○ 命の不思議さ ○ (1)  603

今回も「ラジオ深夜便」から、鎌田実さんなる じんぶつに登場していただく、お医者さんにして、ライターである。「命は不思議でいとおしい」と題する、対談で、面接者は、古屋和雄というNHKのアナウンサーである。

長野県諏訪(すわ)にある諏訪中央病院は、茅野市と諏訪市、原村の二市一村の公立組合で運営する自治体立の病院である。鎌田実さんは昭和二十三年(1948)の生まれで、東京医科歯科大、七十四年卒、七十四年に、諏訪中央病院に赴任、八十八年には院長になり、住民とともに作る新しい医療を実践し、現在は病院の管理者として活動。チェルノヴイリの救援活動にも参加し、多くの生と死を見つめてきた。著書に「がんばらない」「あきらめない」(集英社刊)がある。

―――病院はカラマツ林に囲まれて、八ヶ岳がパノラマのように景色の良いところにありますね。

鎌田 ボランテアの人達が、約二万坪の土地に球根や苗を植えてハーブ花壇を育てています。

―――患者さんはハーブや花を採っても、良いそうですね。

鎌田 はい。患者さんは大切に一輪か二輪採って枕元に飾ってながめています。早く元気になってまた外にいくのだと励まされるのです。

○ 生きたい思いが通じた命のバトンタッチ

―――先生のお話の中で「患者が先生」といわれた言葉が印象的でしたが、これまでに、どんな経験をされましたか。

鎌田 四十二歳でかなり悪性のがんで、別の病院で余命三ヶ月という告知をうけて、あまりの痛みに遠くから、諏訪病院に来られた方がありました。ホスピスの病棟で痛みをとめる緩和ケアの医療をきちっと遣ったら、不思議にいままで苦しんでいた患者さんに、笑顔がみられるようになりました。そして、痛みがとまったら「先生、もっと生きたいです」と云われるようになりました。

彼女には高校生の子供を卒業させ、そして式に出たいんです」それを聞いた緩和ケアの医長が、内科の先生を呼び、化学療法も加え、すこしでも命をながるような、治療を一緒にやり始めたのです。すると予想外のことがおきて、それから一年、下の娘さんが三年になって卒業する迄生ききられたのです。

本当に命って不思議だなと思いました。治療だけではなく、子供のために生きたいと云う思いが彼女を生かしたのだと思います。たとえ命がとぎれても、 なにかが伝えられつづけて、行くということが人間にはあるんじゃないかと思います。彼女は「余命三ヶ月」と宣告されてから、一年八ヶ月生きつづけ、二人のお子さんの卒業式を見届けてから亡くなりました。

―――最近よく臓器移植などで"命のバトンタッチなどと云う言葉をききますが。

鎌田 たとえ命が途絶えても、何かが伝えられてゆくという事が人間にはあるんじゃないかという気がします。

○ 家族の心を知ることが医療の原点に

―――学生時代になるべく注射をしないという医療をまなばれて、諏訪中央病院にこられても、あまり注射をしなかったので、それが原因で一時患者数か減った時期があったそうですが。

鎌田 運がよかったんです。「薬を出さない」「注射をしない」「丁寧に生活指導をする事で、病気を減らそう」という方針を掲げました。でも一番つらいときに、市長さんが「経営は私の責任だから、先生達は正しいことをやってくれれば、良い」とはげましてくれたのです。

―――鎌田さんにとって、お父さんの存在が大きかったそうですね

鎌田 こわい人でね。今でこそ本当に素晴らしい人だった。あの人がいたお陰だと思いますが。

―――お母さんが亡くなれるときに、お父さんが「一秒でもいいから長く生かしてほしい」と云われたそうですね。

鎌田 あれは勉強になりました。おふくろはもともと心臓が悪かったのです。貧乏だったのですが、親爺は一生懸命タクシーの運転手をしてお金を貯めて、おふくろに手術を受けさせました。一度は元気になりましたが、私が医者になってから、後に脳卒中でたおれ、脳死に近い状態になりました。親爺に「一生懸命に治療したが、もうダメだ。意識は戻らな、いから、これで終りにしてあげようよ」というと。

親爺は手をワナワナとふるわせて、「目の前のこの人をみろ。おまえにとって一番大事な人だろう。この人が死にかかっているのは素人のおれにもわかる。でも一秒でも長く生きてもらいたいじやないか、なんで全力でやってくれないんだ!」と泣きながらゆうのです。一人の大切な人に対して、肉親でも、こんな風に違うんだ、と痛感しました。

私には親爺の気持ちが解りましたから、おふくろに人工呼吸器をつなぎました。一週間後、心臓が止まって亡くなりましたが、親爺は「よくやってくれた。母さんも満足だった。と思うよ」と初めて私をほめてくれたのです。家族により添う医療が私の医療の原点です。