするんでしょう。 マーティーくんはダウンベストを着ていて、「海で溺れたのか。それ救命胴衣だろ?」と笑われるんですが、これは今年の冬の「マストアイテム」らしいです。繰り返されるもの、失われていくもの、いろいろですね。 この映画に限らず昔の映画を観ていると、携帯電話がなかった時代なんだというのを強く感じます。あれは人間の生活様式にかなり影響を与えたんですね。「もう待ち合わせ場所に着いちゃったかな? 5分遅れるから」と伝えることが、いかに大変だったか。恋愛もの映画なんて、そんな設定のオンパレードです。 漱石の小説が書かれた時代、電話さえも一般家庭にはなく、手紙と電報でやり取りしています。もし『こころ』の時代にインターネットがあったら、「先生」はeメールを書いていたんでしょうか? 村上春樹さんの小説も『ノルウェイの森』は手紙が重要な役割を果たしていますが、『スプートニクの恋人』や『ねじまき鳥クロニクル』はパソコン絡みの設定になっています。 いろいろと便利になっても、相変わらず心を通じ合わせるのは大変で、すれ違いの多い世の中なのは、何も変わっていないんだよな。 |
|
8 |
| ラリー・クラークの写真展の情報を、ある女性ファッション誌で見ました。けっこう有名な人だし、会場の雰囲気もお洒落だから、この機会にどうぞ――といった紹介の仕方でした。 たぶん「GQ」だったと思うんですが、いまの号は写真特集になっていて、ジョエル・メイヤーウィッツ、ブルース・デヴィットソン、マーティン・パー、マリー・エレン・マーク、ほかにも豪華な顔ぶれの作品を掲載していました。 でもカメラ雑誌を見ると、銀塩vsデジカメとか、紅葉の撮り方とかの話題が満載で、なんとなく理不尽な感じ。そういった記事が悪いというのではなく、いまの時代に写真を始めようとする人たちが、過去の偉大な写真家や作品を知る機会が少ないのは、とても残念だと思うからです。スクリューマウントの古いレンズ群を、「膨大なる遺産」なんて言い方をしますけれど、写真にだって過去の膨大な遺産はあるわけです。 考えてみれば、ぼくが大事に切り抜きを保存しているアヴェドンの特集は、「Harper's Bazar」に掲載されたものでした。ロバート・フランクもサルガドも、「Switch」のものがいちばん長く読み応えがあります。ぼくが写真を真剣に再開してからの13年間で、アヴェドンやブレッソンのきちんとした特集をカメラ雑誌で見た記憶がありません。新しいものを紹介するのも大切でしょうが、語り継いでいくことも大切な役割だと思うんだけれど、どうなんでしょう。ぼくは頑固じいさんになりつつあるのか。 先行で公開されているU2の新曲を聴きました。 すごくロック色が強い印象でした。何十年ぶりだかの原点回帰なんて書いてあるのを目にしましたが、U2がこういったロックンロールをやっていた時期はないと思います。いろいろなことをやり尽くして、ようやく最後に残っていた聖域に足を踏み入れたといったところなんでしょうか。 前の日記で書いたTOTOや、いまリバイバルでちょっとした人気になっているジャーニーは、U2とほぼ同じ時代に活躍していたバンドですけれど、ずいぶんと違った道程を歩んできています。TOTOの「グッバイ・エレノア」、U2の「グロリア」、ジャーニーの「クライング・ナウ」あたりはいずれも81年くらいの曲なので、それらを一緒に聴くといろいろ思うところあります。 |
|
9 |
| わりに飽きっぽいので長く着ている服はないんですが、古着で買ったミッキーマウスのTシャツは、白地が白ではなくなりつつあって、なおかつ体型が変わったせいでおかしなサイズになっているにもかかわらず、なかなか捨てられずにいます。トリムTシャツと呼ばれる襟と袖にパイピングが施されいるタイプで、普通にミッキーマウスがプリントされているだけのものです。古着が好きな人たちが分析すれば、プリントは染み込み系で、USメイドで、タグの書体が……なんてことになるんだろうけれど、ぼくはそこまではわかりません。このシャツの何がそんなに好きかというと、洗いざらした綿の質感がほんとうに素晴らしいんです。 ヘインズのTシャツも、リーバイスの501も、ラルフ・ローレンのポロシャツも、コンバースのオールスターも、ブルックスのポロカラーも、とっくにアメリカで生産していません。アバクロでさえ、ついに今季からデニムのアメリカ生産を止めました。 綿のざっくりした質感を活かした製品は、やっぱりアメリカ製に尽きるといったところがあります。ちょっと造りが雑で無骨なんだけれど、それでも着込んで洗っていくうちに味わいが出てきて、シミが付いたり穴が空いたりしても、なかなか捨てられない愛着が沸いてくるんです。いまの生産ラインでは素材がどこから調達され、どんな品質管理をしているのかわかりませんが、昔みたいなものはもう作れないと思うと残念です。アメリカ製でも近年のものはよくないので、コストの問題だけなのかもしれないですけれどね。 電化製品などは進化を続けていることになっていて、新製品ほど高品質だと訴えていますけれど、新しいほどよいものなんてそう多くはなく、いまじゃ畳も違うのかもしれません。そんなことを、ミッキーマウスのTシャツから考えてしまいます。 性能が――ではなく、品質が右上がりによくなっているものがあるという情報があったらぜひ。手が出ない値段のものでも、デパートなどに行ってそういうものを眺めているのが、けっこう好きなので。 仕事の知り合いでずっと携帯電話を持たずにいた人が、周囲からの圧力もあってか、ついに携帯電話を持ちました。2週間くらい前に会ったときは持ち始めたばかりで、電話に出るのもうっとうしい感じでいたんだけれど、今度は空き時間にメールをしているわ、目覚まし代わりに携帯電話のアラームを使っているわ、食事の途中に席を外すわ、ときどき落ち着かない様子でポケットを探っているわ、携帯電話が浸食してきた過程をわずか2週間に凝縮して見せられたようで考えるところがありました。「アイ・ロボット」どころじゃないです。その人と連絡をとるのは楽になって、ありがたいんですけれどね。 携帯電話だけじゃなく、テレビ編とか、パソコン編とか、自動車編とか、いろいろなバージョンを見てみたいです。 |
|
10 |
| 待ち合わせに早く着いてしまい、ちょっとDVDを見ていたら、ゴダールの復刻ものが2,800円で出ていたので「男性・女性」と、こちらは少し高かったけれど「恋人のいる時間」を買ってしまいました。思わぬ出費でしたが、心はウハウハ。 ぼくの撮る写真からするとトリュフォーのほうが好きなんじゃないかと言う人が多いですけれど、ゴダールの映画のほうが「こと映像だけを較べてみても」ぼくの写真には近いと思います。 「恋人のいる時間」は、よく言えば「幻の作品」で、悪く言えば「お蔵入り」の映画です。ぼくはゴダールがけっこう好きですが、熱心なファンとかマニアじゃないので、ここまで実験的だとちょっときついです。「はなればなれに」は大好きなんですけれどね。 「男性・女性」も、ハリウッド映画に較べれば相当に実験的ですが、とにかくモノクロの映像がべらぼうにきれいなので、それを見ているだけでも楽しいです。そうして繰り返しているうちに、なんとなく内容も好きになってきました。そう考えると、やっぱり映像の力って重要ですよね。文章がきれいだからするすると読んでいるうちに書かれていることが理解できたとか、声がいいから聴いているうちに歌詞が心に届くようになったとか、そういったことと同じだと思います。 最近のカラーから作ったモノクロ映画(たとえば「バーバー」など)と較べると、コントラストが高めでシャドウは潰れちゃっているんですけれど、「やっぱりモノクロっていいなぁ」と思わせてくれます。世界の中心とまではいかなくても、写真界の中心で「俺はモノクロが好きなんだ〜!」と叫びたいくらいです。まぁ、叫んじゃっているんですけれど、実際に。 ぼくの友人が写真学生だった頃、イルフォードの無光沢紙に濃いめにプリントして「ジャームッシュふうだ」なんて言い合って遊んでいたらしいけれど、この映画もそんな感じの階調です。もしかすると増感しているのかもしれません。DVDはとくにビデオで見ていたときよりシャドウが落ちていて、全体的に暗めに感じるんですが、うちのハードの問題でしょうか。 ロジャー・ディーキンスは「アルファヴィル」をモノクロの映像が素晴らしい映画として挙げていましたが、ぼくは「男性・女性」のほうが好きです。カフェや窓際の軟らかい光での撮影が多く、自分の撮りたい被写体に近いからというのも理由のひとつでしょう。技術的には夜景の多い「アルファヴィル」のほうが大変なのかもしれないですけれどね。 それにしても、ゴダール映画のDVDが3、000円以下で買えるなんて、けっこうなことです。キューブリックの1,500円も破格だと思います。「バリー・リンドン」と「男性・女性」を一緒に買っても、4,300円だもんな。1万円あったら、ニューオーダーの「511」も一緒に買って、そのお釣りでランチが食べられます。 と書いて間違いないか確認したところ、「511」はもうじき3,000円を切る価格で再発されるみたいです。お釣りでモノクロフィルムを4本買っても、まだランチが食べられる。 映画を観た刺激で160枚のなかに一枚でも傑作が撮れちゃったりしたら、高い買い物じゃないと思います。 |
|
11 |
| 木場に行って、市ヶ谷に寄って、明治神宮前で買い物をして、代々木公園に行って、参宮橋まで少し歩いて、そこから下北沢に行って買い物をして、帰ってきました。 秋らしいすっきりした空気のなかをずいぶんと歩き、美味しいクロワッサンをふたつとサイズがぴったりな古着のジーンズ(517)が買えて、なかなか気持ちのよい一日でした。 明日からウォルフガング・ティルマンズの写真展が開催されます。上にも書いたように、ぼくはそれほど夢中になったことはありませんけれど、現在の写真界ではかなり影響力のある人ですし、そこに来ているお客さんを見ているだけでも楽しいと思いますので、新宿あたりに行く機会があれば寄ってみてください。写真展としてはかなり会期が長いはずです。 ラリー・クラーク(青山)とマリオ・テスティーノ(恵比寿)の展覧会もやっているので、そちらもぜひ。 芸術の秋だなぁ。 |
|
|
| 9月の日記へ >> |
| 8月の日記へ >> |
|
|
| ひとつ前に戻る >> |