雑記帖



最初に
首相
パールハーバー
デフレ
無限
運勢
平和





2001.05.14
最初に

 このコーナー開設にあたって、公募なんかどうでしょう?って話を出したら、返ってきたのは自分で書いたほうがいいって意見でした(誰かの「嫁さん募集コーナー」ってのは未練はあるが…却下!)。
 考えたらこのHP、私は自分のマンガ公開するだけで、自分が何者なのかをほとんど御紹介してなかったですね。プロフィールも申し訳程度だし、似顔絵の評判はよくないみたいだし(笑)。
 得体の知れない人間のHPって確かに気味悪いかもしれない。私のマンガって、作者のひととなりを読者に明確に提示するタイプの代物ではないものな。
 一方で、こういうところで公開するんだから、なんでもかんでも自己暴露するわけにもいかない。
 そこで、私がどういう環境で何考えて行動してるんだかを、このコーナーでの発言を通じて少しでも知ってもらおう!と考えたわけです。
 ということで、次から本編に入ります。まず、要望があった政治についてSAGE流に語るってことにしました。



2001.05.14
首相

 小泉首相の掲げた公約の中に首相公選制というのがあります。
 今の総理大臣が議員による間接選挙で選ばれているのを、国民の選挙によって直接選ぼうってことですね。
 なるほど、国民が議会勢力のバランスや派閥の力関係なんか無視して勝手に選んでいいのか。だったら誰を選びましょう?
 私ならこの人を選びます。
森さんです、念の為
 え?意外?お気に召さない?
 最低の支持率の人を何でまた選ぶのか?
 だからいいんですよ。

 小泉内閣、人気高いですよね。
 でも、賭けてもいいです。
 今のままじゃ小泉内閣に景気回復なんてできませんよ。
 何故って?
 政治家の人気で景気がよくなるはずはないんです。
 国民自身が本気でどうにかしようと思わなければ。

 戦後の経済復興がいい例です。
 あの当時、絶望的な経済状態から国を建て直したのは、政治家なんかじゃありません。子孫のためにこの国を少しでもよくしよう、先進国に近づけようと、高い志をもち、必死に働いてきたあの頃の一般市民の人達です。
 どのくらい頑張っていたのか。それは、後にエコノミックアニマルと蔑まれ、世界中から袋叩きにあったことが証明しています。そのあまりの勤勉ぶりを他の先進諸国から恐怖されていた事の裏返しですな。私は実際にこの世代の人達を見て育ってきましたが、よく働いてました、本当に。
 余談ですが、振替休日の制度は、この頃の外圧を少しでも和らげようと当時の政府が考え出した、「日本人は休んでますよ〜」という世界へ向けてのジェスチャーでした。
 でも、そのとき総理大臣がどうだったか。支持率についての情報は手に入ってないですが、私の知っている限り、吉田茂さんを始めとして人気なんかとは程遠い首相のオンパレード。本当の意味で人気の高い総理大臣が出たのは、ズッと後の田中角栄さんからだと思います。結局、首相なんて誰が何やろうと、どうでもよかったんでしょうね、あの頃の人達にとっちゃ。

 私は別に、国民があの当時みたいにただがむしゃらに働けばいいと言ってるわけではありません。言いたいのは、小泉さんの支持率が8割だろうが9割だろうが、そんなことは問題じゃないということなんです。
 何故なら、その8割だか9割だかは、小泉内閣のもとでなら自分たちが景気回復のために何かできる、と思って支持しているわけではないでしょうから。
 多分小泉首相なら、自分が何もしなくても、彼が景気をよくしてくれそうだから支持してるんでしょう。
 もしそれが当っているんなら、そんな適当で無責任な支持を送ってる人たちが、いまの泥沼の経済停滞をどうにかできるわけないと思います。もちろん、そんな人達に選ばれた政治家も。

 だから、私はあの人を推すんです。あの人が首相をやっている限り、国民はいやでも、自分達が何とかしなけりゃならないことを自覚できるでしょう。いいアイディアだと思うんですが・・・。
 もし、小泉内閣のもとで本当に日本を良くしたいと思うなら、国民は、かってJ.F.ケネディが大統領就任式で言ったみたいに、「国が何をしてくれるかを期待するのではなく、国のために何ができるかを考えるべき」だと思います。でなきゃ、もったいないじゃないですか。せっかく小泉純一郎という切り札をきったんですから。
(おっと、こういうこと書いてる私もちゃんと日本のこと考えねば・・・)



2001.06.10

もともとは細長いすじの意味である。
因みに私はこれが細いと言われた
ことが1度も無い。体形がなあ…

 今回はちょっとややこしいお話から。

 「線」とは、数学上は長さのみで太さの全くないエレメントのことを言います。
 しかしながら、物理的にはそのような太さのない線が「もの」として存在することは不可能です。
 何故なら、どんなに細く描いた線であっても、ミクロなレベル、原子レベルで見れば必ず太さが存在するからです。我々が線と呼んでいるものは、実はであって、本当の意味での線ではありません。

 そういう意味で線の定義にぴったりと合うものがあります。「境界」です。たとえば、物体の輪郭。この輪郭というのは、ある方向から見たときの物体の存在領域と不存在領域の境界です。太さが全くないというのは、見た目で理解できるのではないでしょうか。
 でも、この輪郭というやつ、実はくせ者です。たとえば、解りやすいように緯度経度の書きこまれていない丸い地球儀を想像してください。この地球儀を日本を中心にして見てみましょう。左の輪郭にあたる付近はユーラシア大陸のド真ん中あたりですね。でも、地球儀を回転させてみましょう。先ほど輪郭にあたったユーラシア大陸のど真ん中、そこには輪郭にあたる線などありません。
 その代わり今度はヨーロッパからアフリカ、大西洋のあたりに輪郭ができています。で、さらに回してそこを中心にしても、また線は消え、今度はアメリカ大陸から太平洋あたりに輪郭が・・・。
 ある方向から見れば確実に存在した境界も、他の方向から見ればそこはもう境界ではなくなっています。つまり、輪郭とか、境界とかいうものは実在するものではなく、人間が物体の大きさや形状、範囲を認識するにあたって便宜上頭の中で仮想した存在です。そしてこれこそが「線」の正体です。
 線というものは人間の心が便宜上作り出した「フィクション」なのです。

 そうはいっても、実生活において「線」は、如何に我々に深くかかわっていることか。実体が無いにもかかわらず。

 こんな話を聞いたことがあります。
 民族間で内戦状態にあったある国の、ある民族の勢力下に一組の男女がいました。
 二人は恋人同士。しかし、男はその民族の人間でしたが、女は敵対民族に属していました。
 この時、彼女がどれだけ危険な状態にあったか。この国の各地で「民族浄化」の名の元に敵対民族の大量虐殺が行われていたことが、後の調査でわかっています。彼女の身にも、このような災厄がいつ起こってもおかしくはありません。
 やがて、男の元に軍からの召集令状が着ました。これに応じて出征すれば、彼は激戦の続くこの国の最前線で戦わなければなりません。いつ帰れるのか、いや、生きて帰れるのか、その保証さえありません。そしてその間恋人は、彼女を敵視する人々の中にたった一人で残されることになるのです。

 二人は決意します。「彼女の民族の側の勢力下に逃亡しよう、そしてそこから国外へ亡命しよう!」

 まだ薄暗い早朝、二人は旅立ちます。周りに気づかれないよう、あくまで単なる朝の散歩である様に装って。
 街の通りを何事もなく進み、やがて川に達しました。そこに橋があります。橋の向う側は、もう彼女の民族側の支配地です。
 周りに兵の姿はありません。バリケードも有刺鉄線も張られてはいません。チャンスです。二人には、哀れな恋人達に神が与えてくれたプレゼントに見えたことでしょう。
 二人は逸る心を抑え、目立たぬよう落ち着いて橋を渡り出しました。一歩一歩、ゆっくりと。何事もありません。何事もなく進むことができます。
 橋の半ばに達しました。それでも、何もありません。もう少し、もう少しで向う岸、二人の希望の地に達します。そのまま歩を進めます。後少し、後少しで…。

 数発の銃声が川に響き渡りました。

 庇い合うように倒れる二人。その二人の体を、更に容赦なく銃弾が貫きます。やがて二人の体が動かなくなっても、何度も、何度も、何度も、何度も…。

 同じ国の中の、同じ街の中の、障害物など何も無い橋の上でした。しかし、二人にとって世界中のどんな壁よりも分厚い太さをもった「線」が、そこにはありました。

 線というものは人間の心が便宜上作り出した「フィクション」です。その便宜上作り出した実体の無いものに、人は時として運命さえ左右されてしまうのです。



2001.07.09
パールハーバー
真珠湾と和訳される。日本の英虞湾
みたいに真珠が養殖されているわけではない。
現地語に由来するらしいが、…詳細は判らん。

 近々、太平洋戦争当時の真珠湾攻撃を題材にした映画が上映されるようです。

 映画は見ていないからこの映画の内容について云々するものではないし、真珠湾攻撃に関する戦争論や国際政治論をするつもりもありません。
 ちょっと気になっているのは、この映画を見る人のうちの何人が、この真珠湾から出航した米海軍原潜に「当て逃げ」され、沈没した日本のマグロ延縄実習船のことを思い出せるかということ。
 私はあの事件以来、「リメンバーパールハーバー」がこの事件に対する日本人の抗議のスローガンになるのではないか、とさえ思っていました。
 でも、最近はマスコミもほとんどこの事件を取り上げなくなりましたね。
 世間でも話題にあがっている様子はありません。こんな映画が上映されているのに。
 まるで国から見捨てられたようです。
 ところで、あの実習船の名前、まだ覚えていますか?

 反米感情をあおるような意図はありません。
 でも、ちょっと情けなく感じているのは私だけでしょうか?




2001.07.18

プアゾンというオーデコロンは
周囲に毒気を吐いているのか?
私のオーデコロンはナイショ。

 特に先のクリントン大統領に対して、アメリカの漫画家(ここではカートゥーニストの方)は容赦ない攻撃的なマンガを描いてきました。
 日本の漫画家が森首相をマンガで徹底的に叩いたことは、よく御存知でしょう。
 マンガで表現されるこういう攻撃性は、「毒」と呼ばれています。

 風刺マンガなどは、この毒が如何に強力であるか、つまり如何に辛らつであるかで人気の度合いが違うみたいです。
 だから、世の漫画家達は不正や失態を見せた政治家、芸能人に対して、先を争ってマンガの中で叩きます。
 むろん、そういうことが風刺マンガのいわば使命であり、そうあらねばならないとも思っています。
 風刺漫画家は毒によって世の間違いを正し、過ちを犯した者への反省を促す、世の薬の役を果たすものだと。

 ただ、私はその毒が互いの相乗効果によって過度に働くことを恐れます。
 特定対象を非難することが義務であると皆が信じ、競争心理や集団心理によって寄って集って叩く。
 その場合、往々にしてあとで冷静になった時に、そこまでやる必要があったのか甚だ疑問な状態になったりするものです。

 極端な例ではありますが、某金持ち球団の生え抜き4番バッターが高校時代に、甲子園で徹底的に敬遠攻めにあって彼のチームが負けてしまった時のことを述べます。
 あの際、マンガ家を含むマスコミは相手チームを卑怯だと、国を挙げて叩きました。
 まるでそのチームの監督や選手が外道であるかのように。
 それにあおられて、そのチームの宿舎には全国からの匿名の非難の電話が、夜通し鳴っていたといいます。

 でも、相手チームはそこまで避難されるべきだったのでしょうか?
 卑怯といいますが、じゃあ相手チームは彼以外のバッターに対しても敬遠しまくったのでしょうか?
 それならそのチームは負けています。
 当然、このチームのバッテリーはそのほかのバッターを立派におさえたのです。
 9番までのラインナップで相手を選びながら相手チームの得点を防ぐ。
 それもひとつの野球じゃないでしょうか?
 敬遠はそのために、ルール上認められている作戦です。
 だから、(敬遠のしすぎという点はともかく)少なくとも彼らを外道の如くに扱ってはならなかったはずです。

 しかし、あの時はそんな話は通用せず、ただ単に人気者の4番バッターが敬遠されてホームランを見られなかったことに対して激怒した大衆に迎合する形で、マスコミと漫画家達は彼らを徹底的に攻撃しました。
 さすがに、後になってバツが悪くなったのでしょう。
 今度は次の試合で、彼らのチームの苦難の中での奮戦ぶりを肯定的にとりあげていました。あくまで謝罪などない形で。
 もちろん哀れな彼らが次の試合に勝てるわけもなかったのですが。

 私はその時、当時あったスポーツ関係のマンガ公募に、彼らをスタンドで非難した観衆を非難する作品を出しました。
 非力な私には、その作品に日の目を見せることができませんでした。情けない限りです。
 でも、そういう作品自体を出せたことについては、私は自分を誉めてやりたい。

 私は、世の皆がそろって叩いている対象に皆と同じやり方で叩くような毒の吐き方は、あえてしたくないと思っています。
 (惰性でやってしまったりするところが、私の弱さかもしれませんが…。)

 人が容易に非難対象として思いつかない相手、人が思いつかない叩き方、そこで吐く毒。
 私はそこに私自身の真骨頂を求めつづけたいです。




2001.09.06
デフレ

私の子供だった頃は物価は上がるのが
当たり前だった。また10円でお菓子が
買える時代が来るのだろうか。


 この前大宮の駅前でラーメンを食べました。大盛り、ギョーザ1人前を付けて。
 勘定を払う時にレジの姉ちゃんが、「480円です」。
 500円玉1枚でおつりが来ました。

 最近値下げ競争が激しくなってきた様です。牛丼1杯が300円を割り、ハンバーガーは時に100円玉1枚で買えたりします。新聞五大誌のうちの一つは、駅売り朝刊を100円にしました。パソコンにしてもタワー型の高速のヤツが、ディスプレイ付でも平気で10万を割ります。日用品など、100円ショップで一通り揃えられるのは今や当たり前ですよね。これを書いている間にも、ついにコンビニのおにぎりが100円になったとテレビのCMが伝えています。

 値段の下げが止まらない状態、これがデフレーション、略してデフレです。

 この反対がインフレーション、略してインフレ。物の値段が上がって上がって、庶民には容易く物が買えなくなる状態です。高度成長期の日本がまさにそれで、あのころは「1年経ったら同じ値段で買えない」ことに何の違和感もありませんでした。
 もっとすごいのが第1次世界大戦後の敗戦国ドイツ。賠償金の支払いの為に国が疲弊し、十年間で消費者物価が一兆二千億倍になってしまいました。高額紙幣の印刷が間にあわず、札束を台車に積んで買い物に行くなんて光景もあったようです。そして、この絶望的状況が後にあの怪物を歴史の最前線に登場させる遠因にもなっています。

 デフレというのはこの逆です。物の値段が下がるのだから庶民にとっては望ましい状況じゃないのか?
 とんでもない!

 物の値段が下がるということは、その物を生産し、流通させ、それを市場に販売する過程において、かかる費用をどこか削らなければならないということです。どこが削られるでしょうか?原材料費、製造コスト、流通経費、維持費、etc.・・・こういう物をコスト削減するのは、経営者や実務者によほど才能、実力が無ければ困難です。また「無から有は産まれない」の定理に基づき、限界も存在します。

 そう考えると、簡単に思いつくコスト削減対象はただひとつ。「人件費」です。

 雇う人を減らせば、その分給料を払わずに済みます。これが特に大きな企業ではとても大きい。一人頭年間五百万円給料を払っていたとすると、単純計算でも二十人の退職で年間一億円浮くわけです。退職時に若干の退職金を払ったとしても、その人にかかっていた経費等が減る分も考慮すれば、一時的な軽傷に過ぎません。減った人の分の仕事は事業を撤退するとか、その分の仕事をはしょるとかして、そもそも無きものにしてしまえばいい。どうしても残さなければならない分は、残った人に押し付ければいい。「効率化」のお題目を添付して。
 これ、結構有効な手で、うまくいけば短期でメキメキ経営状態が良好になっていきます。

 でも、減らされた人にしてみれば、収入源を断たれた訳です。残った人にとっても、明日はわが身です。どちらにしてみても、とても何か高いものを買おうなんて気にはならないでしょう。倹約、蓄財、とにかく支出を少なくする手を考えます。1番いい手は、当然ながら「いらないものは買わない」「いるものはなるべく安く済ませる」ですね。こうして、庶民の購買意欲は低下し、物は買われなくなります。

 物が買われなくなると、困るのは企業です。何とか商品を買ってもらわなければ経営が悪化します。少なくなったお客さんをどうにかして自分たちの商品に集めなければなりません。客の奪い合いです。ではどうやってライバルより多くの客を集められるか。低下した購買意欲をそれでもそそる魅力ある商品を出すことは、経営者や実務者によほど才能、実力が無ければ困難です。

 そう考えると、簡単に思いつく集客策はただひとつ。 「値下げ」です。

 こうやってまた物の値段が下がります。そしてそれによって人件費が減らされ、庶民の購買意欲が下がり、物が売れなくなり、そしてまた物の値段が下がり…。
 この堂堂巡りが「デフレスパイラル」と呼ばれているものです。国家を衰退させる地獄の下り螺旋階段、ってところでしょうか。


 このデフレ現象、私は別の面での危惧を持っています。

 かって阪神淡路大震災が起こった際、いくつかの企業は被災者の方々の為に積極的な救援活動を行ったと新聞に載っていました。
 その中のあるスーパーは、食料を供出する様に各店に指導したそうです。ただし、その時にこんな指示を付けて。

 「ただで配るな、安く売れ。」

 なんてケチな会社だ、そう思われるかも知れません。でも、その新聞はそうは見ていませんでした。私も違う見方をします。

 もちろん、困った人を助ける際に自らの利益を一切求めないという心は貴重です。しかし、無償で援助を受けるということは、受ける側にある意味の負い目を背負わせる可能性もあると思うのです。
 でも、それがどんなに利益や原料費を度外視した価格であっても、お金を払って買ったのであれば、そんな負い目を感じずに済みます。スーパーで物を買うのはあたり前のことであり、価格の内容なんて客が考える必要はないのですから。

 おそらくそのスーパーの経営者は、被災者の方々に余計な負い目を持たせない形で援助することを意図したのでしょう。少しでも復興への力が削がれることがないように。一つ間違えば非情な会社として世間から袋叩きにされかねない、スレスレの判断だったはずです。私は並の経営者に出来る判断ではないと考えています。新聞ではその行為を「鬼手仏心」と呼んでいました。

 今、スーパーはどこも不況に喘いでおり、このスーパーも大変だと聞いています。経営方針の失敗とか原因はいろいろあるのでしょうが、このデフレが一因であることはまず間違いありません。
 このデフレを乗り切るために、経営者が目先のことに四苦八苦せざるを得ない状況に、今の日本はあります。そして、結果的に残るであろう、それだけに長けた経営者。そんな経営者に、近視眼的には何の利益ももたらさない、こんな判断は出来ないでしょう。ましてや、かっての伝説的な指導者達がやってきた様な日本の将来まで見据えた深慮遠謀ができるとは思えません。日本のトップは、そんな人達で埋め尽くされようとしているのではないでしょうか?

 デフレの本当の恐ろしさは、こんな所にあると思うのです。



2002.06.26
無限

しばらくこのコーナー放ったらかし
でした。今回はちょっと世間話
から離れたところで与太話を。


 こんな話を聞いたことがありますか?

 問題:ねずみの二倍の速度で走る猫は、いつねずみに追いつけるか?
 答え:猫はねずみに追いつけない。


 何故でしょう?理屈はこうです。
 猫とねずみがある距離だけ離れていたとする。この距離を猫が走りぬいて、もともとねずみが居た位置までたどり着く。しかしながらその時にねずみは、そこにとどまってつかまるのを待っているわけじゃないから、当然逃げて先に進んでいる。ねずみは猫のスピードの半分だから、猫がその距離分走る間に、ねずみはその距離の半分だけ先に進んでいる。
 さて、猫は猫で、そこで追いかけるのを止めるわけがない。早速、ねずみが進んだその分の距離走りぬく。さあ、ここでねずみを捕まえられるか?ところが、この時点でもねずみは更にこの位置よりも先に逃げている。
 それじゃあ!ってんで、猫は更にその距離分ねずみを追いかける。でも、そこにたどり着いたら、やっぱりねずみはそこから先に行っている。更にそのねずみが逃げた分の距離を猫が走りぬいたら、その時点でもねずみはそこから先に進んでいる。さらにそのねずみが先に進んだ分の距離を猫が走りぬいたら、やっぱりねずみはその位置より先に居る。さらに・・・。
 と、これを繰り返していくと、ねずみと猫の間にはいつも距離があり、猫はいつまでたってもねずみに追いつけない。

 話だけ聞いているとなんだか不思議な感じですが、実はこれ、単なる数字上のごまかしです。
 最初の猫とねずみの距離が10メートルで、猫が毎秒10メートル、ねずみが毎秒5メートルのスピードでおっかけっこをしていたとします。1秒後には猫が10メートルを駆け抜け、その間にねずみは5メートル先に行っています。
 この5メートルを猫が駆け抜けると、その時ねずみは2.5メートル先に行っていることになります。しかし、この5メートルを猫が駆け抜ける時間は0.5秒に減っています。
 猫が更に2.5メートルを駆け抜けると、ねずみは更に1.25メートル先。しかしその間の時間は0.25秒。
 猫が更に1.25メートルを駆け抜けると、ねずみは更に、0.625メートル先。しかしその間の時間は0.125秒。
 猫が更に0.625メートルを駆け抜けると、ねずみは更に、0.3125メートル先。しかしその間の時間は0.0625秒・・・。
 ネタを明かせば、猫がねずみに追いつくまでの時間をどんどん細かくしていって、その時間を細かくしたことをごまかしながら、あたかも猫がねずみに永久に追いつけないような錯覚を聞き手にあたえている、というトリックです。
 実際には2秒後、ねずみが10メートル逃げた時点で、猫は最初の距離10メートルプラスねずみの逃げた距離10メートルを駆け抜いてねずみに追いつき、あわれねずみは猫の胃袋の中に収まるのでした。

 もっとも、必死に逃げたねずみにとって、食われるまでの2秒間に意味があったのは猫との距離の方なんでしょうか?それとも・・・。

 信長が好んで舞った敦盛。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか。」
 今、日本の平均寿命は男で70、女で75くらいでしょうか。それでも、信長の時代から高々四半世紀寿命が延びた程度です。3つの世紀を生き抜くなんて、故きんさんぎんさんでなければ出来ない快挙です。ハレー彗星を見る機会が2回ある人、一体何人いるでしょうか。
 人間の一生なんて、百年前も百年後も見る事が出来ないほんの短い、儚い夢幻のようなもの。敦盛はそう伝えます。
 でも、たったそれだけの限られた人生であっても・・・。

 与えられた時間は決まっている。追いかけてくるものはすぐ後まで迫っている。そこにとどまっていれば捕まるのはあっという間だ。だから逃げる。今居たところまでそいつが来たら、それより先まで逃げる。またそこまでたどり着かれるなら、更にそれより先まで逃げる。更にそこまでたどり着かれるなら、もっと先まで逃げる。
 例え終わる事がわかっていたとしても、あきらめることなく前に進む。最後の最後まで止まることなく前に進む。それは最終歩まで前に進み、倒れるときも前のめりに倒れるという決意。最後の一分一秒まで可能性を信じて進化を続けるという意思。

 今立っているその位置は、決して終わりの地ではない。
 しかし、立ち止まればそれでおしまい。
 先へ進む。追いつかれる前に。
 たどり着かれたなら、それより前にいればいい。
 そこにまでたどり着かれたなら、更にそれより前にいればいい。
 例えその距離が短くとも、例えその時間が短くとも、
 先に進んでいる限り、そこは決して終わりじゃない。
 先に進んでいる限り、そこは無限。


 上手く言葉で伝わらないかもしれないけれど、そういうことじゃないでしょうかね。
 そしてそれが出来れば、一生って可能性と言う意味で無限に広がっていくんじゃないでしょうか。
 そしてそのために、
 昨日の自分より先に進んでいるために、
 今生きているその時間を、決して惰性で流さない。
 可能性を信じて、その時その時を常に精一杯生きる。
 信念に従って自分の為すべきことを、与えられた時間に精一杯詰め込んで生きる。

 ねずみにとって2秒間で本当に意味があったのは、前に進めた10メートルの方だった。私はそう思うんです。

 皆さんは、どうお考えになるでしょう?

 なんて、こんなことを考えているのは、きっと私の今の生活が充実したものからほど遠いからなんでしょう。夢幻にさ迷う不惑、あんまり様になっていませんね。
 自分の生き方を今一度考えなければならない時期に来たのかもしれません。






2002.11.18
運勢

考えてみれば自分って何なんで
しょう?一番解っていそうで解らない
もの。それを確率から探っていって
みよう、それが今回のテーマです。


 よくこんなことばを聞きませんか?
 「ここで運を使っちゃうともったいないから・・・」「ああ、こんなのに大事な運をつかっちゃったよぉ」

 これは、ある考え方に基づいた発言です。即ち、
 「人の運の量は生まれた時から決まっていて、一生の間にその決められた分の運だけしか使えない。」
 だから早いうちに運を使いきってしまうと、あとは不運しか残らない。
 幸運有限論、いや運勢配給論ってところでしょうか。
 まあ、いつもいつも幸運の連続みたいな人はいないし、そういう意味からも人の運勢の総量ってそんなに多いものとは思えない、そんなところから出来た考え方でしょう。
 そして、この考え方でいけば、最初から運を持って産まれてこなかった人は、一生不運なまんまなんですね。
 でも、ほんのちょっとしたことで幸運だったからといって、それでその人の運の量が目に見えて減るものなのでしょうか?最初から運を持っていない人なんているんでしょうか?そもそも人の運の量ってそんなにちっぽけなものなのでしょうか?

 ちょっと想像してみてください。

 あなたという人間が存在するためには、一体何人の人間が必要だったのでしょう?

 単純に考えればあなたのご両親二人いたからあなたがいるわけです。よって最低二人は必要ですね。
 それだけじゃなく、そのご両親それぞれにも父母(つまりあなたにとっておじいさん、おばあさん)がいます。それぞれ二人で計四人。ご両親を足して六人。
 そしてそのおじいさん、おばあさんにも、それぞれ父母(曾(ひい)おじいさん、曾おばあさんですね)がいる訳で、四人にそれぞれ二人で計八人。更に足して十四人。
 更にその曾祖父母にもそれぞれ父母がいて、・・・
 さあ大変。十代遡ると、そこには2の十乗、つまり1024人の男女がいて、そこからご両親までに2046人必要なわけです。
 概算で行けば十代で2K人(Kはキロ:キロメーターとかキロバイトなんかに使われる1000倍をあらわす記号と思ってください)いて、やっとあなたが存在できるわけです。

 まあ、この単純計算でいけば、二十代遡ると2M人(Mはメガ:100万倍)、三十代遡ると2G人(Gはギガ:10億倍)、四十代まで遡ると2T人(Tはテラ:一兆倍)、・・・・・・。なんかとんでもない数字になります。
 でもそのためには、たとえば四十代遡った時点でその時代に一兆人人間が必要となります。その代の人が次代の人を産むのに産まれてから平均で25年かかると概算すると、四十代に要する年月は約千年。じゃあ、千年前に人類は一兆人いたのか?人類が同じ時点で一兆人もいた時代はありません。それどころか、現在のように何十億もの人口が存在するようになったのは最近のことです。人口が十億を突破したのがたった二百年位前。千年前で大体三億強だった様で、それ以前は長〜い年月をかけて微増していたらしいです。そう考えると、自分を生存させるのに必要なはずの一兆人の人間はどこにいたんでしょうか?多分そこまで遡ると、ご先祖様がかなりダブってくるんだと思われます。どこそこ家側のご先祖様となんたら家側のご先祖様は何代か前は同じどうちゃら家から出ているとか。だから遡って行った先のご先祖様の系統図がどんどん合流していくはずです。まあ、人類皆兄弟とはいかなくとも、遠い親戚ではあるようですね。そういえば人類の祖先はかならずアダムとイブに行きつくんでしたっけ。


 ご先祖様のいろいろな事情を加味しても、大方の人は十代遡る間に千人〜二千人くらい人間が必要だったんじゃないでしょうか。不思議な気がしませんか?自分という人格が出来るのには、それだけの別個の人格が必要だった。逆にいえば自分という人格は、それだけの人格を集めて凝縮した結晶なんですね。
 だから何だ、って言われるかもしれません。例え自分がそれだけの人格の結晶であったとしても、それだけの人間のうちで会ったことがあるのは普通は両親か祖父母まで。それ以上の人間との繋がりを殊更に取り上げられたところで、(ご先祖様に有名人がいれば別ですが)何の実感もわかないのが普通かな。
 でも、考えればその千人以上の人間の誰か一人が欠けただけで、自分は存在しなかったはずです。昔は成人するまで生きる、たったそれだけが大事であり、ある意味で偶然でした。昔の元服や七五三なんて、その偶然を祝うための行事で、逆にいえば昔は子供がその年齢まで長じることがとても困難だったわけですから。それだけの人々が各時代にちゃんと生き延びてくれたからこそ、今の自分があります。人が生き延びるという偶然が千以上重なってくれたから、自分と言う人間がここにいるのです。
 そしてそれぞれの人に歴史があり、経験があり、それに基づく思想や感情があり、ひとつの人格を成すのに必要なすべてが含まれています。それらすべての要素が部分的にDNAのような先天的な教示、あるいはしつけのような後天的な教育によって後代に受け継がれて、それがあなたの人格を形成しているはずです。
 単純な仮定ですが、あなたのご先祖様が成長して後代(これもあなたのご先祖様)をもうけ得た確率を50%としましょう(昔はこんな高いレベルじゃなかったはずですが)。あなたの十代前までのご先祖様の数を仮に千人とすれば、あなたが産まれ得た確率は、0.5の1000乗、つまり10の301乗(←1の後に0が301個並んだ数字を想像してください)分の一。ロト6の一等の当選確率は一千万(←1の後に0がたった7つ)分の一より高いそうですから、これがどんだけ凄い数字であることか!
 このあたりでもう数字的には充分満腹されたでしょう。でも、あなたの産まれる確率はまだこれだけじゃ足りない。だって、ご先祖様は十代前でうち止めじゃない。遡ればまだまた続く続く。クロマニョン人まで、いやネアンデールタール人まで、北京原人、直立猿人、あるいはもっと先か・・・。
 そして、あなたの産まれる確率には更に重要なファクターがあるのです。父親である男性が生涯に放出するすべての精子(一回の放出だけで大体一億弱でしたっけね)のうちの特定のたった一つだけと、母親である女性が生涯に排出する卵子のうちの特定のたったひとつだけとが、結合して初めてその人ができるのです。もし、そのうちのたった一つでもずれていれば、あなたではなく(あなたが存在していればあなたの兄弟にあたる)別人格が生まれているはずなのですから。そして、それはあなたのご両親より上の十代前までのご先祖様すべてについて、同じように言えるのですよ。そして全部を考慮するとその確率たるや・・・

 もう数字はいいでしょう。書いている私も頭が痛くなってきた。
 ただ、自分がいかに超超ちょ〜〜〜〜〜低い生存率を勝ちぬいて存在しているのか、そのことだけは伝わったでしょうか?つまりあなたは、存在しているというだけでももう相当の幸運の持ち主なのです。
 そんな人の運の量が、産まれて来るときに決まっている?それが決められる位小さな量だとしたら、もうあなたにたどり着く前に既に使いきってると考えるのが当然だと思うのですが。そうは思いませんか?
 逆に考えれば、そんなに超超ちょ〜〜〜〜〜〜〜〜低い確率を掴み取って産まれてきたあなたは、もともとがとんでもない量の運を持ち合わせていたわけです。そのとんでもない量の運の一部(といっても、これもとんでもない量のはずですよね、もとがもとだけに)を残して産まれてきたあなたの運、そんなちっぽけな遠慮をするレベルのものではないと思うのです。

 だから、運の使いきりなんか気にすることなく、可能性があればなんでも挑戦すべきでしょう(無論、無謀、無計画は禁物ですが)。そして得られた幸運は素直に喜びましょう。遠慮なんかしてたら損しますよ。ほんと。
 それと、私の個人的経験からの理解ですが、確かに運不運には個人差があります。起伏もあるから、谷間に入ればやっぱりそれは不運なんでしょう。
 でも、ここで書いた様に、人は元々が天文学的高倍率を勝ちぬいてきた幸運を持ち合わせて生まれてきているはずです。だから、たとえどんなに不運に思えても、すべての人の中にはとてつもないでっかい幸運が眠っているはずなんです。
 もし、自分が不運だと思ったら、少し落ち着いて、頭を柔らかくして周りを見回してみましょう。凝り固まった思考では見えなかったものが見えてくるかもしれません。そこにあなたの中に眠っていた幸運が映っていませんか?
 そしてもしあなたの目に映ったそれが、あなたにとってかけがえのないものであったなら、あなたは決して不運ではないでしょう。なぜならあなたの前に存在するそのかけがえのないものも、おそらくはあなた同様にとてつもなく低い生存率を勝ちぬいて存在しているのだから。そんな限りなく0に近い確率の中でそれに出会い得たあなたが、本当に不運であるはずはないのだから。

 はい、楽観論です。いや、楽天論か。否定はしません。でも、この殺伐とした世の中、たまにはこんなオプティミストの戯言もいいじゃないですか。




2004.08.10
平和

鳴り物入りで導入した航空自衛隊の
支援戦闘機F−2の調達が中止されるそうな。
所詮米軍のお古のF−16の焼直しだもんなぁ…


 質問です。

 第二次世界大戦終結から現在までの間、日本は平和でしたか?

 人によって答えが違うでしょう。
 日本は前大戦を終えてから今まで一度も他国と交戦状態にないし、他国との戦闘の実績もない。だから日本は平和だった。確かにそうです。
 一方で、日本は戦後ずっとアメリカと同盟関係にあり、冷戦時代は西側陣営の一員として常に東側と対峙していた。事実ソ連とは宗谷海峡や北方四島を挟んで常に緊張した状態にあったし、北朝鮮とも未だに国交はない。ソ連はおそらく核ミサイルの標的として日本を外してくれてはいなかったはずだし、実際に核戦争が起これば、標的でなくても核の冬で日本は壊滅していた。実質的な戦闘はなくても、裏ではそれに近い状態にあった。だから日本はちっとも平和ではなかった。それも事実です。
 じゃあどっちなんだ?ここでもう一つの質問です。

 そもそも平和ってどういうことですか?

 身近な国語辞典で調べたら、平和:戦争がなく、世の中が穏やかであること、だそうです。
 なんとも漠然とした表現です。じゃあ戦争って何なの?さっきの国語辞典で調べたら、戦争:武力による国家間の争い、とある。これはまあまあ解り易い。すると平和って要は武力による国家間の争いがない状態と云うわけだ。

 ちょっと待った。じゃあ、「戦争がなく」って、いったい「どこ」が「武力による国家間の争いがない状態」であればいいのでしょうね。

 日本国内に限れば、それは平和であった。武力による国家間の争いは一応なかった。一応、ね。たとえ核ミサイルに狙われようと、邦人が拉致されようと、どこかの戦争の後処理で掃海艇を派遣しようとも。
 でも、その近隣では朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、中ソの紛争があり、カンボジア内戦があり。ちょっと離れれば中東戦争、印パ戦争、キューバ危機、アフリカ各地の内戦、ハンガリー動乱、アフガン戦争、イランイラク戦争、etc.・・・。東西冷戦構造の崩壊後も、ユーゴ内戦、湾岸戦争、アフガン内戦、そして今度のイラク戦争。主なものだけでもこれだけすらすら出てくる。細かいのを入れていたら際限がない。

 すると、こういう言い方が出来るかもしれない。「戦後、日本は平和だったが、世界は決して平和ではなかった。」
 でもこういう表現、人によっては好ましいものではないでしょう。
  「日本さえよければ、他国の人は戦災で苦しんでいてもいいのか!」
  「そんな箱庭的な平和など、見せかけだけだ!」
  「自らを危険に曝しながらも、世界平和に貢献してこそ本当の日本の平和が達成されるのだ!」
 自分さえよければそれでいいというのは自分勝手だ。そういう考えに立てば、日本だけが平和だったからそれで平和だ平和だと満足するのは、むしろ罪悪ということになります。

 最近の日本は、まさにこういう風潮に支配されつつある様に感じます。
 「日本は今まで金だけ出して血を流さずにいた。今や日本も大国としてそれに見合うだけの国際貢献をしなければならない。」
 まあ、それ自体に反対するつもりはないのですが、何かその問題が自衛隊派遣だけに特化しているのがちょっと気になります。
 この前イラクでテロリストに誘拐されたNPOの人達には、「そんな危険な所に勝手に入っておいて、国の力と金で帰って来るなどけしからん!帰国費用は払わせろ!」などという意見も出ましたね。(もっとも、政府は「危険じゃないから自衛隊を行かせても問題ない」みたいなこと言ってたんじゃなかったっけ?)
 自衛隊には外国軍による警備まで依頼したのと比べると、あまりに差があります。彼らだって役割こそ違え、同様にイラクの人達の為に何かしたいと、危険な地に足を踏み入れたわけです。彼らの間にどんな違いがあったというのでしょうか。
 そこはやはり、国の命令の元立派に仕事と認められて行くのと、自分で自分の義務と決めて(残念なことに今の日本ではこういうボランティア活動を「遊び」と同様にみなす傾向がまだまだ強い様です)行くのとの違いなんでしょう。「こういう仕事は国の派遣するプロに任せろ、民間人は素人なんだからでしゃばるな」ってところですか。

 私は、そういう考え方を捨てない限り、どれだけ金かけて、国の威信を賭けて国際貢献をしようと、世界には認められないと思うんですよ。

 何故か。「公」の出来ることには限界があるからです。国益を目的とした貢献は、国益に反することはもちろん、国益に合うことが目立たない事項(特に細かいアフターケアなんか)にさえ、迂闊に手を出せません。貴重な(と見てくれているかどうか判りませんが)税金を使う以上、明確に国益にかなうという保証がない事をするのは、批判を恐れて腰が引けてしまうものです。当然です。もうこれ以上、本当にこれ以上、税金を個人の判断(ここでいう判断は、極めて多くの場合特定個人の利益に直結してます)で勝手に使われてはたまったものではない。
 だけど、アフターケアも不充分なそんな中途半端な援助は、結局何らかの問題を残します。それは、カンボジアで自衛隊が建設した道路が自衛隊撤退後ほったらかしになって使えなくなったり、トルコ大地震の際に阪神淡路大震災のお古の仮設住宅を送って恥をかいたりしたことでも判ります。
 そういうところに、現地の市民の生の声を聞いている国際ボランティアの力が必要になる、いや、必要としなければならない、と思うのです。彼らこそその国の市民が本当に何を必要としているか、一番知っているはずだから。国も彼らを煙たがらずに、お互いが足りない部分をサポートし合うべきでしょう。メンツが邪魔をするから、無理なのかな。

 ところで、日本だけが平和であったことははそんなに悪いことだったんでしょうか。

 実は、私は東西の冷戦構造を崩壊させた一番の原因を、日本の戦後復興にあると見ています。

 (以下は私なりの平和憲法の意味の解析です。)

 冷戦下で、東西陣営は軍事費を突出させ、全ての参戦国の経済を圧迫しました。そこで、彼らは自分達が戦争する代わりに、発展途上国を自国の衛星国にするべく代理戦争を画策し、そこで消費される兵器を売ることで自国産業の利益を確保してきました。発展途上国の側も自国を強国にするために、苦しい国家経済の中でひたすら軍拡につとめてきました。

 ここで、世界の国の中で東西陣営の一方に属していながら、その例外だった国がありました。

 その国は憲法によって他国との交戦を自ら封印し、他国への武器の輸出も禁じました。その国は東西冷戦の最前線に位置しながら、自国の防衛は最小限の武装と(基地供給の見返りではありますが)同盟国の威光に任せ、ただひたすら経済復興の為に人と金とを注ぎ込んできました。その結果、第二次大戦で経済の土台を徹底的に破壊されたにもかかわらず、その国は世界で唯一アメリカを経済で脅かせる存在となりました。その経済発展によって、専守防衛の為とGDP1%以下に自戒した防衛力さえ、GDP自身の増大により自動的に世界有数の軍事力と化しました。

 そう、その国の名は「日本」です。

 そんな日本を見て、他の国も変わっていきます。軍拡から軍縮へ方向転換し、その力を純粋な経済発展に使う方向に変換していったのです。しかしその為には、隣国との安全保障が必須です。それは隣国も同じでした。やがて世界はミリタリーバランスによる安全保障政策から、隣国との緊張緩和による安全保障政策へと、主流が変わっていきました。
 代理戦争の最前線であった東南アジアには、共産国まで含めた拡大ASEANが出来ました。大国のメンツから同盟関係でも対立してきたヨーロッパ各国は、自国の通貨さえ統合してしまうEUを成立させ、いまやEUは旧「鉄のカーテン」を越えて旧共産圏や中立国まで含む巨大パワーになろうとしています。中国も台湾問題を、韓国も統一問題を、それぞれ先送りして軍事力に頼らない安全保障の方向を模索しだし、その力を経済発展に振り向けてきました。そのいずれにおいても、目的とする先には間違いなく日本の影がありました。あのアメリカでさえ、一時の経済不振の際には日本を徹底的に研究したものです。
 一方で日本の影響がもっとも及ばなかった東側陣営の雄、ソ連は軍拡による経済破綻も一因となり、あっけなく崩壊しました。

 誰だって自分が苦労している横で成功しているヤツがいたら、そいつと自分の違いをまず考えるでしょう。日本が平和であった半世紀、それは遠回りながら世界に対して「平和」の意味を、そんな形で教えつづけた半世紀であったともいえるのではないでしょうか。

 時代は変わりました。今や世界はアメリカの軍事力だけが突出した歪な状態になり、一方で冷戦構造という歯止めのなくなった世界各国は、めいめいが勝手な方向に動こうとして、内戦や紛争が冷戦時代よりも増えました。戦争という言葉も、国と国との交戦の意味から国とテロリストとの交戦を含むように拡大しつつあります。各国が畏れ、倣った日本経済はバブル崩壊の痛手から今だ立ち直る気配を見せません。そんな中で今後日本は、悲願である国連安全保障理事会常任理事国になる為に、出すのが困難になったODAに代わり、自衛隊の派遣を益々進めていく事でしょう。日本の「平和」の根拠であった憲法第9条は、これを妨げるものとしていずれ改正されるのは確実か。時代の流れ、と簡単に言ってしまうには重いですね、自衛隊の方々の事を考えると・・・。




2005.06.27





最近また「鬼子」という言葉を
耳にするようになりました。
彼らに映る我等の姿は如何や。



 収斂進化(convergent evolution)という言葉があります。
 生物学上の現象を表す用語で、「同じような環境に同じような生態で適合する生物は、もともとの系統が違うものであっても同じような姿に進化する」というものです。
 たとえば、われわれと同じ哺乳類のシャチ(killer whale)。大きな水族館で曲芸をやる、あのイルカのでかいヤツです。映画の「オルカ」「フリー・ウィリー」等で見た人もいるでしょう。あのシャチ、その姿形は哺乳類とは別系統の魚類に属するサメとよく似ています。少なくとも尾びれの向きが縦か横か以外の容姿上の大きな違いは見受けられません。みかけだけではありません。海に住むこと、同じ肉食で食物連鎖の頂点にいること、集団性、そして自分の何倍もあるクジラさえ襲う獰猛性。その生態と取り巻く環境が極似しています。海で王者として生きるシャチは、同じく海で最強を誇るサメと自然に似たような姿になったのです。これが収斂進化です。

 ちなみにシャチとサメの収斂進化には、もうひとつ別の例があります。おおよそ二億年ほど前、陸上で恐竜が闊歩していたころ、海洋にも大型爬虫類が繁栄していました。その中には「魚竜」と呼ばれる、海棲の恐竜がいました。大体一億五千万年前に絶滅したようですが、化石から推定されたその容姿はサメやシャチととてもよく似ています。サメは魚類で、シャチは哺乳類、そして爬虫類の魚竜。これらまったく系統の違う生物が3度にわたって同じ環境で極似した容姿に進化したことは、収斂進化の正しさを証明しているといっていいでしょう。

 このような収斂進化の例は、海だけではなく陸上でも多く見られます。現存種に限っても、「猫」でありながら巨大化してアメリカ大陸のライオン(ライオンは猫と同族ですが猫ではありません)となったピューマ、種類が違うのにその独特な容姿が似たものとなったヤマアラシ(ネズミ目)とハリネズミ(モグラ目)とハリモグラ(カモノハシ目)、みかけはイタチか小型のクマなのに実はカンガルーに近いタスマニアデビル、同じくカンガルーの近縁で容姿がオオカミそのもののタスマニアンタイガー(フクロオオカミ:ただしほぼ絶滅と推測されています)、等々。
 収斂進化は、逆にいうと特定の環境に特定の生態として進化する生物の容姿がある程度法則性を持っていることを示しています。例えば「陸棲で肉食性の脊椎動物(鳥類を除く)は牙を持つ」、「寒冷帯にすむ哺乳類は同種の仲間の中で大型化する」などです。
そういう考え方にたつと、多分こんな法則も成り立つはずなんですよね。
「実用的な角を持つ陸棲脊椎動物は草食動物である」
 角のある動物を挙げてみると解ります。牛、鹿、サイ、カモシカ、ヤギ、羊、キリン、・・・。すべて草食です。絶滅生物で角に特徴がある生物の代表として、トリケラトプス、プロントテリウムとかが挙げられますが、これらも草食であったとされています(※トリケラトプスに関しては一部異論もあります)。
 一方、これとは対偶にあたる法則として、「肉食の陸棲脊椎動物には実用的な角のある生物がいない」ということも言えます。過去においても、ごく一部の例外(恐竜で存在したらしいです)を除いては、この法則が成り立っているようです。
 これは、陸上において角というものが防御には効果的でも、狩りには使えないことを証明していると言えそうです。確かに、頭の上や鼻の上の角で獲物を突き刺したら、それを口に持っていくのに一苦労しそうですから。それよりはそのまま飲み込むのに使える牙や、あとで獲物を口に持っていきやすい爪のほうが、肉食には実用的です。角というのは、生態系における弱者が強者に対する護身用として発達させたものであると考えるのが妥当でしょう。
 さて、今回の本題です。

 「鬼」

 この言葉で日本人が思い浮かべるのは、間違いなく頭にのある人型の生物でしょう。  さらに云えば、半裸で虎の毛皮のふんどしを着、手には金棒を持っており、肌は赤とか青(要は周りの人と肌の色が違うということか)で、その形相は見る人の恐怖を誘ういかついもの(鬼の形相とかいいますね)。
 このプロトタイプは、桃太郎のおとぎ話で日本人の意識に決定的に擦り込まれたと思われます。桃太郎における鬼は鬼が島に拠点を構え沿岸を荒らしまわる悪者。だから日本人にとって「鬼」は、怖いもの、避けるべきもの、時には退治すべきものという、強力なマイナスイメージしかありません。「鬼嫁」「鬼姑」というときの「鬼」には、どう考えたっていい意味などありませんわね。
 しかし、この漢字の発祥地である中国では、この字は別の意味を持ちます。諸説あってすべてを網羅するのは困難ですが、大まかに言うと「人は死ぬと鬼になる」ということのようです。すなわち鬼=亡霊。何でも人が死んだときに、天に昇るのが陽の気である「魂」で、地上に残るのが陰の気である「魄」だそうです。いずれも漢字に「鬼」が入っていますね。だから中国では偉人も聖人もみな死ねば鬼になり、時には「鬼神」となって人々の信仰の対象にさえなっていたようです。
 当然ながら中国における鬼は必ずしもを生やしていたわけではありません。悪役のイメージばかりがあったわけでもありません。

 では、何故この漢字を導入した日本では、この文字にそんなイメージを持たせたのでしょうか。

 ここから私の推測になるわけですが、多分そこには「鬼」が「退治」されているところに鍵があるのではないでしょうか。
 桃太郎の物語には、大和朝廷による吉備の国の征服の歴史が隠されているという説が有力です。日本最強の鬼といわれ源頼光に退治された酒呑童子は、何らかの出生の由来を持ち大江山に拠点を構えた武装集団であったという説が、私には妥当に思えます。
 退治されると当然その人は死にます。死んだ側は中国風に言えば「鬼」になるわけです。そして、生きている側である勝ち組は自らの正当性を主張すべく、征服、制圧された側の人たちがどれだけ極悪非道であったかを大きく誇張したことでしょう。時にはその様子を絵に描いて、字の読めない一般大衆にまで自分の偉功を自慢しようとしたに違いありません。
 そして相手方についてはその悪逆性を強調させるべく、人に非ざるおどろおどろしい姿で描かれたと予想できます。人を恐怖させる姿、おそらくは尋常ではない威嚇の顔と強烈な苦痛を想起させる武装が描かれます。そして、もっと端的に恐怖を誘う何らかのアイテムを付け足す必要があったでしょう。そこで、付け足されたもの。
 キバや爪は威嚇にもなりますが、プレデター達は実用的なこれらの武器をおおっぴらにひけらかすより、むしろここぞという時まで隠します。「能ある鷹は爪を隠す」ですね。だから、これらで観ている人を怖がらせるのは意外に難しい。無理に強調して描こうとすると、かえって滑稽に見えて怖くなくなってしまいます。そうすると、実用的でなくても見ているだけで痛みや死を連想させるような、そんな特徴的な武器が体についている姿の方が、目的を達成するためには効果的なわけです。威嚇用の武器、見ているだけで威力を発揮する、いわば本来どちらかというと防御的な体形的武装アイテム。

 そう、主に草食の陸棲脊椎動物が視覚面で効果的に防御に使う、あの「角」です。

 こうやって鬼とされた被征服側の民は、突き刺さると痛そうな角を頭に生やした醜い姿で、為政者側のイメージアップのため人々を苦しめる敵役として歴史に残ることになった、と推測されます。酒呑童子他の「鬼」達はその殆どが憎むべき悪の対象とレッテルされ、退治された(すなわち虐殺された)ことによって人々に「めでたし、めでたし」と喜ばれるという、死後にまで及ぶ徹底した屈辱を与えられることになりました。一方で、源頼光はさして歴史に影響を与える存在でなかったにもかかわらず、この鬼退治によって一大英雄と讃えられ伝説となりました。彼の家来で共に酒呑童子退治に活躍した坂田金時は、幼名である金太郎の名で、同じく鬼退治で有名な桃太郎とともに日本のおとぎ話界(?)の二大ヒーローとなりました。これを見ていると、「勝ち組」の思惑はまんまと当たったようです。

 ところで、覚えていますか?「角というのは、生態系における弱者が強者に対する護身用として発達させたものである」、でしたよね。
 勝ち組の計画は実は意外なところでぼろが出ているのかもしれません。悪役振りを際立たせるつもりだった負け組につけた角。それは征服された側が決して攻撃的ではなく、効果的な威嚇によってできる限り争いを避けようとしていた平和的、紳士的な集団であったことを暗に示してはいないでしょうか。強さを強調しなければならないほど本来は柔和な形相と非攻撃的な性質。そんな彼らを悪役として描くには、元々は防御用アイテムだが見た目の威力が大きい「角」を付け足すことでしか好戦性を出せなかった。しかし、角をつけたことでかえって、彼らの本質が草食動物のように平和的な人達であったことを証明している。私にはそんな風に思えるのです。
 これを裏付けるような歴史があります。
 鬼といえば節分ですね。鬼の面を付けた人に「鬼は外!」と呪文を唱えながら豆を投げつける。最近は豆を殻付ピーナッツにしているところもあるそうで。なんとも味気ない(笑)。 ところで、この節分の豆撒き、原型は平安時代に行われていた追儺(ツイナ)の儀式といわれています。この儀式は節分同様この世の災いを鬼を追い払うことで避けることができるという形をとっていますが、そのやり方がすさまじい。鬼に扮した人に対して、豆ではなく石つぶてを皆で投げつけていたというのです。それも全力で
 災いに苦しむ人たちの鬱憤晴らしの意味合いもあったのでしょう。それにしても、鬼にされた人たちの立場に立てば酷い話です。で、その時鬼に仕立てられる人というのが、どうもその当時の弱者層から選ばれていたらしいです。考えるに、彼らがいやとはいえない従順な人たちであったからこそ、押し付けることができた無理難題と言えるかもしれません。追儺の鬼の中身は決して鬼のような極悪非道な人ではありえなかったはずです。
 被支配層の自分への反感を抑えるために、一部の集団を鬼という悪役に仕立てて怒りや憎しみの矛先をそちらへ向けさせる。為政者たちのやり方の本質はいつの場合も結局同じなんでしょうね。
 鬼の面と言えば般若の面を思い浮かべる人も多いでしょう。が、私にはあの般若の顔は決して恐ろしい顔ではなく、むしろ女性の苦しみに耐える苦悶の顔を表現しているように見えます。他所から受けた圧力に対して必死に闘っている決意の顔に見えます。鬼が決して自発的に攻撃態勢をとるのではなく、防御上やむを得ず威嚇のポーズをとるものであることを、あの面の作者は知っていたのでしょうか。

 今の中国では「鬼子」とは外国人、とりわけ日本人に対する蔑称となっています。彼らにとって鬼は死人のことですから、日本人はキョンシーかゾンビみたいな半死人だ、幽鬼だ、ガリガリの亡者みたいな民族だ、という意味合いなんでしょう。でも、彼らがわれわれに対して本当に思っていることは、南京事件の描写などで聞かされている残虐無比な、むしろ日本的な鬼のイメージなのかもしれません。そして、そのイメージは昔日本が侵略した東アジア全域の人々の多くが持っているものかもしれません。
 しかしながら当の我々日本は、それこそ核兵器や海外派兵という言葉に多くの国民が感情的な嫌悪感を露わにするくらいに平和的な民族ですよね。  ・・・よね?
 でも、どうでしょうか。不況にあえぎ、国際的信頼も揺らぎ、失いかけた民族的自信を取り戻そうと色々やっていることでかえって隣国との関係に苦労している今の我々日本人の顔。その顔は、知らず知らずのうちに般若の面のような形相に変わっているのかもしれませんよ。あの、必死に耐えて威嚇する苦悶と決意の顔に。
 そしてその顔こそがアジアの中で、世界の中で、今静かに広がりつつある「日本警戒すべし!」の声を呼び起こしているのかもしれません。ご注意、ご注意。それはまさしく、むかしむかしにめでたく退治されてきた鬼たちがたどってきた歴史にそっくりではありませんか。そうは思いませんか?








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