夢をひろげて
コツコツ写真を撮っていて、それはそれで楽しいけれど、でもなんとなくそれだけじゃ物足りない気持ちもしてきて、何か別の展開をしてみたいと思うことはあるのではないでしょうか。
高校の写真部を回って「われ写」で出会った人たちや、地方の写真教室で出会った人、あるいは読者のかたからメールなどをもらって、悩みと言うほど深刻ではないにしろ、そういったことですこし困っている様子がうかがえることがあります。
ぼくもそれほど積極的に活動を展開しているほうではないですが、写真を広い意味で楽しんでいくためのいくつかの方法について、経験などを交えながら自分の考えを書いておきたいと思います。
プロへのステップなどと捉えるのではなく、ひとつの可能性として受け止めてください。


フォトコンテスト
コンテストは良いところと悪いところが表裏一体です。
つまり直に人と接しない分、ひどいことを言われたり面倒な手続きを踏んだりしなくていいですが、落ちたときには意見や感想が聞けません。入選ラインぎりぎりとか、常連になるくらいのレベルだといいけれど、そうじゃないと励みとして考えていくのが難しいかもしれません。
ただ、ここでわかっておいて欲しいのは、コンテストというのはルールのあるゲームであって、そのルールのなかで順位をつけるものです。ぼくがよく使う喩えですが、走り幅跳びの試合で上に4メートル飛び上がっても入賞はできない。そんなふうにちょっと別のルールになったら簡単に順位は逆転してしまう程度のものなので、コンテストに選ばれなかったから自分はダメなのだと思ったり、入選したからといって偉そうにしたりするほど、ばかばかしいことはありません。
でもとりあえず、そのルールの元では平等なわけです。愛想がいいから点数が加算されるとか、性格が暗いから減点されるとか、そういうことはない。だからコンテストに入賞することが自信になったり、それを目標にできるようなタイプの人は、どんどん利用するといいと思います。
ちなみに、ぼくは数回だけ応募して、上位入賞はできませんでした。だからそういう人でもプロにはなれます。派手さはないけどじんわりと良さがわかるといった作品や、多くの枚数を使ったルポタージュなど、コンテスト向きではないタイプの作品というものもあるのだということは、わかっていてください。


写真展
写真展の良さは、ほとんどを自分でコントロールできることでしょう。
写真が印刷にかかった場合、そのサイズや濃度や扱われ方を自分で管理するのは難しいです。でも写真展なら、そこに飾られているオリジナルこそがすべてで、キャビネで出そうが、ロール紙を使おうが、どんな順番で並べようが、どのような額装をしようが、選択は作者の手に委ねられます。缶入りのカルピス・ウオーターが販売されたときに、「これでカルピスのほんとうの薄め方がわかった」と言った人がいましたが、写真展を見たときに、その作者が自分の作品をどのように見て欲しいと思っているのか、その作品を含めての作者の世界観がいちばんよくわかるはずです。
そういったわけで何かのせいにすることができないので、自分の作品ときっちり向かい合う期間になるから、そこから得られるものも多いです。印象が弱いとか、年齢層が限られているとか、リピーターがいないとか。それらは致命的な欠陥ではないけど、自分の写真について理解しておくのは悪いことじゃないと思います。自分の作品を見ている人の反応を直に感じられるのもいいですね。
ただ会場や会期の関係で見られる人が限定されてしまいまうのと、形となってあとに残るものがありません。「思い出があるさ」なんてね、どうにも……。
メーカー系のギャラリーはお金がかからない分、審査がありますし、画廊や個人経営のギャラリーは作品に自由がある代わりに負担する金額が高くなります。
なお、ここに書いてあるのは個展の場合で、グループ展になるとすこし意味合いが変わります。


持ち込み
これは別にプロとして仕事をするために雑誌社に、ということではなく、好きな写真家の人や、キュレーター、あるいは友人でもいいですけれど、誰かに直に見てもらって感想を聞くということです。
お金はかからないし、自分の写真は他人にどのように見えているかがわかるし、多くの枚数を持っていくこともできるし、メリットは多いです。
このとき気をつけて欲しいのは、どんな写真でも、気に入ってくれる人もいれば、それほど気に入ってくれない人もいるということです。だから自分の写真をどんな人に評価して欲しいのか考えて、見てもらう相手を厳選しましょう。厳しいことを言って欲しいか、とりあえず誉めてもらって自信が欲しいか、それによっても違いますよね。
同じ自分が撮った写真でも、気に入ってくれるものと、そうでもないものがあったりして、1枚ずつ反応が違うこともあります。それが自分の思っているのと違えば勉強になるでしょうから、見ているときの反応とか、そういうこともきちんと感じ取ると得るものは多いでしょう。
くれぐれも見る側のことも考えて、枚数やサイズ、形態などには気を遣いましょう。サービス判のプリントを裸で200枚なんて絶対に止めましょうね。そういうことに気を配れない人は、だいたい写真も雑だったり、見る人のことを考えていないで撮られているものが多いです。それから、せっかく見てくれるんだから、悪いこと言われたからって、逆恨みしたりしないことも大切です。でも言われたことをすべてを受け入れる必要はないんですよ。意見のなかで何を選び取るかが大切なんですから。
ぼくは個人的に持ち込みでは資質を見ることが大切だと思っています。つまり努力や可能性や志なども評価するべきだと考えているんです。でもフォトコンテストはその写真だけを評価します。だから自分にどっちが合っているかをきちんと考えてみてください。


撮影会
上に挙げたものとタイプは違いますけれど、日常の写真生活に変化を与えるという意味では、面白いのではないかと思います。メーカー開催のものなどは参加費も安いですし、楽しく写真が撮れない時期が続いているとか、マンネリ化しつつあるなんて場合には、参加してみるといいと思います。
ほかの写真愛好家たちの様子も見ることができるので、参考にするのもいいし、反面教師にしたりするのもいいと思います。ただあまりに夢中になりすぎて、ほかの参加者と喧嘩などしないようにしてください。講師として参加するとき、とりあえず楽しい雰囲気だけは守っていて欲しいと願うので。撮影会だって戦いの場だ!と考えている人もいるかもしれませんが、一対一ならともかく、ああいった場ならどちらかといえば和気藹々としているほうが作品はよいと思います。追い込むのは、自分の心のなかでやればいいことですからね。
撮影会で誰も撮れないような写真を撮ることって相当に難しいです。だから傑作を作ろうとするよりも、忘れているものを思い出すきっかけにするといいでしょう。
仲間内など、少人数で開催する撮影会は、その限りではありません。
そんなのを開催できるくらい行動力があるなら、このページを読む必要はないでしょう。


サークル
ぼくもサークルに入っていたことがあります。仲間でわいわいやったり、写真を見せ合ったり、そういう友人が回りにいなかったから、雑誌で見つけて入会しました。それはそれで楽しかったですよ。
サークルにはそれぞれ特徴があるようですし、自分に合わないところに入ってしまって写真を撮ることが窮屈になったり、難しく考えすぎるようになったりすると残念ですから、見学などをさせてもらって選ぶとよいでしょう。たとえばプリントについてすごく厳しいサークルに入って、でも自分はそんなことよりかわいい女の子を撮りたいとしますね。やがてサークルに入っていること自体が負担になっていくかもしれません。そんなのって本末転倒ですよね。人が多く集まる場所ではエゴなどによってギクシャクしてくることだってあるし、写真とは関係ないことで哀しい目にあって、そのせいで写真まで嫌になってしまうのも馬鹿げています。
ぼくが入っていたサークルでは、ぼくのようなスタイルのスナップ写真は異端で、あまり評価されなかったです。もしあのままずっと続けていたら、自分の写真を見失う可能性だってあったわけですから。
でも写真を通して人の輪を広げていけるチャンスって、思ったほど多くはありません。だからよいサークルに巡り会って、写真を撮る以外の写真の喜びが見つけられるといいですね。


写真教室
システムがいろいろあって、全○回とかでテーマが決まっているものや、単発で参加できるものなど、いろいろです。自分に合うものが見つかればいいですが、それを探すのに苦労するかもしれませんね。参加費もピンからキリで、それがすべて内容に比例しているわけでもありません。
教室に出て簡単に上手くなるほど写真って甘くはないですが、決して無意味じゃないですよ。ぼくも写真教室の講師をやっていますけれど、みんなすごく熱心ですし、長く参加している人はきちんと上手くなっています。そういうところに身を置くだけでも刺激を受けたり、励みになるでしょうし、そもそも大人になって何かを学ぶって楽しいものですよね。
写真は感性が大事だといっても、必ず知識や技術は必要なわけで、それを身に付ける場所として利用するのはいいと思います。


ホームページ
誰でも、というのは語弊があるかもしれませんが、簡単に作品を発表できる場が持てます。しかも写真展のような審査もなければ、雑誌のように第三者の介入もなく、自分の思うような見せ方をすることができます。新作を次々と更新して発表できるのもいいですね。枚数もテーマも、ほとんど制約がないようなものです。その簡便さは捨てがたい魅力でしょう。
まるでいいことずくめのようですが、見る人の環境や設定によって違いが出てしまうことは大きな問題でしょう。そのこともあってか、webで見映えのよい作品は、webを超えて現実の場で力を持つことは少ないようで、そこにも問題が含まれているかもしれません。webで見て「おおっ、これはもしや!」と思っても、その実物を見て感動を覚えることは希です。デザインの力によっても大きく左右されちゃうし。世界的な写真家のHPで作品を見ると、オリジナルとは比較にならないくらいショボく見えます。
ぼくがこの仕事を始めたばかりの頃、「印刷になっても力を失わないのがプロの写真の凄さだ」なんて聞いたけれど、それは仕事で撮った写真に関して言うことで、作品ではそこで再現できない領域にすべてを賭けている部分もあるわけです。矛盾するようですけれどね。情報量の少ない場所では、感動の情報も多くは伝えられないってことなんでしょうか。意味は伝わっても、想いは伝わらない、とか。そういったことは時間が淘汰していくでしょうから、いま結論を出すのは早計かもしれません。
それぞれのメディアに相応しい作品があってもいいし、時代によって光が当たる場所が変化していくのは自然なことだと思います。だから「オリジナル・プリントってなんですか? ぼくの作品はweb展開を前提に作っていますから」なんて、ネット・アイドルみたいなネット・アーティストが生まれてきても不思議ないでしょう。


 
印刷物
ほんとうが何かなんてこの時代に意味はないでしょうが、写真というのはもともとは印刷物に向いたメディアで、それを前提に発展してきた部分があります。ぼく自身が写真集を出していないので言えることは少ないけれど、でも印刷物に自分の写真と名前が載っているのを見ると、すごく喜びを実感できるものです。ただ編集者やデザイナーなど第三者が介入するので、思ったような形で発表できるとも限りません。印刷自費出版などは、また別でしょうけれど。初めて印刷された自分の写真を見たときは嬉しさでそこまで余裕はなかったけれど、オリジナルとは似てて異なるものになっている場合だってあります。
でも雑誌に載せてもらう、あるいは自費出版する、そうしてもともとは一枚の紙であった写真が多くの子供を産んで、それが人の手に渡ってそこで愛され、また子供を産んで……なんて素敵なことじゃないですか。
そこまで大袈裟じゃなくても、オリジナルを見せられる人の数って限りがありますが、自分が会うことができないくらい多くの人たちに、自分の写真を届けられる喜びが感じられると思います。ホームページだってそういう要素は含んでいますけれど、印刷物ってまた格別ですから。手に持てる形として残っていく、というのも嬉しいことです。


20021123